【ひとり会議 その三】 「KY」な世の中
【ひとり会議 その三】 「KY」な世の中 (これはフィクションです)
ビーノ: 「KY」って、さぶじい知ってる?
さぶじい: 失礼な。知ってますよ。「今年も・よろしく」ですかな。
ビーノ: さぶい! それ『LOST』の宣伝で言ってた。あっ、だから「さぶ爺」って呼ばれるの?
さぶじい: まぁ、それは冗談として「空気を読めない」ですね。
ボゾルグ: KYが、悪いことのように言われるけど、なんか、へんだ。空気を読むって、結局、「長いものに巻かれろ」ってことだろ? 多数派になることじゃないの?
ベンダン陳: 他人に対する気持ち、想像力、配慮、足りないと感じます。KYな人、自分勝手な人。
ボゾルグ: ここでこんなこと言ったら嫌われる、へんなやつだと思われるから、内心は違っていても、その場の雰囲気にあわせているんじゃないの。だから、空気を読むやつって嘘つきなんだよ。
ベンダン陳: じぁ、正直でさえあれば許される? 他の人の気持ち、考えず? それ、おかしい。ストーカー、問題になってる。ストーカーだって、KYな人ね? 自分が嫌われていること、気がつかない。
桃: あなた日本語じょうずねぇ。
ベンダン陳: アリガト。
ボゾルグ: ストーカーは極端な話だよ。仲間内でわいわい楽しくやる分は良いかもしれないけど、その仲間内だけの固有の「空気」が、他の人間にはたまらない悪臭を放っていることもあるよ。とくに日本人はそういう傾向があると思う。例えば、一人一人は誠実でおとなしい人間なのに、集団になったとき、まるで凶暴になったり、恥知らずな行動を平気でするようになったり。外国旅行では良く見たね。
さぶじい: 日本人は、昔から個人の顔が見えない国民だというふうに外国人からは言われてきましたね。日本人は、「個」の前に、所属する「集団」で、どのように生きるかということが大切なので、この集団の「空気」を読むことは、大事なことだったんでしょうな。
ボゾルグ: 俺は戦争当時を想像してしまうよ。「戦争する」「戦争しなきゃならない」みたいな空気になってきたとき、だれも反対できずに戦争に突入してしまった。あれも、「空気を読み過ぎた」ってことじゃないの? そして、最近、あれっ? また?と思うわけ。
桃: 子どもたちの間でも、空気を読めないことがイジメの対象になったりしているらしいわね。
さぶじい: 危うい感じがします。
ベンダン陳: 戦争の話、また別ね。そういう大きな話じゃなく。せっかくその場の雰囲気、盛り上がったとき、空気を読めない人、その場、だいなしにしてしまう。KYな人、鈍感で、自分勝手ね。
ボゾルグ: そんなに空気を読めないことが悪いのかなぁ。むしろ空気を読めない人たちが歴史を正してきた気もするけどね。俺は絶対KYで行くけど。
ベンダン陳: いちいちそんなこと、言わなくても。ボゾルグ、じゅうぶんKYね。
さぶじい: 最近は、地球温暖化の問題で、温室効果ガスが話題になるので、「KY」というのは、「空気の中の温室効果ガスのパーセンテージが読めないふとどき者」というふうに、「温暖化問題に鈍感」の意味に使い方を変えればいいんじゃないですかな。
桃: それ、分かりづらい。さぶじいも、KYな人かも・・・。
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