【ひとり会議 その九】 地球の「こころ」は怒っている?
【ひとり会議 その九】 地球の「こころ」は怒っている?
桃: なんだか、最近の地球は、悲鳴を上げているように感じるわね。私自身、酸性雨はきついから。
さぶじい: 地球の反乱は、すでに始まっている。最近の地球温暖化や異常気象などを見てますと、そう思ってしまいますな。
桃: 人間の環境破壊で、これ以上黙っていたら、地球そのものが危ういから、地球は、自分の「こころ」を示した、「意思」を示したということかな。
ボゾルグ: でも、待ってよ。たとえば、温暖化が100パーセント人為的なものなのかどうかは、まだ疑問を持たれているわけだし、この温暖化は何億年も続いてきた地球の歴史から見たら、「異常」でもなんでもない「普通の」出来事かもしれないよ。そもそも、温暖化がすべて悪いことばかりかというとそうでもないしね。そして、地球を擬人化するのは、どうかと思う。かりに、地球の「こころ」があったとしても、それは、人間が理解できるような「こころ」じゃないし、「意思」じゃない。もしそんな単純なものだったら、むしろ俺はがっかりだね。
桃: 擬人化じゃないの。でも、その地球の「こころ」を、地球の「こころ」で考えることは、しょせん人間には無理な話なのよ。レベルが違っていて。だから、ここでは、人間にもわかるレベルで「翻訳」しないとだめなの。たとえば、犬に、「○○しても良いよ」「××してはダメだよ」と言葉で言ってもわからないときは、「エサをあげる」「ケージに戻す」ってことで犬はわかるでしょ? 触ってあげたり、抱いてあげたりすれば、好かれているんだなぁと感じるだろうし、きつくしかられれば、「これはだめなんだ」と感じる。
ビーノ: ボクを馬鹿にしてるの?
桃: ビーノ、ばかにしてるんじゃないわよ。「翻訳する」とは「感じる」ことだと、人間に教えるための例えよ。
ボゾルグ: 「地球温暖化」や「異常気象」というものに翻訳されて、ようやく地球の「こころ」が人間にもわかる、いや感じるということだね。それならなんとなく・・・。
桃: 地球の「こころ」は、人間に「これ以上地球を壊さないで」といってるんじゃないかしら。
ボゾルグ: 人間やインターネットの「こころ」の場合、一つ一つの神経細胞ニューロンやパソコンに「こころ」はない。ただ、それがたくさん集まったとき、関係性を持つシステムに「こころ」が生まれるはずだったろ? でも、地球の個々のものに「こころ」はあるじゃない? 少なくとも、60億人もいる人間ひとりひとりに、「こころ」も「意思」もあるよ。
桃: どうかな。レベルが違いすぎる。地球にしたら、人間だって、蚊やミジンコと区別できないほどのレベルだってことよ。人間には、地球レベルの「こころ」はないわ。
ボゾルグ: なんだか悲しい話だね。
桃: しかたないわよ。地球と人間の差なんて。現実はそうでしょう? しょせん、地球を救おうなんて気持ち自体がおこがましい。地球は人間しだいでどうにでもできるといって、資源を使い放題、開発をやり放題やってきたわよね。でも、今度は一転して、地球環境を守ろうというけど、「人間は何でもできる」という考え方自体は、何も変わってないわ。
さぶじい: さすが、桃さんは地球の代弁者ですな。
ビーノ: ボク知ってるよ。桃の両親は、桜の木でしょ?
ボゾルグ: 桃の家系は樹木だったのか? 桜の木から生まれて、名前は「桃」。ややこしい・・・。
桃: ボゾルグ、何ぶつぶつ言ってるの? つまり、私が言いたいのは、もっと、地球の大きさを知ったほうがいいと思うの。逆に言えば、謙虚さね、必要なのは。そこからしか、地球の「きもち」は感じ取れないわ。
さぶじい: 昔の人間は、その謙虚さは持っていましたけどねぇ。だんだん、「自分が一番」と思い込むようになってしまったんですな。そのしっぺ返しでしょうか?
ビーノ: ボクら、「理解」はできないけど、「感じる」ことはできるんだよね。地球の「こころ」も、人間の「こころ」も。人間以外の生き物、全部そうなんだよ。言葉を持った人間だけは、「感じる」ことを忘れて「理解」したがるってこと。
さぶじい: 地球環境がだんだんおかしくなっていることに、人間がどれだけ関与しているのか、それこそ地球の「こころ」がわからない人間にはわからないですが、しかし、「何か変だ」「これではいけない」と感じているのは確かなんですから、その感覚は大切にしないといけない。ビーノさん、桃さん、こういうことでしょうかな?
ビーノ: まぁね。
ボゾルグ: 地球の「こころ」を感じる大切さはわかるけど、環境問題が、けっこう政治問題だってことは、別だよね。「温暖化が悪い」「リサイクルは良い」「温暖化で海面上昇する」とか、ほんとかな?と「感じる」ことも多いよ。
さぶじい: 地球の「こころ」がわかっても、じゃぁ、個人的にどうするか?という問題がありますな。「環境保護」と唱えているだけでは、何も変わりませんしな。難しいところです。
ボゾルグ: そうなんだよ。地球環境保護のために、俺は今の自分の生活レベルを下げる気はないよ。あまり「地球のこころ」ばかり考えると、個人の自由は制限されるということにもなっていく。それは嫌だね。
桃: ただ、大きな理想は必要でしょう? 方向性といったらいいかな。そもそも、地球環境が壊れて、人間が死んでしまったら、個人の自由なんていうのも、なくなってしまうのよ。
ボゾルグ: ・・・
さぶじい: 地球環境問題では、被害者が加害者でもあるということ。そこが難しいところでもありますな。
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