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2008/04/30

本心を言えない中国人たちの憂鬱 2

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(探したら、こんな写真が見つかりました。1985年、広州の公園。映っている子どもたちは「小皇帝」世代ですね)

このニュースを知って、驚いた人はあまりいないんじゃないでしょうか。「やっぱりそうだったか」と。

「聖火応援隊」やっぱり動員 中国当局が旅費負担
http://www.asahi.com/international/update/0429/TKY200804280362.html

これで、中国人留学生たちの「ハッスルぶり」が、納得できるような気がします。前も書きましたが(本心を言えない中国人たちの憂鬱)、彼らの中にどれほどの「愛国者」がいるか、俺は疑問に思っています。「ふり」をしている留学生はたくさんいるんじゃないかと。そして「ふり」をしなければならない留学生の辛い立場があるのではないかと。

欧米大好き、日本大好きな留学生たちはたくさんいるでしょう。それが一転して短期間に「愛国者」に変わるものなのでしょうか。ちょっと疑わしい。やっぱり動員されて「愛国者」を演じていると考えられます。と、すると、彼らの「愛国心」は、すごく薄っぺらなものでしかないのかもしれません。

中国国営放送は、報道を規制しているといいますが、でも、インターネットで世界中の情報を知ってる「小皇帝」世代です。何も知らないはずはありません。中国政府が、事実を捻じ曲げて報道していること、世界中の人が、中国人をどういうふうに見始めているか。それでも、演じなければならないというのは、よほどの理由があるんでしょう。

そういう人たちが半分。あとは本気で「愛国心」を叫んでいる学生たち。

彼らもまた騒ぐ理由が欲しいのかもしれません。かつて、日本でもそうでした。経済的に余裕が出てきた高度成長期に、同じように発生する学生運動というお祭騒ぎは、「大人」になるための通過儀礼なのかもしれません。

中国政府が恐れているのは、こっちの方。本気で「愛国心」を叫んでいる「小皇帝」たちだと思います。


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2008/04/28

聖火リレーで中国国旗を振る「小皇帝」たち

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自分の姿を客観的に見ることができない人は悲しい。

今の、世界各地の中国人留学生のことです。

アメリカでは、中国人女子学生が、中国とチベットとの学生の間に立ち、「おたがい話し合いましょう」と言っただけなのに、今では、この女子学生はチベット側に加担した国賊として非難され、彼女の実家さえ攻撃されるというめにあっています。

留学生たちは、いったい何をしたいのでしょうか? そのあり余ったエネルギーを、ぶつけていかなければならないのは、中国政府そのものじゃないか?と思ったりもします。安易な愛国心に走り、外国を非難するだけではねぇ。

そういえば、中国の人口抑制政策、いわゆる「一人っ子政策」は1979年から始まりましたが、中国の子どもは、「小皇帝(女の子は小公主)」と呼ばれました。一人っ子なので、親からは過保護に甘やかされて育ち、手を付けられないワガママな子ども、という皮肉を込められた意味です。

20年前、中国を旅していたとき、そんな子どもたちが増えたら、この中国はどうなるんだろう?と、不安をもらした中国人に会ったことがあります。

彼の不安が今、現実となっているのでしょうか。世界中で中国国旗を振っているのは、まさにこの「小皇帝」たちなのです。

中国政府も、ワガママな「小皇帝」に手を焼いているふうに見えます。それでも、強く言えないのは、それこそ何をしでかすかわからない怖さを感じているからではないでしょうか? つまり「怖さ」とは、彼らの「愛国心」がいつか「民主化」というものに変わってしまうのではないか、ということです。

↑の写真は、1985年、桂林郊外で撮影したものです。当時小学生だったこの子どもたちは、30代。あの国旗を振っている世代よりは、ちょっと上。一人っ子政策直前の子どもたちです。だから「小皇帝」ではない最後の世代ということになります。

「小皇帝」たちは、外国の大学に入るくらいだから、勉強はできるのでしょう。でも、自分のことが見えず、世界の空気が読めないのは、若いせいなのか、それとも、一党独裁国家の国民だからなのか、どうなんでしょうか。


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2008/04/27

五輪聖火リレー。中国人留学生の「数の力」

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今回の五輪聖火(呪火)リレーの騒動で、各国で中国人留学生が大挙して押しかけ、不都合な意見を数の力で押さえ込もうとする様子を見て、ある事を思い出しました。

それは、中国雲南省景洪のタイ族の新年、水掛け祭り(溌水節)での出来事でした。

景洪の文化宮広場では、タイ族の踊りが始まっていましたが、意外にもタイ族の踊り子は少なくて、その何倍という数の漢民族が、ギャーギャー騒ぎながら、おかしなダンスを踊っていたので驚きました。

まったく興ざめでした。そのダンスに向かって周りの漢民族が水を掛け始めたとき、

「水掛けはまだ始まっていません。水掛けはまだ始まっていません。みなさん、水量に制限がありますので、無駄に水を掛けないようにお願いします。なお、掛ける水は綺麗な水をお願いします」

と、スピーカーから女の声でアナウンスがありました。でも、そのアナウンスをだれも聞こうとせず、まるで酒に酔っ払っているとでも思えるような漢民族観光客のドンちゃん騒ぎは、もう手をつけられないほどに広がっていて、ようやく始まったタイ族たちの踊りが、ほとんど無視されているのを見たとき、なんだか無性に悲しくなってしまいました。

そしてこのとき、少数民族というのは本当に「少数」の民族なんだなと思ったのでした。漢民族の騒ぎ方には、人数の多さにただ圧倒されるばかりの、もうお手上げといった諦めの感じを抱かせるところがあったのです。

タイ族たちは、自分たちの新年の祭がこんな形になっても、文句を言うでもなく、ただ黙って踊りを続けていました。

漢民族は、直接暴力を振るったわけではありませんが、ただ、あの塊で迫られたとき覚える、なんともいえない威圧感、不安、もっとはっきり言えば、このとき俺は「人の多さ」に恐怖を感じたのでした。

これは、中国人ばかりではなくて、日本人についても言えることですが、どうしてひとりひとりは穏やかで頭がいい人たちなのに、集団になると、凶暴で馬鹿になるでしょうか?

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2008/04/26

長野での、オリンピック「呪火」リレー

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長野で行われた聖火リレーでは、ちょっとした妨害活動がありました。中国、チベット、ウイグル、日本国旗がうごめく騒然とした雰囲気の中、欽ちゃんが笑顔で走っているのが、逆に不思議に見えました。

行列の外側の混乱と、内側の何事もないような笑顔。このギャップはなんなんだろう。

何十人もの機動隊と警察官に守られた、ものものしい行列。こんなに警備が厳重なVIPは、よほど偉い人か、よほど嫌われているか、どちらかです。今回の聖火はどっちなんでしょうか。少なくとも、「平和」の象徴ではないし、「聖」なるものにはとうてい見えません。どろどろした、「呪火」とでも言うべきものではないでしょうか。

それにしても、昨日も触れましたが、中国人たちの愛国心を見せる「ハッスルぶり」は、異常に見えます。中には、「ふり」をしてる中国人たちもたくさんいるだろうとは思いますが、文化大革命時代の紅衛兵が、赤い旗を振っている姿とだぶるのは俺だけでしょうか?

人よりも愛国心を示そうという態度がエスカレートして、自分で自分の首を絞める、オリンピックそのものの開催が危ぶまれる結果になることに気がつかないとしたら、なんだかとても悲しい。


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2008/04/25

本心を言えない中国人たちの憂鬱

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オーストラリアでは、オリンピック聖火リレーに中国人留学生が総動員されました。

これを見て、なかなか中国人も大変だなぁと思いました。以下、俺の想像で書きます。

留学生の総動員。それは「聖火」を守るためですが、もっと大切なこと、中国人留学生個人にとっては、「わが身」を守ることなのかもしれません。

中国の国旗を振って、愛国心を熱く語る青年の姿には、涙が出ます。

この集まりに召集をかけたのは、中国政府関係の機関らしい。それじゃぁ、行かないわけにはいきません。もし、ここでサボったりしたら、「非国民」のレッテルを貼られる可能性があり、いつかまた中国の政治状況が変わったとき、「あのとき、お前は、聖火を守ろうとしなかった」などと突っ込まれ、強制労働に引っ張られてしまうかもしれません。その恐怖は、中国人じゃなければわかりません。

文化大革命のときもそうだったと聞きました。

ほんとは、聖火なんかどうでもいい、オリンピックなんか関係ない、チベット独立してもいいと思っていても、それを口にはできない。いや、仲間どおしでは言うことはできても、世界のメディアが注目しているところでは、口が裂けても言えない。あくまでも、チベット独立には反対し、いかに中国がすばらしいかをアピールしなければならない。特に外国に住んでいる中国人は、祖国中国に対する忠誠心を見せる絶好の機会でもあるでしょう。祖国に住んでる、家族の立場のためにも。

日本では、明日聖火リレーが行われます。長野にも中国人がたくさん集まるそうです。いつ、誰が、自分の姿をビデオに撮っているかわかりません。「ちゃんとやらなければ。憂鬱だなぁ」と思っている中国人は少なくないのかもしれません。

俺たちは中国などの外国だけではなくて、日本の悪口も平気で言えます。それが言論の自由です。本心を言えないのは不幸です。(でも、ないな。本心なんて、俺も書いてないし。日本も本心を言いづらい国かもなぁ) 俺は悪口を言っていても、中国も、日本も嫌いではありません。悪口を言う(書く)ほど好きなのです。(興味がなければ、悪口さえ書かないので)

オリンピックや聖火リレーがどうなろうが関係ないと思ったり、チベットに興味がなかったり、日本やフランスが大好きでも、あなたの感性は異常ではありません。そんな中国人諸君、加油(ジャーヨウ 頑張れ)! 


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2008/04/24

コメより高い水を買う国民、日本の不思議

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(写真は水俣市寒川棚田)

昨日は、丸の内さえずり館で、スライド&トークショー『世界の棚田を旅しよう』をやりました。

俺のスライドショーのあと、最後に棚田ネットワーク代表でもある中島先生があいさつ。そのとき、先生の手には、330mlのペットボトル。先生はお客さんたちに聞きました。このペットボトルに詰めたコメとミネラルウォーターではどちらが高いでしょうか?と。

答え: ミネラルウォーター。

俺は、この話を聞いて、ちょっとショックでした。今まで気がつきませんでしたが、ミネラルウォーターの値段が100円(コンビにで買う場合)。ところが、コメは、50円程度。コメよりも高い水を飲むのが自然なことなのか? 水よりもコメが安いというのが異常というべきなのか? なんだか考えさせられてしまいました。

もっとも、ミネラルウォーターの値段には、ペットボトルの値段も含まれてはいるし、コメも高いコメはもっと高いです。ミネラルウォーターも、2リットル瓶では安くなるので、単純な比較では、正確ではありませんが、でも、だいたい、「330lm瓶入りのミネラルウォーターより、同量のコメの方が安い」とは言えるようです。

俺は、日本国内を車で撮影旅行するとき以外は、ほとんどミネラルウォーターは買ったことはありません。外国では、水道水が飲めないというところもあるし(水道自体ないところもあります)、それもしかたないと思って買いますが、水道水がこれほど安全で「おいしい」日本で、大量のペットボトルのゴミ(資源?)を出すミネラルウォーターに違和感を持っていました。昨日の話を聞いて、その違和感の原因のひとつがわかったような気がします。

もちろん、お金がありあまっている人が、どんな贅沢品を買おうがその人の自由だし(去年は「何とか還元水」という1本数千円の水を飲んでいた大臣もいたっけ。亡くなりましたけどね)、俺も、車の撮影では重宝しているので、否定はしませんが、不思議ではあります。どうして、日本で水を買わなければならないのか?

ミネラルウォーターって、ホントに水道水よりもおいしいのか? ホントに体にいいのか? あらためて考えてみたいと思います。

それと引きかえ、コメがどうしてこんなに安いのか? いや、これでも、「コメが高い」といわれているんですけどね。

ますます、日本が不思議な国に思えてきました。最後の「秘境」日本!


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2008/04/23

ついでに、モンゴルの写真 2

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ハラホリンの北、約70kmのところにあるウギー湖。

写真を撮っていると、都会から遊びに来たらしいモンゴル人の家族が現われて、桟橋の先まで歩いていきました。彼らもウギー湖の夕日に感動していました。

ここはモンゴル人にとってもリゾート地であるようです。


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2008/04/22

ついでに、モンゴルの写真 1

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雑誌「山と渓谷」のモンゴル写真掲載については、先日書きましたが、ついでに、モンゴルの写真を載せておきます。

ツェンケル温泉の夕方、大粒のヒョウが降ってきました。地面は白くなり、まるで雪が降ったようでした。

ふと見上げると、空には虹。

そういえば、高砂親方も、モンゴルへいったとき虹を見たんじゃなかったかなぁ。親方もモンゴルの草原の虹と温泉に癒されて、満足して帰国したっけ。


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2008/04/21

『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』 秋津の喫茶店で

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『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』

国立の「ギャラリー亀福」で展示した雲南省の写真(17点)と桑野奈保さんのトンパ文字をモチーフにしたジュエリーを引き続き、こちらで展示しています。

「ゴマプリン」がおいしい喫茶店です。お近くの方はどうぞ。

2008年5月2日(金)まで
OPEN: 11:30~18:00
(月曜日と4月20日は休み)

談話室 日向
〒204-0004 東京都清瀬市野塩1-173
TEL: 0424-93-8707
※秋津駅北口より徒歩4分

なお、日向ミニコンサートがあるそうです。
『一絃琴の調べ』4月26日(土) 13:00~
¥1,000円 (飲み物+お菓子付き)


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2008/04/19

スライド&トークショー 『世界の棚田を旅しよう』 4月23日(水) 18:30~

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昨日、JR有楽町駅前の「丸の内さえずり館」で、『棚田~知ろう、食べよう、行ってみよう!』のトークイベントがありました。

棚田ネットワーク代表の中島先生からは棚田の現状や棚田オーナーになる方法などのお話、そして最後は、棚田米の食べ比べクイズでした。4品種(4産地)の棚田米が、どれか当てるものです。

参加者約30人中、結果、4つ全部当たった人はいませんでした。2種類当たった人は12人。俺は、1つだけ。けっこう難しい。

4つとも「おいしい棚田米」という最低限のレベルをクリアーした米なので、その中での違いを見極めるのは難しいものです。もちろん、初めて食べる品種は、比べようもないわけですが。

4月23日(水)、今度は、俺のスライド&トークショーがあります。日本、中国、インドネシア、ベトナム、フィリピン、イラン、マダガスカルの写真と話です。

申し込みは、丸の内さえずり館までお願いします。参加費無料。23日も、棚田米を試食できるそうです。もし時間がある方はどうぞ。棚田米は食べたいけど、「お前の話なんか聞きたくない」という人も大歓迎です。棚田米も販売しています。

 4月23日(水) 18:30~20:30
 「写真家・青柳健二と世界の棚田を旅しよう」


なお、棚田写真(37点)、棚田ネットワークのパネル、農作業の道具などの展示は、引き続き月末までやっています。

期間: 2008年4月30日(水)まで

開館時間: 月~土 11:00~19:00
(日・祝・4月28日は休館。最終日4月30日は13:00まで)

丸の内さえずり館
千代田区有楽町1-12-1 新有楽町ビル1F
TEL/FAX: 03-3283-3536
(JR有楽町駅 日比谷口 ビックカメラの道を挟んだ向かいのビル)
http://www.m-nature.info/


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2008/04/17

『佐伯一麦のモンゴル紀行』 山と渓谷に掲載

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去年の8月に取材したモンゴルの写真が雑誌「山と渓谷」5月号に掲載されています。

『佐伯一麦のモンゴル紀行 天高く、草の大河』

07年野間文芸賞受賞作家 佐伯一麦さんと編集者と3人で行ったモンゴル。

我々が帰国して1週間後、あの朝青龍がモンゴルに帰国したのでした。そのあとの、日本のマスコミによる「狂乱ぶり」は、みなさんもご存知の通りです。

モンゴルの「温泉」「道」「虹」が、あんなに有名になるとは思ってみませんでした。なんだか懐かしい。

去年のモンゴル旅記はこちらで。
Ya_2「モンゴル国に行ってきました」


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2008/04/14

チベット・ラサ ポタラ宮の写真

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2008/04/13

オリンピック聖火リレーの混乱

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中国はたいへんです。

聖火リレーは続けなければならない。でも、続ければ続けるほど、チベット問題が世界中に知れ渡るというジレンマをかかえています。

そして聖火リレーの、特殊部隊と思われる自称「学生ボランティア」の、強引なやり方が、中国の印象を悪くしています。

世界中で中国が嫌われていることがはっきり見えてきた中で、それでもオリンピックをやりたいという思いには、悲壮感が漂います。

オリンピックという「平和」を象徴するイベントを開催するには、まだ中国には早かったのかもしれません。もちろん世界中すべて平和なときに行われたオリンピックなど、1回もないと思いますが。


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2008/04/11

ダライラマのインタビュー

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昨日、ダライラマが日本に10時間滞在し、インタビューを受けました。

コメントにユーモアが感じられ、余裕がありますね。強面に非難だけしている中国政府とは、対照的です。

ダライラマは、中国でのオリンピック開催は認めているし、非暴力を訴えているにも関わらず、各地で暴力沙汰が起こっています。チベット人の象徴であるはずのダライラマが、「チベット独立は考えていない」と言っているにもかかわらず、聞きません。ダライラマの影響力が弱まっている、ということでしょうか。

外国での抗議活動が大きくなればなるほど、とくに、チベット人ではない部外者が騒ぐことは、ダライラマの立場をますます悪くし、中国内のチベット人にとっても、いいことなのかどうか。(もちろん、チベット人自身の抗議活動は理解できますが) 騒いでいる人たちは、そのあたり考えているのかな? 

それと、「政治とスポーツは別だ」と、オリンピック参加選手たちは声高に叫んでもいいのではないでしょうか? いっしょうけんめい練習してきたのに、「オリンピックをボイコットしよう!」と、ヒステリックに叫んでいるやからに腹も立つでしょうに。

選手たちの本音を聞いてみたい。


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2008/04/03

【ひとり会議 その十二】 携帯電話が気になるわけ仮説

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【ひとり会議 その十二】 携帯電話が気になるわけ仮説


桃: こんな実験の話が新聞に出てた。ある曲を、途中何度か無音を入れて聴かせると、当然音が途切れるので、とても聴きづらいらしい。ところが、無音のところを雑音にすると、ちゃんと曲が聴こえるというの。雑音になる直前に、人間の脳は、雑音部分を補って次の音を想像して聴いているらしいわ。

ボゾルグ: 予想するんだね。次の音を。

桃: これを聞いて、思ったの。電車内での携帯での会話に不快を感じる理由が。目の前の人が発する言葉は聞こえるけど、携帯の向こう側の人の声は聞こえない。すると、「会話」として聞こうとしている脳が、どうしたらいいかわからなくなって混乱し、不快になるんじゃないかな。

さぶじい: 脳が「会話」を聞こうと身構えているというところがミソですな。

ボゾルグ: 携帯を持ってるから、どうしても、「会話」を予想してしまうということ?

桃: そう。だから、多少大声の会話でも、実際にその場でしゃべっている会話が気にならないのは、「会話」を予想して、ちゃんと「会話」が成り立っているから。

さぶじい: つまり、まだ脳が、慣れてないということかもしれませんな。いままで、人の会話を、片方だけ聞くという機会は、電話ができるまではなかったですし。しかも今までの電話は、あまり不特定多数の人に聞かれるものではなかった。家の中だったり、電話ボックスの中だったりと。

桃: ということは、そのうち「携帯での会話」という頭で接するようになっていけば、不快感もなくなっていくかもしれないわね。

ボゾルグ: 桃、俺はちょっと違う見方をしてるよ。不快なのは、生理的というより、「俺は使ってないんだから、お前も使うな」という社会的というか道徳的というか、そっちの不快感の方が大きいかもよ。

桃: そうかしら。

ボゾルグ: この前電車に乗っていたら、おばさんが携帯と口を隠すように手で囲って電話してたけど、大声で話をしていたので、声はあたりに響いていた。こういう時、現れるんだなぁ。道徳的な人がね。おばさんの方を見て、「みんなに、迷惑だから」とたしなめるサラリーマンふうのオヤジがいたよ。おばさんは、ばつが悪そうに、「また電話するから」と小声で言うと、携帯を切った。それをみたオヤジは、満足そうだったな。

さぶじい: そういえば、携帯ではありませんが、シルバーシートのところで、若者に、「あなた席、譲りなさいよ」と詰め寄っているおばさんがいましたな。自分が座りたいわけではなく、私に座らせたがっていたようです。でも、私は座りたいとも思ってなかったですよ。なぜなら、私はまだ「後期高齢者」でもないし、まだまだ元気なので。

桃: 「爺」というわりには、さぶじいは若いわよ。

さぶじい: 桃さんにそういわれると、嬉しいですな。

ビーノ: その長い髭が、中国の山の中にいる仙人のイメージだね。

ボゾルグ: 若者がそこに座っていることが、おばさんには許せないんだね。その若者が、本当は病気で辛いから座っているかもしれないのに。そういうことは一切聞かずにね。おばさんの独断。自分では、「いいこと」をしていると思っているんだろうね。

ビーノ: みかけで判断するのは、なにもこのおばさんだけじゃないよ。ボゾルグだって、ボクのこの「犬」の姿を見て、「犬、犬」って、言うじゃない?

ボゾルグ: 犬の姿なんだから、犬だろ? 違うのかい?

桃: また始まった。ふたりとも、やめなさい。

ボゾルグ: とにかく、注意したオヤジは「みんなに、迷惑だから」と言った。でも、本当は、「俺が使ってないのに(我慢しているのに)、お前だけ使っているのは気にくわない」ということなんじゃないの? それならそれで俺はいいと思うんだけど、ただ、このオヤジが気に入らないのは、「みんなに」と言うことで、オヤジの要求があたかも「社会的な道徳・正義」ふうに偽装されたので、おばさんはぐうの音も出ず、それがオヤジには二重の快感をもたらしたということなんだよね。本音はオヤジの個人的な好き嫌いでしょう。「みんなに」と言っても、俺は違っていたから。かってに俺を「みんな」の中にいれないでほしいよね。

ビーノ: 誰も、ボゾルグのことを「みんな」には入れないと思うけど・・・。

ボゾルグ: 俺はそもそも、電車内(飛行機内とは違う)で、人が携帯使っていてもそれほど気にならない。もちろん、身動きもできないほど混雑しているとき使われたら気にするだろうけど。

ビーノ: 「次は、○○○駅です」とか「携帯電話はマナーモードに設定し、通話はご遠慮ください」とか、うるさいくらいに車内放送があるけれど、ボクにはこっちの方がよっぽど気になるよ。でも、この放送には人間たちは抗議しない。どうして? お金を払って「乗せてもらっている」という意識が、文句を言うことさえ思いつかない、ということなの? ずいぶん物分りいいね、日本人て。

桃: でも、ビーノって、電車も乗ってるんだね。ほんとに「犬」なのかな?

ボゾルグ: 日本人は、決まったことは疑問を持たずにすごく真面目にやるところがあるね。その生真面目さは、世界の人間からは気持ち悪がられてもいるよ。

桃: もう慣れっこになっているんでしょうね。町中、どうでもいいような放送だらけよ。雑音よ、すべて。だから、最初に戻るけど、「無音」じゃなくて、「雑音」があっても、何の支障もないんじゃない? 日本人は、「雑音」を「雑音」と感じないほど、慣れているんじゃない?

さぶじい: 携帯の会話が不快でも、雑音が多いところでは気にならないですからな。桃さんが言う「生理的」な理由なら、日本人は、すぐ慣れるでしょうな。

ビーノ: 日本人て、雑音という公害に、めちゃくちゃ抵抗力をもった人間たちなんだね。ボク、感心しちゃうよ。


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