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2008/04/03

【ひとり会議 その十二】 携帯電話が気になるわけ仮説

080403
【ひとり会議 その十二】 携帯電話が気になるわけ仮説


桃: こんな実験の話が新聞に出てた。ある曲を、途中何度か無音を入れて聴かせると、当然音が途切れるので、とても聴きづらいらしい。ところが、無音のところを雑音にすると、ちゃんと曲が聴こえるというの。雑音になる直前に、人間の脳は、雑音部分を補って次の音を想像して聴いているらしいわ。

ボゾルグ: 予想するんだね。次の音を。

桃: これを聞いて、思ったの。電車内での携帯での会話に不快を感じる理由が。目の前の人が発する言葉は聞こえるけど、携帯の向こう側の人の声は聞こえない。すると、「会話」として聞こうとしている脳が、どうしたらいいかわからなくなって混乱し、不快になるんじゃないかな。

さぶじい: 脳が「会話」を聞こうと身構えているというところがミソですな。

ボゾルグ: 携帯を持ってるから、どうしても、「会話」を予想してしまうということ?

桃: そう。だから、多少大声の会話でも、実際にその場でしゃべっている会話が気にならないのは、「会話」を予想して、ちゃんと「会話」が成り立っているから。

さぶじい: つまり、まだ脳が、慣れてないということかもしれませんな。いままで、人の会話を、片方だけ聞くという機会は、電話ができるまではなかったですし。しかも今までの電話は、あまり不特定多数の人に聞かれるものではなかった。家の中だったり、電話ボックスの中だったりと。

桃: ということは、そのうち「携帯での会話」という頭で接するようになっていけば、不快感もなくなっていくかもしれないわね。

ボゾルグ: 桃、俺はちょっと違う見方をしてるよ。不快なのは、生理的というより、「俺は使ってないんだから、お前も使うな」という社会的というか道徳的というか、そっちの不快感の方が大きいかもよ。

桃: そうかしら。

ボゾルグ: この前電車に乗っていたら、おばさんが携帯と口を隠すように手で囲って電話してたけど、大声で話をしていたので、声はあたりに響いていた。こういう時、現れるんだなぁ。道徳的な人がね。おばさんの方を見て、「みんなに、迷惑だから」とたしなめるサラリーマンふうのオヤジがいたよ。おばさんは、ばつが悪そうに、「また電話するから」と小声で言うと、携帯を切った。それをみたオヤジは、満足そうだったな。

さぶじい: そういえば、携帯ではありませんが、シルバーシートのところで、若者に、「あなた席、譲りなさいよ」と詰め寄っているおばさんがいましたな。自分が座りたいわけではなく、私に座らせたがっていたようです。でも、私は座りたいとも思ってなかったですよ。なぜなら、私はまだ「後期高齢者」でもないし、まだまだ元気なので。

桃: 「爺」というわりには、さぶじいは若いわよ。

さぶじい: 桃さんにそういわれると、嬉しいですな。

ビーノ: その長い髭が、中国の山の中にいる仙人のイメージだね。

ボゾルグ: 若者がそこに座っていることが、おばさんには許せないんだね。その若者が、本当は病気で辛いから座っているかもしれないのに。そういうことは一切聞かずにね。おばさんの独断。自分では、「いいこと」をしていると思っているんだろうね。

ビーノ: みかけで判断するのは、なにもこのおばさんだけじゃないよ。ボゾルグだって、ボクのこの「犬」の姿を見て、「犬、犬」って、言うじゃない?

ボゾルグ: 犬の姿なんだから、犬だろ? 違うのかい?

桃: また始まった。ふたりとも、やめなさい。

ボゾルグ: とにかく、注意したオヤジは「みんなに、迷惑だから」と言った。でも、本当は、「俺が使ってないのに(我慢しているのに)、お前だけ使っているのは気にくわない」ということなんじゃないの? それならそれで俺はいいと思うんだけど、ただ、このオヤジが気に入らないのは、「みんなに」と言うことで、オヤジの要求があたかも「社会的な道徳・正義」ふうに偽装されたので、おばさんはぐうの音も出ず、それがオヤジには二重の快感をもたらしたということなんだよね。本音はオヤジの個人的な好き嫌いでしょう。「みんなに」と言っても、俺は違っていたから。かってに俺を「みんな」の中にいれないでほしいよね。

ビーノ: 誰も、ボゾルグのことを「みんな」には入れないと思うけど・・・。

ボゾルグ: 俺はそもそも、電車内(飛行機内とは違う)で、人が携帯使っていてもそれほど気にならない。もちろん、身動きもできないほど混雑しているとき使われたら気にするだろうけど。

ビーノ: 「次は、○○○駅です」とか「携帯電話はマナーモードに設定し、通話はご遠慮ください」とか、うるさいくらいに車内放送があるけれど、ボクにはこっちの方がよっぽど気になるよ。でも、この放送には人間たちは抗議しない。どうして? お金を払って「乗せてもらっている」という意識が、文句を言うことさえ思いつかない、ということなの? ずいぶん物分りいいね、日本人て。

桃: でも、ビーノって、電車も乗ってるんだね。ほんとに「犬」なのかな?

ボゾルグ: 日本人は、決まったことは疑問を持たずにすごく真面目にやるところがあるね。その生真面目さは、世界の人間からは気持ち悪がられてもいるよ。

桃: もう慣れっこになっているんでしょうね。町中、どうでもいいような放送だらけよ。雑音よ、すべて。だから、最初に戻るけど、「無音」じゃなくて、「雑音」があっても、何の支障もないんじゃない? 日本人は、「雑音」を「雑音」と感じないほど、慣れているんじゃない?

さぶじい: 携帯の会話が不快でも、雑音が多いところでは気にならないですからな。桃さんが言う「生理的」な理由なら、日本人は、すぐ慣れるでしょうな。

ビーノ: 日本人て、雑音という公害に、めちゃくちゃ抵抗力をもった人間たちなんだね。ボク、感心しちゃうよ。


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