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2008/04/27

五輪聖火リレー。中国人留学生の「数の力」

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今回の五輪聖火(呪火)リレーの騒動で、各国で中国人留学生が大挙して押しかけ、不都合な意見を数の力で押さえ込もうとする様子を見て、ある事を思い出しました。

それは、中国雲南省景洪のタイ族の新年、水掛け祭り(溌水節)での出来事でした。

景洪の文化宮広場では、タイ族の踊りが始まっていましたが、意外にもタイ族の踊り子は少なくて、その何倍という数の漢民族が、ギャーギャー騒ぎながら、おかしなダンスを踊っていたので驚きました。

まったく興ざめでした。そのダンスに向かって周りの漢民族が水を掛け始めたとき、

「水掛けはまだ始まっていません。水掛けはまだ始まっていません。みなさん、水量に制限がありますので、無駄に水を掛けないようにお願いします。なお、掛ける水は綺麗な水をお願いします」

と、スピーカーから女の声でアナウンスがありました。でも、そのアナウンスをだれも聞こうとせず、まるで酒に酔っ払っているとでも思えるような漢民族観光客のドンちゃん騒ぎは、もう手をつけられないほどに広がっていて、ようやく始まったタイ族たちの踊りが、ほとんど無視されているのを見たとき、なんだか無性に悲しくなってしまいました。

そしてこのとき、少数民族というのは本当に「少数」の民族なんだなと思ったのでした。漢民族の騒ぎ方には、人数の多さにただ圧倒されるばかりの、もうお手上げといった諦めの感じを抱かせるところがあったのです。

タイ族たちは、自分たちの新年の祭がこんな形になっても、文句を言うでもなく、ただ黙って踊りを続けていました。

漢民族は、直接暴力を振るったわけではありませんが、ただ、あの塊で迫られたとき覚える、なんともいえない威圧感、不安、もっとはっきり言えば、このとき俺は「人の多さ」に恐怖を感じたのでした。

これは、中国人ばかりではなくて、日本人についても言えることですが、どうしてひとりひとりは穏やかで頭がいい人たちなのに、集団になると、凶暴で馬鹿になるでしょうか?

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