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2008/05/31

第4回アフリカ開発会議 (4) 道路の整備を望むマダガスカル

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マダガスカル島の西部にあるムルンダヴァ。首都から陸路で行くのは、道が悪く時間がかかると聞いたので、飛行機で飛びました。

ムルンダヴァで、バオバブを見たことは、すでに書きました。中央高地は気候も穏やかで、住んでいる人たちの顔つきも、アジア人なのですが、モザンビーク海峡に面した港町、ムルンダヴァまで来ると、さすがに「アフリカ」の匂いが強くなってきます。

まず、めちゃくちゃ暑い。それと、アフリカ系の人が目立つようになります。

毎朝、日の出とともに、近くの漁村から小船がやってきます。魚を運んできて、ムルンダヴァの市場で売る漁民の人たちです。日焼け止めの白粉を顔に塗っている女性もいます。角を曲がったとたん、彼女たちとはちあわせすると、びっくりしてしまいます。

それと帆船がモザンビーク海峡に出て行きます。マダガスカルは、陸上の道路があまり整備されていないので、この帆船は、海岸沿いの街へ行くときには便利なのだそうです。と、言うより、これしかないのです。

アフリカ開発会議は昨日閉会しましたが、分科会では、「ケニアやマダガスカルの担当者は、新鮮な農産物を市場に届ける道路を整備することが農業を産業として育てていくために重要だと主張した。」(asahi.com http://www.asahi.com/international/update/0529/TKY200805290163.html )
とのことです。

ムルンダヴァ市内でさえ、舗装されていないどころか、水溜りのあるぼこぼこ道で、郊外に出ると、ほとんどが土道・泥道。窪みを避けながら進まなければならないので、時間がかかってしまいます。

道路というインフラを早く整備したい気持ちは、車に揺られ、ホコリまみれになるとよくわかります。これ以上道路は要らないだろうというところにまで道路を作る、どこかの国とは事情が違います。


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2008/05/30

第4回アフリカ開発会議 (3) マダガスカルは棚田の国

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マダガスカルに行こうと思ったのは、棚田があると聞いたからでした。

でも、最初は「ホントかなぁ」と、半信半疑でしたが、調べてみると、コメの生産量が世界第20番目(1995年)で、一人当たりの年間のコメ消費量にいたっては、世界でもトップレベルの「コメの国」であることがわかりました。

マダガスカルへは、バンコク経由で行きました。バンコクから乗った飛行機は、9時間ほどで首都アンタナナリヴの上空に差しかかりました。雲が切れて赤と緑のコントラスト鮮やかな大地が目に飛び込んできました。

大地に敷き詰められた長方形の連なりが、水田であることを知って、内心ホッとしました。しかも、山際の斜面は、等高線模様で、あきらかに棚田でした。いくら本を読んでも、人から話を聞いても、自分の目で確かめるまでは安心できない性格は、我ながら困ったものだと思います。

マダガスカルの中央高地は、世界でも有数の棚田地帯といってもいいところでした。

市場では、マダガスカルふうのパン「ムフガシ」、コメ、砂糖、ピーナツで作ったウイロウ状の「クバ」、お粥の「バリスス」などでみんな食事をとっています。俺も「ムフガシ」をほおばりながら市場をまわっていると、コメをうまそうに食べている人たちに親近感が沸いてくるのでした。

遠かったマダガスカルも、「棚田」と「コメ食品」で、ちょっとは近く感じられるようになった、という話です。


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2008/05/29

第4回アフリカ開発会議 (2) マダガスカルのバオバブ

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第4回アフリカ開発会議(TICAD)が開かれている話は、昨日書きましたが、今日もアフリカの話。

俺は、アフリカといっても、モロッコ、エジプト、マダガスカルにしか行ったことはありません。参加国の名前を聞いても、ぴんとこない国があります。

カーボヴェルデ、ブルキナファソ・・・。どこにあるか知りませんでした。

マダガスカルは、大陸の東に浮かぶ島国で、アフリカといっても、昔、東南アジアから移住してきた人たちと、アフリカ系の人が混血した人たちなので、いまだに、アジアの方を向いています。だから、典型的なアフリカとは言えないかもしれませんが。

マダガスカルの西海岸、ムルンダヴァにある、バオバブの写真ギャラリーを作りました。

Ya_2『バオバブの木 Bao-babu』(a-Gallery)

サン・テクジュベリの『星の王子さま』で有名なバオバブの木。でも、この印象的な景観は、農業と深い関係があります。バオバブの周りは水田や畑です。ジャングルの中にあるバオバブは、目立ちません。ですが、水田や畑を拓くためにジャングルを焼くと、太い幹に水分を多く含むバオバブだけ焼け残ったという事情があるようです。

そして、耕作地を増やすために、今もバオバブを切っているので、年々少なくなっているそうです。バオバブの木も、貧困の問題と無関係ではありません。貧しい事情を考えると、「ジャングルをつぶすな」「バオバブを切るな」と単純に非難できるものではありませんが。


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2008/05/28

第4回アフリカ開発会議 (1) 日本は、遠くて疲れました

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(写真はマダガスカル上空から)

日本とアフリカ諸国の首脳が議論する、第4回アフリカ開発会議(TICAD)が、今日28日から3日間、横浜市内で開かれます。

昨日は、各国首脳との懇談、出迎えでたいへんだったようです。迎えにいったのに、飛行機に乗っていなかった首脳や、本国で不信任が出されて途中で引きかえした首脳など、さすがと言っては失礼ですが、「アフリカの混迷」を象徴しているようなエピソードです。

アフリカから日本は遠い。ある首脳は、「遠くて疲れました」と正直に福田さんに訴えていました。日本としては、国連の常任理事国入りを目指して、アフリカ票を確保したいということもあるようです。

でも、アフリカが遠いということは、逆に言うと、歴史的には、どろどろしたものはないので、かえって友好関係を築きやすいということはあるかもしれません。

日本とアフリカ、新たな協議の枠組み創設へ・開発会議28日開幕
NIKKEI NET http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080528AT3S2701L27052008.html 

政府開発援助(ODA)と投資額を2012年までの5年間で、それぞれ倍増させるということです。コメ生産の倍増計画も入っているらしい。「ネリカ米」のことだと思います。「ネリカ」とは、「New Rice for Africa」の略ですが、アフリカの気候に合わせて開発されたコメです。日本人が協力しています。

個人的にも、アフリカの「遠さ」が、関心の低さにつながっているのは正直に認めるし、こんな会議があるときこそ、アフリカにちょっとでも関心を深めたいなぁとは思っているんですが。


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2008/05/27

朝青龍の「ダメ押し」は、モンゴル相撲のルール

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琴欧洲が初優勝して爽やかな笑顔を見せた話題よりも、朝青龍と白鵬との喧嘩(?)の方が大きく取り上げられてしまいました。

結びの一番で、白鵬が手をついて負けたのに、朝青龍が「ダメ押し」したことで、ふたりがにらみ合いになりました。そういえば、モンゴル相撲(ブフ)のルールは確か違っていたなぁと気がついて、去年書いた記事を見直してみました。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル」(2007/08/07)

「モンゴル相撲は、13世紀のチンギスハーン時代に、兵士の鍛錬のために行われたという説があります。日本とはちょっと違っていて、土俵というものがありません。モンゴル国の「ブフ」は、肘・膝・頭・背中・尻が地面に着くと負け(手をついても負けにはならない)。」

白鵬が手をついただけでは、モンゴル相撲のルールでは、まだ勝負は決まっていなかったのです。朝青龍の肩を持つわけではありませんが、朝青龍は、つい、モンゴル相撲の癖がでてしまったのかもしれません。

だから、白鵬が肩で押したのは、完全にアウト。ふたりがにらみ合ったのも、横綱の「品格」上、アウトでしょうか。

「品格」が問題になりますが、この「品格」という言葉に俺はひっかかります。「アウトでしょうか」などと曖昧に書いたのは、何をもって「品格」と言っているのか、俺にはよくわからないからです。あまり「品格、品格」と言われると、へそ曲がりな俺は、反発したくなってきます。

俺自身に「品格」がないのは当然として、さまざまな問題が起こっても煮え切らない相撲協会も「品格」はないし、いったい誰が「品格」を備えているというのでしょうか。「品格」がない人から「品格」がないと言われてもねぇ。

たびたび取り上げられる「品格」問題ですが、ここには、文化摩擦があるのではないでしょうか。

去年の記事でも書きましたが、もう一度書きます。

日本の相撲は、神事でした。だから、単なるスポーツではなくて、もっと日本人の精神的なところに深く入りこむ文化でもあると思われます。

その大相撲力士の頂点である外国人横綱の「ふさわしくない(もしかしたら、モンゴル人には気にならないかもしれない)言動」によって、日本人の心をかき回されるのは、気持ちが悪い(癪にさわる)ということはあるかもしれないなぁと、俺自身の気持ちを探っていくと、そう思います。

文化摩擦が起こるというのは、「相撲」の国際化(現代化)の途中であることの証拠だろうし、もし、「相撲」が、「SUMOU」になることを「良し」とするなら(俺は、それが良いことかどうかわかりませんが)、避けては通れない「生みの苦しみ」なのだろうと思います。

「SUMOU」の「品格」は、こうやって議論や喧嘩(?)しながら、徐々に作られていくのでしょう。いや、難しいかなぁ。日本人には、天皇制を初めとして、「何も変わらない」ことが「良い」という伝統が根強くありますから。


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2008/05/26

映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て 1

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(写真は中国西域カラコルム・ハイウェー)

前から気になっていた映画ですが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観ました。

中古のバイクで雪のアンデスを越え、マチュピチュ遺跡、そして密航してアマゾン河へ・・・  伝説の革命家チェ・ゲバラの無鉄砲で情熱的な青春の日々を描くロードムービーの傑作!
公式HPはこちらで http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/m_cycle_diaries/index.shtml )

23歳の医学生エルネストは、親友アルベルトといっしょに、ブエノスアイレスから、おんぼろバイクで旅を始めます。途中でバイクが故障してからは、歩きとヒッチハイクの旅になりました。地を這うような厳しい、でも、楽しい旅です。

そういう旅だったからこそ、鉱山労働者やハンセン病患者との出会いは彼らに衝撃を与え、「人の役に立ちたい」という思いが芽生えたのでした。「この旅で自分が変わった」のだといいます。たしかに、旅には、とくに、外国の旅には、その力があります。

俺も、最初のヨーロッパ・モロッコの旅で、明らかに変わりました。もちろん、チェ・ゲバラのような「人の役に立ちたい」などという立派な思いではなく、自分の「井の中の蛙的な思い込み」です。今までの「常識」が、音を立てて崩れていきました。

でも、俺は「みんな外国を旅したほうがいい」とも思いません。むしろ、こういう旅をしてしまう、しなければならない人は、特殊なのです。しないですんだら、それに越したことがないと思っています。旅で、「変わってしまい」、人生が狂ってしまう人もいます。(俺も?)

そして、外国を旅したから、みんなが変わるかというと、当然ながらそうでもありません。変わる人もいれば、変わらない人もいます。

最近の「自分探しの旅」という言い方に、違和感を持ちます。日本での日々の生活で探せないものが、外国へ出たからといって見つかるものではありません。チェ・ゲバラのように、自分のやるべきことがはっきり見える人なんて、そういないんです。逆に言うと、そんなに簡単に見つかるような「自分」なら、たいしたことはないでしょう。

そして、「自分」なんか探す必要はないと、今はあえて言いたいですね。なぜなら、今は、猫も杓子も「自分探し」がブームで、探せない俺は(私は)ダメなんだと思い込む、強迫観念みたいなものがあるんじゃないでしょうか。あるいは、「自分探し」を隠れ蓑にして、何も行動しない人たちがいるように感じるからです。

俺は、いまだに「自分」なんかわかりませんよ。たぶん、死ぬ直前に、「あぁ、そうか。これまで何となく惰性で続けてきたことが、結果として俺がやるべきものだったんだ、『自分』とは、こういう人間だったんだ」とわかり、死んでいくのだと思います。いや、そういう死に方が理想です。

ただ、外国へ出ると、大きなきっかけにはなるかもしれません。だから、「変えよう」「探そう」と思っている人が、もしいたら、もちろん応援します。それで、変わらなくても、探せなかったとしてもいいじゃないですか。

旅に出ること自体に意義があるんです。結果なんか、期待せずに。チェゲバラたちもそうでした。予想しないからこそ、「変わる」ことができる、あたりまえの話ですよね。


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2008/05/25

ミャンマー、外国人援助要員受け入れ

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ようやく軍政が外国人の救援隊を受け入れることになりました。しかも、潘基文(パンギムン)国連事務総長の説得で、しぶしぶという感じですが。

ミャンマー「援助要員受け入れ」、国連総長との会談で示す
YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080523-OYT1T00630.htm?from=main1参照

それにしても、この遅さには驚くばかりです。でも、なにはともあれ、一歩前進ということで、俺の知り合いのNPO団体も、現地で活動することができるようになるのではないでしょうか。


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2008/05/24

アメリカ大統領選挙、日本の地方都市の活性化に貢献

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アメリカ大統領予備選挙、民主党は、ほぼ「小浜氏」で決まりのようですが、まだ「栗きんとん氏」は、負けを認めていません。

一方の、共和党大統領候補は、早々と「負け犬氏」にほぼ決まり、本選挙に向けての選挙活動を本格化させているようです。

アメリカの選挙結果しだいで、良くも悪くも、世界が大きく動かされてしまうのが現実です。石油まみれの「佛手氏」が前回大統領になったから、イラクで戦争が始まったのだろうし、環境問題に対しても消極的でした。

今度の「小浜氏」「栗きんとん氏」「負け犬氏」、だれになるかは、日本人にとっても、無関心ではいれません。

とくに、「小浜氏」の場合、日本のある地方都市の活性化に役立つなどということは、想定外だったでしょうが。


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2008/05/23

平泉の世界遺産登録「延期すべき」という評価

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(写真は平泉町、達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂)

平泉の世界遺産登録「延期すべき」 ユネスコ諮問機関
(asahi.com http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200805230002.html 参照

「登録延期」は4段階の評価の下から2番目だそうです。昨年の石見銀山に続いて、この評価は2回目。 ただ、石見銀山は、おおかたの予想に反し、「逆転登録」を果たしました。石見銀山については、こちらのページで書いています。

Ya_2「石見銀山遺跡とその文化的景観」が世界遺産に(2007/07/12)

平泉とその周辺には、国宝の「中尊寺金色堂」、「毛越寺庭園」、「達谷窟」など寺院や史跡、それと重要文化的景観である「一関本寺の農村景観」など、平安時代末期からの景観が残されている、いいところです。

平成18年に「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」という名称で、ユネスコ世界遺産センターに推薦書が提出されていましたが、今回、「登録延期」の評価が下されました。登録はどうなるでしょうか。

俺も、何度か平泉を訪ねていますが、あの静かな雰囲気が、中世の面影そのものという感じがして、世界遺産になったら、少なくとも、その静かさはなくなるだろうなとは思います。

もちろん、地元の人にとっては、世界遺産登録が起爆剤となり、地元が活気づくことを期待する気持ちもよくわかります。それと、文化的価値が世界に認められる誇らしさも。


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2008/05/21

【ひとり会議 その十四】 クローン犬

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【ひとり会議 その十四】 クローン犬


さぶじい: 「世界で初めてクローン犬を誕生させた韓国のソウル大学とバイオ関連企業がアメリカの女性の死んだ介護犬を複製するという契約を結んだ」というニュースを聞いて、人間の欲望には際限がないなと思いました。
( gooニュース http://news.goo.ne.jp/article/hatake/life/hatake-20080226-01.html )

桃: 倫理的な批判も出ているらしい。とうぜんかも。

ボゾルグ: でもね、そもそも、オオカミを飼いならして、人間の都合に合わせて「改良」してきたのが、ペットの犬なんだから、その「改良」の技術が、「交配」から「クローン技術」になっただけで、何もかわらないし、許されるという考え方もあるよね。

桃: そこには、動物は動物、人間とは違うという考えがあるわけね。

ボゾルグ: それは当然でしょ? もちろん人間にはクローン技術は使わないよ。(今のところ) 犬だからすんなり許される。倫理的に問題ないんじゃない?

ビーノ: ボクは、なんだかこのニュースを聞いて寂しくなった。このクローン犬を依頼した女性は、よほど前の犬が良かったのはわかるんだけど、でも、次も「前の犬」なの?と思っちゃう。どうして、違う犬じゃダメなの? まったく同じ犬じゃなければダメだというのは、同じおもちゃをねだる子どもだったり、同じ部品しか使えない機械みたいだよね。それが他の犬からすると、なんだかさびしい。別な犬でも、主人に尽くす犬はたくさんいるよと言いたいな。

桃: クローン犬は、遺伝子は同じだけど、「同じ犬」になるわけではないので、そのとき、この女性は、「違う犬」に対して、どう感じるんだろうか?と少し不安。もしも彼女の好み通りじゃなくて、聞き分けのない犬に育ったとしても、同じ遺伝子の犬だからって、許せるのかな?

さぶじい: 女性がクローン犬を欲しがるのは、「遺伝子が同じ犬」じゃなくて、「同じ性格の犬」ということではないですかな? それはクローン技術でも、解決できない問題です。しかし、ある技術が生まれたら、けっきょく使ってみたくなるのが人間なんですね、たぶん。それがどんなに倫理を外れていても。しかし、こざかしいのは、その技術を使いたいだけなのに、「困っている人を助けたくて」などと言い訳する人たちがいるんですな。

桃: つまり、後ろめたさはあるってことよ。あとから理屈をつけて、その後ろめたさを消そうとしているんじゃないの?

ボゾルグ: まぁ、犬だから「倫理」なんてことを持ち出してくるけど、家畜だったらどう? たぶん、これからもっと食糧危機になってくれば、家畜のクローン化は普通になってるかもしれないよ。そのとき、家畜がOKなら、なんで犬はだめなのか?って話になるんじゃない?

さぶじい: たしかに、線引きは難しいかもしれませんが・・・。

ボゾルグ: でしょ? そのうち、ぜったいこの問題が出てくると思うよ。そのときは、クローン技術を使うという「倫理」とは何かも問われるよ。

さぶじい: 一匹一匹、性格も、姿かたちも違うから「生き物」なのであって、全く同じというのは、機械でしかありえません。私は、生き物のクローン化にはやっぱり違和感を覚えますな。たとえ家畜でも。

桃: 「家畜」というのは、「動物」ではなかったのよ。今までの考え方では。人間の利益のために存在する「物」よ。捨ててもいい機械と同じ。それは、家畜だけではなくて、環境というものに対しても同じだったと思うわ。環境も、人間が利用できる「物」でしかなかった。でも、これからは、そうはいかない。たとえ家畜であっても、人間の価値とは無関係に、家畜自身に生きる価値があるという考え方に変わりつつあるんじゃないかな。だから当然犬にも・・・。

ボゾルグ: 家畜や犬自身に生きる価値があるって話と、クローン技術を使う話は別問題だと思うなぁ。新しい技術に対しての違和感というか、不安感を抱くのは、俺もわかるけどね。

ビーノ: ボクだって、クローン、気持ち悪いよ。ボクが死んだあと、ボクのクローン犬が生きてるなんて、想像したくないな。

ボゾルグ: というか、ビーノのクローン犬を欲しがる人はいないとは思うけどね。問題犬だからね。

ビーノ: どこが問題犬なの? 

ボゾルグ: 人の役に立ちたくないって宣言する犬なんか・・・。ねぇ? 今、ロボットの研究が盛んで、いずれ、遊び相手になったり「癒し」を与えるロボットや、番犬の代わりをしてくれるロボットが登場するんだろうね。そのとき、ペットの犬はどうなるのかな? 犬は、必要ないってことで、少なくなっていくのかなぁ。ビーノ、食べられちゃうかもよ。

ビーノ: ひどいよ、ボゾルグ!

桃: あまりビーノを脅かしちゃだめよ。ビーノは、打たれ弱いんだから。

ビーノ: 桃の言うとおり。ボクはデリケートなんだ。だれかと違ってね。

桃: この前も話したけど、犬は、犬自身のためにも生きているのよ。なにも、飼い主のためだけじゃないわ。その点、ロボットは、飼い主、いえ、持ち主のためだけだし。

さぶじい: 要するに「道具」ですな。ビーノさんたち犬は、「道具」ではありません。人間と同じ生き物です。だからどんなにロボットが増えても気にすることありません。ロボットに負けないですから。

ビーノ: さぶじい、ありがとう。気休めでも嬉しいな。


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2008/05/20

ミャンマーの穀倉地帯/エーヤワディー・デルタ 4

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この日、ミャンマーのエーヤワディー・デルタ、ピャーポンは、偶然にも10月満月の祭りの日だったので、水田のあぜ道に立つ精霊信仰「ナッ」の祠にもローソクが灯され、夜は、寺院で、踊りや歌が披露されてたいへん賑やかでした。

よく言われますが、ミャンマー人は信仰心があつい。決して過激でも派手でもなく、静かで慎ましやかな祈りなのですが、内に秘めたエネルギーのようなものを、ひしひしと感じます。普段はおとなしいけど、怒ったらすごいよ、という感じでしょうか。「素朴な人」というのは、いったん怒ると怖いのです。

今回、軍政府の救助の遅さに対する不満・怒りが、みんなの中に芽生えたかもしれません。それが今後、また爆発してしまう可能性はあるのではないでしょうか。


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2008/05/19

ミャンマーの穀倉地帯/エーヤワディー・デルタ 3

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ヤンゴンからバスと、トラックを乗り継いで約6時間、ピャーポンというデルタの街を訪ねました。

ここもミャンマーのコメどころで、港に停泊しているたくさんの船がコメ袋を積み込んでいました。だいたいが首都ヤンゴンへ運ばれるコメです。

大量のウンカが部屋中を飛び回って、熟睡できない辛い夜をすごしたのでしたが、まだ暗いうちから騒がしいので、なんだろうと、ホテルのベランダから見下ろすと、川沿いには、朝市が立っていました。

手漕ぎボートがこちらの岸に何艘も向ってきます。やがて、対岸にぽっかりと太陽が出たとたん、急に暑くなりました。

活気のある市場では、コメ食品はもちろんのこと、魚、野菜、果物、生活雑貨がずらりと並んでいました。もともと物資は豊富なところです。ただ、今回の災害で、ここもどうなってしまったか・・・

今は、雨季。「水は、雨水を集めればなんとかなるけれど、食べるものがない」と、被災した人がテレビで訴えています。


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2008/05/18

ミャンマーの穀倉地帯/エーヤワディー・デルタ 2

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ミャンマーの首都、ヤンゴンから、エーヤワディー川をフェリーで渡り、対岸の農村地帯を訪ねたとき、ある地主のおじさんと知り合いました。

おじさんは、自分の水田を案内してくれ、彼が雇っている農家を訪ねました。ある一家は、1ヶ月たった10ドルの小作料で生活していました。(下の写真)

おじさんは言いました。デルタとはいっても、ここは乾季は水がないので、1年に1回しかコメが取れない、と。意外でした。

暖かいデルタ地帯なら、1年に何度もコメを作っているのではないかというのは、俺の思い込みでした。やっぱり、水がないとどうしようもないわけです。それは、メコン河流域でも同じでした。そばに流れている大河の水も、ポンプがないときは、水を上げられなくて、稲作ができないという話を聞いたのでした。

サイクロンによる大量の水は、稲作地帯にダメージを与えてしまいました。水は人間にとっては、多くてもいけない、少なくてもいけない。この絶妙な自然のバランスは、「普通」に続いてきたので、人間がどんなことをやっても大丈夫だと思ってきましたが、これはたいへん脆いものであったことがわかってきました。

今回のサイクロンのコースが外れたというのも、近年、日本での台風の時期とコースが変わってきたのと同じように、地球温暖化が原因しているのではないか、とも言われています。

温暖化は、単純に気温が、2、3度上がるだけではなくて、一番問題なのは、気候が極端に変わってしまうことです。今回のサイクロンが、まさにそうだと思います。


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2008/05/17

ミャンマーの穀倉地帯/エーヤワディー・デルタ 1

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サイクロンで被害に遭ったエーヤワディー・デルタは、ミャンマーの代表的な穀倉地帯ですが、4年前、コメを求めて訪ねたことがあります。

今回、水田はちょうど収穫直前で、壊滅的な打撃を受けてしまったので、深刻なコメ不足が心配されているようです。

サイクロン被害と言えば、バングラデシュの名前はよく聞きますが、ミャンマーにはあまり上陸したことがなく、だから、サイクロン予報は出ましたが、「たいしたことではないだろう」と、軍政府が軽くみてしまったことや、上陸した場合の、避難場所などの備えがまったくなかったので、被害が拡大してしまったらしい。

でも、今の状況は、救援活動の遅れによる「人災」の様相を帯びてきました。それと、援助物資が横流しされ、「日本からの寄贈」と書かれたタオルが最大被災地ボガレイの市場で出回っているという報告もあった。」といいます。これも、軍人が横流ししているのかもしれません。
asahi.com http://www.asahi.com/international/update/0516/TKY200805160107.html 参照


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2008/05/15

ふたつの災害/ミャンマーのサイクロンと四川大地震

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ミャンマーのサイクロン災害での死者は、政府発表で3万8千人。(国連推定では10万人)

中国四川大地震では、今の時点で1万数千人。

奇しくも、ふたつの国は、隣どおしで、中国はミャンマーの軍事政権を援助しています。ミャンマーでは国民投票を強行し、中国では、オリンピック聖火リレーを続けています。(これに批判があったようで、昨日は、1分間の黙祷をしてから始めました)

ミャンマーでも、中国でも、さかんに、政府(or軍)が、救助しているシーンや、救援物資を手渡しているシーンをテレビで放映しています。一方で、外国メディアの報道規制をするところも両国同じです。

そして、両国とも、外国からの物資は受け入れるけど、救助隊(人間)は受け入れません。(ミャンマーは昨日、ようやくタイの医療チームは受け入れました。それと周辺国にようやく援助要請を出したようです。日本人レスキュー隊員の話では、救助方法というのは隊によっても違うらしく、ましてや言葉が通じないところでの合同活動は、難しいという事情もあるようです。日本でも、「受け入れない」と言って問題になったこともあったような・・・)

と、思っていたら、昼過ぎのニュースで、中国は日本隊を受け入れると発表しました。それにしても、遅い・・・。

この両国の体質は似ています。何かを恐れているようです。救助の遅さや、被災者の不満や、「おから工法」による脆弱な建物を、世界に報道されるのを警戒しているのでしょうか。

この緊急時に、人命救助を優先させるべきはあたりまえの話ですが、そうではない(ように見える)政府というのは、どこかおかしい。救助が遅れたことで、死亡する犠牲者が増えたとすると、これは人災です。日本でも、大地震が起こるので、対岸の火事ではありません。


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2008/05/14

中国四川省で大地震 2

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地震で死亡した人の数は、四川省で1万2000人を越えました。とんでもない大災害になってしまいました。

震源地は、四川省アバ・チベット族チャン族自治州■川(ぶんせん ■:さんずいに文)県付近です。写真は、■川の西、米亜羅という村のチャン族の住居です。伝統的な民家は、石積みの、あまり耐震性のある建物ではないので、被害が拡大しているのかもしれません。

中国政府は、迅速に救援活動を始めたことを、さかんにアピールしています。ここがチベット族が住む地域であることで、世界の注目を集めているし、対応を誤れば、いっそう非難が増してしまい、オリンピック開催に影響を与えかねません。


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2008/05/13

中国四川省で大地震 1

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中国四川省の成都北西部で大地震がありました。

もともと、中国は地震が多いところです。ユーラシアプレートと、インド・オーストラリアプレートのぶつかるヒマラヤ山脈周辺(とくに雲南省)では何度も巨大地震があり、日本でもニュースになりました。

世界遺産に登録されている麗江の郊外でも、´96年2月3日19時14分地震が襲いました。麗江の街そのものの被害は大きくはありませんでしたが、2月18日までの間に、地震が原因で死亡した人は293人、重傷3706人、軽傷11727人の被害でした。たしか、この地震で、世界遺産の登録が、1年遅れたんじゃなかったでしょうか。

今回の震源地は成都北西の■川県(■:さんずいに文)ですが、バスで九塞溝へ行くときはここを通ります。俺も、九塞溝、ゾルゲ、そして甘粛省へ抜けたとき、通りました。(↑の写真は、震源地の北、ソンパン) なので、外国人バックパッカーは、このあたりに滞在している可能性があります。

日本人観光客2人が不明、同宿者「都江堰へ向かった」
読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080512-2403370/news/20080513-OYT1T00398.htm


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2008/05/12

映画 『マイティ・ハート/愛と絆』を観て

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(写真は、パキスタン・ラワルピンディ)

映画 『マイティ・ハート/愛と絆』を観ました。

マイティ・ハート公式サイト

原作 : マリアンヌ・パール
監督 : マイケル・ウィンターボトム
出演 : アンジェリーナ・ジョリー 、 ダン・ファターマン

2002年にパキスタン・カラチでテロリストに誘拐され、必死の捜索にもかかわらず、あと一歩で殺害された実在のジャーナリスト、ダニエル・パール。彼の妻、マリアンヌ・パールが著した手記を映画化したものだそうです。

ドキュメンタリーのようなリアリティにこだわった映画です。緊迫感がひしひしと伝わってきます。俺も、この世界とまったく無縁というわけでもないので、ただ単なる「映画」として楽しむことができず、緊張しっぱなしでした。昔観た『ミッドナイト・エクスプレス』でも、こんな緊張を感じました。

先日、イエメンでは日本人観光客が誘拐されました。政治的・金銭的など、目的はいろいろですが、最近、こういう誘拐事件が増えたような気がします。

20数年前、俺が初めてバックパッカーとして旅を始めたころも、誘拐事件はあったのかもしれませんが、それほど大きなニュースにもならなかったような気がします。

昔は、バックパッカーが行方不明になっても、2、3ヶ月たたないと、ほんとに行方不明になったかどうかわからないという事情もありました。今のようにメールもないし、毎日国際電話をかけるようなバックパッカーはいませんでした。だから、1ヶ月、2ヶ月連絡がなくても、家族も平気だったりしました。(俺の家族だけかな?)

今は、家族から身代金を取るのではなくて、国家から取れることがわかったし、大げさにすることで、政治的に利用できることがわかってしまいました。だから、旅行者は、個人的趣味で旅をしているだけなのに、こういう事件に巻き込まれると、個人の問題ではなくて、国際問題にまで発展してしまうケースがあります。

旅行者にとっては、やっかいな問題です。いくら、自分では「何かあっても、自業自得。自己責任で旅をする。」と覚悟していたとしても、誘拐されて、ニュースになったとたん、個人の問題ではなくなってしまいます。

かと言って、「だったら危険なところには行かない」と言ってみたところで、どこにいても危険はつきまとうし、あまり意味がありません。

でも、今の時代は、「個人的な旅」も、社会的・政治的情勢と無縁ではなく、否が応でも、それを意識せざるを得ないのかもしれません。自分には関係ないと思っていても、相手側(誘拐犯)から見たら、金持ちの「日本人」、敵国の「欧米人」、話題になる「外国人」などという看板を背負っているのは間違いありませんから。


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2008/05/11

【ひとり会議 その十三】 ペットの犬は、なんのために生きるのか?

080511
【ひとり会議 その十三】 ペットの犬は、なんのために生きるのか?


桃: ビーノ、いつもぴょんぴょん飛び跳ねてるあんたが、お座りしてる。どうしたの? 元気ないわね。

ビーノ: 親戚のばあちゃんが死んだの。

桃: そうなの。それは悲しいわね。

ビーノ: ううん、悲しくなんかない。ばあちゃんは、16歳だったから、犬の長寿をまっとうしたの。しかも、最期の日は、たくさんご飯を食べてから、飼い主の奥さんの腕に抱かれて死んだの。だから、悲しくはないの。でも、考えてしまうの。

さぶじい: 何をですかな?

ビーノ: ボクたち、どうして生きるのかってこと。

ボゾルグ: ははは・・・。そんなこと、考えても無駄だよ。「どうして生きるか」だって? やめな。そんな難しいこと。昔から哲学者が考えても、いまだに結論が出ないんだから、ビーノにわかるはずない。意味ないよ。くよくよ考えると、体に良くない。ほらほら、こうしてたれた耳引っ張ってやるー。

ビーノ: ボゾルグ、やめてよ。ボクの耳さわるの。

桃: ボゾルグは、デリカシーに欠けるわ。答えが見つからないからといって、考えるのは無駄なんて・・・。そういうデリカシーのない人間が増えるから、こんな子たちの心の行き場がなくなってしまうのよ。

さぶじい: 聞いてあげませんか、ボゾルグさん。答えなどなくていい。おそらく、考えることに意味はあるのだと思いますな。

ボゾルグ: もっとも、ペットなら、人間のために生きるってことで、結論は出ているんじゃない? 俺はうらやましいよ。ビーノになりたい。飯食って、寝て、飼い主の機嫌とって。悩みもないし・・・。

桃: ボゾルグ、いいから黙って。

ビーノ: ばあちゃんは、この数年、目は見えず、体もよぼよぼだった。今年の正月に、ばあちゃんに会ったとき、ボクのこともわからないみたいだった。体が弱っていたことはボクも感じていたの。ある朝、ばあちゃんは、ご飯食べた後、奥さんに抱かれたけど、ゆっくりゆっくり、体温が下がっていったそうなの。そのあと、奥さんの息子さんは、しばらく冷たくなったばあちゃんをコタツに入れて抱いていたそうだよ。

桃: 幸せだったね、ビーノのおばあちゃん。

ビーノ: そう、幸せだったと思う。でも、この16年間、何のために生きてきたの? ご飯を食べたり、散歩したり、みんなと遊ぶため? それだけのために、生を受けて、生きて、死んでいく? ボクたちは、ボゾルグの言うとおり人間のために生きているの?

ボゾルグ: だと思うけどねぇ。

桃: どうかなぁ。おばあちゃんが、「飼い主に癒しを与え」たり、「飼い主に役に立つ」ためだけに、生きていたんじゃないと思うけどね。ペットの犬が、人間が「改良」した動物だってことはあるけど、それは、人間側の都合であって、犬にしてみたら、「改良」されていることとはまったく関係なく、生きているんだからね。

ボゾルグ: ペットは、人間が、人間の都合にあわせて改良した。だから、人間は残酷だといいたいわけ?

桃: そんなこと言っているんじゃない。犬は、野生の狼から「家畜化」されることで、生きることができたともいえるわ。人間と犬の共存。でもね、犬に人間側の「意味」を与えるのは間違っていると思う。

ボゾルグ: 桃の言いたいこと、また、わからないなぁ。

桃: 人間のために生きるというのは、簡単な答えかもしれない。たとえば、飼い主を喜ばして、自分も楽しくなるということはあるし。そこに意義や意味を持てば、あとは考えなくてもすむしね。でも、ほんとうはそうじゃない。ビーノの苦悩も、そんなんじゃないでしょ? 人間のために生きるなんて聞いて、ビーノ、どう?

ビーノ: ううん。ボク、前も言ったけど、人間の役に立ちたいとは思わない。役に立って喜ぶという気持ちは、わかるけど、それだけじゃないような気がするの。

ボゾルグ: 最近は、ペット用だといって、ありとあらゆるものができている。需要があるから、供給する。そこにペット産業が生まれる。なんだかこっけいだよ。ペットがいい匂いしようが、可愛い洋服を着ようが、つやつやの毛並みになろうが、栄養のバランスが取れたエサを食べようが、それは、人間様の都合なんだよ。俺が言うのもなんだけど、ペットのことなんか考えてない。けっきょく、飼い主側の自己満足と見栄。つまり、ペットの犬は、人間のために生きているということ。

桃: でも、ないんだよね。たしかに、そういったことは、飼い主の自己満足もあるけれど、犬も、苦痛でない限り、飼い主が喜んでいると、その喜びは感じられるので、結果として、犬も、幸せってことでもあるんじゃない? そう思うわ。

ボゾルグ: 犬の幸せなんてあるのかな? だいたいは、飼い主の思い込みじゃないの? 自分に都合のいいように解釈して、犬は、幸せだとか、不幸だとか判断する。俺は、かえって、犬に対して失礼だと思うよ。犬の気持ちなんて、ほんとはわからないと思うんだけど。

ビーノ: ボクたちは、人間の中で暮らしているから、時々、自分が人間だと思うこともある。ボゾルグが言うように、ボクたちの「しあわせ」は、人間のとは違うかもしれないけど、でもね、やっぱり犬にも「しあわせ」な気分はあるよ。飼い主が喜べば、ボクたちもそれを感じるから、嬉しくなる。だからそういう行動をするときもあるの。他の犬と遊ぶのも好きだよ。あとは、そのへん、思いっきり走り回ること。それがないと、むなしいな。

桃: だと思うわ。人間もそうでしょ? それは自己表現をすることなのよ。それで「生きている」ことを実感するんじゃない? 遊び、芸術、スポーツ、政治活動・・・。だから、犬は、飼い主を満足させるだけのために生きているんじゃない。犬それ自身の自己表現をしているんだと思うわ。

さぶじい: ビーノさんは、りっぱに自己表現していますよ。「どうして生きるのか」。そういうことを考え、それを言葉で他人に伝えることが、りっぱな自己表現だと思います。この自己表現は、あまりうきうきした内容ではありませんが。しかし悩みもりっぱな自己表現ですし、運悪く、ビーノさんは人間の言葉を得てしまったので、悩みは増えたということではないですかな。

桃: あんたのおばあちゃんは、目立たなかったけど、きっと自己表現していたんだと思うなぁ。ちゃんと腕に抱かれて奥さんに見取らせたことが、何よりの自己表現だったのかもしれないわよ。そうしてあげたくなる犬だったことは確かだからね。

さぶじい: うらやましいですな。ビーノさんのおばあさん。目立たないように自己表現して、静かに命を閉じる。生き物の本来の姿を見るようです。


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2008/05/10

胡錦濤国家主席は卓球がうまかった

080510
胡錦濤国家主席が来日し、連日「友好ムード」をかもし出し、卓球の腕前を見せつけて、帰っていきました。

チベット問題の世界からの非難と、日本の餃子問題、ガス田問題を、「友好ムード」によってかわし、日本を見方につけて、オリンピック開催を無事にはたそうという、中国側の戦略的外交は成功したのでしょうか。

それに引き換え、故主席の隣で笑っていた福田さんの存在感のなさはなんでしょうか。高価な贈り物をされ、頼み事を断れなくなってしまって、これからどうしようと、おろおろしている姿にも見えます。

オリンピック開催という、中国にとったら「弱み」がある今だからこそ、日本の主張をもっと強く言うこともできたでしょうに、福田さんは、日本人が不安を感じている餃子問題でも、中国側の対応に釘をさしたりしませんでした。「いっしょに調査する」というだけで、具体的なものはありません。

もっとも、「国家主席」に餃子の話をしても無駄かもしれませんが。時間的余裕も金銭的余裕もなく、「インスタントでいいや」という日本の庶民が食べる冷凍餃子なんて、個人的には関心がないだろうし。


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2008/05/08

レンタル・パンダ

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(写真は、中国四川省成都動物園で撮影した大熊猫、パンダです)

胡錦濤国家主席が日本公式訪問で来日しています。

胡主席は福田さんとの夕食会で、パンダ2頭を貸与する考えを早々と表明しました。今回の訪日目的は「友好」らしいので、このパンダの件は、グッドタイミングだったのではないでしょうか。

「パンダ外交」ですね。中国は相手国と友好関係を築くうえで、希少で可愛いパンダを利用してきました。高価な贈り物をもらって、あとで後悔することも、世間ではよくある話。

昔は、寄贈していましたが、最近では希少動物の国際取引を規制するワシントン条約を理由に、研究名目で貸し出すようになったそうです。

レンタル料は、1年間で約1億円。それでも元は取れるというから、安いもんなのかな。

「上野動物園のジャイアントパンダ「リンリン」の死去を受け、石原慎太郎都知事が「(パンダは)いてもいなくてもいい」などと発言したことについて、動物園前でパンダ関連名菓を扱う売店では3日、一斉に怒りの声が上がった。」
スポーツ報知 http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080503-OHT1T00236.htm参照

こんなニュースがありましたね。「いてもいなくてもいい」と、俺もそう思いました。でも、胡主席の訪日で、パンダがやってくることになったので、まぁ、怒った人たちも満足なのではないでしょうか。

それにしても、パンダ関連商品でさんざん儲けたんだから、そんなに怒らなくても、と思いますけど。


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2008/05/06

上海のバス火災

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昨日、上海ではバス火災がありました。

原因はまだよくわかっていないようです。乗客が可燃物を持ちこんだのではないかと言われていますが、それは十分考えられることです。テロではないようです。

じつは、俺も中国で、バス火災にあいそうになったことが2回あります。もちろん、ボヤで済みましたが。

そのうち1回目は、初めて中国に行った1984年春のことです。西域(シルクロード)の酒泉から敦煌へ向かうバスでした。このバスは、砂嵐やフロントグラス破損など、トラブルは火災だけではありませんでしたが、その話をすると長くなってしまうので、ちょっとだけ。

写真は、そのバスですが、よく見るとわかるように、フロントガラスは、装甲車のような窓に改造してありますが、応急処置なので、当然ながらガラスははめ込まれていません。なので、風がモロに吹きこんできて、すごく寒い。このあと、ボヤ騒ぎが起きました。

その日も雪が降るほどの気温でした。乗客はみんな(俺も)綿入れのような人民コートを着込んでいたのです。

俺は真ん中の席に座っていましたが、後ろの席から突然煙がたちあがりました。後部席は大騒ぎになりました。「バスを止めて!」「火事だー!」

でも、ここが中国のすごいところだったのですが、こんなときもドライバーはバスを止めようとしませんでした。そして、乗客に指図して、入口の近くに用意してあったバケツの水を、煙が出ている場所にかけさせたのです。火は幸い消えました。

原因は、男のタバコの火でした。当時は、車内でタバコを吸うのはあたりまえだし、ポイ捨てしたタバコの火が、前席の子どもの綿入れを燃やしたのでした。

しかも、すでに書いたように、このバスは、トラブル続きで、ドライバーはその遅れを取り戻すために、火災などという「軽いトラブル」は、無視したようでした。バスは何事もなかったように走り続けました。

でも、どうして都合良くバケツに水が用意されていたのか。たぶん、砂漠を走るバスなので、ラジエター用の水を用意してあったのだと思います。それが幸いしました。まさか、バスの火災は日常茶飯なので用意してあった、などということはないでしょう。

旧正月の帰省ラッシュのときも、バスや列車に乗るときは、可燃物を持っていないか、荷物検査があります。でも、市内の路線バスでは、いちいち荷物検査は行なわれていないし、何を持ちこんでくるか、中国ではまだまだわかりません。平気でガソリンを持ちこんできた男を見たことがあります。


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2008/05/05

映画 『狩人と犬、最後の旅』 を観て 2

080505
映像から伝わってくる冬の凛とした雰囲気は、思わず俺のだらけた姿勢を正してくれます。

カナダ北極圏でも、狩人は、森林の減少に伴って少なくなっているようです。

主人公のノーマンは、自然とのつながりを忘れてしまった文明人を批判します。

ノーマンは、獲物も、必要な分しか獲りません。「自然を管理するのは狩人だ」といいます。生態系のバランスが崩れた年には、増えすぎた動物を獲ることで、修復するのです。日本でも、増えた動物を駆除(殺す)するということをやっています。(駆除する人たちの高齢化が日本では問題になっているらしいですね)

ただ、一点だけ、ひっかかるところがありました。

狩人は、人口密度が低い土地でしか成立しないということです。あたりまえですが、でも、これだけ世界中人口が増えてしまうと、自然とともに生活できる、しかも、豊かな自然とともに生活できる人は、ごく限られた、恵まれた人しかいないんじゃないかなと思いました。

俺たちだって、自然を感じながら生きてみたい。でも、こんな環境で、どうやって自然を感じられるというのでしょうか。そういう人が大半なのです。都会の悪環境でも生きていかなくてはなりません。

まぁ、ぼやきはこの辺でやめておきましょう。いずれにしても、そんな些細な違和感は吹っ飛んでしまうくらい、この映画のすばらしさには変わりありません。


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2008/05/04

映画 『狩人と犬、最後の旅』 を観て 1

080427
映画『狩人と犬、最後の旅』を観ました。

出演: ノーマン・ウィンター、メイ・ルー
監督: ニコラス・ヴァニエ

監督のニコラス・ヴァニエは、06年、シベリア横断8000kmという偉業を成し遂げたフランスの冒険家でもあります。彼がカナダ北極圏を横断中に出会ったのが、ノーマンでした。狩人のノーマンの生き様に感動し、映画化を決めます。

映画は、ノーマンと奥さんメイと、ソリを引く、アパッシュなど犬たちとの絆が、北極圏の雄大で美しい風景の中でつづられます。特に冬のシーンは、すばらしい。

実際ノーマンがここで遭遇したエピソードを再現するという形で撮影されたということです。なので、氷の湖に落ちるシーンも、実際もう一度落ちてもらって撮影しました。ノーマンは、芝居はできないので、寒くても痛くてもいいので、もう一度落ちると言ったそうです。なので、水から上がったあとの髭から垂れ下がる氷とか、手のかじかみは、本物なので、迫力があります。

断崖絶壁から落ちそうになったときの犬たちの必死の表情も、作り物ではありません。犬にとっては、仮にそれが安全を確保した上での撮影であっても、実際の危険な出来事に変わりありませんからね。思わず、犬嫌いの俺も、この犬たちが、いとおしくなってしまいました。

マイナス50度にもなる過酷な条件で、2冬にもわたる時間をかけたこの映画は、観る者を感動させずにはおきません。

この映画の映像には圧倒されます。お勧めの映画です。


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2008/05/03

山里にひっそりとたたずむ満開の桜

080503
(写真は宮城県志津川の桜)

4月は、桜を追って京都、静岡、栃木、宮城などへ撮影に行きました。

こんなに暖かくなった(暑くなった)のに、まだ、桜が満開になっていないところがあるんです。日本は広い。連休明けは、群馬県の山間部に行ってきます。

来年用の雑誌の撮影ですが、これだけ桜を追いかけたことは今までになく、貴重な体験をさせてもらったと思っています。

桜の満開時期は、ほんと、あっという間なんですよね。写真を撮るということを考えれば、なおさら時期は短い。一番いい状態で撮影できるのは、1日か、長くて2日間だけ。とにかく、花は早く散ってしまうし、春の天気は長持ちしません。

にもかかわらず、たぶん、「一番好きな花は桜」と答える日本人は多いと思うし、外国人も、日本の桜を見たいと言うし、1年のうちに短時間しか見てないのに、これだけ印象的な花は桜をおいて他にないかもしれません。

有名な桜である必要はありません。山里に、ひっそりとたたずむ満開の桜を発見したりすると、なぜか心が揺さぶられます。


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2008/05/02

長瀞の天然氷のかき氷

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新緑が美しい季節になりました。

埼玉県の観光地、長瀞の近くには、天然氷を使ったかき氷屋がありました。冬の間、天然水を凍らせて作った氷を使っているとのこと。阿左美冷蔵 (アサミレイゾウ) といいます。甘いもの好きにはたまりません。

でも、黒糖みつは、練乳といっしょでは甘すぎでした。山葡萄や野苺など、ちょっと酸っぱめのが、練乳との相性はいいようです。練乳にこだわらなければ、もちろん黒糖みつも、おいしいですが。

「梅酒」というのが人気らしいことは、帰ってから知りました。(残念!)

国道沿いの阿左美冷蔵は、古民家を改装したものらしく、趣のある店構え。ほっと一息つける、ゆったりした空間で、味はもちろんのこと、なかなか良い雰囲気でした。

新店舗(宝登山道店)もあるようです。


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