【ひとり会議 その十三】 ペットの犬は、なんのために生きるのか?
【ひとり会議 その十三】 ペットの犬は、なんのために生きるのか?
桃: ビーノ、いつもぴょんぴょん飛び跳ねてるあんたが、お座りしてる。どうしたの? 元気ないわね。
ビーノ: 親戚のばあちゃんが死んだの。
桃: そうなの。それは悲しいわね。
ビーノ: ううん、悲しくなんかない。ばあちゃんは、16歳だったから、犬の長寿をまっとうしたの。しかも、最期の日は、たくさんご飯を食べてから、飼い主の奥さんの腕に抱かれて死んだの。だから、悲しくはないの。でも、考えてしまうの。
さぶじい: 何をですかな?
ビーノ: ボクたち、どうして生きるのかってこと。
ボゾルグ: ははは・・・。そんなこと、考えても無駄だよ。「どうして生きるか」だって? やめな。そんな難しいこと。昔から哲学者が考えても、いまだに結論が出ないんだから、ビーノにわかるはずない。意味ないよ。くよくよ考えると、体に良くない。ほらほら、こうしてたれた耳引っ張ってやるー。
ビーノ: ボゾルグ、やめてよ。ボクの耳さわるの。
桃: ボゾルグは、デリカシーに欠けるわ。答えが見つからないからといって、考えるのは無駄なんて・・・。そういうデリカシーのない人間が増えるから、こんな子たちの心の行き場がなくなってしまうのよ。
さぶじい: 聞いてあげませんか、ボゾルグさん。答えなどなくていい。おそらく、考えることに意味はあるのだと思いますな。
ボゾルグ: もっとも、ペットなら、人間のために生きるってことで、結論は出ているんじゃない? 俺はうらやましいよ。ビーノになりたい。飯食って、寝て、飼い主の機嫌とって。悩みもないし・・・。
桃: ボゾルグ、いいから黙って。
ビーノ: ばあちゃんは、この数年、目は見えず、体もよぼよぼだった。今年の正月に、ばあちゃんに会ったとき、ボクのこともわからないみたいだった。体が弱っていたことはボクも感じていたの。ある朝、ばあちゃんは、ご飯食べた後、奥さんに抱かれたけど、ゆっくりゆっくり、体温が下がっていったそうなの。そのあと、奥さんの息子さんは、しばらく冷たくなったばあちゃんをコタツに入れて抱いていたそうだよ。
桃: 幸せだったね、ビーノのおばあちゃん。
ビーノ: そう、幸せだったと思う。でも、この16年間、何のために生きてきたの? ご飯を食べたり、散歩したり、みんなと遊ぶため? それだけのために、生を受けて、生きて、死んでいく? ボクたちは、ボゾルグの言うとおり人間のために生きているの?
ボゾルグ: だと思うけどねぇ。
桃: どうかなぁ。おばあちゃんが、「飼い主に癒しを与え」たり、「飼い主に役に立つ」ためだけに、生きていたんじゃないと思うけどね。ペットの犬が、人間が「改良」した動物だってことはあるけど、それは、人間側の都合であって、犬にしてみたら、「改良」されていることとはまったく関係なく、生きているんだからね。
ボゾルグ: ペットは、人間が、人間の都合にあわせて改良した。だから、人間は残酷だといいたいわけ?
桃: そんなこと言っているんじゃない。犬は、野生の狼から「家畜化」されることで、生きることができたともいえるわ。人間と犬の共存。でもね、犬に人間側の「意味」を与えるのは間違っていると思う。
ボゾルグ: 桃の言いたいこと、また、わからないなぁ。
桃: 人間のために生きるというのは、簡単な答えかもしれない。たとえば、飼い主を喜ばして、自分も楽しくなるということはあるし。そこに意義や意味を持てば、あとは考えなくてもすむしね。でも、ほんとうはそうじゃない。ビーノの苦悩も、そんなんじゃないでしょ? 人間のために生きるなんて聞いて、ビーノ、どう?
ビーノ: ううん。ボク、前も言ったけど、人間の役に立ちたいとは思わない。役に立って喜ぶという気持ちは、わかるけど、それだけじゃないような気がするの。
ボゾルグ: 最近は、ペット用だといって、ありとあらゆるものができている。需要があるから、供給する。そこにペット産業が生まれる。なんだかこっけいだよ。ペットがいい匂いしようが、可愛い洋服を着ようが、つやつやの毛並みになろうが、栄養のバランスが取れたエサを食べようが、それは、人間様の都合なんだよ。俺が言うのもなんだけど、ペットのことなんか考えてない。けっきょく、飼い主側の自己満足と見栄。つまり、ペットの犬は、人間のために生きているということ。
桃: でも、ないんだよね。たしかに、そういったことは、飼い主の自己満足もあるけれど、犬も、苦痛でない限り、飼い主が喜んでいると、その喜びは感じられるので、結果として、犬も、幸せってことでもあるんじゃない? そう思うわ。
ボゾルグ: 犬の幸せなんてあるのかな? だいたいは、飼い主の思い込みじゃないの? 自分に都合のいいように解釈して、犬は、幸せだとか、不幸だとか判断する。俺は、かえって、犬に対して失礼だと思うよ。犬の気持ちなんて、ほんとはわからないと思うんだけど。
ビーノ: ボクたちは、人間の中で暮らしているから、時々、自分が人間だと思うこともある。ボゾルグが言うように、ボクたちの「しあわせ」は、人間のとは違うかもしれないけど、でもね、やっぱり犬にも「しあわせ」な気分はあるよ。飼い主が喜べば、ボクたちもそれを感じるから、嬉しくなる。だからそういう行動をするときもあるの。他の犬と遊ぶのも好きだよ。あとは、そのへん、思いっきり走り回ること。それがないと、むなしいな。
桃: だと思うわ。人間もそうでしょ? それは自己表現をすることなのよ。それで「生きている」ことを実感するんじゃない? 遊び、芸術、スポーツ、政治活動・・・。だから、犬は、飼い主を満足させるだけのために生きているんじゃない。犬それ自身の自己表現をしているんだと思うわ。
さぶじい: ビーノさんは、りっぱに自己表現していますよ。「どうして生きるのか」。そういうことを考え、それを言葉で他人に伝えることが、りっぱな自己表現だと思います。この自己表現は、あまりうきうきした内容ではありませんが。しかし悩みもりっぱな自己表現ですし、運悪く、ビーノさんは人間の言葉を得てしまったので、悩みは増えたということではないですかな。
桃: あんたのおばあちゃんは、目立たなかったけど、きっと自己表現していたんだと思うなぁ。ちゃんと腕に抱かれて奥さんに見取らせたことが、何よりの自己表現だったのかもしれないわよ。そうしてあげたくなる犬だったことは確かだからね。
さぶじい: うらやましいですな。ビーノさんのおばあさん。目立たないように自己表現して、静かに命を閉じる。生き物の本来の姿を見るようです。
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