どこでもなく、いつでもない「ボーダー」な飛行機という場
この前、何気なくラジオを聴いていたら、あるミュージシャン(誰だったか?)が、「飛行機が好きだ」という話をしていました。
その理由として、「世界のどこでもない」みたいなことだったと思います。これを聴いて、俺も「そうだ!」とうなずきました。
俺も、飛行機が嫌いではありませんが、この「世界のどこでもない」ことと、もうひとつ「何時でもない」こと。つまり、「国」とか「時間」から完全に自由になったような状態。いや、自由というのとは、ちょっと違うけど。「ボーダー(境界)」かな? (「ボーダーレス(境界がない)」の反対です)
ホントは、体がエコノミークラスの狭い席に縛り付けられているし、まるでブロイラーのように、何時だかわからないのに、強制的に食事を与えられる、苦痛を感じこそすれ、「自由」なんて、とても感じられる空間ではないのですが。
でも、その肉体的苦痛があってもなお、精神的には、うきうきします。それは、この「どこでもなく、いつでもない」という「ボーダー」な場にいることの、妙な快感なのです。
以前、「やってみたいこと。『ターミナル』を観て」(2005/10/05)でも書きました。「空港ターミナル」や、「山手線の内側」というのは、この「ボーダー」な場の象徴なのです。何物にも所属しない境界に生きる感覚、「ボーダー」に生きる感覚というのは、とても新鮮です。透明人間になったような。(あるいは『箱男』ですね)
ただ、こういうのは、ある限られた時間だとわかっているから快感なんでしょうね、きっと。人間は、どこかに所属していないと、とても不安なんです。
人が集まり、人と繋がる。今、社会と繋がった感覚が希薄な人たちの犯罪が増えているとも言われています。基本的に、みんなどこかに所属したい。していないと、生きていけない。
だから、せいぜい、飛行機の中では、つかの間の「自由」を満喫しようかな。
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