昆明の順城街(イスラム街)がなくなった時
昆明のバス爆発事件の原因(犯人)はまだわかっていないようです。
今から3年前、昆明に行ったとき、昆明百貨店前のロータリー一帯は、巨大な公園に様変わりしていました。車道は地下を通 るようになっていました。まだ春節の休みらしく、いったいどこから出てきたのか?と不思議に思うくらいの人出。マックも、ケンタッキーも、ディコスも、家族若者たちであふれていました。
とうとう、百貨店から博物館への裏道、順城街(↑の写真)が姿を消そうとしているところでした。まだ3、4棟、古い建物も残っていましたが、ほとんどは瓦礫の原です。昆明百貨店の巨大なビルが、ますます大きく見えて、まるで勝ち誇っているようでした。
順城街はイスラム街でした。夕方になると、羊肉ケバブの煙と香ばしいイスラム風パンの香りが漂い、まるで中近東の国に迷い込んだような錯覚を覚えたものです。そのときは、いくつかの店が仮小屋で営業していましたが、かつての面影はなくなっていました。
もったいないなぁと思いました。今は「新しさ」が「良さ」ですが、そのうちきっと古い街並みの価値に気がつくのです。残しておけば、観光資源として使えただろうに。
昆明の都市計画にたずさわっている人の中に、先見のめいを持っている人物がいなかったことを残念に思います。もちろん、そういう意見を持っている人はいたのかも知れませんが、少数意見だったでしょう。(おととい書いた昆明在住の写真家のように) まぁ、中国人が自分でやるんだから、外国人の俺がとやかくいう筋合のものでもないかもしれませんが。
あの文化大革命でさえ壊れなかったものは、経済の大革命では、あっけなく姿を消しています。
こういう急速な「発展」は、一部の人たちには、裕福な暮らしをもたらしましたが、地方に行ったら、あいかわらず、20年前と、ほとんど変わらない生活を強いられている人たちが大半なのです。その格差は救いのないほどです。
こんな状態の雲南で起こったテロが、中国の未来を暗示しているようにも思えます。
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コメント
季節風さん
コメントありがとうございます。
ほんとにそうですね。
ソロバンを弾いた人たちは、何十年かたてば使えなくなるマンションなんかではなくて、半永久的に使える「町並み」の方が、結果的にみんなの利益につながると考えなかったのが、惜しいと思います。
もっとも、こんなことは日本でもたくさん起こっていることで、やっぱり「痛い目」をみないと、なかなかわからないものなのかもしれません。、
投稿: あおやぎ | 2008/07/26 11:07
昆明のイスラム街撤去は本当にもったいないですね。今の昆明は味のある通りがほぼ皆無になっています。
“今は「新しさ」が「良さ」”と中国で考えられているというより、あの場所にマンションを作ったらいくら儲かるかとソロバンを弾く人たちに対して、街の一貫性というか街の歴史に価値観を求める人たちが適わないという事のような気がします。
たとえ取るに足らないものであっても街の一貫性は財産だと、誰かが論文を発表してくれるまで、政府の人は何の良心の呵責もなく都市の現代化に突き進んでいくと思います。
昆明はすでに手遅れですが、地方都市では今からでもまだ間に合う所もあると思うので改善を期待したいです。
投稿: 季節風 | 2008/07/24 01:11