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2008/09/30

2008年秋 東北撮影旅(6) 秋田県横手市内山の廃校

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岩手県との県境、秋田県横手市内山の廃校、南郷小学校(↑)と黒沢小学校(↓)。

南郷小学校は、田んぼの中にあり、平成3年に廃校になった。外も内も改修したそうで、きれいな校舎だ。もう1棟建っていたというが、それはかなり老朽化が激しく、結局取り壊されたらしい。一時、保育所として使われたが、少子化によって、保育所も統合されて、今は、学習交流センターとして使われている。

学校前に住んでいる夫婦の話で、7km先にもう1ヶ所廃校があると聞いたので寄ってみた。高台に立つ吉谷地小学校。こっちも、村の公民館として残っている。

黒沢小学校は、10数年前廃校になった。荒れた感じはするが、この存在感。りっぱな学校だ。グランドも広かった。

廃校になってから10年弱、縫製工場が入っていたが、今は、村の物置だそうだ。通りかかったおばあさんは言った。「壊すのは寂しいですよ」と。学校の行事が村の行事だった。学校は村の中心だった。校舎がなくなるのは、自分と村の歴史をなくしてしまうような気がするのかもしれない。


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2008/09/28

2008年秋 東北撮影旅(5) 東北のハサ掛け

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東北のハサ掛けは、立てた杭に掛ける縦型方法(上の写真)と、水平に渡した棒に掛ける横型方法(下の写真の右上)と、ふた通りある。

今回、山形→岩手→秋田と移動したが、岩手の北上市から遠野市に向かったとき、途中で縦型から横型に変わった。

ちょうど混在している村のおばさんと話したとき、どうしてふた通りの方法があるのか?と尋ねたら、「人それぞれだから」という答えが返ってきた。

まぁ、その人のやり方が違う、それはそうだ。おばさんの言う通り。でも、やっぱり、地域差に関わるのは間違いない。まったく個人の趣味、嗜好で、ハサ掛けの形が決まっているとは思えない。

ハサ掛けの方法に地域差があるのは、棚田をまわり始めてから気がついたが、どこがどういう方法なのかちゃんと調べたら、意外とおもしろいテーマかもしれない。そのハサ掛けの方法の違いと、何が一致するのか、興味のあるところだ。たとえば、言葉とか、食事とか・・・。言葉でも、何が同じところではハサ掛けの方法も同じだとか・・・。そんなことはないのだろうか。

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2008/09/27

2008年秋 東北撮影旅(4) 荒川高原牧場

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岩手県遠野市の北、早池峰山を望む雄大な自然が広がる附馬牛町の荒川高原牧場は、遠野の馬事文化を支える牧場として、国の重要文化的景観になった。

中世から放牧の歴史があり、牧場が文化的景観になったのは、ここが第一号とのこと。

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2008/09/26

2008年秋 東北撮影旅(3) 骨寺荘園遺跡

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岩手県一関市の骨寺荘園遺跡も、一面秋の色。

荘園の中にある駒形根神社に寄る。「平泉を世界遺産に」の幟が立てかけてあった。関係者の意気込みはわかるのだが、幟は目立ちすぎ。

田んぼの先の栗駒山の中腹には、地震の爪あとが残る。


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2008/09/24

2008年秋 東北撮影旅(2) 岩手県にあった「雲南の棚田」

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今日、岩手県はいい天気だった。

奥州市藤里というところは広々とした盆地で、収穫間近の田んぼが美しい。日本家屋も点在していて、なかなか良い雰囲気だ。

国道397号線は、その盆地を回りこむように走っているが、東端に、「雲南田」というバス停を発見して思わず急ブレーキを踏んだ。

地図をあらためて見てみると、「雲南」という地名。バス停脇に広がる棚田は、ほんとに「雲南の棚田」だ。のんびりした雰囲気も雲南と似ている。もちろん、中国の雲南とは直接関係ないとは思うが。


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2008/09/23

2008年秋 東北撮影旅(1) 岩手県 ふるさと自然塾

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今、東北撮影中。

岩手県平泉中尊寺から衣川村にある廃校、「ふるさと自然塾」へ向かう。案内板がしっかりしているので、迷うことなく自然塾にたどり着くことができた。ただ、途中の道には、ところどころ路肩にヒビが入っていて、赤コーンが立ててあった。たぶん地震でできたヒビではないだろうか。

白の壁に赤い屋根の平屋の校舎。「衣川小学校 大森分校」。管理棟へ行って見学の許可を取る。広い校庭と校舎。滑り台と桜の木。宿泊するためのバンガローがいくつか建っている。それと体験学習の建物。

雨がぽつりぽつりと降りだすが、すぐ止んで、また強烈な西日がさした。校舎の周りは、りっぱな棚田地帯だ。まだ稲刈りは始まっていない。稲の黄色が目に痛いほど。


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2008/09/18

モンゴル写真をアップ

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モンゴルの写真を『シルクロード館』にアップしました。1年前の旅でしたが、まるで、昨日のことのようです。そしてモンゴルといえば、朝青龍、相撲を思い出します。

俺たちがモンゴルに行く直前に発覚した朝青龍のズル休み疑惑を発端にして、相撲界では、とんでもないことが、これでもか、これでもかと続き、相撲そのものよりも、これらのスキャンダルが世間を騒がせ、相撲に注目が集るというおかしな現象がおきています。

親方たちは、お金を稼いでくれる外国人力士に強いことは言えず、日本の習慣や相撲文化を教えることをしなかったツケがまわってきたということでしょうか。

今も場所中にもかかわらず、大麻問題でゆれています。大麻の場合、吸っただけでは罪に問われないそうですが、もし、仮に法律的に問題がなくても、もう力士に復帰するのは難しいことはわかっているはず。本人たちは、吸ったことさえ認めていないのですが。


Ya_2ウギー湖&突厥帝国の遺跡

Ya_2ツェツェルレグ&ツェンケル温泉

Ya_2ウランバートル

Ya_2ハラホリン&トゥホン寺院&オルホン滝


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2008/09/17

「棚田米はおいしい」と言うよりは、「棚田米を食べてみたい」と言いたい

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8月上旬に開かれた「平成20年度棚田学会大会シンポジウム」については、事情があって1ヶ月ブログを休んでいたので、今ころになってしまいました。でも、忘れないように(自分のためにも)書いておきます。

今年のテーマは、「棚田米はどうして美味しいのか?」でした。

水のおいしさとは関係ありそうです。だいたいは、棚田の上は、山なので人家がありません。また、棚田は比較的、高地にあるので、夜になってある程度冷えたほうが、稲は休むことができて、コメはおいしくなるそうです。それと、自然乾燥のハサ架けですね。稲刈りしたときは、まだ稲は死んでいないので、稲わらからの養分もコメに蓄えられるらしい。

それで、結論は?

参加者の方の指摘もありましたが、「棚田米はおいしい」と思っている、あるいは、「棚田はなるべく残したい」と思っている人たちだけの中で、「棚田米はどうしておいしいのか?」という議論は、なかなか深まらないという反省はあったかもしれません。(「棚田米は、おいしくない」と思う立場の人(そんな人いるか?)を参加させたら、もっと議論は深まった?)

結局、「おいしさ」が、科学的な数値を基にできない(蛋白やアミロース、アミロペクチンの比率は関係しますが)ということが、最大のウィークポイントのようです。棚田に関心がある人や、棚田米がすでにおいしいと思っている人なら、おいしさは、「農家の人たちとの信頼」だとか、「農家の人たちの努力」だとか、俺のように「物語」だということが、おいしさの理由の一部になっていることを分かってもらえると思いますが、まったく、知らない人に、それを納得してもらうのは、難しい。

「棚田米はどうして美味しいのか?(2008/07/26)」

つまり、棚田米の説明をする前に、棚田のことを説明しなければならないということなのです。棚田の良さを理解してもらって初めて、棚田米はおいしい(かも)と思ってもらえる。(棚田米に興味を持ってもらえる)

そして、棚田米は、量が少ないので、一般の人が口にする機会は、あまりありません。いったん食べてもらえば、棚田米のファンも増えると思うのですが。そのためにも、「棚田米」という特別なコメがあることを宣伝していくしかない。地道な努力が必要なようです。

まぁ、あまり「おいしさ」を強調しすぎないことかもしれません。言い過ぎると、怪しいどこかの霊感商法みたいになってしまう恐れも無きにしも非ず・・・。

だから俺はあまり「おいしさ」にはこだわっていません。ただ、「食べてみたい」だけです。

ちゃんと実験したらどうかなと、帰りの電車で思いつきました。同じ品種、同じ地区(天候が同じところ)、平場と棚田で作ってみて、どちらがおいしいか科学的に実験してみる。それで、おいしさが実証されたら、もっと積極的に棚田米をアピールできるかもしれません。

今度、学会に提案してみようかな。

ところで、「事故米」が食用に転売されていた事件で騒いでいますが、ある女性が、テレビのインタビューで、「何が入っているか分からないので、最近はご飯がおいしく食べられなくなりました」と言っていました。

やっぱりそうですよね。前も書きましたが、「安心」「安全」「信頼」というものが、おいしさを左右する重要な要素なのです。へんな時代になったものです。


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2008/09/16

谷地どんが祭り (3) 「お好み焼き」と「ずんだ餅」

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子供のころの、谷地どんが祭りで思い出すのは、八幡神社境内のお化け屋敷や、「人魚」の見世物、サーカスなどでしたが、今は、無いようです。その代わりというか、射的屋は多いような気がしました。

それと思い出すのは、「どんどん焼き」。俺たち子供のころは、これを「お好み焼き」と呼んでいて(今でもそうかな?)、東京に出てくるまで、「お好み焼き」といえば、こういう形のものが全国的に同じだと思っていたら、違っていたことをはじめて知ってショックを受けたことは、前にも書いた通りです。(昭和の味、河北町ふう「お好み焼き」2006/09/16)

今年も、「お好み焼き」の屋台は、数店出ていました。クレープ状に伸ばした小麦粉の生地に、海苔、魚肉ソーセージを貼り付け、青海苔、鰹節などをふりかけ、割り箸にくるくる巻いて、たっぷりとソースをかけます。これが基本形。でも、今回は、中に入れる具に、チーズやマヨネーズという新しいタイプのものも売られるようになっていました。1本200円です。

ところで、これは、直接祭りとは関係ないですが、食文化について面白いなと思ったことがあります。

このあたりでは、食事の締めとして餅を食べます。納豆、ずんだ、くるみ、あんこ餅などです。最初聞いたとき、「最後に餅?」と驚いたのですが、食べてみたらおいしいし、親戚のおばさんは「これはデザートなんだから」と説明しました。

タイやラオスやカンボジアの「餅米文化圏」でも、スイーツに餅米を使うことはよくあることで、そう考えれば、餅も別腹のデザートとして何の問題もないわけです。俺も地元出身なのに、いつの間にか忘れてしまっていました。でも、個人的には、他の甘い餅は理解できるとしても、納豆餅だけは、一番最後に食べたいかどうかは微妙なところです。

毎年正月には、餅が喉に詰まって死ぬ人が必ず現れるくらい餅好きです。とくに、搗いた餅を切らずに、どんどん喉に送り込む食べ方がありますが、これが一番危険。死ぬかもしれない危険を冒してまで食べる根性は見上げたものです。

俺が一番好きなのは、ずんだ餅ですね。「豆打(ずだ)」が語源らしいですが、要するに枝豆をすりつぶし、砂糖を混ぜて甘くした枝豆ペーストで、宮城・山形・福島県の郷土料理です。山形県(福島県も?)では「ヌタ」とも呼んでいます。

今回、みやげ物屋では、「ずんだ風味キットカット」というのも見つけました。箱には、「東北限定」と書いてあります。たしかに、ずんだの味がします。でもやっぱり、ずんだは、餅が最高!


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2008/09/15

谷地どんが祭り (2) 囃子屋台と谷地奴

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谷地どんが祭りの最中は、町内を囃子屋台が練り歩きます。今年は9台出ています。

囃子屋台は、大型トラックの荷台にステージを設けたもので、お囃子を演奏しながらゆっくり走り、辻辻で止まっては、踊りの披露をします。運転席の上には、その時に話題のキャラクターや、伝統的な宝船などの張子を飾ります。今年は、さっそく「崖っぷちのポニョ」というのもありました。

また、最近では、踊りは演歌だけではなくて、みんなで踊れるダンスもやるそうです。練習風景を見ましたが、ちょうど40人くらいの子供や若者たちがエグザイルのダンスを練習中でした。別なところでは、サンバの練習。こういうものがあれば、若い人たちも参加しやすいんでしょうね。時代とともに、祭りが変わってきたと、俺と同年代の人は言っていました。

今日(15日)、午後7時20分から、囃子屋台が町の中心部、どんがホール周辺に全部集って、競演します。これがクライマックスです。

また、長さ約5メートル、重さ約18キロの毛槍を力強く振り回しながら行列する谷地奴の巡演もあります。今日(15日)午後5時半からは、県内外の奴団体が集まる「全国奴まつり」も開かれるそうです。


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2008/09/14

谷地どんが祭り (1) 「谷地舞楽」

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今年(2008年)、山形県河北町の谷地どんが祭りは、9月13日、14日、15日です。

用事があって実家に帰りましたが、ちょうど祭りの日に当たり、ちょっとだけ祭りを見てきました。何十年ぶりです。

この写真は、昨日13日の夜、谷地八幡宮石舞台で奉納された、国の重要無形文化財の指定を受けている「谷地舞楽」です。

八幡宮の神職を務める林家によって、1千百有余年もの間、一子相伝の家憲を守り伝承されてきたそうです。

雲間から時々月が顔を出し、かがり火が灯される中で、幻想的な雰囲気でした。


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2008/09/11

「事故米」を食用に転売していた事件

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大阪市の三笠フーズが「事故米」を食用に売っていたという話が明らかになり、とんでもないと思っていたら、愛知県内のふたつの会社も同じようなことをしていたことが発覚しました。

小麦粉などの穀類が値上がりし、あらためて日本でとれるコメを見直そうという動きが出てきたところなのに、水をさすような事件です。コメのイメージが崩れるのではないかと心配です。

今までの、産地偽装や、消費・賞味期限の改ざんなどの話とは違って、これは毒が入った食品を売っていたということで、悪質極まりない。今日は、三笠フーズの事故米が給食業者にも納入されていたことも分かったようです。

毒入り餃子でさんざん中国の食品安全に関する意識の低さを非難しておきながら、けっきょく日本も変わらないことがわかってしまいました。

ところで、ひとつ疑問ですが、たぶん事故米は、他のコメよりも安いという理由で購入を決めた業者もいるわけですよね。そのとき、「何か問題のあるコメじゃないだろうな?」と、疑わないものなのでしょうか。


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2008/09/10

中国で狂犬病が流行の兆し

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増えるペット、広がらぬ狂犬病予防 中国で流行の兆し
asahi.com http://www.asahi.com/international/update/0906/TKY200809060051.html

中国では、狂犬病の流行の兆しがあるようです。

「犬に噛まれて20年のベテラン」として、アドバイスさせていただきます。

以前、「俺はどうして犬に噛まれるのか? (2006/07/29)」という記事でも書いてますが、中国の犬は、ちゃんと噛みます。これは、俺の体験からですが、日本の犬の感覚で近づいたり、手を出したりすることは危険です

とくに、地方に行ったときですね。放し飼いの犬がいます。日本でなら、たいていは、無視すれば何も起こりませんが、中国では、とくに、放し飼いの場合、人間から石を投げつけられた経験があり、人間を敵視していたり、極端に恐れています。だから、ちょっとした弾みで、襲われる可能性があります。

犬を見つけたら不用意に近づかないことですが、もし襲われそうになったときは、しゃがんで、石を拾ってください。最悪、石がなくてもかまいません。「拾った」という姿を見せると、犬は逃げていきます。これが犬の撃退法のひとつです。

ただこの方法が、中国全土で通じるかは保障しません。(雲南と貴州は使えます。夜は、懐中電灯の明りを目に当てると効果があるようです。チベット高原では、石をくくりつけた紐をまわします) だから、もし地方の遺跡や寺院などに出かけたとき、野良犬がいそうな雰囲気だったら、前もって、棒や石を用意しておいたほうがいいかもしれません。

お菓子で手なずけようとしても、たぶん、失敗します。(俺も失敗しました) お菓子だけ取られて、また吼えられます。

もちろん、都会では、ペットとして飼っている犬も増えたようで、それはそれほど凶暴ではないかもしれません。ただ、狂犬病の予防注射をしていない可能性があるので、やっぱり、日本の犬と同じだとは思わないほうがいいのではないでしょうか。

犬に噛まれるとたいへんですよ。仮に狂犬病ではないにしても、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になって、しばらく犬の恐怖から抜け出せませんでした。俺はその後リハビリをし、犬が怖くなくなるまで、10年以上かかりました。

ただ、今でも、犬に噛まれやすい性格だけは治っていないようですが。飼い犬に時々噛まれています。


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2008/09/09

【ひとり会議 その十六】 エコ自慢したがる人々

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ボゾルグ: 最近、「エコ、エコ」って、エコ自慢するタレントが増えてきたね。

桃: どんな?

ボゾルグ: 「私は、割り箸を使わずに、『マイ箸』(私の箸。つまり塗箸)使ってます」だの「レジ袋の代わりに、『エコバッグ』を持ち歩いてます」だの、どうでもいいようなことを自慢して、高感度アップを狙っている一部のタレント。

ビーノ: 実際、そうやってエコに取り組んでいるからいいじゃん。ボゾルグはそうやって、すぐイチャモンつける。

ボゾルグ: 別にイチャモンでもかまわないけど。ただ、よくもまぁ、恥ずかしげもなく、そういうことを言えるもんだなと。『マイ箸』だろうが『エコバッグ』だろうが、いいよ、使っても。その人の趣味なんだから。それは俺も認めるよ。でも、それを「私は地球環境を考えてます」みたいな顔して自慢されるのが嫌なんだよね。

さぶじい: そういえば、「森林保護のために割り箸を使うな」みたいな議論がありますが、ちょっとそれは違うようですな。

ボゾルグ: タレントならまだ許せるかもしれない。この前ラジオを聴いていたら、いわゆる「自然環境保護」を訴える学者が堂々と「使い捨てにする割り箸は良くないから、私は『マイ箸』を使ってます」と真面目にいっていた。ほんとかな?と思ったね。

桃: そうね。ちょっと、違うわよね。特に、日本製の割り箸は。あれは、間伐材の真ん中から柱などを取ったあとに残った、捨てられてしまうような端材で作る。だから、森林を破壊しているわけじゃない。むしろ「山を育てる」とも言われているわ。ただ、外国産の割り箸は、割り箸のために木を切って作っているのもあるから、そこが問題なのよ。環境意識が高いことをアピールしたくて、「割り箸を使わず、『マイ箸』を持ってる」と自慢したがるタレントの気持ちはわかるわ。その学者は、外国産の割り箸の話をしたんじゃない?

ボゾルグ: そうかなぁ。だったら、「マイ箸」は、環境にいいの? マイ箸だって、ちゃんと使ったあとは洗わなくちゃならないし、水と洗剤を使って環境に負荷をかけているだろ? 「エコバッグ」だって、最近は、ブランド物まででてきた。エコバッグが大量に売れることは、はたして環境にいいことなのか?と思うよ。

ビーノ: ボゾルグ、意外と細かいね。

ボゾルグ: いやいや、「敵」も細かいところを突いてくるんだから、こっちもそれに合わせているだけだよ。割り箸・マイ箸、レジ袋・エコバッグ、どっちにしろ、環境に負荷をかけるんだから。ほんとは、そんなわずかな差を自慢しても、どうしようもない。だって、そのタレント、テレビ局には、電車と歩きで来るのかな? そうじゃないだろ? タクシー使って来てるんだよ。だから、仮にマイ箸を使うことに、多少のメリットがあっても、タクシー使った時点で、前部帳消しになっちゃうんじゃない。

ビーノ: ほんとに細かい・・・。

さぶじい: ボゾルグさんがおっしゃること、わかりますな。でも、人によって、気になるところが違うだけ、ということかもしれませんよ。ある人は、割り箸を使うことには抵抗があるけど、タクシーをばんばん使っても気にならない。ある人は、割り箸は気にならないけど、電車じゃなくて、タクシーを使うことは、環境に悪いと考えてしまう。でも、なんだか、どっちもどっちではないかなと思ってしまいますなぁ。ところで、どうして、割り箸やレジ袋が目の敵にされてしまうんでしょうな。

桃: それは「使い捨て」ということが、後ろめたいからじゃない?

さぶじい: そうかもしれませんな。「使い捨て」ということに何か罪悪感を持つからでしょうか。でも、割り箸でも、レジ袋でも、燃えるごみに混ざっていたほうが、ごみは良く燃えて、環境に良いという説もあるようですし、「捨てる」ことが即「無駄」と考えるのは、間違っているのかもしれませんな。

ボゾルグ: そうなんだよ。「使い捨て」がすべて悪いというのは、思い込みだよ。だいたいにして、「使い捨て」が悪いといったら、医療ごみなんかどうなるの? 注射器も使いまわししたほうが、環境にいいのは分かりきっている。でも、そうじゃない。それは、環境と、健康とのバランスを考えたとき、捨てたほうがいいから捨てるようになったわけだろ? だから、俺は、割り箸も、レジ袋も、環境を考えるために、ちゃんと使い捨てしたいね。

ビーノ: ボゾルグは、あいかわらず極端で単純だね。僕はそもそも、箸もレジ袋も使わないから偉いよね?

桃: 何言ってるの? ビーノもエコ自慢する気? あんたの飼い主、レジ袋、たくさん使っているじゃない。

ビーノ: えっ?

桃: 知らなかったの? あんたのウンチを入れるのに、レジ袋が重宝だって言ってたわよ。でも、1回で捨てるんじゃなくて、何度も何度も洗って使って、最後は燃えるごみで出してるの。レジ袋がないときは、食パンの空き袋を使うそうよ。涙ぐましいわ。そこまで使われるレジ袋なら、エコだと思うわ。

ビーノ: そうかぁ、僕、気がつかなかったよ。だってウンチしているときは、犬にとっては一番無防備な状態なんで、周りに敵がいないか、そればかり気になっちゃってたし。それになんだか、僕の飼い主は、ウンチしているとき、じっと目を覗き込むんで、落ち着かなくってさ。

ボゾルグ: ビーノの周りは、敵ばっかりだろうしな。でも、なんだよ、桃。けっきょく、ビーノの飼い主のエコ自慢じゃないか。みんな、そんなにエコ自慢したいかな。

桃: したいのよ。しかも、「小さいエコ自慢」をね。だって、ほんとうの環境問題は、地球規模の大問題で、一人の人間がどんなに努力したところで、どうにもならない構造的な問題よ。ただ、それでも、「何か役に立ちたい」という気持ちの表れじゃないの? ボゾルグが目くじら立てることはないと思うわ。

ボゾルグ: でも、ほんとはそうでもないのに、「環境意識が高いです」みたいに装って、人気取ってるとしたら、一種の詐欺だろ? エコ偽装タレントだよ。

桃: そこまで大げさかな? だって、「マイ箸使ってます」とか、タレントが言っても、たいていの視聴者は、気にもしないし、信じない。そんなに視聴者は馬鹿じゃないわ。

ボゾルグ: それならいいんだけど。

さぶじい: ただ、「マイ箸使ってます」「エコバッグ使ってます」ということで、安心してしまっては元も子もないですな。あるいは、それを使ってるんだから、あとは、何をやってもいい、みたいな免罪符になっているとしたら、問題ありだと思いますが。

桃: そこね。エコ自慢はいいけれど、考えなくなってしまうことが一番ダメなのよ。

ボゾルグ: それなら俺は、わざと使い捨てをして、「罪悪感」を持ち続けながら生きていくよ。

ビーノ: ボゾルグ、えらいぞ。人間は考え続けろ!


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2008/09/08

先週の『日立 世界ふしぎ発見!』で、キルギス

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先週土曜日、『日立 世界ふしぎ発見!』では、キルギスをやってました。

キルギス共和国には行ったことありませんが、中国新疆ウイグル自治区を旅したとき、キルギス族にはお世話になりました。

カラコルム・ハイウェイをロバ車で旅した話は、前にも書きましたが(「映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て」(2008/06/22)でどうぞ)、雪が降って、死ぬかもしれない峠越えをした翌日、キルギス族村に泊まったのでした。

ムスターク峰、ゴングール峰というふたつの山に囲まれた静かなカラクリ湖。 2 キロ離れたところに泥作りの箱型の民家と移動式のテントが数戸づつ並んでいる、キルギス村がありました。

ロパ車を引いて村の中に入っていくと、恒例になった、番犬の恐ろしいお出迎えがあり、村人たちはその吠え声で、家から何ごとだろうと出てきました。

あるおばさんは、「うちにも泊まれるよ」というので、彼女の家に泊まることにしました。

日干しレンガ作りの民家の中は、一段高くなったところに絨毯が敷いてあり、そこが居間兼寝室でした。

おばさんの子供ふたりが山羊やヤクの放牧から帰ってきて、夕食になりました。ヨーグルト・ナン・キルギス茶、それに茹でた山羊の胃袋が丸ごとお盆に載せられて運ばれてきました。

俺たちは車座になり、各々が手に持ったナイフで胃袋を適当な大きさの塊に切り取って口に運びます。軽く塩味がきいた胃袋は、味はともかく(?)遊牧民料理の雰囲気が濃厚で、すっかり気にいってしまいました。もちろんナン(キルギス風パン)も村共同のかまどで焼いたもので、ヨーグルトもクリームのように滑らかで美味しかったです。

さて、寝る段になって、ひとつの毛布をふたりで共同で使うことになりました。この隣に寝ている髭づらで口臭のひどいおやじは、いったいだれなんだ ?  そもそも俺も他の人に紹介された訳でもないので、このおやじも俺が何者なのかわからないはずなのです。不思議じゃないんだろうか? まったく気にしないで隣で寝ることができるというのは遊牧民の感覚なんだろうか?

疑問は増すだけでした。でも聞いたところで言葉がわからないし、まぁここではこんなものなのだろうと思いました。

そう、旅をしていると、素直にそのまま受け入れるしかない状況があります。たとえ彼が何者か知ったところでいっしょに寝るしかない状況は、変わりようがないのです。どうも、ここは宿屋で、隣のおやじはお客だったのかもしれません。

とにかく前日は、雪の降る峠越えの厳しい夜だったので、ストーブが一晩中燃えているというだけで、そこは天国なのでした。


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2008/09/07

英雄の要らない日本という国

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長く休みましたが、またブログを再開します。

福田さんが突然辞任表明をし、雨後の竹の子のように、自民党総裁選立候補者が名乗りをあげていますが、どれもこれも、ドングリの背くらべ的な印象は免れません。

かといって、民主党はどうかというと、こっちも同じで、日本の将来について、大きな展望を語る政治家少ないようです。

俺は政治家に知り合いはいないので、中には、ちゃんとした政治家もいると信じますが、残念ながら、そういう政治家に限って、表に現れにくいというのも、日本の政治の現実かもしれないですね。2世、3世議員が多いということからも、それは感じます。

いかに地元に利益を引っぱってこれるかが、政治家が求められることで、その人が、日本をどうしようとするのかなんて、二の次。

そういう意味で、政治家ばかりを責めてもしかたがない。結局は、みんなが、地元の利益を求めるから、政治家もそうならざるをえなくなり、そして「ドングリの背比べ」になるのは必然・・・・。

世界が大きなうねりを持って動いているというのに、瑣末で内向きなことにばかり関心を寄せて、日本の国をどうしたいのか、どうあるべきなのか、という大きな視野に立った政治家が活躍できないことに、島国日本の「田舎性」を感じないわけにはいきません。

宗教家は来世に、政治家は現世に夢を見せてくれることが、ひとつの仕事なのに。

こんなに国のトップが変わる国は、先進国の中では、日本が一番らしい。と、いうことは、「だれが総理大臣になっても同じ」ということを、証明しているのではないでしょうか。

日本では、アメリカでの大統領のような英雄は必要ないようです。むしろ、あまり他とは違わず、ドングリの背比べ的な人間でいいということなのでしょう。夢を見せてくれる個性的な総理大臣なんて、必要とされないようです。

だから、今回の候補者の顔ぶれを見ると、これぞ日本、というのを、あらためて見せ付けられているような気がしてきます。

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