英雄の要らない日本という国
長く休みましたが、またブログを再開します。
福田さんが突然辞任表明をし、雨後の竹の子のように、自民党総裁選立候補者が名乗りをあげていますが、どれもこれも、ドングリの背くらべ的な印象は免れません。
かといって、民主党はどうかというと、こっちも同じで、日本の将来について、大きな展望を語る政治家少ないようです。
俺は政治家に知り合いはいないので、中には、ちゃんとした政治家もいると信じますが、残念ながら、そういう政治家に限って、表に現れにくいというのも、日本の政治の現実かもしれないですね。2世、3世議員が多いということからも、それは感じます。
いかに地元に利益を引っぱってこれるかが、政治家が求められることで、その人が、日本をどうしようとするのかなんて、二の次。
そういう意味で、政治家ばかりを責めてもしかたがない。結局は、みんなが、地元の利益を求めるから、政治家もそうならざるをえなくなり、そして「ドングリの背比べ」になるのは必然・・・・。
世界が大きなうねりを持って動いているというのに、瑣末で内向きなことにばかり関心を寄せて、日本の国をどうしたいのか、どうあるべきなのか、という大きな視野に立った政治家が活躍できないことに、島国日本の「田舎性」を感じないわけにはいきません。
宗教家は来世に、政治家は現世に夢を見せてくれることが、ひとつの仕事なのに。
こんなに国のトップが変わる国は、先進国の中では、日本が一番らしい。と、いうことは、「だれが総理大臣になっても同じ」ということを、証明しているのではないでしょうか。
日本では、アメリカでの大統領のような英雄は必要ないようです。むしろ、あまり他とは違わず、ドングリの背比べ的な人間でいいということなのでしょう。夢を見せてくれる個性的な総理大臣なんて、必要とされないようです。
だから、今回の候補者の顔ぶれを見ると、これぞ日本、というのを、あらためて見せ付けられているような気がしてきます。
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コメント
とろさん
コメントありがとうございます。
>テディベア
ですね。
新幹線は優れたシステムで、運転手がいなくてもいいという話を聞いたことがあります。でも、運転手の姿が無いと、不安だから、いるらしいですね。おサルの電車なのです。(ホントかな?)
日本の官僚などの人たちは優秀で、国を運営するちゃんとしたシステムができているので、新幹線と同じ、おサルでもテディベアでも、誰が総理大臣でもいいのかなと思います。
国によって、権限の違や、選ばれ方の違いはありますが、それもこれも、英雄を必要としないシステムを選択し、作り上げてきたのは、やっぱり日本人なんでしょうね。
投稿: あおやぎ | 2008/09/08 17:30
各国の大統領と首相の権限の違い、そして国民に直接選挙で選ばれるかどうかの違いが現れてるのではないでしょうか。
直接選挙で選ばれるアメリカの大統領はカリスマが必要ですが、日本の首相はテディベアでもなれそうな気がします。
投稿: とろ | 2008/09/08 09:53