2008/10/31
2008/10/30
「イエティの足跡発見!」のてんまつ
イエティの足跡発見!実は報道の勇み足?
(ココログニュース 参照)
こういう話が好きなので、今までも、何度かイエティや雪男や野人については書いてきました。
今回は、サントリーが協賛し、朝日新聞社が後援している雪男を探す大プロジェクトだったらしい。「足跡発見」のニュースは、外国メディアが発表した記事が回りまわって日本にやってきた。要するに、うわさが広がる「伝言ゲーム」のようなものだったらしい。当のプロジェクトのスタッフたちは、嬉しがってもいない様子。うわさは、尾ひれが付いて話は際限なく大きくなったり、「嘘」に近づいたり・・・。
「足跡」は、過去にも撮影した人が複数いるらしい。新鮮味がないし、雪男の新証拠にもなりません。だからプロジェクトのスタッフたちは、わざわざ発表する気もなかったようです。ところがフランスの通信社の報道をきっかけに、話に火が付いた。
「うわさ」の恐ろしさですね。「うわさ」が「うわさ」を呼び、何が本当で、何が嘘かわからなくなってしまう。
でも、思うんですよねぇ。「イエティ」そのものが、「うわさ」の産物と言えなくもありません。「うわさ」を信じている点では、どっちもどっちかなと。
2008/10/29
横瀬祭り (2) 横瀬の人形芝居
横瀬祭りで上演された「横瀬の人形芝居」は、安政年間(1854~1860)に始まったもので、人形を一人で操る「一人遣い」と、回り舞台を持つというのが特徴だそうです。「横瀬ふくさ人形」とも呼ばれています。
今回は、『八百屋お七忍の場 江戸紫恋緋鹿子』という演目でした。
八百屋九兵衛の娘お七が、学山という坊主に言い寄られるシーン(写真・中)には、笑ってしまいました。学山が抱きつくのを振りほどいて逃れるところや、学山のいやらしいしつこさが、人形とは思えないほど、リアリティーを感じさせたからです。いや、人形だからこそ、その「感じ」が、よく伝わるのかもしれませんが。
人形遣いも良かったですが、1時間ほどひとりで勤めた語りのすばらしさには感心しました。
2008/10/28
横瀬祭り (1) 芦ヶ久保の獅子舞
10月26日(日)に、横瀬祭りが開催されました。
会場では、神輿や獅子舞など伝統芸能の他、子供向けアトラクションの「ゴーオンジャーショー」、芸能ショーなどでにぎやかでした。ふるさとの味コーナーでは、手打ちうどんや餅や「たらし焼き」(↑写真一番下)が食べられます。
その「たらし焼き」を1枚100円で買ってみました。「たらし焼き」というのは、秩父の昔ながらのスナックだそうで、小麦粉のクレープの中に、ねぎやオオバやゴマが入っています。味は、ソースとマヨネーズがありました。ほんとに素朴な食べ物です。昔からお祭りの屋台では食べられていたのでしょう。
出店で、町の人が打つうどんを食べたあと、会場で披露された「芦ヶ久保の獅子舞」を見ました。
県指定無形民俗文化財に指定されています。会場でもらったチラシによると、
「一般にササラといわれる獅子舞は、古く江戸の頃宝暦2年(1752)・・・(略)・・・僧、生阿蓮心比丘が、かつて習い覚えた獅子舞を土地の人に伝授したのが始まりといわれ・・・(略)・・・例年、8月16日の白鬚神社の例大祭に奉納され、現在、曲目は8庭が伝承されている」
とのことです。
最近、獅子舞をよく見ていますが、「入曽の獅子舞」もそうでしたが、「花笠」と呼ばれる華やかな女性(中に入っているのは男性の場合も)がいるのが特徴ですね。今まで見たことありませんでした。これは、秩父や奥武蔵の特徴なのか、埼玉の特徴なのか、日本全国の獅子舞を見たわけではないのでわかりませんが、おもしろいなぁと思っています。
彼女(?)たちが持っているのが、「ささら」という楽器らしい。
2008/10/27
浦山の獅子舞(3) 悪魔祓い
2日目に行われた浦山の獅子舞は、夕方クライマックスを迎えます。
大日如来堂で最後に3頭の獅子舞が終わると、悪魔祓いの行列が集落をめざします。
希望する家におもむいて、その家の不幸災いをお祓いします。今年は4軒。3人の若者が悪魔に扮しました。
悪魔は、家の中に上がりこんで、「悪魔祓い~~」と大声を上げながら、竹の棒で畳をたたきます。家族は、部屋の真ん中に固まってじっと座り、悪魔が去っていくのを待ちます。
秋田の「なまはげ」のようでした。
最後、集落のはずれで、350年以上前の、浦山の獅子舞の由来が書いてある巻物の入った箱を中心に、3頭の獅子が舞い納め。
獅子や悪魔が身につけているワラジ、飾り物には悪霊が取り憑いているそうです。なので、ワラジの縄も真剣で切って、悪霊を祓ったあと、みんな村に帰っていきました。
2008/10/26
浦山の獅子舞(2) 大日如来堂
正午前、もう一方の会場である大日如来堂で踊っていた獅子が、昌安寺からの獅子を迎え、全部で6頭になった獅子、花笠、笛太鼓の行列が、紅葉が始まりかけた峡谷の道を、大日如来堂へ向かいます。
笛と太鼓の音が峡谷に響き、なんともいえない「山の祭り」の情緒を感じます。
薄暗い木立の中にある大日堂の境内で披露される獅子舞は、口に刀をくわえた勇壮なもので、獅子の間を通ろうとした参拝者のおばさんが、関係者から「ダメ!」と激しく怒られていました。刀は真剣なので、ケガをするからです。
この「危なさ」は良いですね。緊張感があります。わくわくします。
参拝者は「願旗」という幟旗を手に持ち、獅子といっしょにお堂を回りながら、家内安全、交通安全などを祈願します。
お堂では、「御夢想」と書いた白い袋を売っていました。中には、稗玉が3個入っていました。縁起物です。昔は浦山でも稗を作っていたので、よく食べていたそうです。
中国青海省玉樹へいったとき診てもらったチベット医が処方してくれた丸薬そっくりでした。ご利益ありそうです。
2008/10/25
2002年のバリ島爆弾テロ実行犯の処刑日決まる
バリ島テロ実行犯の処刑日決まる
(Yahoo News http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/indonesia/?1224916987 参照)
あれから6年がたちました。
バリ島爆弾テロの現場のすさまじい光景が思い出されます。道路のあちこちに散らばる、犠牲者の骨や肉片を拾う警官たちが、事件後1週間たっても、黙々と仕事を続けていました。
2002年12月、俺はホームページに、次のように書いています。
あらためて、「テロに思うこと」を読み返しましたが、考え方はおおむね変わっていないので、このまま掲載しておくことにします。
世界中でテロが頻発するようになってしまいました。
今回、犯人の刑が執行されても、一件落着とはいきません。テロの原因が、アメリカを頂点とする先進国の富の偏り(「持てる人間」と「持たざる人間」との関係)、思想(文化)の押し付け、宗教・民族対立など、構造的なところにあると思うので、そう簡単にはなくなりません。というより、今の世界の構造がテロを生み出しているともいえるわけです。
浦山の獅子舞(1) 昌安寺
浦山の獅子舞(県指定無形民俗文化財)は、10月第4土・日曜日、今年は、25日と26日の二日にわたって行われます。
秩父市から、浦山ダムを過ぎて、細い山道を進むと、浦山に到着。
川原に臨時駐車場が作られていました。駐車場の上が、昌安寺。
午前9時をまわっていましたが、ちょうど獅子舞が始まったところでした。
真剣をくわえた3頭の獅子が激しく勇壮に舞います。
途中、休憩を挟んで、別の舞が披露されました。
獅子舞の奉納が終わると、太鼓、笛、花笠、獅子が、行列を作って、大日如来堂の方へ向かいます。まだ観光客も多くなく、気持ちの良い空気の中、行列に着いていくのは楽しいですね。「山の祭り」という感じがします。
2008/10/24
2008/10/23
2008/10/22
2008/10/21
2008/10/20
埼玉県狭山市 「入曽の獅子舞」
埼玉県指定、無形民俗文化財である、「入曽の獅子舞」というものがあります。
実は、昨日、川越祭りの帰り、入間野神社を通りかかり、偶然見たのですが、瞬間、その土俗的な雰囲気に魅了されました。観光客がたくさんやってくる川越祭りを見た後だったので、なおさら、小さな神社で奉納されている獅子舞に宗教性を感じたのかもしれません。
とくに、4人の「花笠」は、ちょっと変わっています。顔を筒状の布ですっぽり覆った女の子(?)の頭上には、大きな花笠が載っていますが、この花笠が大きいので、そのままでは倒れてしまうようで、それを支える介添え人がいます。この姿に、なぜか宗教性を感じました。
狭山市公式ホームページによると、「この獅子舞の歴史は古く、・・・(略)・・・その起源は少なくとも江戸時代中期までさかのぼることができます。・・・(略)・・・かつては豊作や悪疫(あくえき)退散を願って村内を舞って歩き、日照りつづきには雨乞(あまご)い祈願で舞ったこともあるといわれています。」とあります。
由緒ある獅子舞だったんですね。
2008/10/19
小江戸の「川越祭り」
慶安元年(1648年)から続く川越祭り。
平成17年2月「川越氷川祭の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。
今年は、昨日(18日)と今日の、2日間にわたって行われました。
お囃子と踊る人を乗せた山車が、市内を練り歩きます。
川越は江戸との交易で商業が発達した街で、今でも江戸の風情を残す古い街並みが残っていて、「小江戸」と呼ばれています。
来年は、NHK連続テレビ小説『つばさ』の舞台になるそうで、ますます観光客は増えそうです。でも、昔から川越を知っている人によると、「最近は、きれいになりすぎ」という話も聞きます。
「きれいに」と思ってやりすぎると、微妙なモノを失って、結局陳腐な映画セットふう街並みに成り下がってしまうという悲劇は、雲南省北西部、世界遺産の麗江の旧市街でも目の当たりにしました。
川越がそうならないことを祈りつつ・・・。
2008/10/18
2008/10/17
2008年秋 東北撮影旅(20) 「やまがたの棚田20選」 【朝日町 椹平】
椹平の棚田は、最近かなり知名度が上がってきました。コメ関連の広告でも、椹平棚田の写真が使われています。(たしか今度、テレビコマーシャルでも使われると聞いたような・・・)
この椹平の棚田米ですが、今年は稲刈り後の天気に恵まれ、おいしく仕上がった自然乾燥米を使ったおにぎりを振舞う催しが、神奈川県の「小田原百貨店 板橋店」で行われるそうです。
10月25日(土) 10:00~15:00ころまで
新米おにぎりの試食(パナソニックSV炊飯器で地元の水を使って炊いたもの)
新米を先着200人に、一人2合をプレゼント
当日は、椹平から持っていく「杭の子(稲杭)」を店頭に飾るそうです。お客さんたちからどんな反応があるか、楽しみですね。
こういった一歩一歩の地元の人たちの努力が、「棚田米」の認知に繋がっていくのだと思います。近くにお住まいの方は、ぜひ行ってみてください。
詳細は、小田原百貨店にお問い合わせください。
2008/10/16
2008/10/15
2008年秋 東北撮影旅(18) 「やまがたの棚田20選」 【尾花沢市 明光寺】
秩父の龍勢祭りで、中断しましたが、今日からまた「やまがたの棚田20選」の続きです。
明光寺の棚田は、先日紹介した高橋の棚田からさらに上ったところにあります。県道からは見えないので、通りすがりでは、棚田に気がつきません。
山の上に拓かれた棚田では、コメとソバが作られていました。
2008/10/14
埼玉県秩父市吉田町 椋神社の龍勢祭り (3) 「龍勢」の見方
龍勢祭りに行ったのは、今回が初めてだったので、発射台の手前に、高いフェンスがあっても、「こういうものなんだろうな。でも、見づらいなぁ」と、最初は思っただけでした。
でも、発射台まで近づけるとはさすがに期待しませんでしたが、立ち入り禁止にしても、数メートルもの高さのフェンスが必要なのだろうか?と不思議になりました。このフェンスが邪魔をして、写真を撮るのが大変なのです。(撮る位置が制限されてしまう)
フェンスに関して、今日、他のブログを見てわかりました。去年事故があったらしいですね。竹ロケットが客席に飛んできて、ケガ人を出してしまったそうなのです。なので、この高さのフェンスが必要だったようです。警官が多かったのも、事故を警戒してかな?
もちろん、祭りを続けるために、事故がないことは、今の時代必須条件かもしれません。勝手に祭り見物に来てケガしても、やっぱり祭りの主催者側に責任が及んでしまうんでしょうね。「危ない」ということで中止に追い込まれてしまうこともあるのではないでしょうか。
でも、なんだか違和感を覚えます。まず、祭りは、「何が起こるかわからない」という前提があります。「何」というのは、ケガや、最悪死んでしまうかもしれないことです。だからこそ、「祭り」本来の意味があるのだと思うのですが。
祭りは、日常生活で、魂のエネルギーが衰えたのを復活させるのが目的です。そのためには、多少危険を伴うのはしかたないのです。とくに、こういう祭りは。と、言うより、危険は龍勢祭りの一部でもあるでしょう。ケガするかもしれない状況に身を置くことで、気持ちがワクワクします。だから魂が元気になるのです。
絶対安全が保障される中で「龍勢」をやっても、それはテレビ画面で観ているのと同じ、「娯楽」ではあっても、「祭り」とは言えません。(もっともフェンスが事故を防げるかはわかりませんが。実験なんてやってないでしょ?)
自己責任で、発射台の近くまでいけたら、もっと面白いのに。その点、雲南省の「高昇」では、どこで見てもOKでした。「ケガしてもいい」というリスクを受け入れて発射台の近くで見ることもOKだし、あるいは、娯楽に徹して、離れて見物するのもOK。観客の自由でした。
「龍勢」は、「こう見るべき」「こう見なさい」「こっちから見てはいけない」と、見方を決め付けられる不自由さを感じます。そうは言っても、このたくさんの見物人が、俺のように、みな好き勝手にやり始めたら収拾つかないし、今の時代に祭りの形を合わせていくことも分かります。無くなってしまっては、元も子もないので、しかたないのでしょうねぇ。
以上、俺の個人的な要望というか、愚痴に過ぎませんので、関係者の方々、気にしないでください。祭り自体は面白かったです。
埼玉県秩父市吉田町 椋神社の龍勢祭り (2) 秩父の「龍勢」と、雲南省の「高昇」
昨日、秩父市吉田町の「龍勢」について書いた中で、雲南省でも見たといいましたが、この写真がそうです。
西双版納タイ族自治州の、タイ族村で行われたものです。乾季である1月から4月まで、各村で、頻繁に行われていました。中国語では、この竹製ロケットのことを「高昇」といいます。(タイ族語で何と言うか忘れました)
秩父の「龍勢」の由来はよくわかりませんが、このロケット飛ばしの慣習があるのは、中国のタイ族、タイ国、ラオスなどなので、たぶん、タイ系文化と関係あるのかもしれません。水を司る龍の姿にも似せているので、もともとは雨乞いや五穀豊穣を祈願する農耕の神事と考えられます。
この「龍勢」のおかげで、旧吉田町(秩父市)は、タイのヤソトン県ヤソトンと姉妹都市関係にあるそうです。
ヤソトンから来た人なのか、会場を、民族衣装のタイ人が歩きながら、みんなにキーホールダーをプレゼントしていました。俺ももらいました。「コップンカー」とお礼を言いましたが、きょとんとしていました。残念ながら俺のタイ語は通じなかったようです。
2008/10/13
埼玉県秩父市吉田町 椋神社の龍勢祭り (1) 竹製ロケット飛ばし大会
埼玉県指定無形民俗文化財になっている、秩父吉田町の「龍勢祭り」が、昨日(10月12日)行われました。
「龍勢」は、黒色火薬を詰めた松の木の筒に、10m以上もある竹の尻尾が付いたロケットです。これをお囃子を奏でる中、口上を述べた後、点火して飛ばします。空中高く上ったロケットからは落下傘・花火・色の付いた煙が出てきます。
竹製ロケット飛ばし大会は、雲南省西双版納タイ族自治州のタイ族村、タイ国のノンカイでも見たことがあります。ペーロン競漕などと同じく、大陸から伝わったものでしょうか。雲南のタイ族の場合、どれだけ遠くに飛ばすかを競うものでした。
今回の椋神社の龍勢は、高さと、どれだけきれいに落下傘や煙を出すかということを競っていたようです。中には飛ばずに爆発してしまうロケットもあって、これは失敗です。「すみませんでした。来年がんばります」というアナウンスがあったりしました。
神社では神楽が奉奏されて、なかなか楽しい祭りでした。
2008/10/12
2008/10/11
2008年秋 東北撮影旅(16) 「やまがたの棚田20選」 【村山市 中沢】
村山市中沢の棚田は、県道29号線沿いにある。
訪ねた日は、曇りから一時雨に。
雨上がりには、靄が少し漂って、しっとりと落ち着いた感じになった。
以前冬に訪ねたこともある。今年の3月だ。
そのとき撮影した写真がこちら。あまりにも豪雪で、単なる雪原の写真に見えるかもしれないが。
2008/10/10
2008/10/09
【ひとり会議 その十七】 サル一匹とさえ共生できない都会人
ボゾルグ: サルが東京都内に出没していたようだね。まだ捕まってないのかな。
ビーノ: サルさん1匹に大騒ぎして、右往左往してる人間は、こっけいだね。
ボゾルグ: 「自然との共生」とか言ってるわりには、サル1匹とさえ共生したくないんだな、都会人は。「共生」なんて、やたらと言いたがるのは、都会人に多いのかもね。
桃: でも、子供が噛まれたりしている事故もあるからね。心配なのよ。
ビーノ: 最初から、野生のサルさんは危ないと思われてる。動物園では、あんなにかわいがられているのに。檻の外ではどうして嫌われるの。サルさんかわいそう。
桃: しかたないよ。東京だけじゃなくて、地方でも、サルは困った問題よ。商店から物を盗んだり、ホテルに侵入しておしっこやウンチしたり、農作物を食い荒らしたり・・・。だから、そこでは害獣になってる。「駆除」されることもある。
ビーノ: 「殺される」ってことでしょ? でも、これは、サルさんのせいなの? 人間が原因を作ったんじゃないの?
桃: そうね。サルたちの住む場所が狭くなったせいね。だからどうしても、人間の生活圏とかぶってしまう。
さぶじい: サルばかりではありません。野生動物の問題は、山や森のカミを殺してしまった人間が、自分がカミになったと錯覚したところから始まっているのではないですかな。
ビーノ: さぶじい、それ、『もののけ姫』で見たよ。ウケウリだね?
さぶじい: バレましたかな。
ボゾルグ: 都会では、サルに大騒ぎだけど、その一方で、地方で作物を荒らすサルを「駆除」すると、「かわいそうだからやめろ!」なんていう苦情が殺到するらしいよ。地方のサル害なんて、関係ないからね。たいていは、都会に住んでる「自然が大好き」「動物が大好き」な人間が多いらしい。ちゃんと自然と「共生」してる人は、「かわいそう」とかいう一方的な意見は言わないもんだよ。言えるはずがない。なぜなら、みんな悩んでいることを、ちゃんと知っているからさ。駆除なんか、ほんとはしたくない。苦渋の選択をしているんだよ。
ビーノ: だったら、東京でサルさんの1匹と共生するくらい、どうってことないと思うのに。やっぱり、身近に問題が起こると、共生なんて軽々しく言えなくなるの?
ボゾルグ: 「共生」という言葉には、なんとなく、「仲良く暮らしてます」みたいな偽善を感じるよ。だいたいにして、農業だって、林業だって、狩猟だって、漁業だって、ある意味、自然との闘いでもあるだろ? やさしい自然なんて一面だけだ。自然は厳しいものでもあるんだよ。それをちゃんと分かっている人が、「共生」っていう言葉を使ってほしいな。田舎では、自然と「共生」するために、どれだけ苦労しているのか、都会人はわかってないよ。
さぶじい: 今回、東京に出没するサルに関しては、そんなに悪さをしているわけではありませんし、放っておいてもいいのではないか、という気がします。そのくらいの包容力をもたないのでしょうかな。あのサルが迷惑かけているとしても、その界隈で、たち小便したり、吐いたり、大声出してけんかしたりしている人間の方が、よっぽど迷惑だと思うのですがな。
ビーノ: そうだ、そうだ。そっちを「駆除」しちゃおうか。「駆除」が可愛そうなら、島流し。
桃: ビーノ、「島流し」なんて知ってるの? でも、あのサルは、やっぱり捕まえられてしまうんだろな。追い出されたサルは、田舎へ行って、けっきょく人間に害を及ぼす。都会はよくなるけど、サル害のつけは、田舎が引き受けるってこと?
ボゾルグ: だろうね。都会とは、そういう異物を排除して快適さを得ているから。その快適さを脅かすものは、たとえ、小さくても、取り除こうとする。タバコの煙を徹底排除、危なく見える人間も排除、臭いものも排除、ばい菌も排除。ぜんぶ排除しようとする。だから、サルなんてもっての他なんだろうな。
桃: そして、もし何かあったら、「誰の責任だ!」といって騒ぐ人がいるから、そうなる前に、トラブルの芽を摘み取ってしまおうということなんでしょ?
ボゾルグ: だろうね。
さぶじい: 人工的な空間、都市空間は、人間の脳が作ったパラダイスですからな。だからサルなどという異物が入り込むと、苦痛でしかたなくなる。脳は、都会でサルと共生する方法をまだ考えられず、混乱してしまう。
ボゾルグ: せいぜい、檻に入れて見てるだけ。
ビーノ: 人間の脳なんて、まだその程度。ボクのと同じレベルってこと?
桃: ちょっと違う気がするけど・・・
ボゾルグ: ビーノ、せいぜい、おとなしくして「駆除」されないようにね。おとなしくしてれば、「異物」じゃないから。
ビーノ: またボゾルグは、「異物」じゃなくて「汚物」だって言いたいんでしょ?
ボゾルグ: だれも言ってないよ、そんなこと。最近ビーノは、ひがみっぽいよ。
2008/10/08
2008/10/07
2008/10/06
2008年秋 東北撮影旅(12) 金山町 谷口がっこそば
山形県北部、金山町谷口地区にある廃校。旧金山小学校谷口分校。向かいには美しい棚田が広がっている。
校舎は明治20年に建てられた。平成8年に廃校になり、いったんは取り壊しが決まったものの、地元の人たちの熱意で、廃校はそのまま残された。そして、女性たちがそばを打ち、食べさせるようになった。それが評判になり、今では大繁盛。
写真(一番下)は、「そばセット」1000円。めずらしいのは、そばがきを油で揚げた「揚げそば」(写真右から2皿目の白っぽい3個)。
そういえば、宮城県志津川の廃校を利用した宿、さんさん館も、地元の人たちがいっしょうけんめいやっているのを思い出す。成功しているところには、共通した「熱意」を感じる。
2008/10/05
2008/10/04
2008/10/03
2008年秋 東北撮影旅(9) 山形県朝日町椹平の杭掛け
山形県朝日町椹平の棚田は、稲刈りの真っ最中。
自然乾燥米の注文が多いので、今年は杭掛け(稲杭)の数も例年より多いという。
この前、稲の乾燥方法の地域差について書いたが、案内してくれた朝日町のAさんによると、昔は、横に掛けるハサ掛けが多かった気がするという。稲杭は、ひとりでも作業ができるので、時代とともに変わった農作業のしかたにも関係しているのかもしれない。地域差だけではなくて、時間差もあるらしい。
そしてたまたま山形新聞のあるエッセイに、稲杭のことが書いてあった。
「この杭掛けによる乾燥方法は百姓が編み出した技術の中でかなり傑出した部類と思われます」「台風などの強風に見舞われても、形状が丸みを帯びているので風を受け流します」
(山形新聞9月30日朝刊「やまがた見つけた【稲を米にする作業】」斎藤武氏)
なるほど。稲杭は進化した乾燥方法ということだろうか。
2008/10/02
2008/10/01
2008年秋 東北撮影旅(7) 男鹿半島の廃校
秋田県男鹿半島の西、加茂青砂の廃校「ふるさと学習施設」。
静かな漁村にある学校。木造の建物は立派で、文化財に指定されているようだ。廃校にはおなじみの二宮金次郎の像と、空を仰ぐ少年の像が、正面玄関の左右に立っている。少年の像には、「立志」の文字が。
夕方撮影をしていたら、雨が降ってきたので、あわてて車に戻り、そのまま秋田方面へ走った。
暗くなったので天王温泉の道の駅で泊まろうとしたら、三脚がないのに気がついた。加茂青砂の廃校だ、と思い出して、翌日約50km戻ったら、村のおじいさんがちゃんと取っておいてくれた。「おたくかい? この三脚忘れたの?」
雨が降ったので、レジ袋を掛けてくれたらしいが、夜になっても置きっぱなしなので、家で保管してくれていた。おじいさんも若いころカメラをやっていたので、これがカメラの三脚であることはわかったという。
「高そうな三脚だね」「そうでもないです」「どこから?」「埼玉から」「埼玉? うちの息子もさいたま市に住んでいるよ」といって家の中に入り、息子さんの住所を探しだしたが、みつからなかった。なんだかおじいさんは、同じ埼玉なら、近所なんだろうと思っているようだったが・・・。
日本は物がなくならない。これがどこか外国だったら、あきらめるしかなかったかもしれない。ほんとに助かった。
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