2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (4) カラチ郊外の農村で泊まった民家
昔、パキスタンの南部、カラチに行ったとき、町の食堂で知り合った青年たちに誘われて、彼らの家へいったことがあります。
当時は、外国人を誘拐する事件はあまりなかったので(誘拐ではなく、強盗殺人はあった)、ある程度注意していれば、危険な目には遭わなかったのです。
俺が、こいつは信用できるかどうかを判断する基準としていたのは、まず、「英語や日本語(外国語)をしゃべらない」ということと「向こうから声を掛けてきたのではない」という条件でした。そういう人たちの誘いには、喜んでついていったのでした。
このときも、英語はほとんどしゃべらなかったし、外国人が行くような地区の食堂ではなかったので、一緒に行っても大丈夫だと思いました。(片言のウルドゥー語と英単語だけでなんとかなりました)
実際、彼らの村では、大歓迎され、たいへん面白い体験をすることができました。
夕食後、電気のない暗い民家では早めに寝てしまうのですが、俺は、ある部屋のベッドを貸してもらいました。手探りで連れて行かれて、服を着たままそのベッドに横になりました。懐中電灯もなく、部屋の中がどんな様子なのかさっぱりわかりませんでした。
夜中、変な音で目が覚めました。なにか、水を捨てているような音がしたのです。しかも、けっこう近くから聞こえてきました。それでも、俺は疲れていたのか、すぐにまた眠ってしまいました。
そして朝、明るくなったころ起きて、びっくりしたのです。
なんと、俺の隣には、牛がいたのでした。その部屋は、家畜小屋というのではないのでしょうが、田舎の農村の家なので、お客さんを泊める部屋は、ここくらいしかなかったのでしょう。俺は一晩牛と寝ていたことを知りました。つまり、夜中の音は、牛がオシッコを垂れ流していた音だったのです。
朝食には、牛乳が出されましたが、水っぽい味でした。そういえば、この乳は、いっしょに寝ていたあの牛の乳? 味はともかく、夜中の小便の音が耳から離れず、この牛乳をあまりおいしく飲めなかったのは残念でした。
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