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2008/12/30

秩父往還 (4) 江戸から秩父への峠道「山通り」

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江戸から、川越、熊谷を経由して、秩父へ入る秩父往還のひとつとして、現在の寄居から釜伏峠を越える峠道「山通り」も、多くの人たちに使われていました。

今でも、峠を越えて三沢側に下ると、一里塚跡が3ヶ所残っています。峠から500mほど下ったところには、「平草の一里塚」があり、こんもりとした塚の天辺には、「大黒天」が祀られています。(写真・上) 他に、庚申塔と勢至菩薩塔もあります。

下三沢には「小平の一里塚」があります。(写真・下) 昔は、樹齢300年もの榎の古木が立っていたそうです。

庚申塔や道標もあったのですが、昭和43年、悲しいことに、何者かによって持ち去られてしまったとのこと。ただ、県道から中に入った、この一里塚がある長さ400mほどの旧道は、当時の面影が残っています。(写真・中)

広町には、「曽根坂の一里塚」があります。ここは、秩父大宮へ向かう曽根坂峠への登り口で、秩父巡礼一番四万部寺へ行く「志まんぶ道」との分岐点でもあったそうです。

一里塚は、当時の道しるべで、往来する人たちにとって、休憩場所でもありました。旅人が、ここで休んでいたんだろうなぁと、当時の一里塚に思いをはせ、俺も、缶コーヒーで、一休み。


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2008/12/29

秩父往還 (3) 宮平からコショウ坂へ

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秩父甲州往還道は、おおむね現在の国道140号線沿いですが、国道からはずれた旧道も、ところどころ残っています。

秩父市大滝の宮平から大久保のコショウ坂という峠まで、山の中を通る旧道(直線距離で1500mほど)があるようなので、探してみました。

宮平の老人福祉センターの向かい側にあるバスの発着所から杉林へ向かって上っていくような坂がありました。朝は冷え込んで、霜が下りて、落ち葉が白くなっています。

ここだなと思って上りましたが、杉林に入ったとたん、道はわからなくなってしまいました。もう、使われていないので、なくなってしまったのかなとあきらめました。

でも、あとで、反対側、コショウ坂へ行ったとき、ちょうど地元の人がいて、旧秩父往還道のことを聞いたら、宮平までは、まだ道が残っているといいました。一ヶ所、崩れているところはあるらしいですが。

入り口には、当然ながら、看板など立ってないし、知らないと見過ごしてしまうような山道です。昔は、こんな道を大量の荷物を背負った馬や、旅人や、出稼ぎへ行く人や、巡礼者が、往来していたんでしょうね。この峠には、馬の休息所があったらしい。

今は、車道ができてしまって、地元の人がこの旧道を使うことはなくなりましたが、ときどき、トレッキングの人は通っているそうです。

コショウ坂からは下りになるので、30分ほどで着いてしまうらしい。2km弱だと思うので、そんなものでしょうか。その地元の人に、「宮平から上ろうとして、杉林に入ったら、道を見失いました」といったら、「杉林の中に入らずに、杉林のヘリを進むんです」と教えてくれました。

地元の人さえも、時々道を見失うことがあるそうです。それは、シカやイノシシが獣道を作ってしまうから。道を知ってるはずなのに、見失うくらい「立派な道」を作ってしまうという話にびっくり。

この日は、もう夕暮れだったので、200mくらいためしに下ってみて、引き返しました。落ち葉が敷き詰められた杉林の中を行く道でした。旧街道の面影が残っています。

日を改めて、この旧道を歩いてみることにします。


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2008/12/28

【ひとり会議 その十九】 年末ジャンボ宝くじ、当たるかなぁ

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【ひとり会議 その十九】 年末ジャンボ宝くじ、当たるかなぁ


さぶじい: 今年も年末ジャンボ宝くじの時期ですな。

桃: 仙人のくせに、さぶじいも買ったのね。

ボゾルグ: 俺も買ったけど、当たることは期待してない。

桃: 私は、占いの本を見て、日を決めて買ったわ。今までたくさん当たりくじが出た売り場でね。

ビーノ: ボクは、何も考えずにテキトウに買っちゃった。

ボゾルグ: えらい、ビーノ。宝くじのようなものは、考えるとダメなんだよ。ビギナーズ・ラック(初心者の幸運)ということがあるし。

ビーノ: どうして? みんな寒い中、長い時間並んででも、当たる売り場で買おうとしてるじゃない。やっぱり当たる売り場で買うと、当たりやすいんじゃないの。

ボゾルグ: そんなことないよ。前回当たりくじが出たといって、みんながその売り場に殺到すると、結果的に売り上げ枚数が増えるから、当然その中に今回も当たりくじが含まれる確率が高くなる。だけど、その「売り場の確率」は、たしかに高くなるけど、一枚一枚の確率は、まったく変わらない。そこで買うと、当たる確率が高くなるように感じるのは、勘違いじゃない? 売り場で当たりくじが出る確率と、宝くじ一枚が当たる確率とは違うと思うよ。

ビーノ: そうなんだぁ。それを聞いちゃうと、あんな寒空で、長時間並んで買っている人間て、悲しくみえてしまうよ。

桃: じゃぁ、どこで、いつ買っても同じだというの?

ボゾルグ: 同じかどうかはわからない。

桃: どういうこと?

ボゾルグ: いや、俺が言いいたいのは、確率じゃないんだよね。確率だけの話なら、ひたすら枚数を多く買う。それで「俺が当たる確率」は高くなる。

さぶじい: たしかに。全部買ったら、100パーセントの確率。必ず当たる。

桃: 現実問題、それは不可能ね。

ボゾルグ: 俺が言ってるのは、宝くじの一枚ごとの当たる確率は同じだけど、占いや、お呪いと同じで、気持ちの問題があるってことだよ。「当たる」と信じるところで買ったほうが、気分がいいということ。げんを担いで、毎年同じところで買ったり、ある数字を買ったりして、気持ちを落ち着かせる。そのことと、当たる確率は違うってこと。

桃: でも、巷では、ここで買ったほうがいいとか、何日の何時に買ったほうがいいと、言ってる人もいるよね。

ボゾルグ: じゃぁ、聞くけど、みんなが「当たる」と言われる売り場で、何日の何時に買ったとするね? 結果はどう? 全員が当たるはずないじゃない。そもそも、そいういうことをホントに信じているなら、他人に教えると思う? 俺だったら、教えないよ。人に教えるってことは、自分が当たらなくなる確率を増やすってことだからさ。大きな矛盾。

桃: なんだかボゾルグ、占いや、げんを担いで買っても無駄だって言ってるみたい。

ボゾルグ: いや、反対だよ。

ビーノ: ボゾルグは、他人が、占いを信じたり、げんを担いで当たるのを知るのが、いやなんだよ。ね? ほんとは、自分も信じたいから。

ボゾルグ: 鋭いなぁ、ビーノは。ちょっと当たってる。俺は占いを信じたくない、と言うより、「どこで買っても、いつ買っても宝くじ一枚あたりの確率は同じ」という前提がなければ成り立たないと思っているんだよ、宝くじって。当選番号は、まったくの偶然に決まり、誰かが予想したりできるものではないし、また、そうでないからこそ、みんなに平等な宝くじを楽しめるってことだろ? 誰か特別な人たちだけが、当たりを独占できるとしたら、もうすでに、宝くじなんか、なくなっていたよ。ビギナーズ・ラックというのがあるよね。何も知らず、考えずに買ったほうが当たるというのは、意外と、「科学」かもよ。確率から言えば。それは、どこで買っても同じだということの証明じゃないかなって思うんだけど。あえて、人間の「意思」が働かないほうが、ちゃんと当たるという・・・。

さぶじい: ビギナーズ・ラックというのは、何の分野でも聞きますなぁ。

桃: けっきょく、みんなの自由でしょ?

ボゾルグ: そうとも。だから、言ったじゃない? 気持ちの問題だって。そもそも、宝くじは、「夢を買う」とも言うよね。つまり、たいていの人は、外れることも覚悟して買ってるわけ。でも、もしかしたら、当たるかもしれないという夢を見れるわけでしょ。3億円当たったら何をしようかな?なんて、楽しいじゃないか。

ビーノ: ボクなら、ペディグリーチャムじゃなくて、サイエンスダイエットのご飯をお腹いっぱい食べたいな。

さぶじい: 私は、若い天女たちに囲まれて、酒池肉林ざんまいで暮らしたいですな。

桃: さぶじいったら。ほんとにしょうがない。仙人らしからぬ夢ね。さぶじいには、宝くじ、当たらないほうがいいわね。

さぶじい: 桃さんのおっしゃるとおりですな。当たったら、人生、狂ってしまいそうです。しかし、夢を見るのは楽しいものです。宝くじは、単純に「当たる」確率だけを求めるんじゃないということでしょうな。ボゾルグさんのおっしゃる通り、気持ちの問題でもあるのでしょう。一枚当たりの確率は同じですが、人は、「どこかに、確率の偏りはあるはずだ」とも思いたいんですな。だから、予想や占いを信じてみたくなる。そして、それが信じられれば、その売り場で、何日の何時に買えばいい。それはみんなの自由です。

桃: つまり、予想や占い、げんを担ぐのも、宝くじの一部なんだということね。

ボゾルグ: そういうことだよ。だから俺は、宝くじは平等であってほしいと思っているので、あえて、買う売り場にはこだわらないし、当たるとも思ってない。ただ、そう考えること自体、俺の意思は入っているので、ビギナーズ・ラックは、もう期待できないけどね。ただ、せっかくだから、当たった夢を見て楽しんでいるだけ。だから、何も考えずに買ったビーノは、偉いって言ったんだ。

桃: ところで、ビーノは、何枚買ったの?

ビーノ: 10枚。バラで。バラの方が、いろんな味が楽しめていいんだもの。

桃: ビーノ?

ビーノ: 桃、どうしたの? 宝くじって、インクが特別な匂いがするでしょ? 特に今年は、片岡鶴太郎さんの絵で、おいしいんだよね。それと、あの紙質。ワシャワシャ、噛みごたえがいい感じなんだ。

桃: ビーノの飼い主が、ビーノのウンチに数字が書いてあって不思議だなって言ってたけど、そういうことだったのね。

ボゾルグ: 偉いなんて言ったけど、撤回するよ。まったく。


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2008/12/27

秩父往還 (2) 右ハ信州道 左ハ川又ヲ経テ甲州

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栃本の集落を、関所跡から西に200mほど進んでいくと、右手に木造の建物が見えてきます。この広瀬商店の先に、狭い上り階段がありますが、ここが、信州への分岐点。

大正時代に立てられた道標も残っています。(写真右下)

「右ハ信州道 左ハ川又ヲ経テ甲州」

右は、信州へ向かう信州往還道。そして左は、次の集落、川又や、雁坂峠を経由して、甲州へ続く秩父甲州往還道です。

この幅1mくらいの信州往還道を登っていくと、すぐ茶畑の中を通りますが、下の方に、栃本の集落が見えてきます。道は石垣で補強されています。ここは江戸時代の道の姿が残っている所らしい。まるで、ネパールをトレッキングしているような気分になりました。

200mくらい上ると、また栃本広場へ通じる車道へでました。地図で確かめると、この車道をずっと西へ進んでいくと、やがて1kmほど先で、車道は地図から消えています。そして、長野県との国境、十文字峠へ至る徒歩道が続いています。

この峠道は、昔は、交易、信仰の道として、多くの人々の往来があったといいます。今は、登山客が通るだけになってしまいました。


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2008/12/26

秩父往還 (1) 「桃源郷」の栃本宿

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秩父往還とは、秩父大宮(秩父市)から荒川渓谷沿いに、雁坂峠を越えて甲州へ向かう昔の街道です。中山道と甲州街道との間道でもありました。

その秩父往還・栃本には、関所跡(国史跡)があります。

関所跡もさることながら、栃本集落のロケーションがすばらしいですね。斜面には民家が寄り添うように建ち並び、この季節には珍しく、青々とした麦畑も広がっています。何軒か民宿もあります。

中国雲南省、世界遺産の麗江の北部、金沙江(長江の上流部)に虎跳峡という渓谷があり、その途中に、トレッキング客が宿泊する核桃園という村がありますが、そこと似ています。

生活するには厳しくて、「桃源郷」などと言ったら地元の人にしかられるかもしれませんが、でも、そう言ってしまいたくなる山村です。(「桃源郷」は、外部の人間から見た理想郷という意味なので許してください)

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2008/12/22

【ひとり会議 その十八】 六本木のビルの中国人?

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【ひとり会議 その十八】 六本木のビルの中国人?


ボゾルグ: この前、六本木の、あるビルへ初めて行った。俺には似合わないオシャレな場所なので、めったに出かけないエリアでもあるけどね。

桃: そうね。わかるわ。

ボゾルグ: それはともかく、ビルの中には、簡単な食事ができる軽食レストランが並んでいる一角があった。その店のひとつに、「刀削麺(包丁で削って麺にした中国の麺)」の店があって、おねえちゃんが、「トウショウメン、イカカテスカ~」って、お客さんを呼び込んでいた。それが、明らかに中国人ふうの発音だったんだよね。

ビーノ: それが何か? 中国人、働いているんじゃないの? 今じゃぁ珍しくないし。

ボゾルグ: そうなんだ。でも、それを聞いて、とっさに思ったことは、彼女は、ほんとうは中国人ではなくて、純粋な日本人で、中国人ふうの発音をわざとやっているんじゃないかということ。

桃: どうしてそんなことを? 

ボゾルグ: わざわざ確かめようとは思わず、素通りしたけどね。別に、それでもいいんだけど。非難するんじゃないよ。ただ、俺がとっさにそう思ったのは、それなりに訳があるんだな。ある意味、「今の東京だから」かもしれない。

ビーノ: 聞いてあげるよ。どうぞ。

ボゾルグ: 以前、外国人が経営する飲食店で聞いた話だけど、日本に住み始めて10数年の主人は、日本語がぺらぺらだった。彼が、テレビに出たことがあるそうだ。もちろん日本のテレビにね。彼がテレビに出るとき、日本語がうますぎると、もっと下手にしゃべるように、ディレクターに要求されたって。そのほうが、外国人ぽくてウケるからっていう理由なんだな。

桃: そういえば、テレビ番組で有名になったナイジェリア人タレントのボビー・オロゴン(最近は格闘家)も、じつは日本語がとてもじょうずだという疑惑(?)があるわね。つまり、「下手な日本語をあやつる外国人」を演じている(演じさせられている)というもの。これも、もちろん確かめたわけじゃないけど、ありえる話でしょ。

ボゾルグ: そう。それも聞いたことある。それで、六本木のビルの話に戻ると、でも、なんで、そんなことをする必要があるのか?と、思うでしょ? 一昔前、東京にあるエスニック料理は、はっきりいって美味しくなかった。それは、俺が旅先で覚えてきた味を再現して出してくれる店ではなくて、日本人の舌に合わせた味だったので、満足できなかった。

桃: そうね。「フランスパン」とか言いながら、「フ」みたいな、ふにゃふにゃしたパンがあったもんねぇ。

ビーノ: 今もあるよ。ボク、歯ごたえがないパンなんか、まずくて食べられないよ。

桃: あんたは、なんでも食べちゃうんでしょ?

ボゾルグ: ところが、いまや、外国人がたくさん住んでいる国際都市東京。エスニック料理店も、日本人ではなくて、ほんとの外国出身者が作っている店が増えてきたので、本格的な味に変わってきた。だから、俺はとっさに思った。日本人が作る「刀削麺」よりは、中国人が作った「刀削麺」がうまいに違いないとね。もちろん、その女性が作っているのではなかったけど。中国ふうの雰囲気を強く出したほうが、今は、「本格派」をイメージするんじゃないかなぁと。

桃: まぁ、それはボゾルグ、あんたの思い込みだけどね。そんなに手の込んだことしなくてもいいんじゃない。本物の中国人を雇って使えば問題ないよ。日本語を下手にしゃべる中国人を。

ボゾルグ: じょうずだと意味がない。まぁ、たまたま中国人を雇えなくて、しかたなく、日本人が中国人を演じさせられているのかも。

桃: そこまでするかな? 考えすぎなんじゃない?

ボゾルグ: そういう可能性もあるって話さ。

桃: 可能性を言ってしまったら、なんでも可能性はあるわ。

ビーノ: まぁまぁ、桃ちゃん。そんなに突っ込まないで。ボゾルグがそう考えてしまうようなところが、今の東京という国際都市なんだ、ということを言いたいんじゃないの?

ボゾルグ: そう。そう。俺が言いたかったのはそこなんだよ、ビーノ。でも、俺、馬鹿にされてるような気がする。

ビーノ: ボゾルグ、そんなことないよ。


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2008/12/20

カンボジアの「善意の井戸」からヒ素

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ちょっと前のニュースで、少し古い話題ですが、カンボジアで日本人ボランティアが掘った井戸からヒ素が出て問題になっているということをやっていましたね。

井戸を掘った人たちは、まったくの善意です。まさか井戸から有害物質が出るとは思わなかった。

ただ、ちょっとひっかかりました。まず、日本人と、カンボジア人の差です。1井戸が2万5千円。これで日本人なら、個人で井戸が掘れてしまう。2万5千円くらいのこづかい(俺にはそうではありませんが)で、いいことをしたという満足感と、自分の名前が付いた井戸ができてしまう。これはちょっと問題かな。とくに、「井戸堀ツアー」は。

人を助けるって難しい。同じようなレベルの人間同士の助け合いなら、まだやりやすい。でも、経済的な差も、文化的な差も大きい人同士がやる場合、よほど注意しないと、ありがた迷惑になってしまうんだなぁと思い知らされた気がします。

だいたいにして井戸なんか必要ではなかった(のかもしれない)。川の水を使っていればよかった(のかもしれない)、ということも考慮しなければならなかった。

「井戸の水なら、良い水で、みんなから感謝される」という思い込みがありました。日本人なら当然です。その当然のことが、当然ではないかも?と、疑ってかからなければならないのも、国際的な援助をするときには大切だということが分かりました。

といって、怖がって何もやらないほうがいいとも思いません。少なくとも、「関心はある」という人の方が、批判だけして何もやらない人よりも、俺は好きです。今回は残念ながら失敗したとしても。


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2008/12/19

「セカンドハーベスト・ジャパン」の活動

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(写真は、マダガスカルの食堂)

昨日の「賞味期限切れの食品を売るスーパー」に続いて、今日も「モッタイナイ」食料の話です。

「セカンドハーベスト・ジャパン」という団体もあったのですね。勉強不足で、知りませんでした。

雑誌「栄養と料理」の2009年1月号に『食の仕事人 チャールズ・E・マクジルトンさん』という記事で紹介されています。

「セカンドハーベスト・ジャパン」の活動のひとつに「フードバンク」というのがあります。

「食品企業や個人から、余剰食品を回収し、食庫に保管して必要とする全国の施設に配給する。その名のとおり、食料の銀行のようなものだ。」(「栄養と料理」 1月号 p131)

「もったいない」と思う世代の俺としては、とても共感できる活動です。とくに、「セカンドハーベストジャパンは「新品の食べ物」を買うのではなく、すでにある、余っている食品を収集し、利用しています。」(ホームページより)ということで、「無駄にしない」という発想に共感できます。

詳しくはホームページでどうぞ。

Ya_2セカンドハーベスト・ジャパン

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2008/12/18

賞味期限切れ商品を売るスーパー 「モッタイナイ棚」

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東京都内に、賞味期限切れの商品を売っているスーパーがあるそうです。(テレビでやってました)

店の奥に「モッタイナイ棚」を設けて、賞味期限が切れた(中には2年以上も前に切れた!)商品を安く売っています。ただし、店員が自分たちが試食して「大丈夫」と思った商品だけなので、店の保障付です。(筋が通っています)

以前、「【ひとり会議 その四】 「パースド・フード店」という提案」で、賞味・消費期限切れの商品を「パースド・フード」として売るシステムについて書きましたが、もう実践されているんですね。

食べられるものを平気で捨てている光景を見ていたら、胸が痛んで、当然思いつく人はいるでしょう。このスーパーの店主も、もったいないから売り始めたといっています。拍手を送りたいです。

ところが、これに異議を唱えるところがあるんですね。メーカーと保健所です。賞味期限は、おいしく食べられる期日を表しているので(消費期限とは違います)、この日が切れたからといって、急に味が落ちるわけではありません。あくまでもメーカー側で設ける目安です。なので、これを売っても法的には問題がないそうです。

ただ、メーカーは、もし賞味期限切れを食べてトラブルが出たとき、クレームがくるのはメーカーであることや、味の劣化で、商品のイメージが崩れるから反対なのでしょう。

保健所では、法的には問題ないが、人道的にどうかなと思われるので、「指導」していくとのこと。でも罰則はないので、この店主は売り続けるのではないでしょうか。がんばってほしい。

賞味期限(消費期限さえも)の切れた商品をどうしようが、消費者の勝手でしょう。お金がある人は、期限が切れていないものを買えばいいんだし、お金のない人で、多少味が落ちてもいいという人たちの選択肢を奪わないでほしい。メーカー側が責任を取りたくないからとしか思えないような、やけに短い期限設定にふりまわされたくありません。それくらいの自由はあってもいいでしょう。

ただ、「何かトラブルがあっても、自己責任で、スーパーやメーカーにはクレームをつけない」というみんなの合意ができれば、一番いいと思いますが。

特に、割り箸の使い捨てに反対している人たちに言いたいですね。環境問題に関心があるのはいいことだと思いますが、「マイ箸」を使うくらいなら、こういった賞味期限切れを積極的に買うようにしたらどうでしょうか。割り箸の使い捨てには反対するくせに、まだ食べられる食品(新品ですよ)が捨てられるのは平気だというのでは、なんだかおかしくありませんか? 

「エコ」が、お金持ちの「趣味」や「流行」だけで終わらないようにするためにも。


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2008/12/17

「生きた証し残すため」 チロちゃんの敵を討った小泉容疑者の供述から

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「生きた証し残すため」小泉容疑者が供述…強い自己顕示欲
「小泉毅容疑者(46)(さいたま市)が、埼玉県警と警視庁の合同捜査本部に、動機を「生きた証しを残したかった」と供述していることが、わかった。「自分は社会から孤立した存在だった」とも話しており、捜査本部は、孤立感を背景に「社会の注目を集めたい」との願望を膨らませ、事件を起こした可能性もあるとみている。」
( Yahooニュースより)

社会から孤立していると感じる人は多いと思います。今の時代だから? いや、いつの時代でもかな。俺だってそういうことを感じるときはあるし、たいていの人は大なり小なり感じているのではないでしょうか。

でも、だからといって、無差別に他人を(小泉容疑者の場合は、特定の人間でしたが)殺してしまうのは、特別な(極端な)人間でしょう。

例の、秋葉原の通り魔事件の犯人も「社会からの孤立感」をあげていました。彼も、「殺人」という行動を起こしてしまったところが、特別なのです。

縁もゆかりもない赤の他人から、しかも、まったくの自己中心的動機によって殺された被害者は、たまったものではありません。無念だったでしょう。彼らが社会と繋がるための道具として殺されたとあれば、なおさらです。

でも、「小泉容疑者たちは特別」と書きましたが、反対のことも思っています。つまり、彼らはぜんぜん特別ではなくて、環境によって、みんながこうなる「予備軍」でもあるのではないかと。

社会と繋がるために、犯罪を犯す。一見矛盾しています。人に迷惑をかけることによって、いや、迷惑をかけることによってしか、繋がることができない、というわけですから。現実に、こういう人はいます。みんながみんな、「好まれること」だけして、社会と繋がってはいないのです。みんながみんな、「正しいこと」をして繋がっているわけではありません。

だから、犯罪を犯すようなエネルギー(あるいは、頭脳)があったら、もっと建設的なことにエネルギー(頭脳)を使えばいい、などと、分かったようなことを言う評論家がいますが、「人間はみんな、建設的なことをして幸せ(充実感)を感じるものだ」と思い込んでいるとしたら、間違っています。

理想的には(何が理想か?と聞かれると、困りますが)、みんな「いい人」で、建設的で、迷惑をかけず、善良で、なんて・・・。ありえません。小泉容疑者のように、「生きた証し残すため」といって犯罪を犯す人が、絶対いるんだという前提で考えなければ。自己防衛の方法を考えるとか、そういう人と出会う確率を減らす努力をするとか。

俺もそうです。「予備軍」かもしれません。犯罪を犯しながら生きているわけではありませんが、人に言えないことや、恥ずかしいことや、悪いことや、人が嫌がることも、時々しながら暮らしています。自分の行動すべて、人に自慢できるなどという人は、いないのではないでしょうか。しかも、その「悪事」こそが、「生きる」実感を与えている場合も多いことに気がつくでしょう? 

「私は(僕は)そんなことない」と思ってる貴方。本当ですか? まぁ、理解はできませんが、そういう人もいるんだろうなぁと言っておきます。

そういえば、小学校のころ、同級生に好きな女の子がいると、やたらと意地悪をするやつがいました。好きな子の注目を引きたいのです。ただ、悲しいかな、そいつは、好きな子に素直に優しく接することができなくて、反対のことをしてしまうのです。スカートめくりをしてしまったり、いじめたり・・・。意地悪をすることで、「好きだよ」と訴えているのです。

でも、女の子にしてみたら、そういう意地悪が迷惑なだけで、あまりいい結果を生むことはありません。ますます嫌いになります。そいつも、そんなことは十分わかっているのです。意地悪ばかりしていたら、嫌われることを。でも、やらざるをえない。そうやるしか、女の子とのコミュニケーションが取れない。悲しいですが、こういう性質の人がいるのは現実。

この「やつ」というのは、俺も含むのかな? さぁ、どうでしょうか。でも、彼らのように、一線を越すことだけはないようにせねばと思っています。


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2008/12/16

テレビドラマ 『TSUNAMI 津波』 を観て

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『TSUNAMI 津波』 (2006年イギリス/アメリカ)
出演: サムリット・マキエルセン、トニ・コレット
監督: バハラット・ナルルーリ

2004年12月26日、インドネシア・スマトラ島沖の地震によって津波が発生し、インド洋沿岸国では死者22万人、被災者500万人という、未曾有(下々の人間は「みぞうゆう」とは読みません)の被害が出ました。

日本でも大々的に報道され、募金活動やボランティア活動も行われました。あれから4年。被災地はどうなったでしょうか。

このテレビドラマは、タイ、カオラック・リゾートが舞台で、当時の被災者の証言や取材を元に作ったドキュメンタリーふうで、第一部と第二部で構成された185分という長時間のドラマです。劇場公開されていませんが、DVDは出ています。 

津波の混乱に乗じて、村人の土地が開発業者に奪い取られる話とか、少しだけ現地人の状況が語られていますが、ほとんどは、津波に遭遇した2組のイギリス人家族が中心に描かれています。

伝染病を防ぐという理由もあったのでしょうが、身元確認もせずに、遺体が勝手に火葬されていることに反発する欧米人たち。「葬式」と言えば「火葬」することが、何ら違和感を覚えない人たちと、「葬式」と言えば「土葬」が中心の人たちとの感覚のズレも描かれていました。

自然災害ではあっても、避難指示がなかったのは人災でもあり、娘が行方不明になった父親は、イギリス大使館員を責めます。誰かを責めるしか、自分の心を落ち着かせる方法がないといった感じです。被災者たちの心の混乱を、この父親が代弁しているようでした。

しかも、この責め合いは、夫婦にまで及びます。津波に飲み込まれたとき、父親は濁流の強さに耐え切れず、娘の手を離してしまったのでした。だから行方不明になったのだと、妻は夫を責めるのです。しかし、夫は言います。「そのとき君は、ダイビングへ行っていて、現場にさえいなかったではないか」と妻を責めます。結局、責め合ってもしかたないことに、ふたりは気がつきます。

俺は、また2002年の、バリ島の爆弾テロの現場を思い出してしまいました。人々の混乱は、実際ドラマと同じような狂気を伴っています。突然の悲劇は、人を狂わせます。俺も、こんな状況になったら、どうなるか、耐えられるのか、まったく自信がありません。


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2008/12/14

富田和明 冬の詩2008 門天和太鼓ライブ

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友人の和太鼓奏者、富田和明さんの『冬打、宇宙(そら)打、太鼓打!』という和太鼓ライブがありました。

富田さんと中国で出会った話は、以前の記事で触れているので省略します。「和太鼓奏者、富田和明参上! (1) 富田さんとは中国で出会った(2007/09/21)」

今回も、内容の濃い、充実の2時間。腹に響く和太鼓の音、いいですね。心の奥底から沸き起こってくるようなエネルギーを感じます。

「下駄を履いてのタップ」というのが意外性があって面白い。(写真 中) しかも、太鼓もたたくんですから。富田さんらしい、ちょっとコミカルな要素も健在でした。

また公演などありますので、興味のある方は、富田さんのホームページでどうぞ。

Ya_2電網・打組


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2008/12/12

2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (4) カラチ郊外の農村で泊まった民家

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081212_2
昔、パキスタンの南部、カラチに行ったとき、町の食堂で知り合った青年たちに誘われて、彼らの家へいったことがあります。

当時は、外国人を誘拐する事件はあまりなかったので(誘拐ではなく、強盗殺人はあった)、ある程度注意していれば、危険な目には遭わなかったのです。

俺が、こいつは信用できるかどうかを判断する基準としていたのは、まず、「英語や日本語(外国語)をしゃべらない」ということと「向こうから声を掛けてきたのではない」という条件でした。そういう人たちの誘いには、喜んでついていったのでした。

このときも、英語はほとんどしゃべらなかったし、外国人が行くような地区の食堂ではなかったので、一緒に行っても大丈夫だと思いました。(片言のウルドゥー語と英単語だけでなんとかなりました)

実際、彼らの村では、大歓迎され、たいへん面白い体験をすることができました。

夕食後、電気のない暗い民家では早めに寝てしまうのですが、俺は、ある部屋のベッドを貸してもらいました。手探りで連れて行かれて、服を着たままそのベッドに横になりました。懐中電灯もなく、部屋の中がどんな様子なのかさっぱりわかりませんでした。

夜中、変な音で目が覚めました。なにか、水を捨てているような音がしたのです。しかも、けっこう近くから聞こえてきました。それでも、俺は疲れていたのか、すぐにまた眠ってしまいました。

そして朝、明るくなったころ起きて、びっくりしたのです。

なんと、俺の隣には、牛がいたのでした。その部屋は、家畜小屋というのではないのでしょうが、田舎の農村の家なので、お客さんを泊める部屋は、ここくらいしかなかったのでしょう。俺は一晩牛と寝ていたことを知りました。つまり、夜中の音は、牛がオシッコを垂れ流していた音だったのです。

朝食には、牛乳が出されましたが、水っぽい味でした。そういえば、この乳は、いっしょに寝ていたあの牛の乳? 味はともかく、夜中の小便の音が耳から離れず、この牛乳をあまりおいしく飲めなかったのは残念でした。

Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (3) チベット高原のヤク」 (2008/12/11)

Ya_2「トンパ文字」(雲南館)


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2008/12/11

2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (3) チベット高原のヤク

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■牛(■は、牛へんに毛)とは、チベット高原のヤク牛のこと。チベット族にとって、ヤクはなくてはならない家畜です。

草原を歩いていると、牧畜民のテントのそばに、活発に走り回っている黒っぽい動物。あれは・・・。てっきりチベット犬かな?と、顔が青ざめ、立ち止まってしまいます。犬に何度か噛まれているので、ほんとに怖いんです。

ところが、その動物は、ヤクの子どもなんですね。それがわかって一安心。

ヤクの子どもを遠くから見ると、犬に見えるのは、あの活発な動き方が、どうしても大人のヤクの、どっしりとした動きから想像しづらいからです。身軽なんですよ、子どものヤクは。それと、俺が犬に敏感だからなのは言うまでもありません。

毛は(毛牛というくらいだから毛が長い)、チベット族牧畜民のテントやロープの材料に、乳は各種乳製品に、肉はもちろん食料に、糞は木がない高原では貴重な燃料になります。ヤクを利用することで、厳しい環境にも適応してきました。

牧畜民のところで食事をごちそうになると、かならずヤクの干し肉が出ましたが、これが、想像通り堅い。大きな塊を、ナイフで小さく切りながら食べるのですが、なかなか噛み砕くのに時間がかかります。だから、顎が丈夫になり、唾液も良く出て、体には良いような気がしますが。

ヤクのヨーグルトには、あたりはずれがあります。ほんとにおいしいものは、どんぶり2杯も食べましたが、たまに、独特の匂いのするものもあります。新鮮さの違いかもしれません。

Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (2) マダガスカルのゼブ牛」 (2008/11/30)

Ya_2「トンパ文字」(雲南館)


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2008/12/10

2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (2) マダガスカルのゼブ牛

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マダガスカルの中央高地、アンバラヴァウ郊外では、水曜、木曜の午前中を中心にゼブ牛を売買する市「ゼブ・マーケット」が開かれます。マダガスカル第二の規模だそうです。

ところで、アジアを旅していて、牛に襲われたという話を聞いたことはありません。メコンの水牛だろうが、チベットのヤクだろうが、というものは、おとなしい動物だというイメージが焼きついています。闘牛を別として。 

ところが、この感覚で、マダガスカルのゼブ牛に接するのは時に危険です。俺たちが、ある農家に立ち寄ったとき、ちょうど牛車から牛をはずしているところでしたが、「危険だから近づくな」と注意されたことがあります。

実際、ゼブ牛は、気性が荒く、暴れていました。「かわいい~」などと言って近づいたら大ケガをしそうです。もし、マダガスカルへ行かれる方は、注意してください。

ネパールへ行ったときは、「バフ・テキ」を食べました。「バッファロー(水牛)・ステーキ」のことですね。マダガスカルでも、ゼブ牛の肉料理はもちろんあります。「ゼブ・テキ」とは言わなかったようですが、アゴを丈夫にできるくらいの、程よい硬さのステーキを食べることができます。

アンチラベ郊外で食べた、ゼブ牛のタンの煮込み料理はうまかったですよ。(昨日触れたアニマル・ライツの信奉者からは怒られてしまうんでしょうねぇ)


Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (1) 貴州省の闘牛」 (2008/11/30)

Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (3) チベット高原のヤク」(2008/12/11)

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2008/12/09

「チロちゃん」の復讐をした小泉容疑者と、カラスに餌やりをする夫婦

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元厚生次官と家族を襲った小泉容疑者が、犯行の動機としてあげたのは、「34年前に保健所で処分された犬の敵を討ちたかった」でした。それを聞いて、たいていの人は、「嘘だ! きっと、裏には別な動機があるはずだ」と思ったに違いありません。マスコミも、厚生省を狙った連続テロだと大騒ぎしたくらいですから。

俺も最初テロだと思いました。嘘をつくにしても、もうちょっとマシな嘘をつけばといいたいくらいでした。それだけ不自然(理解不能)だったのです。

ところが、調べていけばいくほど、どうやら、ほんとに愛犬「チロちゃん」の復讐らしいということが分かりました。10代のころから厚生大臣を標的に復讐を考えていたと言います。(もっとも、まだはっきりした事実関係はわかってないので、やたらなことは言えませんが)

この件に関して、ある知人から、こんな話を聞きました。欧米では「アニマル・ライツ」(動物の権利)というものを錦の御旗にして、過激な行動を取る人たちもいるらしいというのです。

彼らの過激な主張によると、「動物を殺した人間は、殺されてもしかたない」ということらしいのです。その思想からすると、小泉容疑者の犯行が理解できると。(「理解できる」とは、もちろん「同情できる」という意味ではありません。念のため)

「動物の権利(アニマル・ライツ、animal rights)とは、動物には人間から搾取されたり残虐な扱いを受けることなく、それぞれの動物の本性に従って生きる権利があるとする考え方である。・・・中略・・・動物を搾取し苦しめる行為を全面的に廃止するべきだと訴え、人々にベジタリアニズムの実践を呼びかけている。」(Wiki「動物の権利」参照

小泉容疑者が、ベジタリアンにまで「到達」していたかはわかりませんが。

ところで昨日、テレビのニュース番組で、東京都内に住む夫婦が、カラスに餌やりを続けて、周辺住民が迷惑しているという報道がありました。

レポーターが、その夫婦にしつこく食いさがってインタビューしたのを聞いて、彼らも、「アニマル・ライツ」の思想のもと行動しているのではないか、と最初思いました。でも、話を聞くうち、そんな思想はなさそうです。単なるカラス好きが、動物保護の仮面をかぶっているというだけかもしれません。

「知能があるカラスが駆除されるのは悪いことだ。カラスには生存権があり、自分たちが餌やりを続けないと、彼らが困る」といったようなことを主張しました。

彼ら夫婦がカラスを救っているというのは、まったく彼らのうぬぼれにすぎないですが、それを大目に見ても、彼らの主張を受け入れることはできません。

「カラスに生存権がある」とか、「動物に生きる権利がある」という彼らの主張は、この一点については正しいでしょう。もちろんそうかもしれません。(「動物」とは何かをまず考えなくてはなりませんが) ただ、バランスが悪いということで、彼ら夫婦の主張は受け入れられません。

人間の生存権、生活権を犯してまで主張するカラスの生存権とはなんでしょか? この考え方のバランスの悪さは、例の、環境保護の過激派、「しー・しぇぱーど」と似た匂いを感じます。まぁ、もっとも、「しー・しぇぱーど」は、環境保護団体の仮面をかぶった、パフォーマーにすぎないと思っていますが。

独善的な考え方ほど、迷惑なことはありません。

カラスが好きなのは、夫婦の勝手。それはいいです、どうでも。レポーターが、「カラスに餌やりがいいなら、鳩はどうですか?」と聞いたら、「鳩については知りません」との答え。鳩には関心がないんですね。このあたりも勝手です。たぶん、カラスは守るべき動物で、鳩はどうでもいい動物という考え方も、彼らの頭の中には何か納得できる勝手な理屈があるのでしょう。俺には理解不能ですが。

小泉容疑者も、たしかに「チロちゃん」はかわいかったのでしょう。ペットが年間何万頭も処分されるということも悲劇でしょう。でも、犬やカラスの生存権だけを、異常に大きく持ち上げて、だから、「犬を殺した人間は殺されてもかまわない」とか、「カラス以外の生き物は迷惑してもいい」という考えには、やっぱり矛盾を感じます。


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2008/12/08

城峯山の展望台から (2) 秩父の山々と城峯神社

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笠山のあたりから日が昇ると、西側の山々を照らします。

岩肌が荒々しい印象を与える両神山(写真左上)がひときわ目立ちます。その周辺には奥秩父の山々が連なり、山頂部から、だんだん日が当たっていきます。

写真の右下に見える建物は、城峯神社と、隣接するキャンプ場の施設です。社殿は立派で、平将門の伝説を伝えています。


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2008/12/06

城峯山の展望台から (1) 笠山と朝日

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秩父夜祭をあとにして、吉田の道の駅、龍勢会館へ向かいました。2週間ほど前、1度登っていますが、翌朝、また城峯山の展望台に登るつもりで、龍勢会館で車中泊。

朝5時に出て、展望台に立ったのが、日の出前の6時15分ころ。

6時40分、シルエットになった笠山の隣から朝日が昇りました。前回は、あまりにも空気が澄んでいて雲もなく、太陽は顔を出したとたん、強烈な光を放ったのですが、今回は、うっすらと靄もかかっていたので、朝日を直視することができました。

南には、武川岳、武甲山、大持山、南西には、雁坂嶺、破風山、木賊山、三宝山、両神山など、西の一番奥の方、御座山の後ろには雪をかぶった八ヶ岳。

累々と連なる山。あらためて秩父は山に囲まれているのが手に取るようにわかりました。まだ紅葉も残っていてスゴイ風景です。


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2008/12/05

秩父夜祭 (2) 笠鉾と屋台の行列

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日もとっぷりと暮れ、暗くなると、ますます夜祭りの熱気を感じてきます。

午後7時ころ、秩父神社から1kmはなれた御旅所に向けて、6台の笠鉾と屋台の行列が出発します。

昼の屋台・笠鉾も色彩鮮やかで、「非日常」を演出するに十分ですが、夜、ちょうちんの明りで飾られた屋台・笠鉾は、黄泉の世界に迷い込んだような雰囲気があります。祭りの本来の姿は、やっぱり「夜」なのかもしれません。

沿道には、たくさんの見物人。交差点にさしかかり、屋台を90度に回転させるのは、見せ場のひとつです。男たちは長い棒で、てこの原理を使って屋台の片側を持ち上げ、回転させます。屋台がギシギシときしむ音が響きます。

無事に回転が済むと、「すごい! すごい!」と拍手が沸き起こり、大興奮でした。

花火も打ち上げられて、秩父市全体が、幻想的な光の世界になるのでした。


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2008/12/04

秩父夜祭 (1) 「屋台曳き踊り」と「屋台芝居(歌舞伎)」

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秩父夜祭にいってきました。

2日(宵宮)、3日(大祭)と続きましたが、今回は、大祭だけ。

3日の11時半ころ秩父市内に着き、交通規制を迂回して、町の西側に位置する花の木小グラウンドの臨時駐車場にスペースを見つけたので車を停めました。

市内のメインストリートへ行くと、ある屋台の会所前で、無料の甘酒が振舞われていたので、ごちそうになりました。まだ、このあたりは閑散としています。

東京電力前まで行くと、人だかり。屋台曳き踊りをやっていました。豪華絢爛な屋台が、会所前や辻に止まり、長唄にあわせて踊ります。

見物人が多くて、時々人の流れが止まります。先を読んで(予想して)移動しないと、身動きが取れなくなりそうです。特に夜の部は。

秩父神社境内では、昼12:30から、屋台芝居(歌舞伎)が行われました。『白浪五人男』では、子どもたちの熱演に拍手喝さい。たくさんのおひねりが舞いました。

天気がよくて、寒いことを予想して冬装備をしてきたのが、まったくの無駄。写真を撮るために、あっちへ移動、こっちへ歩いていると暑いくらいでした。

4時ころ、いったん車に戻り、夜の部を待ちます。

(つづく)


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2008/12/03

その男は「監視カメラあって、オヤジひとり刺せないや」と言った

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「・・・オヤジ・・・」

オヤジ? 俺のことか?

隣に座った30歳くらいの男がぶつぶつつぶやいているのは気がついていましたが、そのうち、何度か「オヤジ」という言葉が耳につくようになりました。

最初は、単なる独り言だろうと思っていたのですが、「オヤジ、こんなところで新聞読むんじゃねぇよ」と言ったのを聞いて、もしかしたら、「オヤジ」とは俺のことかとようやく気がついたのでした。

何の話かというと、このまえ栃木県に取材に行く朝、東京駅から編集者が乗ってくる新幹線を待って、あるファーストフード店で時間をつぶそうと、キオスクで新聞を買って入ったのでした。

席はいっぱいで、2階の一角、3席あるところの、真ん中の席しか空いてないので、そこに入ったわけですが、すでに座っていたのが、左側には、30歳くらいの痩せ型の男(男Aとします)と、右側には、高校生らしいカップルでした。俺はその間に座ったのです。

そのカップルは、けっこう声がでかく、しかも、周りの人たちが赤面するような会話をしていたのでした。

「昨日はよく眠れなくて、朝も5時ころ起きちゃったよ」
「どうして?」
「君と会えるのが嬉しくて」

こんな会話です。なので、男Aが、「うるせえなぁ」とつぶやいたとき、俺も、そうだそうだと男Aに内心同意したのです。男Aは、俺が来る前から、かなりいらだっていたようです。

ところが、このカップルたちが、席を立っていなくなると、最初に書いたように、「オヤジ」という言葉が聞こえてきたのです。

そのうち、「オヤジ」とは、俺のことを指しているのはわかったのですが、俺は聞こえないふりをしていました。ところが、男Aは、俺に離れてほしいのか(それなら自分が席を移ればいいだけですが)、俺の方に向き直り、背もたれをどんどんとたたき始めたのでした。

この時点で、こいつは危ないな、とは思ったのですが、なんだかここで移動するのも癪に障るので、無視していました。

すると、男は、こういうことを言い始めたのです。

「どこにも監視カメラあって、オヤジひとり刺せないや」
「オヤジひとり刺しても死刑にはならんだろ」

男Aの言葉は明らかに俺に対する脅しであるのはわかりました。でも、俺はかたくなに席を立ちませんでした。口先だけだと思ったし、だいたいにしてほんとに危ない人は、こんな脅しをすっ飛ばして、即、刺してしまうだろうと思ったからです。「吠える犬は咬まない」といいます。右上を見たら、実際男Aの言うとおり、監視カメラも付いていて、男Aはそれを意識しているし、絶対口先だけだと確信しました。

ふしぎと俺は冷静でした。でも、このときは、まだ独り言を装っていたわけで、直接俺に話しかけているわけではありません。だから聞こえないふりをしていればよかったのですが、直接話しかけてきたらどうしようと思ったのです。

そのときは、日本語が分からない外国人のふりをしようか。以前、ある男に絡まれたとき、この手で難を逃れたことが実際あったからです。この手だ。

でも、考えてみれば、日本語の新聞を堂々と広げて「ニホンゴ、ワカリマセン」というのは、ムチャだなと、気がつきました。じゃぁ、どうしよう・・・。

しかし、俺がこれ見よがしに、新聞をなおさら大きく広げたとき(ちょっと挑発してみました)、「こんなオヤジに付き合ってられねぇよ」と捨て台詞を吐いて、席を立ち、何事もなかったかのように1階へと消えていったのでした。

自分でも緊張していたのでしょう。ホッと、ため息が出ました。怖いと思ったらホントに怖くなるので、その怖いという感情を、自分にも嘘をついて隠していたんだなぁと、そのとき分かりました。男Aが立ち去って、初めて怖さが沸いてきたのでした。

男Aは、30歳くらい、ニット帽のようなものをかぶった痩せ型の男。身なりはきちんとしていて、全体的に青っぽい服を着ていました。一見、普通の青年です。凶暴な顔をしていたわけではありません。「休憩にならないんだよなぁ」と言っていたところをみると、仕事の休み時間だったかもしれません。あるいは、朝8時なので、夜勤明けだったかも。

普通だからこそ、怖いのです。最初から怖い人なら、さすがの俺も近づきません。

男Aが放っているのは、不満のオーラでした。不満をぶつける対象はだれでもいい。それをひしひしと感じました。最近は、誰でもいいから刺した、といった通り魔的な犯罪が多発していますが、まさに、こういった男が予備軍なのかもしれません。

別に、俺は男Aに対して、ひどいことをやったわけでもないし(気がついていないのかもしれませんが)、男Aよりも、裕福そうにも見えないはずです。

隣に人がいるというだけで不快だったのでしょうか。男Aは、俺をひとりの人間として見ているのではなく、「世間」あるいは「オヤジ」という、わかるようでわからない、今、社会にはびこる匿名性と対をなすような、漠然とした「もの」として俺を見ていたのかもしれません。

「敵対するもの」として「世間」あるいは「オヤジ」というレッテルを貼ってしまい、あとは考えない、興味を持たないという、融通のなさ、想像力のなさ、そんなことも感じます。

ここから、「刺すのは誰でもよかった」という発想が生まれるのは必然でしょう。でも、誰でもよかったのは、刺される被害者だけではなくて、刺す犯人自身、誰でもいいのかもしれません。男Aが刺さないなら、女Bが刺してもおかしくないような、社会全体が不満の塊に化しているのではないか、男Aとの遭遇で、そんなことを思った土曜日の朝でした。

男Aが去って、ふと、周りを見渡せば、天気も良く、うららかな休日を楽しもうという人たちが歩いている日常の光景が目の前に広がっていました。

このギャップはなんなんだろう・・・。


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2008/12/02

茨城県大子町 (2) 赤い丸型ポスト

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大子町を歩いていると、郵便ポストが目に付きます。駅前、商店街など、3ヶ所で見ました。(あとで調べたら、大子には、7つの丸型ポストが健在だそうです)

今では珍しくなった丸型ポスト。正式名称は「郵便差出箱1号丸型」。

レトロなデザインのポストは、大子の町並みによく合っていました。


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2008/12/01

茨城県大子町 (1) 袋田の滝

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栃木と茨城に取材で行ってきました。

茨城県大子町には有名な袋田の滝があります。日本三名瀑のひとつで、高さ120m、幅73mの大きさを誇ります。

日中は混雑するだろうからと、編集者とふたり、午前8時ころ駅前の旅館を出て、、袋田の滝に向かいましたが、すでにたくさんの観光客が歩いていました。観瀑トンネル通行料(個人客)は300円です。

周りの木々の葉はほとんど落ちていますが、まだ若干紅葉を見ることができました。

4年ほど前、ここに来たことがあります。そのときはなかったエレベーターで昇る新観瀑台ができていました。これができたおかげで、観光客はますます増えたようです。

新観瀑台に立ったとき、霧で滝が見えなかったのですが、1、2分して、突然霧が晴れて、4段に流れる滝の全体が姿を現しました。


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