「生きた証し残すため」 チロちゃんの敵を討った小泉容疑者の供述から
「生きた証し残すため」小泉容疑者が供述…強い自己顕示欲
「小泉毅容疑者(46)(さいたま市)が、埼玉県警と警視庁の合同捜査本部に、動機を「生きた証しを残したかった」と供述していることが、わかった。「自分は社会から孤立した存在だった」とも話しており、捜査本部は、孤立感を背景に「社会の注目を集めたい」との願望を膨らませ、事件を起こした可能性もあるとみている。」
( Yahooニュースより)
社会から孤立していると感じる人は多いと思います。今の時代だから? いや、いつの時代でもかな。俺だってそういうことを感じるときはあるし、たいていの人は大なり小なり感じているのではないでしょうか。
でも、だからといって、無差別に他人を(小泉容疑者の場合は、特定の人間でしたが)殺してしまうのは、特別な(極端な)人間でしょう。
例の、秋葉原の通り魔事件の犯人も「社会からの孤立感」をあげていました。彼も、「殺人」という行動を起こしてしまったところが、特別なのです。
縁もゆかりもない赤の他人から、しかも、まったくの自己中心的動機によって殺された被害者は、たまったものではありません。無念だったでしょう。彼らが社会と繋がるための道具として殺されたとあれば、なおさらです。
でも、「小泉容疑者たちは特別」と書きましたが、反対のことも思っています。つまり、彼らはぜんぜん特別ではなくて、環境によって、みんながこうなる「予備軍」でもあるのではないかと。
社会と繋がるために、犯罪を犯す。一見矛盾しています。人に迷惑をかけることによって、いや、迷惑をかけることによってしか、繋がることができない、というわけですから。現実に、こういう人はいます。みんながみんな、「好まれること」だけして、社会と繋がってはいないのです。みんながみんな、「正しいこと」をして繋がっているわけではありません。
だから、犯罪を犯すようなエネルギー(あるいは、頭脳)があったら、もっと建設的なことにエネルギー(頭脳)を使えばいい、などと、分かったようなことを言う評論家がいますが、「人間はみんな、建設的なことをして幸せ(充実感)を感じるものだ」と思い込んでいるとしたら、間違っています。
理想的には(何が理想か?と聞かれると、困りますが)、みんな「いい人」で、建設的で、迷惑をかけず、善良で、なんて・・・。ありえません。小泉容疑者のように、「生きた証し残すため」といって犯罪を犯す人が、絶対いるんだという前提で考えなければ。自己防衛の方法を考えるとか、そういう人と出会う確率を減らす努力をするとか。
俺もそうです。「予備軍」かもしれません。犯罪を犯しながら生きているわけではありませんが、人に言えないことや、恥ずかしいことや、悪いことや、人が嫌がることも、時々しながら暮らしています。自分の行動すべて、人に自慢できるなどという人は、いないのではないでしょうか。しかも、その「悪事」こそが、「生きる」実感を与えている場合も多いことに気がつくでしょう?
「私は(僕は)そんなことない」と思ってる貴方。本当ですか? まぁ、理解はできませんが、そういう人もいるんだろうなぁと言っておきます。
そういえば、小学校のころ、同級生に好きな女の子がいると、やたらと意地悪をするやつがいました。好きな子の注目を引きたいのです。ただ、悲しいかな、そいつは、好きな子に素直に優しく接することができなくて、反対のことをしてしまうのです。スカートめくりをしてしまったり、いじめたり・・・。意地悪をすることで、「好きだよ」と訴えているのです。
でも、女の子にしてみたら、そういう意地悪が迷惑なだけで、あまりいい結果を生むことはありません。ますます嫌いになります。そいつも、そんなことは十分わかっているのです。意地悪ばかりしていたら、嫌われることを。でも、やらざるをえない。そうやるしか、女の子とのコミュニケーションが取れない。悲しいですが、こういう性質の人がいるのは現実。
この「やつ」というのは、俺も含むのかな? さぁ、どうでしょうか。でも、彼らのように、一線を越すことだけはないようにせねばと思っています。
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