その男は「監視カメラあって、オヤジひとり刺せないや」と言った
「・・・オヤジ・・・」
オヤジ? 俺のことか?
隣に座った30歳くらいの男がぶつぶつつぶやいているのは気がついていましたが、そのうち、何度か「オヤジ」という言葉が耳につくようになりました。
最初は、単なる独り言だろうと思っていたのですが、「オヤジ、こんなところで新聞読むんじゃねぇよ」と言ったのを聞いて、もしかしたら、「オヤジ」とは俺のことかとようやく気がついたのでした。
何の話かというと、このまえ栃木県に取材に行く朝、東京駅から編集者が乗ってくる新幹線を待って、あるファーストフード店で時間をつぶそうと、キオスクで新聞を買って入ったのでした。
席はいっぱいで、2階の一角、3席あるところの、真ん中の席しか空いてないので、そこに入ったわけですが、すでに座っていたのが、左側には、30歳くらいの痩せ型の男(男Aとします)と、右側には、高校生らしいカップルでした。俺はその間に座ったのです。
そのカップルは、けっこう声がでかく、しかも、周りの人たちが赤面するような会話をしていたのでした。
「昨日はよく眠れなくて、朝も5時ころ起きちゃったよ」
「どうして?」
「君と会えるのが嬉しくて」
こんな会話です。なので、男Aが、「うるせえなぁ」とつぶやいたとき、俺も、そうだそうだと男Aに内心同意したのです。男Aは、俺が来る前から、かなりいらだっていたようです。
ところが、このカップルたちが、席を立っていなくなると、最初に書いたように、「オヤジ」という言葉が聞こえてきたのです。
そのうち、「オヤジ」とは、俺のことを指しているのはわかったのですが、俺は聞こえないふりをしていました。ところが、男Aは、俺に離れてほしいのか(それなら自分が席を移ればいいだけですが)、俺の方に向き直り、背もたれをどんどんとたたき始めたのでした。
この時点で、こいつは危ないな、とは思ったのですが、なんだかここで移動するのも癪に障るので、無視していました。
すると、男は、こういうことを言い始めたのです。
「どこにも監視カメラあって、オヤジひとり刺せないや」
「オヤジひとり刺しても死刑にはならんだろ」
男Aの言葉は明らかに俺に対する脅しであるのはわかりました。でも、俺はかたくなに席を立ちませんでした。口先だけだと思ったし、だいたいにしてほんとに危ない人は、こんな脅しをすっ飛ばして、即、刺してしまうだろうと思ったからです。「吠える犬は咬まない」といいます。右上を見たら、実際男Aの言うとおり、監視カメラも付いていて、男Aはそれを意識しているし、絶対口先だけだと確信しました。
ふしぎと俺は冷静でした。でも、このときは、まだ独り言を装っていたわけで、直接俺に話しかけているわけではありません。だから聞こえないふりをしていればよかったのですが、直接話しかけてきたらどうしようと思ったのです。
そのときは、日本語が分からない外国人のふりをしようか。以前、ある男に絡まれたとき、この手で難を逃れたことが実際あったからです。この手だ。
でも、考えてみれば、日本語の新聞を堂々と広げて「ニホンゴ、ワカリマセン」というのは、ムチャだなと、気がつきました。じゃぁ、どうしよう・・・。
しかし、俺がこれ見よがしに、新聞をなおさら大きく広げたとき(ちょっと挑発してみました)、「こんなオヤジに付き合ってられねぇよ」と捨て台詞を吐いて、席を立ち、何事もなかったかのように1階へと消えていったのでした。
自分でも緊張していたのでしょう。ホッと、ため息が出ました。怖いと思ったらホントに怖くなるので、その怖いという感情を、自分にも嘘をついて隠していたんだなぁと、そのとき分かりました。男Aが立ち去って、初めて怖さが沸いてきたのでした。
男Aは、30歳くらい、ニット帽のようなものをかぶった痩せ型の男。身なりはきちんとしていて、全体的に青っぽい服を着ていました。一見、普通の青年です。凶暴な顔をしていたわけではありません。「休憩にならないんだよなぁ」と言っていたところをみると、仕事の休み時間だったかもしれません。あるいは、朝8時なので、夜勤明けだったかも。
普通だからこそ、怖いのです。最初から怖い人なら、さすがの俺も近づきません。
男Aが放っているのは、不満のオーラでした。不満をぶつける対象はだれでもいい。それをひしひしと感じました。最近は、誰でもいいから刺した、といった通り魔的な犯罪が多発していますが、まさに、こういった男が予備軍なのかもしれません。
別に、俺は男Aに対して、ひどいことをやったわけでもないし(気がついていないのかもしれませんが)、男Aよりも、裕福そうにも見えないはずです。
隣に人がいるというだけで不快だったのでしょうか。男Aは、俺をひとりの人間として見ているのではなく、「世間」あるいは「オヤジ」という、わかるようでわからない、今、社会にはびこる匿名性と対をなすような、漠然とした「もの」として俺を見ていたのかもしれません。
「敵対するもの」として「世間」あるいは「オヤジ」というレッテルを貼ってしまい、あとは考えない、興味を持たないという、融通のなさ、想像力のなさ、そんなことも感じます。
ここから、「刺すのは誰でもよかった」という発想が生まれるのは必然でしょう。でも、誰でもよかったのは、刺される被害者だけではなくて、刺す犯人自身、誰でもいいのかもしれません。男Aが刺さないなら、女Bが刺してもおかしくないような、社会全体が不満の塊に化しているのではないか、男Aとの遭遇で、そんなことを思った土曜日の朝でした。
男Aが去って、ふと、周りを見渡せば、天気も良く、うららかな休日を楽しもうという人たちが歩いている日常の光景が目の前に広がっていました。
このギャップはなんなんだろう・・・。
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コメント
sasumataさん(tumaranaioyaziさんかな?)
こんな、「ツマラナイおやじ」が書いたくだらない記事を「まじめに」読んでいただき、また、コメントまでしていただき、ありがとうございます。
残念ながら、私は、素直でないもので、席を移動することはしませんでした。これからもしないと思います。
これからも、よろしくお願いいたします。
投稿: あおやぎ | 2008/12/25 00:00
先客の邪魔だったんだろうから、素直に席を移るべきだと思うのは俺だけか?
投稿: sasumata | 2008/12/24 15:26
sachi3155さま
昔から、旅をしていても、こういったトラブルは、けっこうありますね。
犬に噛まれたり、詐欺師にだまされたり、美人局に追いかけられたり、密売の片棒を担がされそうになったり、同性愛者に迫られたのは数限りなく。(特にヨーロッパ、中東で)
もしかしたら・・・
私は自分でトラブルを期待しているのではないかとさえ感じることがあります。
「トラベル」は「トラブル」とはよく言ったもので、何事もなく、スムーズに旅が進むところの方が、つまらないと思うようなところもあります。
投稿: あおやぎ | 2008/12/04 23:12
こんばんは♪本当にそこらに売っている小説よりあなた様のお話は非常に面白いです。怪しくPCの前で笑っている私も怪しいですよ(へへへ・・・)隣で主人は高いびきですが~日本も様変わりして来ましたね。何処で殺人がおきても、おかしくない世の中ですから。
投稿: sachi3155 | 2008/12/04 22:35