【ひとり会議 その十九】 年末ジャンボ宝くじ、当たるかなぁ
【ひとり会議 その十九】 年末ジャンボ宝くじ、当たるかなぁ
さぶじい: 今年も年末ジャンボ宝くじの時期ですな。
桃: 仙人のくせに、さぶじいも買ったのね。
ボゾルグ: 俺も買ったけど、当たることは期待してない。
桃: 私は、占いの本を見て、日を決めて買ったわ。今までたくさん当たりくじが出た売り場でね。
ビーノ: ボクは、何も考えずにテキトウに買っちゃった。
ボゾルグ: えらい、ビーノ。宝くじのようなものは、考えるとダメなんだよ。ビギナーズ・ラック(初心者の幸運)ということがあるし。
ビーノ: どうして? みんな寒い中、長い時間並んででも、当たる売り場で買おうとしてるじゃない。やっぱり当たる売り場で買うと、当たりやすいんじゃないの。
ボゾルグ: そんなことないよ。前回当たりくじが出たといって、みんながその売り場に殺到すると、結果的に売り上げ枚数が増えるから、当然その中に今回も当たりくじが含まれる確率が高くなる。だけど、その「売り場の確率」は、たしかに高くなるけど、一枚一枚の確率は、まったく変わらない。そこで買うと、当たる確率が高くなるように感じるのは、勘違いじゃない? 売り場で当たりくじが出る確率と、宝くじ一枚が当たる確率とは違うと思うよ。
ビーノ: そうなんだぁ。それを聞いちゃうと、あんな寒空で、長時間並んで買っている人間て、悲しくみえてしまうよ。
桃: じゃぁ、どこで、いつ買っても同じだというの?
ボゾルグ: 同じかどうかはわからない。
桃: どういうこと?
ボゾルグ: いや、俺が言いいたいのは、確率じゃないんだよね。確率だけの話なら、ひたすら枚数を多く買う。それで「俺が当たる確率」は高くなる。
さぶじい: たしかに。全部買ったら、100パーセントの確率。必ず当たる。
桃: 現実問題、それは不可能ね。
ボゾルグ: 俺が言ってるのは、宝くじの一枚ごとの当たる確率は同じだけど、占いや、お呪いと同じで、気持ちの問題があるってことだよ。「当たる」と信じるところで買ったほうが、気分がいいということ。げんを担いで、毎年同じところで買ったり、ある数字を買ったりして、気持ちを落ち着かせる。そのことと、当たる確率は違うってこと。
桃: でも、巷では、ここで買ったほうがいいとか、何日の何時に買ったほうがいいと、言ってる人もいるよね。
ボゾルグ: じゃぁ、聞くけど、みんなが「当たる」と言われる売り場で、何日の何時に買ったとするね? 結果はどう? 全員が当たるはずないじゃない。そもそも、そいういうことをホントに信じているなら、他人に教えると思う? 俺だったら、教えないよ。人に教えるってことは、自分が当たらなくなる確率を増やすってことだからさ。大きな矛盾。
桃: なんだかボゾルグ、占いや、げんを担いで買っても無駄だって言ってるみたい。
ボゾルグ: いや、反対だよ。
ビーノ: ボゾルグは、他人が、占いを信じたり、げんを担いで当たるのを知るのが、いやなんだよ。ね? ほんとは、自分も信じたいから。
ボゾルグ: 鋭いなぁ、ビーノは。ちょっと当たってる。俺は占いを信じたくない、と言うより、「どこで買っても、いつ買っても宝くじ一枚あたりの確率は同じ」という前提がなければ成り立たないと思っているんだよ、宝くじって。当選番号は、まったくの偶然に決まり、誰かが予想したりできるものではないし、また、そうでないからこそ、みんなに平等な宝くじを楽しめるってことだろ? 誰か特別な人たちだけが、当たりを独占できるとしたら、もうすでに、宝くじなんか、なくなっていたよ。ビギナーズ・ラックというのがあるよね。何も知らず、考えずに買ったほうが当たるというのは、意外と、「科学」かもよ。確率から言えば。それは、どこで買っても同じだということの証明じゃないかなって思うんだけど。あえて、人間の「意思」が働かないほうが、ちゃんと当たるという・・・。
さぶじい: ビギナーズ・ラックというのは、何の分野でも聞きますなぁ。
桃: けっきょく、みんなの自由でしょ?
ボゾルグ: そうとも。だから、言ったじゃない? 気持ちの問題だって。そもそも、宝くじは、「夢を買う」とも言うよね。つまり、たいていの人は、外れることも覚悟して買ってるわけ。でも、もしかしたら、当たるかもしれないという夢を見れるわけでしょ。3億円当たったら何をしようかな?なんて、楽しいじゃないか。
ビーノ: ボクなら、ペディグリーチャムじゃなくて、サイエンスダイエットのご飯をお腹いっぱい食べたいな。
さぶじい: 私は、若い天女たちに囲まれて、酒池肉林ざんまいで暮らしたいですな。
桃: さぶじいったら。ほんとにしょうがない。仙人らしからぬ夢ね。さぶじいには、宝くじ、当たらないほうがいいわね。
さぶじい: 桃さんのおっしゃるとおりですな。当たったら、人生、狂ってしまいそうです。しかし、夢を見るのは楽しいものです。宝くじは、単純に「当たる」確率だけを求めるんじゃないということでしょうな。ボゾルグさんのおっしゃる通り、気持ちの問題でもあるのでしょう。一枚当たりの確率は同じですが、人は、「どこかに、確率の偏りはあるはずだ」とも思いたいんですな。だから、予想や占いを信じてみたくなる。そして、それが信じられれば、その売り場で、何日の何時に買えばいい。それはみんなの自由です。
桃: つまり、予想や占い、げんを担ぐのも、宝くじの一部なんだということね。
ボゾルグ: そういうことだよ。だから俺は、宝くじは平等であってほしいと思っているので、あえて、買う売り場にはこだわらないし、当たるとも思ってない。ただ、そう考えること自体、俺の意思は入っているので、ビギナーズ・ラックは、もう期待できないけどね。ただ、せっかくだから、当たった夢を見て楽しんでいるだけ。だから、何も考えずに買ったビーノは、偉いって言ったんだ。
桃: ところで、ビーノは、何枚買ったの?
ビーノ: 10枚。バラで。バラの方が、いろんな味が楽しめていいんだもの。
桃: ビーノ?
ビーノ: 桃、どうしたの? 宝くじって、インクが特別な匂いがするでしょ? 特に今年は、片岡鶴太郎さんの絵で、おいしいんだよね。それと、あの紙質。ワシャワシャ、噛みごたえがいい感じなんだ。
桃: ビーノの飼い主が、ビーノのウンチに数字が書いてあって不思議だなって言ってたけど、そういうことだったのね。
ボゾルグ: 偉いなんて言ったけど、撤回するよ。まったく。
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