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2009/01/30

中国正月「春節」の行事 (4) 貴州省鎮寧プイ族の「ガンピャオ」

090129
プイ族は元旦はどこへも出かけず、家族全員で餅つきしたり食事したりして過ごします。2日目からは親戚友人宅を訪ねたりします。若い人たちは若い人たちどうしで、道端や広場に集まって遊びます。「ガンピャオ」です。

未婚の男女が、春節や、一年に数回ある祭りや、週に一度の定期市の機会に集まって恋人を捜すのが「ガンピャオ」です。

夕方5時ぐらいになると、建物に挾まれて余り広くない場所に、何百人という若者が密集します。ほとんどが13才から16才くらいまでの少年少女でした。身動きできないほど混雑した中を、気に入った相手を捜して右往左往しています。

まるで何かのデモでも始まったような雰囲気。黒い髪の少年たちと、頭に青い綿布を巻いた少女たちが、塊になって入り交じり、時々うねるようにある方向に流れては、また押し戻されたりします。

凄まじいエネルギーです。あの中に交じっているだけで、オジサンは疲れてしまいそうですが、彼らはちゃんと目的を持っているので疲れたりはしないのでしょう。ここで捜した理想の異性は、やがて将来の伴侶となる可能性大なので、事は重大なのです。疲れるなどと泣きごとを言っている場合ではありません。自分を最大限にアピールして異性から気にいられなければならりません。

農村で結婚が遅いのはよほど事情がある人だけで、だいたいは男22才、女20才前後で皆結婚してしまうといいます。晩婚の人間は肩身の狭い思いをするのです。

男の子が気にいった女の子を見つけたら、人に頼んで自分の気持ちを伝えてもらいます。それでもし、相手の女の子が同意したら、交際が成立し、「ガンピャオ」の場所を離れて二人だけになります。

『中国小数民族風情録』という現地で買った本によると、このとき、お互い掛け合いの即興歌を歌い、どこの出身か、どんな人間かを知って、気持ちを深めていくと書いてありましたが、俺が見た範囲内では歌を歌っている若者は一組もいませんでした。歌は歌わずに、言葉で口説くのが今風なのかもしれないですね。

彼らは初々しい感じで、3メートルほどの間隔を置いて、お互い別々の方角を見ています。交際成立しても、すぐ手を握ったり肩を抱いたりはしないようです。あたりまえか?

とにかく、楽しそうな「ガンピャオ」です。


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2009/01/28

中国正月「春節」の行事 (3) 貴州省従江トン族の闘牛

090128
貴州省南東部にはトン族の人たちが住んでいますが、「鼓楼」と呼ぶ、独特の建築物で有名です。

釘を一本も使わず、天辺には太鼓がつるされ、昔は、見張台としても使われたようです。

朝もやに煙る肇興の町には、いくつか鼓楼が見えます。

郊外の村では、闘牛が行われました。普段はおとなしい牛ですが、闘牛の日は興奮した牛が、何人もの男に取り囲まれるようにして会場に引かれていきました。

闘牛もまた、中国南部、少数民族地帯の春節の風物詩です。


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2009/01/27

中国正月「春節」の行事 (2) 貴州省従江ミャオ族の「芦笙会」

090127
貴州省従江県郊外のミャオ族の村では、「芦笙会」が開かれていました。

何人もの男の吹く芦笙の音が共鳴して、地鳴りのような響きがします。

魂を揺さぶるような音楽。新年を祝うにはふさわしい音楽でした。


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2009/01/26

中国正月「春節」の行事 (1) 「花山節」へ向かうミャオ族

090126
今日は、一月一日(春節 中国正月)です。

雲南省の南部、金平県。

正月二日目以降に行われる行事「花山節」へ向かうミャオ族の人たちです。

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2009/01/24

【ひとり会議 その二十】 地球温暖化祭り?

090124
ボゾルグ: 去年はエコがブームになったね。今年も続くのかな。年が明けてからも、やたらと地球環境問題がテレビ、新聞、ラジオ、インターネットで取り上げられていることに対して、いちゃもんつけたら、また「KYな人」と言われてしまうのかなぁ。

ビーノ: だと思うよ。ボゾルグは、地球温暖化してないっていう意見だったよね。

ボゾルグ: そんなことないさ。温暖化してるかもしれないけど、「100パーセントはわからない」というだけだよ。

桃: ボゾルグは、疑り深いのよねぇ。

ボゾルグ: もちろん、地球環境問題についてみんなの関心が高まって、なんとかしなければと思うことは大切なことだと考えているよ。ただ、温暖化に関しては、CO2が「原因」なのではなくて、むしろ温暖化の「結果」としてCO2が増えるという研究もあるし、それどころか、温暖化ではなくて、寒冷化しているという発表まであるので、素人の俺たちには、ほんとうは何が正しいのか、正直分からないんだよ。俺は、わからないことは、わからないって言いたいだけ。それよりも、このお祭り騒ぎ、気になるんだよなぁ。

さぶじい: 急激な地球温暖化問題の盛り上がり方に、私も懸念を感じますな。そもそも、温暖化を含む地球環境問題は、すぐに解決するものはひとつとしてありません。被害者と加害者、敵と味方、といったものも見えずらい。だから、たぶん、何年もかかって、それこそ、「持続可能な」活動で、ようやく、何年後、何十年後かに、解決する問題なのではないかと思っています。

桃: 日本人の性格として、何か話題になると、みんながいっせいにそれに飛びつき、お祭騒ぎになり、お祭が過ぎると、何もなかったように無関心になるところがあるわね。

ボゾルグ: 俺の思い過ごし? それならいいんだけど。

さぶじい: 去年の洞爺湖サミット。洞爺湖サミットの直前は盛り上がりましたなぁ。終わったら、トーンダウンしたような気がします。やっぱり、政治との関係が深い・・・。

桃: 温暖化問題は、純粋に科学の問題だけではなくて、政治問題でもあると?

ビーノ: そんなら、ただ単に、地球が、温暖化してるかどうか、論争してる科学者はばかみたいだね。

桃: なんてこと言うの? ビーノったら。純粋に科学的な論争も重要なのよ。

さぶじい: やはり、環境問題というのは、政治問題でもありますなぁ。極端なことを言いますと、私は、地球が温暖化しているかどうかというのは、どっちでもいいのかなと思うときもあります。

ビーノ: どっちでもいい? どうして?

さぶじい: そもそも、この地球上に、人間が増えてしまった。その増えた人間を減らすことはできません。もちろん、増えないようにする努力はやっています。しかし、このままこの大勢の人間が、エネルギーを大量に消費し、地球環境を汚していったら、人類が破滅するのは明らかです。そうならないためには、やっぱり、低炭素社会は、あるべき姿かなとは思います。ただ、そうなると、今までの産業の構造では立ち行かなくなります。構造を変えねばなりません。仮に温暖化してなくても、変わらなくてはならないんです。

ビーノ: チェンジ! だね。

さぶじい: その全人類的な産業構造の変化と、思想の変化は、やはり、ある程度の衝撃がないと、前には進まないと思うのですがな。

桃: 多少の脅しも必要だってこと? このままでは、地球が温暖化し、大変なことになると。

さぶじい: そうです。温暖化という全人類的な危機感は、かっこうのきっかけなんだと思いますな。

桃: 利害が一致するんだわ。CO2を減らすことは。新しい産業構造を興し、自然エネルギーに関する雇用を作り出し、みんなを幸せにする、夢を与えるという政治の目的と。だから地球温暖化問題は、政治問題でもあると。たぶん、そうかもしれない・・・。

ビーノ: 自然エネルギー100パーセントの世界。クリーンな環境のバラ色の地球。なんて人間はロマンチックなの。たぶん、社会主義思想が生まれたときや、原子爆弾が発明されたときも、人間はバラ色の夢を見たんでしょ?

ボゾルグ: なんだか俺が言いたいことを、今回は、ビーノが言っちゃったかな。

さぶじい: でも、ビーノさん、ボゾルグさん。バラ色の未来を見せなくてはならないのが政治家の仕事ですからな。今できることは、それしかないと思います。たとえ、そのバラ色の世界の先に何が来るとしても。アメリカの新大統領オバマさんも、これからのアメリカの復興のカギは、グリーン・ニューディール政策だと言っています。良くも悪くも、アメリカが動けば、世界が動きますからな。ますます環境問題が、政治的になっていくでしょう。

桃: 自然エネルギー100パーセントの世界が実現したとき起こる新しい問題って、あるのかな?

ビーノ: やっぱり、ボクがにらんだとおり、なにか問題がある?

ボゾルグ: いや、まだわからないけど、何事にも、100パーセントいいことなんてないと思っているから。この前テレビで、ある科学者が、将来、自然エネルギーに100パーセント代わりますと、笑顔で予想してたけど、俺は、あの笑顔を見て、「怪しいな」と疑ってしまったよ。なぜって、一番良く知ってる科学者がだよ、100パーセント自然エネルギーになったとき、心配事が出てくるのは、当然でしょ? それなのに、「バラ色の世界」みたいなことしか言わない。しかも笑顔で。絶対、何かあると、俺は思ったね。

桃: ボゾルグは、ホント、疑り深いよ。


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2009/01/21

アメリカ新大統領 オバマ氏

090121
新大統領が誕生しました。

アメリカ人の熱狂ぶりが伝わってきます。

就任演説で、電気自動車や風力発電などの環境産業、グリーン・ニューディール政策を打ち出すといっていたようですが、アメリカもようやく気がつきましたか。

オバマ氏がどういうことをやろうとしているのか、でも、まだよくわかりません。とくに、日本との関係、アジアとの関係は、まだ未知数です。アメリカ人が喜ぶほど、楽観的に新大統領誕生を喜んでばかりはいれないかもしれません。とつぜん、某国と話し合いが付いてしまい、日本が置いてけぼりをくらうのではないか、という懸念がないではないらしいし。

ただ、「We (我々)」を多用し、ともにアメリカを立て直そうじゃないか、いっしょにがんばろうというメッセージは、強く伝わってきました。何かが、本当に「チェンジ」するのではないかと期待を持たせてくれる演説でした。

どこかの国の政治家が、俺たちを「下々の人間」やら「国民の皆様」と、呼ぶのとは、なんとなく違いますね。オバマ氏の演説を聞いて、治める者と治められる者が、最初から決まってしまっているような寂しさを、あらためて、この日本という国に感じてしまいました。みんなで何とかしようぜ!といった雰囲気が生まれないのは、なぜなんでしょうか。

そういう俺も、「漢字が読めるとか読めないとか、そんなことどうでもいいから、ちゃんと政治家の仕事をしてくれよ。政治家のレベルが違いすぎる」などと思っているだけでは、けっきょく、ダメだといいながら人任せになっているだけかもしれません。


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2009/01/19

消費・賞味期限、見直しへ

090119
農水省、賞味期限見直し、食品指針策定財経新聞 http://www.zaikei.co.jp/article/biznews/090112/30918.html

やはり、こういう動きになってきました。当然といえば、当然だと思います。むしろ、遅いくらいです。

賞味期限が切れたからといって、次の日から、極端に味が落ちるなどということはなく、それを自慢げに廃棄するのは、どう考えても、間違っています。でも、ルールがそうなっていたからしかたありません。そこが、間違っていたことに、ようやく気がついたということですね。

消費期限の方も、生鮮食品が多いので、なかなか難しいのかもしれませんが、もっと、長めに設定すべきだと思います。

最近は、食品の産地偽装や、品質偽装など、さまざまな問題が表に出ているので、俺たち消費者も、疑り深くなってきました。

近所のスーパーで、「国産」などと書いてあっても、「この安さじゃ、嘘だろう」と思うし、食品ばかりではなくて、たとえば、ある観光地の名物料理なんかも、現地の食材ではなくて、輸入品をつかっているのかも?と疑うようになってしまいました。まぁ、これは、悲しいといえば、悲しい状況かもしれない・・・。

今まで、食品表示に、疑いもせず、信用していたということの方が、異常というべきだったのでしょうか。

だから、消費・賞味期限についても、100パーセント信用したりせずに、もっと、動物的な勘を働かさなければならないのかもしれません。

自分の目、舌、鼻で確かめて、最後は、自己責任で食べればいいだけ。そのほうが、視覚、味覚、嗅覚を鈍らせないということにも繋がるでしょうし。


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2009/01/18

江戸巡礼古道 (6) 札所25番【久昌寺】

090117
江戸巡礼古道を通ってたどりついた寺は、25番の久昌寺です。10年ほど前、一度来たことがあったのを思い出しました。

札所開創の時、性空上人が、閻魔大王から石の通行手形をもらったと伝えられています。それを御手判(おてはん)と呼ぶそうです。そのためここは、御手判寺とも呼ばれています。

「古代蓮」で有名な弁天池は、表面が凍っていました。(写真下) 蓮は、7~8月に見ごろを迎えるそうです。

ここから影森の駅に向かうと、途中に道しるべがありますが(写真上)、花が飾られて、今でも大切にされているのがわかります。


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2009/01/15

江戸巡礼古道 (5) 江戸巡礼古道「久那みち」

090116
札所24番の法泉寺の入り口から2分ほど南に歩くと、右に入る小道がありますが、それが、江戸巡礼古道「久那みち」です。

竹林のそばを通り、右手の大きな建物の壁を回りこんで進むと、それが、「酒づくりの森」の建物だったことがわかります。昔の酒づくりの様子がわかる資料館や物産館もありますが、今回は割愛。先に進みます。

「酒づくりの森」から5分ほど歩いた村で、たぶん昔の消防小屋でしょうか、「消防信号」というものが壁に貼り付けられていました。半鐘のたたき方で、意味を表していたのですね。モールス信号のようなものかもしれません。

寛政7年の弁財天の碑があるところからも、武甲山が見えます。パンフレットに登場するポイントです。

五百沢という小さな川を渡り、雑木林の中を進みます。このあたりも、江戸時代の雰囲気を感じさせるところです。

10分ほど歩くと、開けた場所に出ます。近くを県道が走っています。その一本西側の旧道が巡礼古道です。

道しるべがふたつあり、その先が、札所25番の久昌寺です。

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2009/01/14

江戸巡礼古道 (4) 江戸巡礼古道「長尾根みち」で、札所24番【法泉寺】へ

090114
音楽寺からは、梅園の駐車場を通り、小さなダムまで降りて、小道を進みます。古道は、林の中を通ったり、開けたところを通ったりしながらの変化にとんだルートです。

ところどころで、左手に武甲山が見えます。昔も、巡礼者はずっと武甲山を見ながら歩いたのでしょう。秩父にとって、武甲山は特別な山であったのです。今も、「現代的な山の姿」は、特別ですが。それこそ、武甲山は、おのれの身を削って、現代人の役に立ってくれているという意味で。

水の少ない桜久保沢を渡り、念仏坂を上り、村を過ぎると、石仏群があります。8体ほどの石仏が残っています。そこが、永源寺という寺があった跡でもあるらしい。

県道に出ると、すぐ法泉寺。本堂に至る長い階段の上り口にも、江戸元禄15年の道しるべ石が鎮座しています。


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2009/01/12

江戸巡礼古道 (3) 十三地蔵と、札所23番【音楽寺】

090113
薄暗い山道から、車の道に出ますが、そこに江戸元禄時代から明治末期まであったという22番の童子堂跡があり、看板が立っています。

「直坂」を上っていくと、明るい尾根道になります。雑木林の中を歩いていくと、明治時代の巡礼古道「中山みち」との分岐点に至ります。道案内の標識が目立つところに立っているのですぐわかります。

その「中山みち」を左に下りていけば、現在の、童子堂へ通じています。

まっすぐ進むと、開けたところに出ますが、そこに十三地蔵があります。今の時期、訪ねる人も少なく、正月飾りの形が崩れはじめています。

ネットを検索してみると、桜が入った十三地蔵の写真を載せているブログが多いですね。桜の時期は、にぎやかそうです。

そこから音楽寺まではすぐです。

本堂では、お遍路さんが静かにお経を唱えていました。歌手たちがヒット祈願したものか、たくさんのポスターや、歌詞が書いた紙などが貼られていました。

ここには、秩父困民党無名戦士の墓があります。(秩父事件については後日書きます)

ベンチで昼食のおにぎりを食べて、しばし休憩。


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2009/01/11

江戸巡礼古道 (2) 札所21番【観音寺】から江戸巡礼古道「長尾根みち」に入る

0901011
札所21番の観音寺から、順番通りならば、次、22番の童子堂へ行くところですが、江戸元禄から明治末期まで、童子堂は、今のところではなくて、山の中にありました。なので、巡礼道も山道になります。

観音寺から県道72号線を南に5分ほど歩くと、右手に薬師堂がありますが、その手前の分岐点から右折して山へ入っていきます。それが、江戸巡礼古道の「長尾根みち」です。

民家の間を抜けて進んでいくと、ほんとにこの道?という、突然獣道みたいな狭い道になります。でも、「巡礼道」という札が下がっていて、かろうじて、ここでいいんだと分かります。

この感じ、いいですね。必要最低限の迷わない程度の道案内。ちょっと油断すると、迷ってしまうかもしれない、小さいスリル。ここだけではなくて、秩父のどこでも感じる心地よさです。「行きたければ自己責任でどうぞ」という感じの、一見、不親切ととれる道案内が、逆に、整備されつくした他の観光地との違いですが、俺は、こういうところが好きです。

「秩父が雲南省と似ている」と、以前ブログにも書きましたが、祭りの様子が似ているというだけではなくて、この未整備なところが、小さな冒険心を刺激する、そこが似ているためかもしれません。

人から、「ここはこう歩くべきだ」とか「ここはこう見るべきだ」といった、今の有名観光地にありがちな、「過剰な親切心」は、かえって押し付けがましく感じるし、自由を感じません。(俺だけかもしれませんが)

その点、秩父の観光地は、まだ、「放っておいてくれる自由」と、「自分で考える楽しさ」もあります。もしかしたら、そういった観光地のあり方は、秩父人の性格そのものなのかもしれません。


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2009/01/09

江戸巡礼古道 (1) 札所20番【岩之上堂】から札所21番【観音寺】

090109
秩父札所20番の岩之上堂から、25番九昌寺まで「江戸巡礼古道」というものがあります。

車の道を外れた山道も残っているので、江戸時代の巡礼道の面影を残しています。トレッキングにはいい道ではないでしょうか。江戸時代は、秩父札所巡りがブームになったそうですが、純粋な観音信仰のほかに、現代のトレッキングやスタンプラリーに通じる、娯楽の意味合いもあったようです。

しかも、札所の番号が、何度か変更されたとのこと。江戸から来る巡礼者の便宜を考えてのことだったらしいのですが、営業努力もあったわけですね。

21番の観音寺(写真上)は、県道72号線にありますが、県道に上がる直前に、ふたつの道しるべ石(写真下)がありました。どちらも江戸時代に設置されたものだそうです。

道しるべ石は、風雨にさらされて、趣があります。「江戸巡礼古道」の途中、ところどころに、こういった道しるべ石、庚申塔、弁財天碑などが点在しています。

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2009/01/08

にほんの里100選

090108
朝日新聞社と森林文化協会が発表した「にほんの里100選」。去年1年から公募していたことは、チラシを見たので知ってましたが、ようやく決まったようですね。

にほんの里100選、決まる 応募4474件から選出
(asahi.com http://www.asahi.com/national/update/0105/TKY200901050311.html

行ったことのある里が、いくつか入っています。

群馬県甘楽町 秋畑那須
埼玉県所沢市・三芳町 三富新田
新潟県十日町市 松之山・松代
富山県砺波市・南砺市 砺波平野散居村
京都県伊根町 伊根湾の舟屋群
福岡県星野村

などです。いずれも、なるほどなぁと思える美しい里です。ただ、もちろん他にもたくさん美しい里はあるのに、入っていない里は、落選したのか、そもそも応募しなかったのか。

もし応募しなかったのなら、それはそれでいいのですが。住んでいる人たちの自由です。もしかしたら、それが賢い選択なのかもしれませんし。


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2009/01/05

元旦の秩父神社 「担ぎ石」神事

090105
初詣は、秩父の4ヶ所をはしごしました。秩父神社、札所の四万部寺、法性寺、久昌寺。

「担ぎ石」という神事が、秩父神社の境内で行われていました。

もともとは、横瀬の神明神社に伝わる神事でしたが、昭和の一時期、伝統が途切れていました。昭和60年、保存会が結成されて、神事が復活した、とのことです。

十五貫(56kg)、二十三貫(86kg)、二十七貫(110kg)の石を、氏子たちが肩に担いで、力を競いました。今は、12kg、35kgという、子どもや女性も担げるように小さな石も用意されています。


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2009/01/01

秩父往還 (5) 影森界隈

081231
2009年もよろしくお願いいたします。

        ★

秩父鉄道影森駅界隈にも趣のある屋敷や商店や神社などが並び、秩父往還の面影が残っています。

「中茶屋」と呼ばれる関田家。(写真・下) 祖先の関田宗太郎さんは、私財を投じて影森用水を引いた人物です。水不足に苦しむ村人を救ったとのこと。

関田家の向かい側には、原島家のりっぱな屋敷があります。(写真・中) 原島孝三さんは、大正3年、影森に製糸工場を作った人物。板塀越に、武甲山が見えます。

原島家の角を曲がり、狭い路地を武甲山の方向へ入っていくと、線路があり、渡ると秩父札所二十七番「大渕寺」に至ります。


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