2009/02/27
2009/02/26
小鹿野町 「出原の天気占い」 (2)
昨日「天気占い」が行われた出原集落は、両神山のふもとにあります。(写真は出原から見た両神山)
300年以上前、村人の先祖が、山を越え谷を渡って、ここにたどり着いたとき、「原っぱ」があったので、ここを「山から原っぱに出た」という意味で、「出原」という地名になったそうです。
最初は原始林が生い茂り、けっして住みやすいところではなかったはずです。それを何年もかけて集落を作り、耕作地を拓きました。
昨日、占いの後もらった「しとぎ」が、昔は、稗や粟で作っていたということを書きましたが、耕作地といっても、肥沃な土地ではなく、山の斜面で焼畑をしていました。
天気が、作物の出来不出来、ということはつまり、生死に大きく関わっていたのです。だから天気が一番の気がかりでした。
その年、占いでもし「日照り」になったら、雨乞いの祭りもやっていたそうです。「台風が来る」と出たら、背の低いそばを作ったり、「秋晴れが続く」と出たら、とうもろこしを植えるなど、作物の種類を変えていました。天気予報も何もない昔は、この「天気占い」はとても大切な行事だったんですね。
ところが、今は、「風雨」よりは、「スギ花粉」の方が、気になるようです。昨日の占いでも、「スギ花粉が良く飛ぶ」と出ました。占いも現代的に変化しました。
2009/02/25
小鹿野町 「出原の天気占い」 (1)
小鹿野町の「出原の天気占い」に行ってきました。
矢で的を射て、その当たり具合によって、今年一年の天候を占うというものです。
TBSとNHKのテレビ局も来ていて、TBSの方は、夕方6時半、森田さんのお天気情報のコーナーで放映されました。俺も、写真を撮ってる姿が映ってました。NHKの方は、午後9時のニュース前に放映されたそうです。
占いによると、「今年前半は雨が多く、台風も1,2個来る。でも、秋は晴れる日が続く。スギ花粉も良く飛ぶので、マスクで身を守るように」 以上が、「神の御告げ」です。
占いの後は、「しとぎ」が振舞われました。「しとぎ」というのは、大豆粉と、米粉を固めたものです。昔は稗とか、粟で作っていたらしい。これを食べると、病気をしないそうです。
村の人は、ちゃんと「お持ち帰り」用の袋まで用意してくれていました。来た人みんな、袋に詰めてもらいます。俺もありがたく、いただきました。
2009/02/24
『おくりびと』 米アカデミー賞受賞
『おくりびと』が米アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。良かったですね。
一方で、SFX満載の派手でスピード感あふれるハリウッド映画に、最近は、みんな食傷気味なのかなぁとも思いました。
今まで「日本固有の文化」というものが、世界的普遍性を持つのだろうかと心配(?)するのが、奥ゆかしい(実は、日本人以外は日本文化なんか理解できないよ、という傲慢さを秘めた)日本人でしたが、まんざらそうでもないなぁと思わせてくれたのが、この映画のアカデミー賞受賞かもしれません。
人のやることには、それなりに意味があり、どんなに違った文化的背景を持った人にも、分かる可能性があるのだ、ということを照明したようです。
それから、もう一つ感じたことがあります。
「死」を扱うのは難しい。「死」というと、すぐに「暗い」「重い」と避けられるようなところがあります。その割には、「命はすばらしい」「生きることはすばらしい」ということには抵抗ありません。でも、考えてみれば、「死」がなければ、「死」を意識しなければ、ホントの「命」も、「生」もわからないはずです。
すぐにドンパチやって人が死ぬ映画はたくさんありますが、テロリストに殺されたり、刀で切り殺される人なんて、ほとんどいない現実では、映画の「死」は、自分とは直接関係を持たないファンタジーなのです。だから、安心(?)して、「死」の映画を楽しめるとも言えるわけですが。
『おくりびと』の描く「死」のほうが、より現実的で身近です。だからこそ、深刻になりやすい「死」のテーマに、ユーモアを交えた表現が必要となってくるのでしょう。1984年に公開された、伊丹十三監督の『お葬式』もそうでした。ユーモア、笑いは、「死」を描く上で、どうしても必要なのでしょう。
中高年の星、綾小路きみまろも、そうかもしれません。笑いがあるからこそ、お年寄が死ぬ話も平気ですることができる、そんな気がします。
2009/02/22
2009/02/20
2009/02/19
2009/02/16
「150」という数字
昨日の朝日新聞に、「150」という数字について書いてあり、興味をひかれました。
それは、150人くらいの集団が、一番機能しやすい一塊になる、といった話です。たとえば、戦いでも150人くらいの部隊が活躍する、みたいな話だったと思います。
それと、アフリカから出た我々の祖先も、DNA解析から、150人程度のグループだったといいいます。これよりも、多くても少なくても、地球上で生き延びられなかったのではないか、というのです。
そういえば、30代のころ、俺は、今まで何人の人間と知り合っただろうか?と、ふと考えて、過去を思い出しながら数えたことがあります。ただし、たとえば、店で話しかけられた店員とか、街中で喧嘩したヤツとか、職務質問した警官とか、そういうのは含めません。名詞交換までいかなくても、お互いが、素性を明かし、人格を認め合ったくらいの知り合いです。
親、妹、じいちゃん、ばあちゃんから始まって、親戚、幼稚園、小、中、高校、大学、バイト先、旅先で会った人たち、カメラマンや編集者、写真展で会った人たち、酒乱の元暴力団員などなど。
たしかこの計算をしたのは、35歳くらいのときで、2000人程度ではなかったかと思います。これを多いというか、少ないというか分かりませんが、俺は、感覚として、少ないなぁと思いました。
知り合ったあとも、付き合いが続いているのは、何人いるでしょうか。せいぜい年賀状のやり取りをしている人たちは、少なくとも、1年に1回、その人のことを思い出すので、それを考慮すると、だいたい150人くらいなのです。150人ならば、顔も素性も思い出し、「考えられる範囲」「何か頼まれたとき、責任を持てる範囲」といってもいいでしょう。
もちろん中には、500人も、1000人も年賀状を出す人もいるでしょうが、ひとりひとりのことを考えられるのか、ちょっと疑問。少なくとも、俺にはできません。
一生のうち、俺は、まぁ多く見積もっても、5000人程度の人としか知り合わないということです。(どんな仕事をしているかで、知り合う人の数は、かなり違ってくるでしょうが) 67億人の中の、わずか5000人です。
世界で知り合わない人のなんと多いことか。知らないことのなんと多いことか。ということに気がつき、ちょっと愕然とします。ずいぶん狭い範囲で生きて、死ぬんだなぁと。
でも、最初に戻りますが、150人程度を知っていれば、いいんでしょうね。もっと少なくてもいいのかもしれません。「数」よりも、「質」です。俺は友だちが少ないので、多少ヒガミが入っていますが。
2009/02/15
秩父市荒川は、そばの里
秩父市荒川で、小学生の、そば打ち体験学習を取材させてもらいました。
去年生徒たちが、学校の隣に借りた畑で収穫したそば粉を使ったもので、地元の伝承師さんという先生たちから、そば打ちを習いました。
そばを打ったあとは、すぐに隣の厨房でゆでて、できたてをいただきました。生徒たちのは、幅が広く、やわらかかったですが、伝承師さんのそばはコシがあり、山形の田舎そばに慣れている俺でさえ、おいしいと感じるものでした。でも、生徒たちも、初めて自分で打ったそばに満足しているようでした。
終わったあと、生徒たちが伝承師さんたちにお礼の挨拶をしたとき、俺は、どうしても生徒たちに聞いてみたいことがありました。
それは何かというと、家庭内でどのくらいそば打ちをやっているのか?という疑問です。結果は? 40人の生徒のうち、3分の2程度が、「家でやってます」と手を挙げました。そのほとんどは、おばあさんがやるそうです。荒川は、そば打ち頻度がやっぱり高い。
昔は、そば打ちができないと、嫁に行けないとまで言われていたそうです。荒川ではコメが作れなかったので、うどんとそば打ちは必須だったのでしょうが。
でも、さすが「そばの里」ですね。
2009/02/14
2009/02/11
ハドソン川に不時着して、乗客の命を救った英雄
鳥の群れに突っ込んでエンジントラブルになり、ニューヨークのハドソン川に不時着して、乗客全員の命を救った、USエアウェイズ1549便のチェスリー・サレンバーガー機長が、インタビューの中で語った言葉にハッとしました。
「あの瞬間に対処するために、これまでのキャリアがあったのだと思う」
わかります。いや、俺は人の命を救ったことはありませんが、その感覚、なんとなくわかります。
今までの経歴、経験、感情の蓄積が一気に生かされたと感じる瞬間。機長ほどすごくはないですが、俺も、写真を撮るとき、ちょっとそんな感じがするし、いいことだけではなくて、悪いことが起きたとき、「これに遭遇(体験)するために生きてきたんだな」と、感じるときが、たまにあります。
ただ、この機長のように、これだけのことをやると、それまでの経歴ばかりではなくて、もっと大きな「力」が働いているのではないかと感じるかもしれません。その「力」によって私が今まで生かされ、そして乗客たちの命を救ったと。
これを単なる幸運といってしまうことは、たぶん、耐えられないからです。この機長も、事故後の数日間は、フラッシュバックが何度も起きて、 ショック状態だったといいます。
もし、判断を間違えていたら? 違うことを判断していたら? もしかしたら全員死んでいたかもしれないと想像する怖さから逃れるために、どんなことがあろうとも、結果はこうなっていたんだと確信したいために。俺が同じ体験をしたら、きっとそう思います。
2009/02/10
2009/02/07
2009/02/05
2009/02/04
秩父神社 節分「鬼やらい」
昨日は、節分。秩父各地で、節分行事がありました。
夜、秩父神社へ。午後6時半ころ境内で、豆まき用の枡を写真に撮っていると、かがり火がたかれ、裸の男たちがやってきました。
地元の素人力士の人たちで、社殿前で組み手の奉納がありました。代表の挨拶の中で、今、話題になっている相撲界の不祥事について触れ、我々はまじめにやっていますと。もちろん信じます。
午後7時半ころからは、1時間ほど神事が行われました。
そのあと、赤鬼青鬼が現れました。「人の苦しみ、われらの楽しみ」などと叫びながら本殿前で踊ります。確かになぁ。人の不幸は蜜の味とも言うし、本音を叫ぶ鬼は、はたして「悪者」なのかな?
最後豆まきが行われ、おひらき。俺も、「御供物」と書いた袋を拾いました。中には、福豆が入っていました。
2009/02/02
テレビドラマ『銭ゲバ』
『銭ゲバ』、話題になっているようですね。
なつかしい。70年代に発表されたジョージ秋山氏の漫画が原作です。俺も当時読んだような気がします。
こういった人間の深層をえぐるような内容のドラマは、当然賛否両論出るようで、スポンサーが降板したというくらい「過激な内容」だそうです。俺はそうでもないと思いますが。
「金のためなら、なんでもするズラ」という主人公。「お金がすべてではない」と、40年前学校では教えられた気がするので、この『銭ゲバ』が当時有害図書扱いをされたそうですが、当然そうだったんだろうなぁと思います。でも、「お金がすべてではない」ということを言いながらも、日本はこの40年で、お金や物を求めて突き進んできたようにも思います。
「お金で買えないものは何もない」と言ってのけた、まさに銭ゲバを地でいくようなホリエモンという道化役が、一時、世間を賑わしましたが、結局、舞台から引きずりおろされてしまいました。「お金がすべてではない」と、いいたい良識ある世間が、この道化役を野放しにしていたら、社会が乱れる、青少年に悪影響を与えるとでも思ったのでしょうか。
ホリエモンが言った「お金で買えないものは何もない」ということを否定しきれないのが現実です。お金が物を言う世の中です。ただ、仮に、そうであったとしても、それがどうした?とは、思います。何でも買えて、何でもやれることが、幸福感に繋がるのでしょうか? (俺はお金がないので、わかりませんが)
想像するに、もし、「銭ゲバ」のように殺人や詐欺までしなくても、後ろめたさを感じる方法で得たお金に対して、罪悪感や空しさを感じるようなら、その人は「銭ゲバ」にはなりきれない人ということなんでしょうね。お金を追求することは、不道徳だといって、世間から非難を受けるかもしれませんが、真理の追求、幸福の追求、という面から見ると、その非難も的外れなような気がしないでもありません。
ただ、悲しいかな、それが分かるためには、まずお金持ちにならなければ。俺には一生、「銭ゲバ」の主人公の境地はわからないかもしれません。
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