『おくりびと』 米アカデミー賞受賞
『おくりびと』が米アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。良かったですね。
一方で、SFX満載の派手でスピード感あふれるハリウッド映画に、最近は、みんな食傷気味なのかなぁとも思いました。
今まで「日本固有の文化」というものが、世界的普遍性を持つのだろうかと心配(?)するのが、奥ゆかしい(実は、日本人以外は日本文化なんか理解できないよ、という傲慢さを秘めた)日本人でしたが、まんざらそうでもないなぁと思わせてくれたのが、この映画のアカデミー賞受賞かもしれません。
人のやることには、それなりに意味があり、どんなに違った文化的背景を持った人にも、分かる可能性があるのだ、ということを照明したようです。
それから、もう一つ感じたことがあります。
「死」を扱うのは難しい。「死」というと、すぐに「暗い」「重い」と避けられるようなところがあります。その割には、「命はすばらしい」「生きることはすばらしい」ということには抵抗ありません。でも、考えてみれば、「死」がなければ、「死」を意識しなければ、ホントの「命」も、「生」もわからないはずです。
すぐにドンパチやって人が死ぬ映画はたくさんありますが、テロリストに殺されたり、刀で切り殺される人なんて、ほとんどいない現実では、映画の「死」は、自分とは直接関係を持たないファンタジーなのです。だから、安心(?)して、「死」の映画を楽しめるとも言えるわけですが。
『おくりびと』の描く「死」のほうが、より現実的で身近です。だからこそ、深刻になりやすい「死」のテーマに、ユーモアを交えた表現が必要となってくるのでしょう。1984年に公開された、伊丹十三監督の『お葬式』もそうでした。ユーモア、笑いは、「死」を描く上で、どうしても必要なのでしょう。
中高年の星、綾小路きみまろも、そうかもしれません。笑いがあるからこそ、お年寄が死ぬ話も平気ですることができる、そんな気がします。
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