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2009/02/02

テレビドラマ『銭ゲバ』

090202
『銭ゲバ』、話題になっているようですね。

なつかしい。70年代に発表されたジョージ秋山氏の漫画が原作です。俺も当時読んだような気がします。

こういった人間の深層をえぐるような内容のドラマは、当然賛否両論出るようで、スポンサーが降板したというくらい「過激な内容」だそうです。俺はそうでもないと思いますが。

「金のためなら、なんでもするズラ」という主人公。「お金がすべてではない」と、40年前学校では教えられた気がするので、この『銭ゲバ』が当時有害図書扱いをされたそうですが、当然そうだったんだろうなぁと思います。でも、「お金がすべてではない」ということを言いながらも、日本はこの40年で、お金や物を求めて突き進んできたようにも思います。

「お金で買えないものは何もない」と言ってのけた、まさに銭ゲバを地でいくようなホリエモンという道化役が、一時、世間を賑わしましたが、結局、舞台から引きずりおろされてしまいました。「お金がすべてではない」と、いいたい良識ある世間が、この道化役を野放しにしていたら、社会が乱れる、青少年に悪影響を与えるとでも思ったのでしょうか。

ホリエモンが言った「お金で買えないものは何もない」ということを否定しきれないのが現実です。お金が物を言う世の中です。ただ、仮に、そうであったとしても、それがどうした?とは、思います。何でも買えて、何でもやれることが、幸福感に繋がるのでしょうか? (俺はお金がないので、わかりませんが)

想像するに、もし、「銭ゲバ」のように殺人や詐欺までしなくても、後ろめたさを感じる方法で得たお金に対して、罪悪感や空しさを感じるようなら、その人は「銭ゲバ」にはなりきれない人ということなんでしょうね。お金を追求することは、不道徳だといって、世間から非難を受けるかもしれませんが、真理の追求、幸福の追求、という面から見ると、その非難も的外れなような気がしないでもありません。

ただ、悲しいかな、それが分かるためには、まずお金持ちにならなければ。俺には一生、「銭ゲバ」の主人公の境地はわからないかもしれません。


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コメント

棚田へようこそ さん

「幸福の追求という世にも楽しいこと」を、紙切れや金属の玉に閉じ込めてしまったのが、お金というものだとすると、そのお金そのものの所有に幸福感を得るのか、それとも、お金の内側に込められた体験やら意味やらに幸福感を覚えるのか、という違いであって、お金を求めることに対しての非難は当たらないんだろうなぁと思いますね。やっぱり、銭ゲバも、幸福を求める一つの姿として、「あり」だろうとは思います。もちろん、殺人や詐欺をしたら罰せられるので、法律やルールを守ることと、幸福を求めることとは別なのでしょうが。

投稿: あおやぎ | 2009/02/11 23:36

 最近年をとると考えることが面倒になって、何でも矮小化、簡略化して割り切ってしまうことが多くなりました。そういう考え方でお金とは何かというと、本来幸せになるために費やすべき時間や労力を他人に任せて、その対価がお金ということになります。

 だとするとお金を追求することは不道徳でも非難されるべきことでもありませんし、またaoyagiさんが銭ゲバの境地が分からないのはお金がないからではなく、自分の力で幸せを感じる能力を備えているからです。

 幸福の追求なんて世にも楽しいことを他人に任せるなんて、もったいなくてできないですよね。

投稿: 棚田へようこそ | 2009/02/10 23:43

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