2009/03/31
2009/03/30
東秩父村大内沢 「花桃の里」 (5)
ピンク色の花は花桃、黄色い花はサンシュユです。漢字で書くと「山茱萸」になります。
日本には、江戸時代、中国大陸 or 朝鮮半島から薬用として入ってきたそうです。
地元の人が教えてくれましたが、秋には赤い実をつけます。その実は強精薬、止血、解熱作用があるそうです。
2009/03/29
2009/03/27
2009/03/26
2009/03/25
東秩父村大内沢 「花桃の里」 (1)
東秩父村大内沢は、「花桃の里」として知られています。
今、濃いピンクの花桃、淡いピンクの桜、黄色のサンシュユ(山茱萸)が見ごろを迎えています。
昔、大内沢でも、養蚕が営まれていました。ある民家の前には、捨てられたように「カイコ篭」が置いてありました。カイコを飼っていた篭です。
養蚕がだめになった後、小麦やこんにゃくを植えましたが、中国産の安い輸入品に対抗できず、10年前からは、花桃。もともと観光客のために植えたのではなくて、観賞用切花として出荷するためでした。でも、いつのまにか、多くの観光客が花桃を見にやってくるようになりました。
今度、3月 29日 (日曜日)に「花桃祭り」が開かれるとのことです。花桃の販売や地場産野菜や手作り加工品の販売もあります。
2009/03/23
マダガスカルで政変
マダガスカルで政変がありました。
マダガスカル:ラジョエリナ氏、暫定大統領就任式 国際社会認知せず
(毎日JP http://mainichi.jp/select/world/news/20090323ddm007030116000c.html 参照)
たかだか1ヶ月弱の滞在での印象ですが、アフリカの中では、アジアの方を向いている国で、治安は安定している感じでした。
今年1月から退陣を求めるデモが繰り返され、135人以上の死者を出す混乱が続いていたようです。観光客は減っています。大きな産業がない国なので、観光収入減の打撃は大きいでしょう。
今回の政変の原因のひとつには、前大統領が耕作可能面積の半分に当たる国土を韓国企業に無料貸与した問題があるそうです。それを指して「新植民地主義」との非難もあるらしい。
韓国企業に農地の半分無料貸与 国民反発で大統領退陣 マダガスカル
(産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090321/mds0903212151007-n1.htm 参照)
2009/03/20
秩父市下久那地区 「ジャランポン祭り」
この前の日曜日、秩父市下久那地区で、「ジャランポン祭り(葬式祭り)」が行われました。
昔、疫病がはやったとき、病人を、あらかじめ「死人」にすることで、これ以上、疫病がはやらないことを願って行われたものが始まりらしい。(他にも諸説あり、詳しいことは分かりません) 災いを笑いとばすという意味もあるようです。少なくとも、100年以上は続いているのではないかとのこと。
39年前に見たことがあるというアマチュアカメラマンによると、当時から、祭りの様子は変わっていないといいます。「奇祭」と言われるこういう行事が100年も続いてきたことに驚きます。(あとで、それなりの努力をしていることを教えてもらいましたが) 葬式祭りというのは、全国でも珍しいのではないでしょうか。(もしかしたら、ここだけ?)
60年くらい前、地元のおばさんが10代の少女だったころ、ジャランポン祭りでは、子どもたちがお芝居したり、歌を歌ったりしたそうです。モチ、オハギ、スシなども作りました。集会場(場所は今と違う)には、おじいさん、おばあさんが、ムシロを敷いて見物しました。楽しかったそうです。「昔は、それくらいしか楽しみがなかったからねぇ」と言います。
酒が入って、だんだん場が盛り上がっていきます。祭りのメインは、死人役の人が、棺おけにみたてた大きな茶箱に入って一升瓶の酒をラッパ飲みし、僧侶役の人は、いいかげんなお経をあげて、みんなを笑わします。
葬式の真似をするのですが、みんな酒を飲みながらやるので、笑いがたえません。昔疫病がはやったときも、この笑いで、深刻さを避けて、なんとか乗り切ったのではないか、と想像します。
葬式というと、日本では、神妙な顔をして、「笑う」というのはある意味不謹慎に取られてしまいますが、アジアの葬式では、そんなことはありません。もちろん親族は泣いています。でも、どちらかというと、にぎやかで明るい雰囲気です。(そのうち、「アジアのおくりびと」というテーマで、書くつもりなので、詳しいことは省略します)
だから、今回の「ジャランポン祭り」を見て、あらためてアジアの葬式を思い出してしまいました。
2009/03/17
映画 『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』 を観て
実話を基にした、2008年アカデミー賞ノミネート作品。
『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』
監督・脚本 ショーン・ペン
主演 エミール・ハーシュ
を観ました。
1992年、アラスカの荒野で若者の死体が発見されました。その謎を追った本『荒野へ』が、大反響を起こしたそうです。その読者であったショーン・ペンが映画化を決めました。
なぜ、高学歴で裕福な、一見何も不自由のない若者が、アラスカの荒野で死んでしまったのか。
本当の幸福を見つけるために旅に出て、運悪く死んでしまうのですが、でも、その短すぎる人生と引き換えに、彼は、本当の幸せを見つけたと信じたい。いや、見つけられなかったかもしれない。でも、いいんです。見つけられなかったとしても。見つけたいと思いながら死んだんだから、本人にとっては本望でしょう。(家族にとってはどうだかわかりませんが)
家出同然(いや、家出そのものですが)で、彼は旅を始めます。残された家族が心配するところは身につまされました。まさに俺も家族に迷惑をかけて旅をしたからです。
ポイントはここです。つまり、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」、それとも「迷惑をかけるくらいなら旅をしないのか」の違いは重要です。そして俺は、前者を選んでしまいました。人として、間違っているかもしれません。格好いいとも思いません。ただ、旅する以外なかった、ということだけで、それ以上でも、それ以下でもありません。だから、当然、自慢話でもありません。
けっきょく彼も2年後、念願のアラスカへたどり着きます。そこで3、4ヶ月、ひとりで生活します。電気もガスも電話もペットもいない、野生の生活。話し相手は、自分だけ。
そんな文明から隔絶された世界ですが、時々、空を見上げれば、飛行機が飛んでいるのです。なんだか、妙に懐かしい。主人公は、野生を求めてアラスカで生活を始めましたが、たぶん、この飛行機は、自分と世界をつなぐ唯一の窓だったのではないでしょうか。
ところが、獲物が獲れなくて、空腹に耐えかねて食べた野草に毒があって、衰弱して死んでしまいます。
最後、死を予感した主人公は、日記に書きます。「本当の幸福は人と分かち合うこと」みたいなことを書きます。空を見上げながら息を引き取りますが、家族や世界とは、空によって繋がっている実感が持てたのでしょうか。飛行機は、そのことを象徴しているのかもしれません。
猟師によって主人公の遺体が発見されました。日記が残っていたので、主人公の生活も想像できたのでしょう。日記のほかに、カメラも残っていて、現像したら、本人がその場に座っている写真が映っていました。映画の最後に、その本人が映っている写真が出てきます。その姿は、幸福かどうかは分かりませんが、自然であり、穏やかでした。
ムチャなことをやると非難されるでしょうか。死んだのも自業自得だといわれるでしょうか。
いわれても、しかたないと思います。でも、「やらざるをえない」のです。だから、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」ということがポイントになってくるのです。そこまでしてやりたくない人は、決してやらないほうがいいと思います。
旅は、副作用が強すぎます。主人公も、死んでしまうという副作用を受け入れました。そのかわり、ほんとうの幸福の意味を知ったのではないかと・・・。
2009/03/14
振り込め詐欺を減らす方法 「だまされたふり作戦」
振り込め詐欺が増えています。定額給付金に関する新手の詐欺も出始めました。
この前、振り込め詐欺を未然に防いだ女性が、警察から感謝状を贈られていました。たしか、電話がかかってきたとき、「これは詐欺だ」と気がついたのに、そのまま、だまされたふりをして警察に連絡し、犯人逮捕に結びついたのではなかったでしょうか。「だまされたふり作戦」と呼ぶらしい。
これはなかなかいい作戦かもしれません。毒には毒、詐欺には詐欺。むこうがだましてくるなら、こちらもだましてやれということです。
それで、一歩進めて、だまされたふりをして、犯人逮捕に結びついたら、懸賞金を出すということにしたらどうでしょうか。懸賞金が出るなら、もっと注目を引きます。日本の被害総額を考えたら、50万、100万の懸賞金なんか微々たるものでしょう。
そうすると、詐欺グループの連中は、相手をだましたつもりでも、「もしかしたら、だまされているふりをしているんじゃないだろうか」と心配になるわけです。
もっとも、突然電話がかかってきたとき、まず、「これは詐欺だ」と気がつくこと、そして同時に「だまされたふりを続けよう」と、一瞬のうちの判断しなければならず、自分の息子が使い込みをしたとか、交通事故を起こしたと聞いて、動転しているとき、とっさの判断が出来るなんて、現実的ではない、と言われるかもしれません。
だから、「詐欺グループに、だまされたふりをして懸賞金を稼ごう!」というキャンペーンを大々的に展開するのです。「だまされたふり作戦」を日本中でブームにしてしまうんです。
全員が機転を利かせられなくてもいい。でも、何人かにひとりは「だまされたふり作戦」を実行するかもしれないという詐欺グループ側の「思い込み」が大切です。そうすると、詐欺グループも、いつだまされるかという恐怖心から、数は減っていく・・・。
どうでしょうか? ありえません?
2009/03/12
2009/03/11
旭川ラーメン村
旭川は、今日時々吹雪ました。気温はマイナス。さすが北海道。
案内してくれる人を訪ねたあと、撮影場所に出発。現場も雪が積もっていて、車でいけないところは、なんとスノーモービルを出してくれました。初めて乗りましたが、できれば、吹雪の日でなければよかった。雪が痛い。天気がいいと大雪山系の山並みもきれいに見えるところだといいます。残念。
撮影が終わった後、旭川ラーメン村に連れて行ってくれました。俺も、せっかくだから旭川ラーメンで昼食にしようと思っていたので、ちょうどよかった。
8軒並んでいます。山頭火もあります。入ったのは、梅光軒。ちぢれ中太麺のしょうゆ味。あっさりしているので、スープも全部たいらげました。
旭川ラーメンは、札幌生まれの北海道ラーメンと中国の各種麺料理が融合したものだそうです。歴史は昭和初期までさかのぼります。戦後にはラードを表面に浮かべて冷めにくくした工夫もあったとのこと。これって、雲南の「ミーシェン(米線)」の鶏の油を浮かせたのと発想は同じですね。寒い土地での工夫です。
ところで、旭川といえば、今は、旭山動物園も有名です。案内してくれた人は、前園長と知り合いだそうで、昔、動物園が存亡の危機に陥ったとき、いろんなアイディアから、動物は自然な生態を見せたほうがいい、という意見が採用されて、大改革が行なわれ、その結果、動物園は息を吹き返しました。今では、すごい数の入場者だそうです。
観光客だろうと思われる人たちが街をたくさん歩いています。『旭山動物園物語』という映画も公開されました。市内、いたるところで、このポスターを見かけます。
2009/03/10
飛行機で北海道
撮影の仕事で、北海道にやってきました。
羽田発のエアバス。定員はどのくらいでしょうか。今日の乗客は40人程度。がらがらでした。客室乗務員は、客が少ないからでしょうか、やたらサービスがよくて、それほど飲みたいと思ってなかった飲み物を2度もお代わりさせられてしまいました。(ふたりがかりできたので、断りきれなかった)
まぁ、これはいいです。サービスがいいのは大歓迎です。
窓外の空をボーっと見ていて、この巨体を飛ばすにはそうとうな燃料を使っているだろうなぁと、頭に浮かびました。環境問題からみたら、これほど無駄使いはないかもしれません。今日使った燃料を、お客の頭数、40で割ったら、そうとうな量になるのではないかなと思います。昨日、分別して出したゴミなんか、いっぺんで帳消しです。
でも、俺はこういう空いている飛行機が好きです。なにしろ、席をあちこち移動して、外の写真を撮って過ごせるのは幸せです。「あれは岩手山ですか?」と客室乗務員に聞いたり、「あっ、阿寒岳だ!」と地図と照らし合わせながら興奮する。
「定期便だから、空いているときもあるし、満席のときもあるんだから」と理屈をつければ、この無駄な燃料の使い方にも心が痛みません。
環境を良くしようとすれば、不便さを受け入れること、不快さを我慢することも必要です。でも、人間はいったん知った便利さや快適さからなかなか抜け出せません。
「そんなこと言ってる場合ではない!」と、お叱りを受けそうです。いや、実際、何が何でもCO2を減らせ、ゴミを出すな、マイハシを使え、レジ袋を断れ、と叫んでいる人たちがいます。
でもねぇ、あんまり押し付けられると、俺は反発したくなるんですよ。だいたいにして、無理強いして長く続くはずはないと思います。無理強いは迷惑です。そういう環境の過激派は「良いことをやっている」と思い込んでいるフシがあります。仮に良いことだとしても、「良いことをする」ことは、すべての人にとって、「幸せであること」あるいは「生きる意味になる」とは限らない、そこをわかってほしいものです。
とにかく、本人の気持ちがそういうふうにならなければ、意味はない、と思っています。自然に、ゆっくりと、です。環境問題なんて、そう簡単に解決なんてできません。大多数の人の、環境に対する感覚や、考え方が変わるには、それなりに時間が必要なのではないでしょうか。あまり急ぎすぎると、失敗するかも。
自分への言い訳なのでしょうか。
2009/03/05
雑誌「サライ」に、旧学舎(廃校)の写真掲載
(写真は、「三代校舎」の明治時代の校舎)
今日(3月5日)発売の雑誌「サライ」(小学館)に、『桜満開の「学舎」に泊まる』が、18ページで載っています。ぜひ見てください。
旧学舎(廃校)の中で、宿として使われているものを、全国から7ヶ所選んで紹介しています。
宮城県の「さんさん館」、茨城県の「大子おやき学校」、栃木県の「星ふる学校 くまの木」、群馬県の「はるひの山荘」、山梨県の「三代校舎 おいしい学校」、静岡県の「やまびこ荘」、京都府の「風蘭の館」。
のんびりしたロケーションのところが多く、温泉だけ、食事だけでもOKのところがほとんどだし、もし、近くまで行くようなことがあれば、ぜひ立ち寄ってみてください。校舎の中に入れば、タイムスリップできます。
秋田県横手市にあった旧学舎(廃校)を訪ねたとき、「壊すのは寂しいですよ」と地元の人が話す言葉が印象的でした。学校の行事が村の行事でした。学校は村の中心でした。校舎がなくなるのは、自分と村の歴史をなくしてしまうような気がするのかもしれないなぁと思いました。だから、なんとか校舎を残して活用しようと努力する人たちの気持ちは分かります。それを応援したいと思います。
今回紹介した以外にも、全国には、旧学舎(廃校)がたくさんあるので、そのうち、1冊にまとめたいと思います。みなさん、いい旧学舎(廃校)を知っていたら、ぜひ教えてください。今年、全国をまわる予定ですので、撮影できるかもしれません。
2009/03/04
2009/03/01
両神山の夕景
「日本百名山」のひとつ、標高1,723mの両神山の夕景。
ウィキペディアの「両神山」によると、
「山名は、イザナギ、イザナミの神を祀っていることから両神と呼ぶという説、日本武尊の東征のおりこの山を八日間見ながら通過していったので八日見山と名づけられた説、「龍神を祭る山」が転じて両神山となったという説など、諸説ある。」
とのこと。
写真は、美の山公園から見た両神山ですが、このギザギザが特徴的で目立ちます。チャート質の硬い岩が、ギザギザの山容を作っているようです。
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