映画 『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』 を観て
実話を基にした、2008年アカデミー賞ノミネート作品。
『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』
監督・脚本 ショーン・ペン
主演 エミール・ハーシュ
を観ました。
1992年、アラスカの荒野で若者の死体が発見されました。その謎を追った本『荒野へ』が、大反響を起こしたそうです。その読者であったショーン・ペンが映画化を決めました。
なぜ、高学歴で裕福な、一見何も不自由のない若者が、アラスカの荒野で死んでしまったのか。
本当の幸福を見つけるために旅に出て、運悪く死んでしまうのですが、でも、その短すぎる人生と引き換えに、彼は、本当の幸せを見つけたと信じたい。いや、見つけられなかったかもしれない。でも、いいんです。見つけられなかったとしても。見つけたいと思いながら死んだんだから、本人にとっては本望でしょう。(家族にとってはどうだかわかりませんが)
家出同然(いや、家出そのものですが)で、彼は旅を始めます。残された家族が心配するところは身につまされました。まさに俺も家族に迷惑をかけて旅をしたからです。
ポイントはここです。つまり、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」、それとも「迷惑をかけるくらいなら旅をしないのか」の違いは重要です。そして俺は、前者を選んでしまいました。人として、間違っているかもしれません。格好いいとも思いません。ただ、旅する以外なかった、ということだけで、それ以上でも、それ以下でもありません。だから、当然、自慢話でもありません。
けっきょく彼も2年後、念願のアラスカへたどり着きます。そこで3、4ヶ月、ひとりで生活します。電気もガスも電話もペットもいない、野生の生活。話し相手は、自分だけ。
そんな文明から隔絶された世界ですが、時々、空を見上げれば、飛行機が飛んでいるのです。なんだか、妙に懐かしい。主人公は、野生を求めてアラスカで生活を始めましたが、たぶん、この飛行機は、自分と世界をつなぐ唯一の窓だったのではないでしょうか。
ところが、獲物が獲れなくて、空腹に耐えかねて食べた野草に毒があって、衰弱して死んでしまいます。
最後、死を予感した主人公は、日記に書きます。「本当の幸福は人と分かち合うこと」みたいなことを書きます。空を見上げながら息を引き取りますが、家族や世界とは、空によって繋がっている実感が持てたのでしょうか。飛行機は、そのことを象徴しているのかもしれません。
猟師によって主人公の遺体が発見されました。日記が残っていたので、主人公の生活も想像できたのでしょう。日記のほかに、カメラも残っていて、現像したら、本人がその場に座っている写真が映っていました。映画の最後に、その本人が映っている写真が出てきます。その姿は、幸福かどうかは分かりませんが、自然であり、穏やかでした。
ムチャなことをやると非難されるでしょうか。死んだのも自業自得だといわれるでしょうか。
いわれても、しかたないと思います。でも、「やらざるをえない」のです。だから、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」ということがポイントになってくるのです。そこまでしてやりたくない人は、決してやらないほうがいいと思います。
旅は、副作用が強すぎます。主人公も、死んでしまうという副作用を受け入れました。そのかわり、ほんとうの幸福の意味を知ったのではないかと・・・。
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