« 清雲寺のしだれ桜 (3) | トップページ | 妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (1) »
4月4日は、秩父神社で御田植神事が行われました。
午後1時、本殿前で神事のあと、1kmはなれた今宮神社へミズゴイ(水乞い)にでかけます。帰ったあと、神部たちの食事がすむと、ようやく「田植」です。
社殿正面の神門と鳥居との間に張られたしめ縄の中を田んぼに見立て、神部たちが田植を演じるのです。これは、3月3日、蒔田椋神社の御田植神事同様、その年の豊作を祈願しての、予祝祭です。
最後、切餅がふるまわれます。これを田んぼに入れると、稲が良く実るといわれているそうです。
2009/04/07 埼玉県内(秩父など) | 固定リンク Tweet
関根さん
勘違いしてすみません。
この前、武甲山に登りました。一の鳥居から約1時間50分。上りだけなので、あまり疲れない山でした。
頂上からの眺めは、採石場が目の前に広がって、ちょっと痛々しかったですが、でも、武甲山は文字通り、身を削って日本の近代建築物として生まれ変わった、人の役に立ったと考えれば、少しは慰めにもなるかな、などと、部外者の私などは思います。
でも、やはり聖なる山の姿を変えるのは、『もののけ姫』ではありませんが、カミを殺さなくてはならなかったわけで、たぶん、欧米に追いつくために当時(大正?明治?)の時代では許されたのでしょうが、今なら、許されないことかもしれません。
投稿: あおやぎ | 2009/04/23 23:06
こんにちは どうでも良いことかもしれませんが、私、秩父を離れて42年です(歳が分かりますね) 北海道へ来るまでは30年ほど愛知県でサラリーマンでした。 愛知にいた当時は甥、姪の結婚式などで時々帰っていましたが、こちらへ来てからは一度だけ。
「ふるさとは 遠きにありて 想うもの」とか言いますが、写真で楽しませてもらいます。
秩父のシンボル、武甲山には一度登ったことがありますが、その姿が随分変わってしまい、ちょっと淋しい感じです。
投稿: 関根 | 2009/04/23 09:08
関根隆夫さん
コメントありがとうございます。 秩父出身の方に、「秩父が雲南省と似ている」というのもどうかと思いますが、でも、実際、そう感じたので、秩父に通うことにしたのでした。もちろん、「雲南と似ている」というのは、私の中では、ほめ言葉ですよ。 私も、山形の田舎町出身なので、同じことかもしれませんが、なかなか地元に住んでいると、良さも、悪さも、わからないところがあります。でも、他の人から指摘されて、そんなものかなぁと思うのです。 関根さんは、秩父を離れて10年とのことですので、そろそろ他者の目で秩父を見ているところではないかと想像します。たぶん、こんな良いところだったんだなぁと再認識されているのではないでしょうか。
投稿: あおやぎ | 2009/04/22 23:06
はじめまして 北海道に住んでいる中年(?)の男です。ひょんなことからこのブログを見つけました。 実は私生まれ(実家)は秩父市の郊外なのです。 18歳まで秩父で過ごしました。と言っても3年間は熊谷の高校に通いましたが。
ですから秩父神社とか小鹿野とか言うことばを見つけて懐かしくてクリックしました。 北海道へ来て10年目。秩父へは2001年に兄の葬儀で帰ったきりです。 写真でも見て故郷を想いますので今後ともよろしくお願いします
投稿: 関根隆夫 | 2009/04/22 21:30
名前:
メールアドレス: (ウェブ上には掲載しません)
アドレス(URL):
この情報を登録する
内容:
コメント
関根さん
勘違いしてすみません。
この前、武甲山に登りました。一の鳥居から約1時間50分。上りだけなので、あまり疲れない山でした。
頂上からの眺めは、採石場が目の前に広がって、ちょっと痛々しかったですが、でも、武甲山は文字通り、身を削って日本の近代建築物として生まれ変わった、人の役に立ったと考えれば、少しは慰めにもなるかな、などと、部外者の私などは思います。
でも、やはり聖なる山の姿を変えるのは、『もののけ姫』ではありませんが、カミを殺さなくてはならなかったわけで、たぶん、欧米に追いつくために当時(大正?明治?)の時代では許されたのでしょうが、今なら、許されないことかもしれません。
投稿: あおやぎ | 2009/04/23 23:06
こんにちは
どうでも良いことかもしれませんが、私、秩父を離れて42年です(歳が分かりますね)
北海道へ来るまでは30年ほど愛知県でサラリーマンでした。
愛知にいた当時は甥、姪の結婚式などで時々帰っていましたが、こちらへ来てからは一度だけ。
「ふるさとは 遠きにありて 想うもの」とか言いますが、写真で楽しませてもらいます。
秩父のシンボル、武甲山には一度登ったことがありますが、その姿が随分変わってしまい、ちょっと淋しい感じです。
投稿: 関根 | 2009/04/23 09:08
関根隆夫さん
コメントありがとうございます。
秩父出身の方に、「秩父が雲南省と似ている」というのもどうかと思いますが、でも、実際、そう感じたので、秩父に通うことにしたのでした。もちろん、「雲南と似ている」というのは、私の中では、ほめ言葉ですよ。
私も、山形の田舎町出身なので、同じことかもしれませんが、なかなか地元に住んでいると、良さも、悪さも、わからないところがあります。でも、他の人から指摘されて、そんなものかなぁと思うのです。
関根さんは、秩父を離れて10年とのことですので、そろそろ他者の目で秩父を見ているところではないかと想像します。たぶん、こんな良いところだったんだなぁと再認識されているのではないでしょうか。
投稿: あおやぎ | 2009/04/22 23:06
はじめまして
北海道に住んでいる中年(?)の男です。ひょんなことからこのブログを見つけました。
実は私生まれ(実家)は秩父市の郊外なのです。
18歳まで秩父で過ごしました。と言っても3年間は熊谷の高校に通いましたが。
ですから秩父神社とか小鹿野とか言うことばを見つけて懐かしくてクリックしました。
北海道へ来て10年目。秩父へは2001年に兄の葬儀で帰ったきりです。
写真でも見て故郷を想いますので今後ともよろしくお願いします
投稿: 関根隆夫 | 2009/04/22 21:30