2009/06/29
2009/06/28
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (51) 知床半島「知床五湖」
現在、知床五湖のうち、一湖、二湖だけ行くことができる。一湖の対岸の笹原は、昭和40年ころまで、放牧地として使われていたらしい。今は、笹原の上に遊歩道が整備されている。[写真下]がその笹原だが、沼の左岸に鹿がいる。まるで「観光鹿」のようにじっと動かない。
二湖の先へは今のところ熊が出没するので立入り禁止だ。じっさい俺たちがウトロの町に戻るとき、前方にハザードランプを点滅させた観光バスが停まっていて、運転手が盛んに何か俺に訴えている。事故でもあったのかなと思ったら、運転手は窓を開けて「熊!」と叫んだ。
見ると、黒い背中が藪に消えるのが見えた。その後すぐにまた藪から現れて、すかさず妻が写真を撮った。俺のカメラでは間に合わなかった。ほんとうに熊に遭遇するとは・・・。
弱いものにしか吠えない犬は、熊を完全無視。背中を向けて知らん顔をしていた。
2009/06/27
2009/06/26
2009/06/25
2009/06/24
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (47) キタキツネ
釧路から厚岸まで海沿いの県道をいったとき、ふと立ち寄った小さな漁村で、キタキツネを見た。
何かゴミでもあさっているのか、しばらく動かない。カメラを構えながら、じわりじわりと近づいていった。あまり急いで逃げたりしないところを見ると、人間を恐れているわけではないようだ。興味しんしんでこちらを観察している。
あとで、撮った写真を見てみたが、体は引き締まり、目が鋭い。薄汚れているのに、美しい。
俺の犬は、おねだりしても餌をあげないので、普通の飼い犬よりは痩せているほうだが、それでも、本物の野生動物を見てしまうと、俺の犬さえ、しまりが無い腑抜けに見えてしまうのは、しかたないことだろう。それは人間についてもいえることだ。
そういえば、「観光キツネ」というキタキツネがいるそうだ。人に慣れて餌をもらいにくるキツネのことらしい。観光地に行くといるのかもしれない。少なくとも、今日のキタキツネは「観光キツネ」ではないだろう。観光客が来るような場所ではないし、近づいては来なかった。
2009/06/23
2009/06/22
2009/06/21
2009/06/20
2009/06/19
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (41) 門別競馬場
たまたま日高門別競馬場で競馬の開催日だった。サラブレッドの本場で競馬を見るという経験も悪くない。
競馬場で馬券を買うのは初めてだったが、何とか説明パンフを見て買ってみた。ビギナーズラックもなく、残念ながら、100円を5000円にすることはできなかった。(あますぎる?)
今年の3月、全国の廃競馬場を取材した。(この単行本は、ちょうど今発売されているかもしれません) 廃校つながりで来た撮影依頼だったのかもしれないが、それまで競馬場には縁が無かった。でも、全国の5ヶ所の廃競馬場を撮影してみて、一時代の賑やかさの余韻を感じることができた。
北海道は、北見競馬場と旭川競馬場。雪が積もったなかでの撮影だった。なかなか地方競馬場は、経営的に厳しいらしい。ここ、門別競馬場はどうなんだろうか。
2009/06/18
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (40) 二風谷
二風谷は、アイヌの伝統が色濃く残る地として知られている。2007年7月26日には、「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」に認定された。
二風谷アイヌ文化博物館と萱野茂二風谷アイヌ資料館を回る。豊富な資料は興味が尽きない。博物館の外に再現されたチセ(家)が数棟並んでいる。
アイヌは北方系民族との共通性があり、萱野茂氏の資料館には、中国黒竜江省のホージャ族の資料も集めてあった。魚の皮で作った衣類はみごとだ。アイヌの伝統料理に「チタタプ」という新鮮な鮭を使った料理があるとパネルで紹介していたが、魚の種類は違っていたが、ホージャ族の村で出された料理と似ている。川魚のたたきだ。このとき川魚を生で食べる食習慣があることを知った。
2009/06/16
2009/06/15
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (37) 函館と棚田
下北半島の北端、大間からフェリーで函館へ入った。ようやく北海道だ。
今年の3月、撮影の仕事で、雪の北海道を見たが、夏(初夏)に来たのは、学生時代以来。と、いうことは、30年ぶりになるだろうか。
北海道に着いたとたん、妻が首をちょっと痛め、函館中央病院へ行った。慣れない長期間の車中泊が原因だ。それで大事をとって、妻はホテルに泊まる。
旅では何があるかわからない。トラブルはつきものだ。だから、これもしかたない。妻の症状が良くなることを祈るしかない。
俺は、犬を連れて放浪だ。函館から20km北にある流山温泉を目指しているとき、大沼のちかくで、棚田(?)を見た。北海道に来てまで棚田にこだわる俺もどうかしているが、牧場が点在するところに「棚田」と呼べるか微妙な傾斜なのだが、水田があったので写真に撮った。
「棚田」であろうとなかろうと、北海道の水田も美しい。最近は「米どころ」になってきた。温暖化のせいか? 地元のラジオでは、「最近の北海道には梅雨がある」ともいっていた。関東の人間からすると、「梅雨がない北海道」が魅力的だったのだが。ただ、米作りを考えたら梅雨はあったほうがいい。
おとといも雨が降った。昨日も雨がぱらついた。まさに梅雨だ。
2009/06/14
2009/06/13
2009/06/11
2009/06/10
ヴィーノのおかしな歌 『ダンボール犬ヴィーノの歌』
どうして「ダンボール犬」って呼ばれたのかな? それは、ダンボールで運ばれてきたからです。やんちゃ盛りのビーグル犬ヴィーノが、ラップを歌って踊る面白アニメを作ってみました。
2009/06/09
2009/06/08
2009/06/06
「バカ」なやつほど賢いか?
(写真は津南の水田〉
今回、犬連れの移動生活をしてみて、犬に変化があった。
犬が犬らしくなった。それまでは何だったんだ?と訊かれれば、たぶん犬は、自分の能力に気がつかず、俺たちと同じ仲間だと思っていたのかもしれない。
旅に出るまで(生まれてから1年7ヶ月)、人に吼えたことは、ただの1回だけ。去年の9月、俺がスピード違反で捕まったとき、窓に近づいてきた警察官に対してだけだった。
そのとき初めてだったので、びっくりしたが、でも、吼える相手は間違っていなかったので、俺は犬をほめてあげた。犬は、警察の犬が嫌いらしい。
あれから、一度も吼えなかったが今回、旅に出て10日目くらいから、日が暮れて、目の前に怪しい人が立つと吼えるようになった。なよなよと歩くカップル。タバコをふかすトラックドライバー。じっとこちらを見る男。番犬としての自覚が生まれたのか。
今まで聞いたことのない声で吼えると、びっくりもするし、また寂しい気にもなる。俺もいつのまにか、一般的な飼い主同様、犬を、犬としてではなくて、どこか擬人化してみているようなところがあり、だから、急に犬が、犬らしくなった姿を見ると、仲間ではなくなったような、野生に帰ってしまったような、妙な寂しさを感じてしまうのだ。
それと、山道を走っていると、急にそわそわしだし、何だろうと思うと、野生の猿や、タヌキが横切ったりする。ちゃんと気配でわかるようだ。街でこの能力を使う機会は少ない。
普段はグータラでどうしようもないやつが、あるとき、条件が整うと、急に才能を発揮する人間がいる。犬も同じだ。「バカ犬」と陰口をたたかれても、ちゃんと自分の能力が発揮できる時と場所、条件を与えられれば、「バカ」ではなくなる。
人間も、犬も、能力を発揮できる条件がないなら、よけいな事は、しない。無駄なエネルギーは使わない。ただそれだけのこと。それは「バカ」ではなくて、すごく「賢い」ことなのかもしれない。
明日からまた、犬連れの移動生活が始まる。
2009/06/05
雑誌『デジタルカメラマガジン』の取材で、新潟県の棚田地帯へ
『デジタルカメラマガジン』の取材で、先週3日間、新潟県の棚田地帯、松代、松之山、高柳、津南をまわってきました。雑誌には(たぶん)8月号で登場すると思います。
NHK大河の『天地人』のタイトルバックでも使われている十日町市星峠の棚田。
今回も、ここの朝日は見ることが出来ませんでした。何度行っても、ここだけは朝、晴れたためしがありません。この日の朝も雨が降っていましたが、それでも10人ほどのカメラマンが熱心に写真を撮っていました(上)。〈下〉は蒲生の棚田。
星峠(昔は、「峠」でした)は、有名な棚田だけあって(でも申請しなかったので、「棚田百選」にはなっていませんが)、車のナンバーを見ると、全国から来ているのがわかります。高速代1000円というのも、棚田撮影に影響しているのでしょうか。
☆
なお「犬連れ車中泊の旅」の続きは、今度の日曜日から再開します。
2009/06/04
都会での危ない話
仕事の打ち合わせが終わった後、ひとりで入ったファーストフード店で、危ない会話を聞いた。
その店は3階まであって、すいていた3階の席に座っていた。すいているにもかかわらず、ふたりの男がやってきて、俺の近くに座った。
そして一人の男(Aとする)が、「もう会うのは今日だけにしてくれない?」と、もう一人(Bとする)に切り出した。
「どうしてそうなるの?」と、BがAに聞いた。「ちゃんと説明してよ」
別に聞こうとしていたわけではない。すいているので、声がよく通るのである。だから、嫌でも聞こえてしまうのだった。
「もう会わないなんて、俺たちホモじゃないんだから」とBが言う。Aはそれを聞いて、不自然に笑った。
どうも、Aは最近ヤクザになったらしく、Bに迷惑がかかるから、もう会わないようにしようという話らしい。Aは、しきりに、オヤジをカツアゲしたことを自慢していた。捕まらない、いい方法があるという。それをBに説明している。
でも、どうも妙なのだ。Bは、それを聞いてひるむどころか、Aに対して高圧的で、むしろ、静かに答えるBの方が、凄みがあって怖ろしい。
一席置いてふたりが座っていたので、顔を見ようと思えば見れたのだが、目を合わす勇気はなかったので、会話だけ聞いていた。
Aがハイテンションで声高に話せば話すほど、何か弱みをつかまれている(たとえばお金を借りている)のが分かってくる。ヤクザに入った話をしたが、嘘かもしれない。Bから逃れるためだ。
だいたいにして、Aがヤクザになったのは、「試しにやってみるか?」と言われたので入ったらしい。大手(@@会とか)ではなくて、個人でやっているところ(?)らしい。俺はヤクザの世界を知らないので、個人営業のヤクザがあるのかどうか知らないが、ちょっと胡散臭い。
もしAの話が本当のことなら、警察に通報されたらやばいんじゃないか?と思うのだが、俺のことを人とも思っていないのか、延々と危ない話をしているのである。こういうところから考えても、Aの言っていることは半分嘘なんだろう。Bから逃れたい必死さだけは伝わってきた。
それにしても、Bの落ち着き払った態度と声。こっちが本物じゃないかと思ってしまった。
都会には、いろんな人がいるねぇ。
2009/06/03
一時帰宅したら、世の中は、パニックだった
いろいろと仕事があって、先週一時帰宅したが、今回の新型インフルエンザの騒ぎ方には驚いてしまった。まるで、外国旅行から帰ってきた直後のような、大きなギャップを感じた。
日本にいたにもかかわらず、こんな大騒ぎになっていることをほとんど知らずに帰宅した。
テレビは見ないものの、インターネットやラジオで、新型インフルエンザがはやりだしていることくらいは知っていたが、帰宅してテレビを見て、そんな深刻な問題だったのかと、びっくりしたのだ。何万円もするマスクは、ばかげているし、罹った人を非難するなど、どうかしている。
もちろん関西では実際パニックになっていたのだろうが、東北地方を旅していて、特別マスクをしている人にも出会わなかったし、インフルエンザを気にしている人にはまったく出会わなかった。
このテレビの騒ぎ方は、現実を反映しているのだろうか? 気をつけないと、テレビに踊らされるということはあるかもしれない。現実はもっと冷静だ。いや、冷静であるべきだ。
こんな程度でこのありさま。もっと本格的な病気がはやりだしたら、どうなってしまうのか? それを考えると恐ろしい。
デマや無知が、集団に影響する怖さというものがある。ひとりひとりは、頭が良く親切な日本人なのに、どうして集団になると、ばかげた怪物になってしまうのだろうか。
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