「バカ」なやつほど賢いか?
(写真は津南の水田〉
今回、犬連れの移動生活をしてみて、犬に変化があった。
犬が犬らしくなった。それまでは何だったんだ?と訊かれれば、たぶん犬は、自分の能力に気がつかず、俺たちと同じ仲間だと思っていたのかもしれない。
旅に出るまで(生まれてから1年7ヶ月)、人に吼えたことは、ただの1回だけ。去年の9月、俺がスピード違反で捕まったとき、窓に近づいてきた警察官に対してだけだった。
そのとき初めてだったので、びっくりしたが、でも、吼える相手は間違っていなかったので、俺は犬をほめてあげた。犬は、警察の犬が嫌いらしい。
あれから、一度も吼えなかったが今回、旅に出て10日目くらいから、日が暮れて、目の前に怪しい人が立つと吼えるようになった。なよなよと歩くカップル。タバコをふかすトラックドライバー。じっとこちらを見る男。番犬としての自覚が生まれたのか。
今まで聞いたことのない声で吼えると、びっくりもするし、また寂しい気にもなる。俺もいつのまにか、一般的な飼い主同様、犬を、犬としてではなくて、どこか擬人化してみているようなところがあり、だから、急に犬が、犬らしくなった姿を見ると、仲間ではなくなったような、野生に帰ってしまったような、妙な寂しさを感じてしまうのだ。
それと、山道を走っていると、急にそわそわしだし、何だろうと思うと、野生の猿や、タヌキが横切ったりする。ちゃんと気配でわかるようだ。街でこの能力を使う機会は少ない。
普段はグータラでどうしようもないやつが、あるとき、条件が整うと、急に才能を発揮する人間がいる。犬も同じだ。「バカ犬」と陰口をたたかれても、ちゃんと自分の能力が発揮できる時と場所、条件を与えられれば、「バカ」ではなくなる。
人間も、犬も、能力を発揮できる条件がないなら、よけいな事は、しない。無駄なエネルギーは使わない。ただそれだけのこと。それは「バカ」ではなくて、すごく「賢い」ことなのかもしれない。
明日からまた、犬連れの移動生活が始まる。
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