2009/09/30
2009/09/29
2009/09/27
2009/09/26
2009/09/24
2009/09/22
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (100) 稲穂と犬
今の時期は、稲穂が垂れた田んぼが美しい。
そういえば、中国南部、ヤオ族の祖先は盤古という犬だった。
また、ミャオ族には、人間界に稲をもたらしたのは、犬だったという民話もあった。犬の尾が垂れた稲穂と似ているからという説があったと思う。
そのときはもちろん犬を飼ってもいないし、むしろ嫌いだったので、この民話を聞いて、納得することはなかった。でも、今見ると確かに犬の尾は、稲を想像させる。
どの少数民族だったか、犬が天上界から人間界に稲を持ってきたのは、尾に種籾をくっつけて盗んできたという話もあったように思う。うちの犬は、籾ではなくて、雑草の種はよくくっつけてくる。
そんな犬と稲との関わりが多い中国南部の少数民族地帯の旅を思い出してしまった。
2009/09/21
2009/09/20
2009/09/19
2009/09/18
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (96) 会津柳津
今日は、喜多方のコインランドリーで洗濯をしたり、原稿を書いたり、CD-Rをコンビニから送ったりして、移動は短距離。
会津坂下のツタヤで休憩。雑誌売り場で、『山と渓谷』を立ち読み。10月号は「おいしい風景」で、伝統食「つとっこ」とか、棚田の写真を使っている。
会津柳津の道の駅で今日は泊まる。
道の駅に車を置いて橋の向こう岸に見えたりっぱな寺、福満虚空蔵尊まで行ってみた。ここは1200年の歴史があり、「虚空蔵さまに年3回お参りすると、お金に不自由しない」といわれ、年間100万人の参拝客が訪れているという。3分の1でいいから(たぶんあと2回は来れないと思う)、俺もそのご利益にあずかろうと、お参りをした。
柳津温泉が近くにあり、つきみが丘町民センターで入浴することができる。300円。安い割には、ちゃんとシャンプー、ボディーソープ、ドライヤー付き。ナトリウム温泉で塩辛い。そのせいか体が温まった。
2009/09/17
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (95) 川西の散居集落(虚空蔵山の棚田から)
昨日、新潟県胎内の道の駅に泊まろうといったら、なんとつぶれてなくなっていた。道の駅がなくなったという例を他には知らない。これからもっと増えていくのだろうか。道の駅がなくなるのは、車中泊の旅にとっては困った問題だが、でも、経費削減の波は、道の駅にも影響を及ぼすのは確実だろう。
それで、胎内からさらに北へ10kmの、村上市の手前、神林の道の駅に泊まった。
今朝は、日本海に出て岩船港に行った。岩船から10kmほど新潟市方向へ戻り、国道113号線を山形県の方向へ折れる。道は快適で、吹き込む風もさわやかだ。ほんとにいいドライブ日和。犬も嬉しそうに車窓から鼻を出して匂いをかぎまくる。
県境を越え、飯豊から川西に出た。ここで、山形の棚田20選にも選ばれている、虚空蔵山の棚田に上った。狭い農道を登っていくと展望台がある。田んぼが黄色くなった川西の散居集落は美しい。もうすぐ稲刈りのシーズンだ。
去年もちょうど今の時期来たが、そのときは棚田にコメを作っていたはずの田んぼは、豆畑に変わっていた。
米沢の上杉神社で犬の記念写真を撮ったあと、福島県喜多方市へ抜ける。市内で、喜多方ラーメンを食べたとき、テレビでちょうど酒井法子の記者会見が行われていた。
記者会見を開いたのは、自分の口から話をしないことには、自分の子どもを含めた周りの関係者が迷惑すると思ったことも理由のひとつだろう。それほどマスコミ取材のひどさは想像できる。弁護士がくれぐれも関係者に対する取材を控えてほしいと懇願していたことでもわかる。こと、このことに関しては、たとえ「犯罪者」でも、同情してしまう。
車中泊は、喜多方の道の駅で泊まる。ここは今年の5月にも泊まった。温泉付き。午後5時以降は、300円と安い。休憩室も大きくてゆっくりできる。温泉は午後9時まで。
2009/09/16
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (94) 出雲崎
十日町を出て北へ。小千谷市、長岡市の郊外を迂回して、西へ向かい日本海に出た。
そこは、「越後出雲崎天領の里」だ。なかなかのんびりしていいところだ。古い家並みが立ち並び、日本海の漁村独特の暗さを持っている。佐渡の金銀を運び込んだり、コメを積み出したり、重要な港だったことで、幕府直轄領「天領」となった。
どことなく北海道の江差と雰囲気が似ている。木造家屋が、ニシン御殿とそっくりだ。
出雲崎は、例の演歌歌手ジェロの『海雪』にも登場する場所でもあった。ジェロのポスターやチラシがやけに目に付いた理由はこれだった。
「歌碑かなんかあるんですか?」と、地元の人に聞いたら、「ここに来たわけじゃなくて、想像で作った歌で、歌碑なんかもないです」と、少し迷惑そうにいわれた。想像で歌を作っても悪いことはなにもないのだが、もしかしたら、地元の人には不満なのかもしれない。ジェロは、出雲崎観光大使に任命されているらしい。
2009/09/15
2009/09/14
2009/09/10
テレビドラマ 『北の国から』
6月7月と北海道を旅して、後半には富良野に立ち寄りました。
俺はどちらかというと、富良野より、その北側にある美瑛の畑に興味があった(写真のために)のですが、妻が『北の国から』のロケ地に行きたいというので、富良野の麓郷というところへいったら、ドラマのことを思い出しました。
第1回目は1981年放送だったらしく、その年は、俺が大学を1年遅れて卒業したあと関東でバイトをして、またヨーロッパから、アフリカ、アジアへと、半年間の旅をした年であり、『北の国から』を断片的にしか観ていないのは、そのせいかと分かりました。
それでも、当時からなんとなく惹かれるものがあって好きなドラマだったのですが、今回、北海道から戻ってから、DVDを借りて、第1話から全部通して見たら、なんて先進的なドラマだったんだと、今観てもぜんぜん古さを感じさせないのはすごいなと思ったわけです。
「環境問題」、「エコロジー」、「モッタイナイ思想」など、今の方がむしろ理解されるテーマを内に秘めたドラマだったということを知って、原作・脚本の倉本聰さんのすごさをあらためて知ったのです。
麓郷、富良野の町、純と蛍が通っていた分校、住んでいた小屋などが出てくると、さすがに時間の流れを感じます。3軒目の小屋はかなり老朽化が進んでいました。もう30年も前なんだから、当然です。
俺が一番好きなシーンは、夜の森で純、蛍、正吉の3人がUFOと遭遇し、原田美枝子演じる分校の先生が、『365歩のマーチ』を歌いながら現れ、3人が、先生は宇宙人かもと疑い、暗い森を逃げ帰るところです。子どもの目線で語られるそのエピソードが好きです。しかも、あとで「なんだ勘違いだった」などというオチはなく、「もしかしたら宇宙人かも」という話で続いていくのがまたすばらしいところですね。
連続ドラマは24回で終わりますが、ドラマが好評だったので、その後も、、『2002遺言』まで、スペシャルドラマが8回続きました。
DVDで、連続ドラマ24話から、スペシャルドラマを続けて観ると、当然、純と蛍の成長の変化が激しいということもあるのかもしれませんが、スペシャルドラマでは、どうも登場人物のキャラクターが「おとなしくなった」と感じたのは俺ばかりでしょうか。実際、純と蛍は小学生から中学生になっていくので、当然としても、彼らの元叔母さんに当たる竹下景子演じる雪子のキャラクターは、明らかにおとなしくなりました。
音声も聞き取りやすくなり、技術的な進歩も感じますが、キャラクターがおとなしくなったというのは、より「自然な」演技が求められるようになったからか、それとも俳優たち(スタッフも)が成長して「おとなしくなった」ということなのか。連続ドラマとスペシャルドラマにちょっとした断絶を感じてしまいます。
もちろん、その断絶も気にしなければ気にならない程度なので、どうってことないのですが。ドラマ自体のすばらしさに変わりありません。
2009/09/05
11月の写真展
11月の写真展の打ち合わせに行ってきました。まだ先ですが、今週からまた「犬連れ日本一周車中泊の旅」を再開し、帰りは10月末ころになってしまうので、帰ってからでは間に合わないので、DM用の写真や資料などを預けてきました。
タイトルは、雑誌連載と同じ『秩父桃源 2008-2009』。
場所は、さいたま市浦和の楽風(らふ)。お茶屋さん(旧中仙道に面した青山茶舗)の敷地内にある土蔵を改造した和風ギャラリー。1Fは喫茶店で、2Fが写真展会場です。壁面は土壁の展示スペースになっています。
こちらでは過去、「雲南」「メコン河」「棚田」のテーマで3回やらせてもらっているので、今回で4回目です。
会期は11月19日から12月1日まで。会期中の11月27日(金曜日)にはスライド&トークショーもあります。
2009/09/01
時代劇を見るような、世襲議員たち
政権交代が実現しました。
「自民党には不満、民主党には不安」と言われていましたが、新しいことをするときは、不安は伴うもので、いや、今はそれどころではないというのが実態でしょう。
そもそも、新人に期待するのは、しがらみがないからであり、その過去のしがらみが日本を、これだけがんじがらめにした元凶なのです。
長野県の自民党の小坂憲次氏が落選しました。彼は世襲議員の権化のような人で、4代に渡り、120年間も議員をやってきた家系の人だそうです。
彼が以前のインタビューで答えていました。もともとサラリーマンで、政治家を目指していたのではなく、父親が死んで、後援会や周りの人たちに頼まれて出馬して議員になったらしいのです。やりたくなくても、やらざるをえなかった。そういうことですか?
まるで江戸時代ですね。殿様が死んだら、子どもを殿様に祭り上げる。地元の利権を守るためなら、「バカ殿」でも平気だという感覚。いや、「バカ殿」の方が、操りやすいのかな? (小坂さんが「バカ殿」だと言っているのではありません、念のため。あくまでも一般論です。そして俺は世襲議員が必ずしも悪いとも思っていません。やる気さえある人ならば)
昔は、国会議員になって、地元に仕事や金を持ってくるのが仕事だったのかも知れませんが、その地域だけ良くなればいいというのは、あまりにも狭い考えで、古すぎます。もっと全体を見なければ。その地域だけに良いことが、必ずしも日本全体にとっては良いとは限らず、結局は、日本全体が悪くなったらその地域も悪くなってしまうということです。
だから今回、しがらみのない若い人たちの当選が目立ちました。自民党が大敗したのは当然の結果でしょう。小坂憲次氏の落選後のインタビューに、悔しさとか、次はがんばるぞとかいった必死さは感じませんでした。内心は、落ちてホッとしているのかもしれません。
あの4年前に国民的人気を一心に集め、自民党が圧勝したときの立役者小泉さんは、引退するとなったら、ちゃっかり自分の息子に後を継がせるという、あの「自民党をぶっ潰す」と言っていた爽快な姿とのギャップを感じてしまいます。なぁんだ、結局そういうことね、とますます小泉さんに対する幻滅感だけがつのりました。
小泉さんはちゃんとわかっていたんでしょうね。今回の選挙で自民党が大敗することを。非難されることを避けるように、さっと身を引き、それだけだと支援者が許さないので、代わりに息子を差し出しました。かろうじて息子は勝ちましたが。
意外と俺は好意を感じていた小泉さんさえ、こういうことをやってしまうんだから、自民党もここまで落ちたかという思いは強いですね。
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