2009/12/30
2009/12/28
2009/12/27
妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (138) 道後温泉と松山城
日本最古の温泉として知られる道後温泉。
道後温泉本館は明治27年に建てられた木造三層楼。何度か訪ねている温泉だ。
昔は、もう少し道は狭くてごちゃごちゃしていた気がする。今は、広い道になって駐車場やホテルがたっている。
道後温泉本館は、入浴コースによって、値段も接待もさまざま。一番手ごろな神の湯階下は400円。地元の常連たちも利用する、銭湯感覚の温泉だ。
男風呂は、脱衣所はひとつだが、東・西と、湯船がふたつある。庵治石の湯釜には、万葉歌人山部赤人の長歌が刻まれている。
湯煙の中に身を浸していると、なんだか中国の温泉にでも入っている気分だ。湯船はごつごつした肌触りで、水深が1.2mほど。温泉の湯船にしては深い。そのせいもあってか、体の心から温まる。
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』でも登場した温泉だ。
2009/12/25
棚田写真展示のお知らせ 「星の市」 詩と染めのコラボ市場
「星の市」 詩と染めのコラボ市場
メインは、詩人 宮尾節子/染 はるたかほのコラボ展の展示販売
他、青柳健二の棚田写真パネル展示
会期:2010年1月 2・3・6・7・8日
(4・5日は定休日)
時間:10:00~4:00
会場:飯能「店蔵絹甚」
埼玉県飯能市本町2-2
イベントもあります(イベントは有料です。詳細はお問い合わせください)
3日 14:00 畑花菜 音楽ライブ + 宮尾節子 詩の朗読
6日 13:30 力丸潮 篠笛演奏 + 宮尾節子 詩の朗読 / Noriko(カナダより来日) パントマイム
7日 14:00 青柳健二の棚田のスライドショー
2009/12/24
2009/12/23
2009/12/22
2009/12/21
2009/12/19
2009/12/18
2009/12/17
2009/12/16
2009/12/15
2009/12/14
2009/12/13
2009/12/11
2009/12/10
2009/12/08
2009/12/05
富田和明 和太鼓ライブ
富田和明 冬の詩2009 門天和太鼓ライブ
冬打、宇宙(そら)打、太鼓打!2009
昨日と、今日(12月5日)は、門前仲町で、友人の和太鼓奏者、富田和明氏のライブです。写真は、昨日のライブの様子です。
コミカルな演出は、富田さんらしいと思いました。でも、そこをあまり強調してほめると、本人は嬉しくないらしい。
もちろん和太鼓の、腹に響いてくる音とリズムに、人間の原始の感覚を呼び覚ますような力を感じたのはもちろんのことです。
2009/12/04
2009/12/02
写真展『秩父桃源』終わって(2)
(写真は、去年2008年の夜祭)
今日12月2日と明日3日は秩父夜祭です。
「秩父」というと、「秩父夜祭」「長瀞の船下り」「芝桜」などのイメージが強いんだなぁと、あらためて思いました。
なので、小さな祭りの写真が多かった今回の写真展を見たお客さんの多くは、「秩父って、こんなところだったんですね」「こんな祭り、やっているんですねぇ」と驚くのでした。
祭りや儀式や伝統芸能の多さもそうですが、風景のバリエーションの豊富さにも驚きます。
そういえば、俺も1年前は同じだったのです。「秩父札所」くらいしか行ったことはなかったし。
秩父は、知れば知るほど、こんなに面白いところなんだと気がつくのですが、行くまでは、秩父のイメージが固定されていて、なかなかその先への興味がわかないということかもしれません。
「知らないだけなんだ」
俺がそうだったので、そういう人は多いと思います。知ることで、秩父の奥深い魅力を再発見できるのではないでしょうか。
2009/12/01
写真展『秩父桃源』終わって(1)
写真展「秩父桃源」が今日で終わりました。
最終日は、秩父の伝統食「つとっこ」作りを撮らせていただいた奥さん、その旦那さんと娘さんが見に来てくれました。
写真展だけのために、片道3時間かけて浦和までやってきてくれました。今朝、鹿が出たそうで、鹿の被害が出るとわるいというので、すぐ帰って行きました。
今から20年前、中国雲南省で出会った少数民族の人に、「こんな人が世の中にいるんだなぁ」と、心あらわれる思いがして嬉しくなったのでしたが、まさに、彼ら家族にまた同じような感じを受けました。
俺が写真展のタイトルを「秩父桃源」としたことは、間違っていなかったと確信しました。
「桃源郷」というのは、捜し求めているときにしか存在せず、たどり着いた瞬間になくなるもの。そんなふうに思っていますが、秩父に「桃源」を重ね合わせたのは、やっぱり俺の「あこがれ」であるということなのです。
俺の、秩父に対する「あこがれ」は、80年代後半から90年代前半によく通っていた雲南省での思い出そのものなのかもしれません。そういう幸せな一時期、現実的には、絶対過去には戻れないことを知りつつも、求めてしまうという「あこがれ」。それが秩父にあったということなのです。
だから、「桃源郷」という表現は、まったく個人的なものです。秩父の姿を借りて、雲南で体験した「幸せな日々」=「桃源郷」を表わそうとしているのかもしれません。秩父に、雲南で感じた「桃源郷」と同じ匂いを感じたということだと思います。
そういえば、「宮崎駿監督、映画哲学を語る」の中で、
結局「楽園というものは自分の幼年時代にしかない、幼年時代の記憶の中にだけあるんだ」ということが分かりました。親の庇護(ひご)を受け、多くの問題を知らないわずか数年の間だけれども、その時期だけが楽園になると思うようになるのではないでしょうか。
ということを言っています。「桃源郷」も「楽園」も、自分自身がその真っ只中にいるときは、それに気がつかないもの、ということはいえるんでしょうね。
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