写真展『秩父桃源』終わって(1)
写真展「秩父桃源」が今日で終わりました。
最終日は、秩父の伝統食「つとっこ」作りを撮らせていただいた奥さん、その旦那さんと娘さんが見に来てくれました。
写真展だけのために、片道3時間かけて浦和までやってきてくれました。今朝、鹿が出たそうで、鹿の被害が出るとわるいというので、すぐ帰って行きました。
今から20年前、中国雲南省で出会った少数民族の人に、「こんな人が世の中にいるんだなぁ」と、心あらわれる思いがして嬉しくなったのでしたが、まさに、彼ら家族にまた同じような感じを受けました。
俺が写真展のタイトルを「秩父桃源」としたことは、間違っていなかったと確信しました。
「桃源郷」というのは、捜し求めているときにしか存在せず、たどり着いた瞬間になくなるもの。そんなふうに思っていますが、秩父に「桃源」を重ね合わせたのは、やっぱり俺の「あこがれ」であるということなのです。
俺の、秩父に対する「あこがれ」は、80年代後半から90年代前半によく通っていた雲南省での思い出そのものなのかもしれません。そういう幸せな一時期、現実的には、絶対過去には戻れないことを知りつつも、求めてしまうという「あこがれ」。それが秩父にあったということなのです。
だから、「桃源郷」という表現は、まったく個人的なものです。秩父の姿を借りて、雲南で体験した「幸せな日々」=「桃源郷」を表わそうとしているのかもしれません。秩父に、雲南で感じた「桃源郷」と同じ匂いを感じたということだと思います。
そういえば、「宮崎駿監督、映画哲学を語る」の中で、
結局「楽園というものは自分の幼年時代にしかない、幼年時代の記憶の中にだけあるんだ」ということが分かりました。親の庇護(ひご)を受け、多くの問題を知らないわずか数年の間だけれども、その時期だけが楽園になると思うようになるのではないでしょうか。
ということを言っています。「桃源郷」も「楽園」も、自分自身がその真っ只中にいるときは、それに気がつかないもの、ということはいえるんでしょうね。
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コメント
TKOさん
他人の土地に対して「桃源郷」という言葉を遣うときは、ちょっと緊張します。地元の人から「何言ってるんだ!」と、しかられるのではないかと思ったり。
写真展にきてくれた奥さんたちからは、「秩父桃源、いいタイトルをつけましたねぇ」と言われました。正直ホッとしました。
いや、ほんとはそんなことを気にする必要もないのです。俺にとっては、秩父が絶対的に桃源郷なのです。いいところは、いいとしか言えないのです。
投稿: あおやぎ | 2009/12/03 12:08
こんにちは
またお邪魔します。「秩父桃源郷」について自分の思いをちょっと書いてみたいと思います。
自分の生まれ育ったところが外部の人から桃源郷と言われるのは決して嬉しいことです。と言うか何か照れくさい気分でもあります。
自分自身の幼年時代は家庭の事情もあって「とても桃源郷」と呼べるものではなかったと思っています。
(何が桃源郷かは別にして)
ただ、今、還暦も過ぎ、はるか北の大地に移住して、青柳さんのブログで自分の知らなかった秩父を知り、昔の嫌なことはどこかへ消えて何となく郷愁を誘われます。
石川啄木が言ったように、「ふるさとは遠きにありて思うもの」なのかもしれません。
なかなか帰れませんので、これからも青柳さんのブログを楽しみにしています。
もっともっと秩父を掘り下げて下さい。楽しみにしています。
投稿: TKO | 2009/12/02 21:35