カテゴリー「犬連れ旅や犬にまつわる話」の388件の記事

2026/10/07

人といっしょに歩く犬

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 BRUTUS「犬と、暮らせば。」のWEB版はこちらです。

https://brutus.jp/post-528361/

数ある犬像の中でも、人といっしょに歩いた犬には思い入れがあります。例えば、和歌山県九度山町の高野山への案内犬ゴンです。

ゴンは、昭和60年代、九度山駅と慈尊院を結ぶ途中にある、丹生橋の近くに住みついた白い雄の野良犬でした。慈尊院の鐘の音に反応したので「ゴン」と呼ばれるようになりました。

ゴンは「弘法大師の案内犬の生まれ変わり」「お大師さんの犬」とも呼ばれました。約1200年前、弘法大師が、狩場明神に連れられた2匹の犬に道案内されて高野山を開いたという伝説があります。だからゴンが高野山まで人を案内していることで、そう呼ばれたことは自然だったのでしょう。

「ゴンが、本当に高野山まで人を案内しているのか、疑う人もいました」と住職は言いました。

そうなんでしょうね。片道24kmというから往復48km。本当だろうか?という疑問が生まれるのも当然かと思います。

でも、俺のフィリピンを初めとして、まだ地域犬がうろうろしているアジアの国々の体験から、ゴンが高野山と慈尊院を行き来していたというのは本当ではないかと直観的に思いました。

ルソン島の世界文化遺産、イフガオ族の棚田が広がるバダッド村へ行った時のことです。

バダッド村に滞在していた俺はバナウエの町に戻るために、峠越えをして車道まで出ることになりました。その間直線距離では5kmくらいだと思います。ただ、荷物を背負っているし、途中峠を登らなければならない山道なので、3時間はかかりました。

バダッド村を出発した時、俺の後になったり先になったりしながら付いてくる1匹の子犬に気がつきました。たしか泊まっていたサイモンズ・ゲストハウスにいた子犬かなと思いましたが、そのうち、ゲストハウスに戻っていくだろうと思っていました。

ところがその子犬は峠までいっしょに付いてきてしまったのです。だいじょうぶか?帰れるか?と心配になってしまいました。

その後も峠どころか、結局車道まで付いてきてしまいました。特別その子犬を可愛がったりもしていなかったので、どうして俺がこの子犬に好かれるのか理解できませんでした。まるで俺を車道まで案内してくれたように感じました。

ちなみに、ルソン島北部には、長者が犬を連れて狩りに出た帰り、犬が突然悲しげに鳴いて走り出したので、あとを追って行くと死者たちの村に案内されたという昔話があるそうです。(大木卓著『犬のフォークロア』)

俺に付いてきた子犬が村に帰ったのかどうかは確かめていないのでわかりませんが、どうも、これは犬の一種の習性ではないかなと、今は思います。

人間が歩いていると、何かのタイミングでいっしょに付いていくようなところがあるのではないかと。(たしか仁科邦男著 『犬の伊勢参り』にもそんなことが書いてあったような)

フィリピン以外でも、たとえば、インドネシア・バリ島、スリランカ、ネパールなどでも、犬が人に付いてくることがままあったからです。

だから犬の習性としても、人間といっしょに歩くのが、ゴンにとっては嬉しいこと、気持ちの良いこと、幸せに感じることであったから続けていたのではないかと思うのです。人間に強制されたわけではないのは確かだし、ゴンの自発的な意思として。

住職はこうも言っています。

「ゴンは、繋がれるのが嫌いな犬でした。私の姿を見ると、繋がれるのでは?と、こそこそして逃げることもありましたねぇ」

ゴンの地域犬(里犬)としての感覚として、人間に管理されてしまう窮屈は理解していたのではないかな。ゴンは特別に自由に歩きたい犬。歩くことが好きだった犬のような気がします。

 

 

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2026/09/22

犬の民俗の犬供養

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俗に犬は、安産・多産であること、また、生命力にあやかろうとして子安信仰の対象になったとの説がある。今でも、戌の日に安産のお参りをするとか、妊娠5か月の戌の日に妊婦が岩田帯(腹帯)をつける習俗は残っている。犬張り子、犬の子のお守りもある。

全国には「安産犬」「子育て犬」などの名前の子安信仰の犬像がたくさんある(『全国の犬像をめぐる』でも紹介している)。これらにお参り、あるいは撫でることによって、子宝に恵まれるように、安産であることなどを祈願するのだ。だからどこの犬像もみんなに撫でられててかてか光っている。

犬供養の風習は、こうした犬が子育て、出産の守り神になるという考え方と共通したものなのだろうか。少なくとも関係はしているように思う。

『世界大百科事典(旧版)』「犬供養」には、

「利根川下流域では十九夜講やユサン講などの講員である若い嫁が,毎年2月から4月ころにかけて定期的に行うが,雌犬が死んだ際に臨時に行うこともある。犬卒塔婆とよぶY字形の塔婆に握飯を入れた藁苞(わらづと)をつけて,村はずれの川や三差路まで鉦(かね)・太鼓で送っていき,そこに立ててくる。これは無事に子どもが生まれてくることを願う安産祈願の行事である。」

昨日も書いたが、犬供養はもともとは文字通り犬の供養だったものが、犬の産死を見ることもほとんどなくなった現在、安産祈願だけは続いているということなのだろうか。


 

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2026/09/20

心理面からみた犬供養

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動物の葬り方のひとつとして、「犬供養」「犬卒塔婆」という名前にひかれて調べ始めたのでしたが、昔は、本当に犬が直接関係していて、特に、安産であるはずの雌犬が死んだりすると、災いが起こらないようにと供養したという地区もあったようです。

でも、犬供養をやっていることはやっているそうですが、今はあまり「犬」が前面に出てくることはなくなったという話をしてくれたのは、今も犬供養をしているつくば市に住む講の人です。

前にも書きましたが、『印西町史』には、

「難産で死んだ犬を供養しないと、女人の出産が重くなると思われていたから、Y字型の犬卒塔婆を作り、ムラの寺院の住職に読経してもらったり、(中略)ムラムラによってそれぞれ所定の位置に建てられていた」とあります。

犬の産死が人々に災いするのでは?という恐れがあったのは確かなようです。安産であるはずの犬が産死するというのはある意味"異常事態"でもあるので、その"異常事態"を何とか納めたいという気持ちもあったことは、恐れは何にもまして強い感情なので、心理面からも想像ができます。

 

 

 

 

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2026/09/11

【犬狼物語 其の八百五十七】千葉県成田市西大須賀の八幡神社の犬像

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西大須賀の八幡神社を参拝しました。

ここまではっきりした犬像もめずらしいかなと思うくらいの犬の狛犬です。

水戸の八幡神社もそうでしたが、八幡神社の多くでは、生まれた年の十二支によって一生の守護神が決まるという「一代守(いちだいまもり)本尊」の信仰において、八幡大菩薩(八幡神)が「戌(犬)年」と「亥(猪)年」の守り神とされているそうです。

「【犬狼物語 其の二百六】 茨城県水戸市 八幡神社の「戌歳守護」像と「亥歳守護」像」 

西大須賀の八幡神社の犬像もその信仰から置かれたかどうかはわかりませんが、尻尾を巻いて首輪もしていてコロコロしていて、なにしろ可愛らしい。 

現在鳥居の左右に立っているのが平成16年奉納のメインの犬像ですが、風化が進んで古くなった先代(明治時代?)の犬像も置かれています。こちらもちゃんと首輪の表現が残っていて、あきらかに「犬」です。 

ここまで犬にこだわっている理由は何か他にあるのでしょうか。

 

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2026/08/30

喪の儀式(ペットロス)

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ヴィーノが死んで2年4カ月経ちました。2年以上経つのにペットロスはなかなか解消されないものです。

先日、思い出の地、毛呂山町の鎌北湖へ行きました。ヴィーノが死んで数日後だったでしょうか、ヴィーノの骨壺といっしょに行った場所です。

どうして鎌北湖だったのかというと、全般に山が好きだったヴィーノですが、次に遊びに行く予定だったのが鎌北湖で、翌日ヴィーノが元気になったらまた行こうと思っていたのですが、その日の夜中、ヴィーノは死んでしまい、鎌北湖へ連れていくことができなかったからです。

そして偶然にも、というか、それまで気がつきませんでしたが、鎌北湖には「犬魂碑」があり、ビーグルらしいブロンズ像も建っていて、その偶然に驚いたということは『全国の猫神様をめぐる』にも書いた通りです。ところで今回初めて気がついたのですが、この犬魂碑の上部には犬の位牌らしきものがずらりと並んでいました。

喪の儀式は、それぞれ人によって違うのは当然です。俺たち夫婦はこの鎌北湖を訪ねることが喪の儀式で、ヴィーノの死を受け入れ、自分の心と向き合うための大切な喪の作業になっているようです。最初は犬魂碑にヴィーノの骨壺を置いて手を合わせることで悲しみに浸りました。そして今回は、気持ちが落ち着き、癒されているような気がします。

心理学では、精神分析医ジョン・ボウルビィの「悲哀の4段階モデル」というのがあります。

第1段階:無感覚・麻痺の段階(直後〜1週間程度)
第2段階:思慕と探求・否認と抗議の段階(数週間〜数ヶ月)
第3段階:断念・絶望の段階(数ヶ月〜1年程度)
第4段階:離脱・再建の段階(1年〜数年)

俺たちは喪の作業として、現在ボウルビィの第4段階にいて、ヴィーノがいない世界の再構築を行っている最中なのでしょう。少しづつでもペットロスが解消されることを期待します。

なお、動物の供養碑・慰霊碑の中には、この喪の作業の一環として作られたものもあるのかもしれません。

 

 

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2026/08/07

【犬狼物語 其の八百三十二】板橋不動尊の犬像

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昨日アップした犬卒塔婆(ザクマタ・ザンマタ)と同様に、つくばみらい市の板橋不動尊も「子安信仰と犬」に関わりの深い寺です。元禄年間建立と言われる鮮やかな朱塗りの楼門の本堂側の左右に白い犬像が鎮座します。表情が最高です。

板橋不動尊は「お犬不動尊」と呼ばれているそうで、次のような伝説が伝わっています。

公式HP「板橋不動尊白犬の由来」にはこのようにあります。

「江戸の昔、山王新田(現・つくばみらい市)で難産の婦人 多く親子共に死に至るものもあって子供を身篭ると皆不安な毎日を送るようになった。ある夜、村名主の夢枕に雄雌の白い犬が現れ、我は板橋不動の使いなり、女人講中揃って不動尊に参詣し護摩祈祷を成せば難産の苦しみを救わんとのお告げがあった。翌朝、祈願をし不動尊の使者である白犬一対 奉納したところ、以後、当村内で難産で若しむ者一人もなく。
以来、板橋不動さまを別名お犬不動尊と呼ぶようになった出産安産の霊験今に伝わっています。」

また子安観音、子安こんがら童子の両脇に、目黒不動などの母子犬像と似ている犬像が控えています。こちらは板橋不動内で一番古い犬像のようです。

 

 

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2026/08/06

つくば市の犬卒塔婆(ザクマタ)

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以前から興味のあった「犬」と「産育習俗」が結びついた「犬卒塔婆」はぜひ見てみたいと思ってきましたが、今年になっていくつか見ることができました。

つくば市内の十九夜塔に立てかけられた犬卒塔婆(ザクマタ)です。女人講が二又の犬卒塔婆を立てて犬供養を行い 安産を祈願したそうです。

ここは典型的なY字路です。ここがそうだったのかはわかりませんが昔Y字路は犬猫の墓地でもあったようです。。

犬卒塔婆が奉納された年号は裏に書いてあったのかもしれませんが、うっかりして確かめるのを忘れました。汚れ具合から今年のものではないようです。

つくば市内の別な犬卒塔婆で聞いた話ですが、Y字形の木、枝ぶりが適当なものは意外と探すのが難しい。しかも昔はキリの木を探したといっていました。キリの木は軽いので「軽いお産」にかけてキリの木を使ったそうです。

 

 

 

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2025/12/22

ペットの茅の輪

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ペットの茅の輪です。

犬の障害物競争、アジリティー得意なワンちゃんはすんなりくぐれそう。

その奥に見えるのがペット神社で、平成21年に建立。ペットの健康長寿や病気治癒などを祈願する神社だそうです。
 
 
 

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2025/11/28

【犬狼物語 其の八百十一】心理学から見る狼信仰ー「元型」としての狼

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狼信仰は害獣の鹿や猪除けとして、主に農業関係の守り神としての信仰から始まったとされますが、それはあくまでも江戸時代に盛んになった理由です。

でも、狼信仰自体は、ずっと古く、おそらく太古の時代に狼とファーストコンタクトがあったときから始まったのではないでしょうか。

縄文時代ではどうかというと、狼と縄文人の関係を想像させる資料がいくつか出土しています。東京国立博物館で開催された『JOMON 縄文』でも展示されましたが、岩手県一関市の貝鳥貝塚からは、細長い鹿角の先端に狼の頭が彫られた狼形鹿角製品や狼の犬歯や下顎骨に穴を開けた垂飾品が見つかっています。千葉県我孫子市の下ヶ戸貝塚からは、狼の下顎骨を加工した垂飾品、千葉県千葉市の庚塚遺跡からは、上顎犬歯が加工された垂飾品も出土しています。 

このように、なんらかの狼信仰と呼べるような片鱗が見えます。

これは日本だけではなく、世界的に見ても、狼の骨などは力の象徴、魔除けとして身に着けられたようです。

そこでこの狼に対する人間の共通した信仰はどうして生まれたかについて、マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』の中で、「元型」という言葉を使っています。

フォックスはイヌ科動物の権威。心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。

この本は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。

フォックスはこのように言っています。

「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」
「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

「元型」とあるのは、フォックスの心理学的な考察からきた言葉でしょう。

「元型」は心理学者ユングが提唱した概念で、人間の心は「意識」→「個人的無意識」→「集合的無意識」と階層を作っていますが、もっとも深い所にあるのが人類共通の「集合的無意識」です。「元型」とは「集合的無意識で働く人類に共通する心の動き方のパターン」といった意味です。

代表的なものに「太母」「老賢者」などがありますが、「オオカミ」もそうなのではないかというのです。

人類が長い間、狼との接触によって、DNAに刻まれた”記憶”のようなものが「元型」となり、狼に対する共通したイメージを作るのかもしれません。

狼信仰についていろいろ調べていく中で、西洋でも、モンゴルでも、日本でも、時代をさかのぼればさかのぼるほど、狼信仰に共通したイメージを感じられたので、それがどうしてなのかという疑問を持ってきました。そのひとつの解釈として、心理学から見た狼信仰のルーツということで、「元型」を用いると、個人的に腑に落ちるということなのです。だからこれが「正解」なのかはわかりません。

「元型」という用語は難しくもあるので、精神世界における本能のようなものと言い換えてもいいかもしれません。民族や時代に関わらず人の心は狼に対する同じようなイメージを生み出すということです。

それでは今話題の熊についてはどうなんだという話ですが、熊も「強さ」に関しては狼に引けをとらないので、熊も「元型」となっているのかもしれませんが、もしかしたら棲息範囲が狼ほど広くはなかったと思うので、「元型」になるほどではなかったのかもしれません。以上、熊については詳しく調べたわけではないので、あくまでも憶測です。

さて、日本では狼信仰はその後どういった経緯をたどったのでしょうか。

先日の飯能市立博物館での西村敏也先生の講座「秩父地域のオオカミ信仰について」を参考にすると、日本では、中世になると山の神の神使・警護者として狼を認識するようになった修験者などが全国に進出し、狼信仰を伝えたということであったらしい。日光修験、熊野修験らが行場として利用するため秩父の山岳へ進出し、室町時代になると、修験が秩父の山岳に祠を設けて居住するようになりました。

そして江戸時代になると秩父を中心にした地方では、民間信仰であった狼信仰的なものを寺社が取り込み、狼のお札を配り始め、害獣防止などの需要があったために、急速に関東地方周辺に広まっていきました。

各時代によって狼信仰の形態が違いますが、もともと「元型」としての狼信仰がずっと底辺に流れていたことは間違いないのではないでしょうか。

ただし、太古の時代はまさしく狼そのものに対する信仰でしたが、時代が下るにしたがって(特に日本では)、「狼さま」「お犬さま」という狼を元にした霊獣のようなもの(観念的な狼)を信仰するように変わってきたのかなと思います。

 

 

 

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2025/03/12

「縄文犬」と「弥生犬(?)」

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埼玉県加須市長竹遺跡から、これまでに縄文時代・晩期(約3500〜3000年前)の動物形土製品が複数出土しています。その中に犬形土製品もあります。 

頭から尾までは長さ7.3cm、足から耳の先端までの高さが4.9cm、、重さ40.5gの小さな土製品です。立った耳と巻尾が特徴的で、目・鼻・口の表現はない。その代わり尾の付け根下に肛門のような穴があります。

使用目的はわかりませんが、何かの儀式・お守りのたぐいではないかと推定されているようです。

また、藤岡神社遺跡から縄文時代後期の犬型土製品や、犬の頭骨などが出土しています。犬の頭骨からは、樹脂で縄文犬が復元されて、「藤丸」と名前が付けられています。

年齢は2歳、肩までの高さは37cmで柴犬くらいの大きさです。額から鼻にかけてのストップ(額段)がなく、狼にも似ています。手足が太く引き締まった体は、優秀な狩猟犬を思わせます。

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 西原大塚遺跡で平成7年度に発見された「動物形土製品」ですが、管理センターのスタッフによると、以前は「弥生の犬」と呼んでいたそうです。まだ「犬」と確定していないので、正確を期すために今は「動物形土製品」と呼んでいます。 もしこれが「犬」だとすると、全国でも土製品としては唯一の資料(弥生時代では?)になるようです。両耳は立っていて、巻尾で、口までちゃんと表現されています。小型犬のようです。

 

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