カテゴリー「犬連れ旅や犬にまつわる話」の380件の記事

2025/12/22

ペットの茅の輪

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ペットの茅の輪です。

犬の障害物競争、アジリティー得意なワンちゃんはすんなりくぐれそう。

その奥に見えるのがペット神社で、平成21年に建立。ペットの健康長寿や病気治癒などを祈願する神社だそうです。
 
 
 

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2025/11/28

【犬狼物語 其の八百十一】心理学から見る狼信仰ー「元型」としての狼

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狼信仰は害獣の鹿や猪除けとして、主に農業関係の守り神としての信仰から始まったとされますが、それはあくまでも江戸時代に盛んになった理由です。

でも、狼信仰自体は、ずっと古く、おそらく太古の時代に狼とファーストコンタクトがあったときから始まったのではないでしょうか。

縄文時代ではどうかというと、狼と縄文人の関係を想像させる資料がいくつか出土しています。東京国立博物館で開催された『JOMON 縄文』でも展示されましたが、岩手県一関市の貝鳥貝塚からは、細長い鹿角の先端に狼の頭が彫られた狼形鹿角製品や狼の犬歯や下顎骨に穴を開けた垂飾品が見つかっています。千葉県我孫子市の下ヶ戸貝塚からは、狼の下顎骨を加工した垂飾品、千葉県千葉市の庚塚遺跡からは、上顎犬歯が加工された垂飾品も出土しています。 

このように、なんらかの狼信仰と呼べるような片鱗が見えます。

これは日本だけではなく、世界的に見ても、狼の骨などは力の象徴、魔除けとして身に着けられたようです。

そこでこの狼に対する人間の共通した信仰はどうして生まれたかについて、マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』の中で、「元型」という言葉を使っています。

フォックスはイヌ科動物の権威。心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。

この本は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。

フォックスはこのように言っています。

「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」
「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

「元型」とあるのは、フォックスの心理学的な考察からきた言葉でしょう。

「元型」は心理学者ユングが提唱した概念で、人間の心は「意識」→「個人的無意識」→「集合的無意識」と階層を作っていますが、もっとも深い所にあるのが人類共通の「集合的無意識」です。「元型」とは「集合的無意識で働く人類に共通する心の動き方のパターン」といった意味です。

代表的なものに「太母」「老賢者」などがありますが、「オオカミ」もそうなのではないかというのです。

人類が長い間、狼との接触によって、DNAに刻まれた”記憶”のようなものが「元型」となり、狼に対する共通したイメージを作るのかもしれません。

狼信仰についていろいろ調べていく中で、西洋でも、モンゴルでも、日本でも、時代をさかのぼればさかのぼるほど、狼信仰に共通したイメージを感じられたので、それがどうしてなのかという疑問を持ってきました。そのひとつの解釈として、心理学から見た狼信仰のルーツということで、「元型」を用いると、個人的に腑に落ちるということなのです。だからこれが「正解」なのかはわかりません。

「元型」という用語は難しくもあるので、精神世界における本能のようなものと言い換えてもいいかもしれません。民族や時代に関わらず人の心は狼に対する同じようなイメージを生み出すということです。

それでは今話題の熊についてはどうなんだという話ですが、熊も「強さ」に関しては狼に引けをとらないので、熊も「元型」となっているのかもしれませんが、もしかしたら棲息範囲が狼ほど広くはなかったと思うので、「元型」になるほどではなかったのかもしれません。以上、熊については詳しく調べたわけではないので、あくまでも憶測です。

さて、日本では狼信仰はその後どういった経緯をたどったのでしょうか。

先日の飯能市立博物館での西村敏也先生の講座「秩父地域のオオカミ信仰について」を参考にすると、日本では、中世になると山の神の神使・警護者として狼を認識するようになった修験者などが全国に進出し、狼信仰を伝えたということであったらしい。日光修験、熊野修験らが行場として利用するため秩父の山岳へ進出し、室町時代になると、修験が秩父の山岳に祠を設けて居住するようになりました。

そして江戸時代になると秩父を中心にした地方では、民間信仰であった狼信仰的なものを寺社が取り込み、狼のお札を配り始め、害獣防止などの需要があったために、急速に関東地方周辺に広まっていきました。

各時代によって狼信仰の形態が違いますが、もともと「元型」としての狼信仰がずっと底辺に流れていたことは間違いないのではないでしょうか。

ただし、太古の時代はまさしく狼そのものに対する信仰でしたが、時代が下るにしたがって(特に日本では)、「狼さま」「お犬さま」という狼を元にした霊獣のようなもの(観念的な狼)を信仰するように変わってきたのかなと思います。

 

 

 

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2025/03/12

「縄文犬」と「弥生犬(?)」

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埼玉県加須市長竹遺跡から、これまでに縄文時代・晩期(約3500〜3000年前)の動物形土製品が複数出土しています。その中に犬形土製品もあります。 

頭から尾までは長さ7.3cm、足から耳の先端までの高さが4.9cm、、重さ40.5gの小さな土製品です。立った耳と巻尾が特徴的で、目・鼻・口の表現はない。その代わり尾の付け根下に肛門のような穴があります。

使用目的はわかりませんが、何かの儀式・お守りのたぐいではないかと推定されているようです。

また、藤岡神社遺跡から縄文時代後期の犬型土製品や、犬の頭骨などが出土しています。犬の頭骨からは、樹脂で縄文犬が復元されて、「藤丸」と名前が付けられています。

年齢は2歳、肩までの高さは37cmで柴犬くらいの大きさです。額から鼻にかけてのストップ(額段)がなく、狼にも似ています。手足が太く引き締まった体は、優秀な狩猟犬を思わせます。

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 西原大塚遺跡で平成7年度に発見された「動物形土製品」ですが、管理センターのスタッフによると、以前は「弥生の犬」と呼んでいたそうです。まだ「犬」と確定していないので、正確を期すために今は「動物形土製品」と呼んでいます。 もしこれが「犬」だとすると、全国でも土製品としては唯一の資料(弥生時代では?)になるようです。両耳は立っていて、巻尾で、口までちゃんと表現されています。小型犬のようです。

 

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2025/02/25

【犬狼物語 其の七百九十六】清川村のニホンオオカミの頭骨撮影

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清川村のニホンオオカミの撮影を担当させていただきました。

これほど多くの頭骨を一堂に集めての撮影はこれからもないと思います。貴重な体験をさせていただきました。

 

 

 

 

 

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2024/12/06

浅草清光寺と高松法然寺の白犬伝説

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犬像はないのですが、浅草清光寺と高松市の法然寺には白犬伝説があります。写真は清光寺、讃岐松平家の墓所です。

 

この伝説には2匹の白犬が関わります。詳しい話は、「【犬狼物語 其の六十五】 香川県高松市 法然寺の白犬塚」で。

 

https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-445f.html

 

名前がない一般名詞の「犬」なので、この伝説の本質は、讃岐松平家の殿様の奥方(倫姫)は犬にも慈悲の心を示すほどの優しい人柄だったということを伝えるものだったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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2024/11/20

【犬狼物語 其の七百八十五】世界子どもの日と子安信仰

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11月20日は「世界子どもの日」だそうです。

子安信仰 では「犬」も信仰対象です。全国には安産、子育ての 犬像 がたくさんあります。 これは「お宮参り」や「七五三」の親御さんにあげているカードです。

【犬狼物語 其の七百八十四】イヌ科動物と産育民俗など、何度も書いている話です。

「子安信仰=犬」と言われていますが、なぜなのかは今のところわかりません。一般的には犬の多産・安産にあやかるという、そうすると、犬だけではなく、イヌ科動物、狼や狐も関係してくるのではないか。実際、狼も狐にも産見舞いなどの習俗もあります。

写真は 三峯神社の 狼像ですが、まるで犬に見えます。

 

 

 

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2024/08/31

【犬狼物語 其の七百七十七】長命寺の「六助塚」

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向島に行ったついでに、数年ぶりに長命寺を参拝しました。

ここには『犬像をたずね歩く』に載せた明治21年4月建立「六助塚」の碑と犬像がありまます。

ユニークな犬像として紹介した六助ですが、実際は頭だけです。頭だけの犬像というのは他に記憶がありません。

今回見たら、六助の頭は、碑の土台といっしょになっていることがわかりました。数年前はもっと土に覆われていて、地面に首が置かれたように見えたのでした。もしかしたら左側に胴体、あるいは尾の一部分のようなでっぱりも見えるので、もっと掘り下げると、横たわった六助像があらわれるのかもしれません。

お寺で聞いても何も資料が残っていない(焼けた)とのことで、首から下がどうなっているか、お寺でも把握していないとのことです。

ところで、六助とはどういった犬だったのでしょうか。

倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、

「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」

とあります。

ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。

六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺されたということらしい。

ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。

 

 

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2024/08/30

デコピン

 

デコピン、大きくなったね。子犬の成長は速いです。

始球式までやってお犬さまのヒーローです。

でもやっぱりそうなんですね。デコピンのあの動きは一発勝負では難しいのではないかと。

大谷さんは2~3週間練習した、1回は球場に連れてきてリハーサルしたと聞いて、あのデコピンの完璧な動きに納得しました。それにしても何に対しても手を抜かず完璧を目指すんですね、さすがです大谷さんは。

大谷さんが抱き上げようとしたとき、ちょっと嫌がって逃げるんですが、このあたりヴィーノもこんな感じだったので、ヴィーノを思い出しました。もう4ヶ月経つんですね。

いつかデコピン連れた大谷さんの銅像が立つ確率高いので、その時は『犬像をたずね歩く』に加えさせていただきます。ちゃんと取材もして、本人のインタビューも載せられたら最高ですが。

 

 

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2024/06/26

写真展『旅するヴィーノ 日本一周犬が見た日本の風景』

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写真展『旅するヴィーノ 日本一周犬が見た日本の風景』

2024.7.11(木)~7.23(火) 【7.17休み】
10:00~19:00 (最終日15:00)
ギャラリー楽風
さいたま市浦和区岸町4-25-12

 

ビーグル犬ヴィーノと妻と車中泊しながらの旅で撮影したヴィーノが映った日本の風景。雑誌で5年間連載したものを中心に展示します。

 

 

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2024/05/04

【犬狼物語 其の七百四十七】軍犬

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江戸川区の、あるコミュニティセンターのロビーに、1933年~1940年まで使われた「小学国語読本尋常科用巻一」が展示してありました。

そのページには犬の絵が出ていたので、つい足を止めて見てしまいました。「コイコイ シロ コイ」とあります。左側のページには、「ススメススメ ヘイタイ ススメ」とあります。犬と兵隊が関連付けられています。

あの有名な忠犬ハチ公の像は1934年に建てられました。この時代の「忠犬」には危険な匂いを感じます。

靖国神社には「軍犬慰霊像」があります。外国に派遣された軍犬は、ほとんど日本に帰っていません。

犬は戦争の意味を知らない、国のために戦ったのでもない、ただただ犬係りの兵士との絆や愛情や信頼のために従ったにすぎません。でも彼らの活動が「軍事行動」になり、彼らが「軍犬」と呼ばれるのは、人間が作った戦争という状況があるからです。

支那事変で活躍した軍犬・利根も初等科国語の教科書に載り、文部省唱歌にもなりましたが、利根にとってはどうでもいい話で、ただただ犬係の兵士に撫でてもらって嬉しがってる姿を想像すると涙が出そうになります。

 

 

 

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