イギリスのオークションにかけられた100年前の日本の写真が話題になっているそうです。
http://heaaart.com/post/13997
写真には「記録」と「表現」という面があると思いますが、これぞ写真の真骨頂、記録性がもたらした宝物です。「自己表現」された写真は、どちらかというと「生もの」で、何百年ももつかどうか疑問です。その点、素材をそのまま記録する写真は、何年たっても見るに耐えるのではないか、と俺は思うのですが。(もちろん反論する人もいるでしょうが)
逆説的な言い方ですが、これらは普通の写真だからこそ、面白いのではないかと思うのです。もちろん構図や光の当て具合は、素人じゃないなと感じますが。
それとこれは一種の認知心理学の「チェンジブラインドネス」といえるかもしれないですね。人間は連続的に変化しているものは意外と変化に気がつけないのです。100年という時間差で、突然見ると、その変化がよく分かって面白いし、美しいとより感じやすくなるという面もあるでしょう。
何度も書いていますが、たとえば「電線や電柱」。風景写真を撮るとき、「醜悪だ」とか「うっとうしい」と思っている写真家は多いのではないでしょうか。それはたぶん、本人は意識していないかもしれませんが、「記録」よりも「表現」を優先させているのです。
「電線や電柱」も、たぶん、100年では無理かもしれませんが、何百年後にはなくなっているでしょう。そのとき「電線や電柱」の映った写真がどう見えるか、想像はできますよね。そうなんです、きっとすごく面白く感じると思います。「へぇ、この時代はこんな電線や電柱があったんだ」と。
とは言え、その変化の面白さがわかるには100年くらいは必要なので、せっかちな現代で、100年後の人たちのためにと意識して写真を撮っている写真家は多くないとは思いますが。
反対に、この美しい日本の田園風景も今、TPPによって大きく変わるかもしれません。ほとんど「経済問題」としてしか扱われないTPP問題に寂しさを覚えますが、そこは優先順位があってしかたないかなぁと思う面もあります。でも、まわりの風景(環境)が人の心に及ぼす影響は絶対あるはずなのです。TPP問題は「文化の問題」でもあるし「心理学的な問題」でもあるでしょう。と、するならば、その変化も写真で記録しておく意味はあるのではと思っています。
俺もいつも「100年後」を意識しながら写真を撮っているわけではありません。「表現」として、正直目の前の電線や電柱がうっとうしいと思うし、フレームから外すこともあります。でも、なるべく「100年後」を意識しようとしているつもりです。
100年後の人たちも、現代の風景を見て「100年前の日本は美しかった」と言ってくれるのでしょうか。
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