カテゴリー「電線王国(電線・電柱・鉄塔の風景)」の41件の記事

2015/12/15

【電線王国】 東大から上野公園へ 

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知り合いの写真展に寄ったあと、近くの東大農学部へ。

前から気になっていた「忠犬ハチ公」の像を見に行きました。

この農学部のハチ公と上野英三郎博士像は、ハチ公没後80年にあたる今年2015年3月8日に除幕式が行われたものです。

イチョウが構内の通路に積もっていて黄色い世界ですが、門を入ったすぐのところにありました。

そのあと言問通り、不忍通りを上野公園まで歩きました。

以前は東京都内に住んでいましたが、すっかり最近は、東京都内さえも、「旅先」になってしまいました。だから新鮮なものがあります。
 
 
 
 
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2015/10/17

発見された100年前の日本の写真は美しい

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イギリスのオークションにかけられた100年前の日本の写真が話題になっているそうです。

http://heaaart.com/post/13997

写真には「記録」と「表現」という面があると思いますが、これぞ写真の真骨頂、記録性がもたらした宝物です。「自己表現」された写真は、どちらかというと「生もの」で、何百年ももつかどうか疑問です。その点、素材をそのまま記録する写真は、何年たっても見るに耐えるのではないか、と俺は思うのですが。(もちろん反論する人もいるでしょうが)

逆説的な言い方ですが、これらは普通の写真だからこそ、面白いのではないかと思うのです。もちろん構図や光の当て具合は、素人じゃないなと感じますが。

それとこれは一種の認知心理学の「チェンジブラインドネス」といえるかもしれないですね。人間は連続的に変化しているものは意外と変化に気がつけないのです。100年という時間差で、突然見ると、その変化がよく分かって面白いし、美しいとより感じやすくなるという面もあるでしょう。

何度も書いていますが、たとえば「電線や電柱」。風景写真を撮るとき、「醜悪だ」とか「うっとうしい」と思っている写真家は多いのではないでしょうか。それはたぶん、本人は意識していないかもしれませんが、「記録」よりも「表現」を優先させているのです。

「電線や電柱」も、たぶん、100年では無理かもしれませんが、何百年後にはなくなっているでしょう。そのとき「電線や電柱」の映った写真がどう見えるか、想像はできますよね。そうなんです、きっとすごく面白く感じると思います。「へぇ、この時代はこんな電線や電柱があったんだ」と。

とは言え、その変化の面白さがわかるには100年くらいは必要なので、せっかちな現代で、100年後の人たちのためにと意識して写真を撮っている写真家は多くないとは思いますが。

反対に、この美しい日本の田園風景も今、TPPによって大きく変わるかもしれません。ほとんど「経済問題」としてしか扱われないTPP問題に寂しさを覚えますが、そこは優先順位があってしかたないかなぁと思う面もあります。でも、まわりの風景(環境)が人の心に及ぼす影響は絶対あるはずなのです。TPP問題は「文化の問題」でもあるし「心理学的な問題」でもあるでしょう。と、するならば、その変化も写真で記録しておく意味はあるのではと思っています。

俺もいつも「100年後」を意識しながら写真を撮っているわけではありません。「表現」として、正直目の前の電線や電柱がうっとうしいと思うし、フレームから外すこともあります。でも、なるべく「100年後」を意識しようとしているつもりです。

100年後の人たちも、現代の風景を見て「100年前の日本は美しかった」と言ってくれるのでしょうか。
 
 
 
 
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2015/04/09

別冊宝島2329 『日本の古道』の「秩父巡礼古道」と、栄養と料理5月号の「電線・電柱は文化遺産?」

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掲載写真のお知らせが2つあります。

ひとつは、別冊宝島2329『日本の古道』に「秩父巡礼古道」16ページ掲載されています。

秩父札所巡礼路の寺尾道、長尾根道、久那道の古道を中心に、一部秩父往還の風景もあります。
 
 
もうひとつは、「栄養と料理」5月号の、「電柱・電線は文化遺産?」です。電線王国の写真を旅写真として使ったのは初めてです。

この電柱・電線の写真は、どちらかというと「負」のイメージが強く、旅写真としては扱いが難しく感じていました。

でも最近は外国人も注目する「文化遺産」というくくりで見直してみると、これもりっぱな「日本的な風景」であり、そうであるならば当然観光資源にもなりえるのではないか?と発想の転換をしてみました。編集部のほうでもOKしてくれたので晴れて連載でも使うことができました。

ぜひ、雑誌で確認してみてください。
 
 
 
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2015/04/03

【電線王国】 智光山公園の桜と電柱

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2015/04/02

【電線王国】 智光山公園の桜と鉄塔

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智光山公園にお気に入りの鉄塔があります。桜の園で撮影です。もう散り始めてます。
 
 
 
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2014/11/05

「電柱: 自民、禁止へ法案 今国会提出を検討…五輪にらみ」のニュース

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140615_1(山梨県忍野村内野)

電柱:自民、禁止へ法案 今国会提出を検討…五輪にらみ
「電柱のない道路(高速道路を除く)の割合を表す「無電柱化率」は全国平均で1%。大都市を比べても東京23区が7%、大阪市、名古屋市とも5%にとどまるが、ソウルは46%、ロンドンやパリは100%を実現している。」
毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20141103k0000m010083000c.html 参照

「電線王国」を写真に撮っている俺には気になるニュースです。

それにしても、いまさら?という感じですね。

外国人が日本に来て、先進国であるにもかかわらずこれだけ電線がめだつ日本の景観の奇妙さ、アンバランスさに興味を持っていることに、日本人が気がついていなかったはずはないのですが。それでも経済優先だったのでしょう。ようやく景観に目を向ける余裕が出てきたということです。

やっぱり将来的には、電柱が無くなってしまうんですね。一般的美意識からすると当然のことでしょうね。

俺も電柱電線の景観を「きれいだ」と思って撮ってるわけではありません。「美しい」とは時々思いますが。

将来的には無くなってしまうから(100年後の人間になったことを想像しながら今の電柱電線の景観を見ると)、ある意味、「今の日本らしさ」の象徴的存在でもあると思っていました。

でも、お金がかかるらしく、たぶん田舎にはしばらく残ると思われます。どう考えても、上に掲載した写真のような場所、農道の地下に電線を埋設するメリットはないと思われるからです。田園の景観美化のためにというだけでお金を使うような国ではありませんし。俺からすると、都会ではなくて、こういう農村からこそ、早く電柱電線をなくしていってほしいと思うくらいですが。国交省によると、日本には電柱が約3552万本あるそうで、日本から電柱電線が100パーセント無くなるのは遠い将来のことになるでしょう。

今回の法案は都市部に限った話になると思うし、もっといえば、東京の話なんだと思います。ただ東京でさえ電柱のない道路100パーセント実現するのは30年以上はかかるのではないでしょうか。少なくともオリンピックまでに100パーセントは絶対無理です。

ところで電柱のことは英語で、「ユーティリティ・ポール」というらしい。初めて知りました。それを聞いて、なるほどと納得。日本語では「電信柱」「電柱」ですが、防犯カメラなども設置してあるし、迷い犬の張り紙や、ヴィーノのおしっこをひっかけるマーキングとしても使っています。多用途、多機能の柱ですね。

電柱電線のある風景は面白いです。
 
 

 
 
 
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2014/10/18

『ANOTHER JAPAN 電線王国』のスライドショーをYouTubeにアップ

ANOTHER JAPAN もうひとつの日本の風景「電線王国」のスライドショーをYouTubeにアップしました。以前から撮り続けてきた電線・鉄塔・電柱のある風景写真です。

情報や電力が行きかう電線が縦横無尽に走っている日本の空。「景観」などまったく無視したような無秩序な電線や電柱や鉄塔。

田んぼの中で、我が物顔で空をひとり占めにしている巨大な鉄塔たちは、人間を踏み潰すエネルギーの巨人です。空を飛び交う電線は、人間を切り裂いてしまう鋭い矢です。

電線や電柱や鉄塔に妙にひかれます。

風景写真を撮るときは、なるべく電線や電柱は入れないで撮るというのが普通なのかもしれませんが、そういうふうな写真だけ撮っていると、だんだん我慢できなくなってきます。どうも違うのです。心のバランスを取るかのように、電線がある風景を撮りたくなってしまうのです。

「おそらく何百年後かには見られなくなってしまうかもしれない風景」。逆に言えば「今だからこその日本の風景」なのです。「棚田」と同じように。

「電線がわずらわしい」とか「電柱のある風景は醜悪だ」と思うのは、「今」だからなのです。自分が100年後、1000年後の人間になったことを想像すると、この「電線王国」の風景も、違ったふうに見えてくるはずです。

俺が「電線王国」の写真を撮り続けるのは、外国人が日本の「電線王国」に興味を持つ理由とはちょっと違うかもしれません。

「棚田」と「電線王国」はずいぶん違うテーマだとと思われるかもしれませんが、相反するものだからこそ、両者を撮ることで心の安定を得ているのかもしれません。

この両者はどちらも「俺の原風景」であるに違いありません。だからどちらか一方では、気持ちが落ち着かない、バランスが悪く感じるのです。

たぶん、「電線王国」と「棚田」は、俺の無意識の中の「何か」が意識されたものとしての目に見える形なのかもしれません。心象風景です。その「何か」はまだはっきりとはわかりませんが(だから無意識と言うんでしょうが)。

もしかしたら「電線王国」は「無秩序」や「混沌」に対する俺のあこがれかもしれません。
  
 
 
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2014/09/10

昨日は旧暦八月十六日(新暦2014年9月9日)、満月のスーパームーン

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昨日は、旧暦八月十六日(新暦9月9日)で満月でした。しかもスーパームーン。地球にもっとも近づいた時の月なので、より満月が大きく見えたそうです。7月と8月にもスーパームーンを見ることができましたが、見逃したので、昨日見ました。電線やテレビのアンテナの間から。

おとといは旧暦八月十五日(新暦9月8日)で、「中秋の名月」でした。メンドクサイ話なのですが、「中秋の名月」が満月とは限りません。

秋を初秋(旧暦七月)、中秋(旧暦八月)、晩秋(旧暦九月)の3つに分けますが、「中秋の名月」は、「秋の真ん中」=「旧暦八月十五日夜」のことです。だから旧暦では、「中秋の名月」は八月十五日で日付は固定されていますが新暦では、毎年、日付が変わります。

ちなみに、2013年の中秋の名月は9月19日、2012年は9月30日でした。
 
 
 
 
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2014/06/16

【電線王国】 長野県飯山市瑞穂 田んぼと電柱

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ブラッド・ピット主演の映画『セブン』のラストシーンを思い出します。

このシーンを見ると「アメリカらしい」と思うのですが、荒野に立つ鉄塔と電線がたくさん登場します。

犯人は警察のヘリが降りられないようにこの場所を選んだのでしょう。電線がじゃまになるからです。

もしヘリが着陸したら、ブラッド・ピット演ずる若い刑事の結末も違ったものになったかもしれないと想像すると、この鉄塔と電線がとても重要な役割を演じていたのではないかと思います。まぁ鉄塔と電線を意識しながら映画を観ている人も少ないでしょうが。

掲載の写真は、今回の棚田撮影の旅で、飯山市瑞穂を通過した時に出会った風景です。

田んぼの中に伸びている農道に電柱がずらりと立っているこんな風景は、日本では珍しくありません。昨日の山梨県忍野村の電柱もそうでした。

でも、アメリカにはないと思います(行ったことないので断言はできませんが)。映画『セブン』の鉄塔・電線とは対照的な日本的な風景です。
 
 
 
 
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2014/06/15

【電線王国】 山梨県忍野村内野 田んぼと電柱・電線

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今回の撮影旅行中に出会った「電線王国」の風景。田んぼと電柱・電線の写真です。

 
 
 
 
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