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2010/01/28

シリア・ダマスカスの安宿

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おととい、アレッポの病気の話を書きましたが、今日はダマスカスでのことを書きます。

病気が回復して、アレッポからダマスカスへ行き、宿に泊まったのですが、5人ほどの相部屋でした。安い宿は、相部屋ということも多いのです。ドミトリーですね。

ヨーロッパのドミトリーも、安さだけでなく、世界各国の旅人と知り合えるというメリットもありました。だからドミトリーには慣れていたし、ここに泊まることを躊躇したりはしませんでした。

ただ、ここはシリア。ドミトリーの宿泊客は、西側諸国の旅人ではなくて、ほとんどがイスラム諸国からの旅人でした。パキスタンとかイランとかアフガニスタンとか・・・。

そのとき初めてイスラム諸国のバックパッカーもいるんだということを知ったのです。今までは、西欧文化のなかで旅をし、バックパッカーといえば、欧米人と日本人しか知らなかったので、ダマスカスのドミトリーは、カルチャーショックでした。

まるで西欧の裏側(どっちが表で裏かは別として)に別の世界があるような感じなのです。「別世界」というより、「別次元の世界」といいたほうがいいかな。

それは、欧米人もアラブ人もペルシャ人も「外人顔」をしているので、当時の俺にはまったく区別はつかず、だからかえって、同じような顔をしている「外人」なのに、英語は通じない、町の看板にはアルファベットがない、「普通の観光」の話が通じない、部屋の中でお祈りが始まってしまうなど、違いが気になったのでした。正直言って、妙に落ち着かないのです。

欧米と平行して存在する世界。どこまで行っても交わらない二つの世界。

「別次元の世界」と表現したくなるのは、こっちとあっちの世界が、物理的に隔たっているのではなく、より精神的に隔たっているという感じを受けたから、かもしれません。たぶん、それまで、通算10ヶ月間ほど旅していましたが、俺はまったく頭は欧米化してしまっていたということなのだと思います。「欧米人の目から見たイスラム教徒の違和感」です。

先日も「慣れとは恐ろしい」と書きましたが、こういう「慣れ」もあります。

最近、まるで「イスラム国家」が「テロリスト国家」と同義であるかのようなイメージは、日本人も完全に欧米化した「慣れ」の中で生活しているからなんでしょうか。


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