『「地球の歩き方」の歩き方』の続き 外国旅行を「しないこと」をお勧めします
「いい時代」は、長続きしません。
もちろん、「いい時代」というのは、「俺にとってのいい時代」という意味です。バックパッカーがバックパッカーらしく旅ができた時代です。
とはいえ、「昔は良かった」と懐かしんでいる訳ではありません。
『歩き方』が、30年で変わってきたと前回書きましたが(山口さやか/山口誠/著 『「地球の歩き方」の歩き方』[2010/01/11])、バックパッカー、旅行、円高円安、世界情勢、インターネットなど、30年でいろんなことが変わり、当然、『歩き方』に求めるものも変わってきました。その点について、編集部jが試行錯誤しながら内容を変えてきた事情は、この本でも詳しく語られています。
80年代、日本経済は右肩上がりに成長していました。このまま永久的に右肩上がりが続くと思っていました。円高も進み、ますます外国旅行がしやすくなっている時期でした。今から考えるとバカみたいですが、世の中全体が一種麻薬でもやっているような浮かれた時期でもあったかもしれません。
ところが今はどうでしょうか。(今が「普通」なのかもしれませんが)
俺は、頼まれて大学の講義で話をすることもあります。数年前なら、「若いうちは、大学を休んでも旅をしたほうがいいよ」などと言っていましたが、最近は、言わなくなっています。俺たちが学生だったころとは状況が変わっていて、学校を休んでまでも、旅をするメリットはあるのだろうかと思ったからです。
それと、「外国旅行」というものに、飽きたということもあるでしょう。テレビやインターネットでは、世界中の情報が得られ(本当はそうではないと思いますが)、別に外国へ行ったからといって、何も目新しさがない、珍しくもない。情報に飢えていた30年前とは、その点でも違ってきたからです。
いや、正直に言うと、俺の話を聞いた学生から、何度か指摘されたことがきっかけです。それは、「あおやぎさんは、楽天的だからできたんです」とか「大学を休学するの、不安には思わなかったんですか?」とか「今、あおやぎさんのような生き方はできないですよ」とか・・・。
初期条件が違うんだから、当然、結果も違ってきます。今、大学を休学して、1年、2年外国を旅して帰ってきたらどうなるんでしょうか。
それと、最近の外国での犯罪に巻き込まれ方の変化です。今までは、何があっても自己責任ですんでいたのですが、そうではなくなってきています。
外国でトラブルに遭うといっても、自分(と家族友人)が泣くだけでしたが、今は身代金を要求されたり、政治問題に発展する可能性がでてきました。自己責任の範囲を超えてしまっています。
『歩き方』にも、海外の危険情報が入るようになりました。無責任な個人旅行をあおっていると非難もされたらしいので、だんだん「旅を勧める」書き方ではない方向へと変わっていったようです。同じように、俺も無責任に外国旅行を勧めることを躊躇するようになったわけです。
でも、悲観的なことを書きましたが、実は、これからが本題(本音)です。
つまり、それでも俺は「外国旅行」をしたほうがいいと思っています。いや、「せざるをえない」「それでもしたい」と思う人だけでいいのですが。それも若いうちです。金と時間を充分に持っているご老人たちの旅行とは違います。
自分を知るためには、他人を知らなければなりません。そしてその知る方法は、頭ではなく、体を使って知ることが大切だと思います。自分は、傷つくこともなく、安全で、快適な場所にいて、世界を知ったつもりになるほど、こっけいなことはありません。
あの国の太陽は、どのように熱いのか、あの国のスラム街はどのくらい臭いのか、あの国の食べ物は、どのようにまずくて腹を壊すのか、そういう身体性を伴う外国旅行をお勧めします。
俺は国の政策として、若者が外国へ行くのを支援してもいいのではないかとさえ考えています。外国を知った若者が、将来の日本に役立つことを考えれば、絶対国益にかなうと思うんですが・・・。(残念ながら俺自身は役に立っていませんが・・・。例外です)
もちろん、「したくない」と思う人には、「しないこと」を強くお勧めします。
俺も、昔のような意味のバックパッカー旅行は出来なくなりつつあるのかもしれませんが、バックパッカー精神を持った旅行は、形を変えて、いつの時代にでも出来ると考えているので、今は、今やれる旅行をしているだけです。
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