DVDで 『ツォツィ(Tsotsi)』 を観て
『ツォツィ』(Tsotsi)は、2005年イギリス・南アフリカ合作映画。監督はギャヴィン・フッド、原作はアソル・フガード。ヨハネスブルグの旧黒人居住区が舞台になっています。
2006年アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、世界中で絶賛されました。日本では「未成年者の殺傷描写が15歳未満の鑑賞には不適切」という理由で、R15に指定されました。
南部ソト語で「チンピラ」を意味するスラング「ツォツィ」と呼ばれる少年デイビッド。南アフリカのスラム街で犯罪を重ねながら生きてきました。出演者は、みんな俳優なんでしょうが、凄みがあります。リアリティーがあります。
強盗して奪った車の後部座席に、たまたま赤ちゃんが乗っていて、ツォツィは、その赤ちゃんを自宅につれて帰ってしまう。そのことをきっかけにして、生きる意味を見つめ直すという話。
印象的なシーがふたつあります。そのひとつ。
ツォツィは駅でみかけた車椅子の男につきまとう。身障者を装っているんだと思ったツォツィは、「ウソつくな。立て」といって迫る。でも、ほんとに歩けないことを知ります。
金鉱の事故で怪我をしたことを男は話します。すると、ツォツィは、
「犬みたいになってもなぜ生き続ける?」と、男に尋ねます。
「俺は、太陽の光を感じたい。こんな手でも、暖かさはわかる」と、男はぼろきれのようになった手を差し出だします。それを聞いたツォツィは、何かを感じたかのように、静かにその場を立ち去るのでした。
もうひとつ、印象的なシーン。
子ども連れの女性のあとをつけ、家に押し入り、銃を向けて、この赤ちゃんに乳を飲ませるように迫ります。このあと、ふたりには妙な親近感が生まれます。母親と引き離された過去の思い出がよみがえり、赤ちゃんと自分を重ね合わせたのでした。
ツォツィの目つきがだんだん優しくなっていきます。かといって、悪事をやめるわけではありません。彼らの生き方を見ていると、彼らが「いい人間」なのか「悪い人間」なのかわからなくなります。いや、何が悪いことで、何が良いことなのかさえ。
俺たちのような人間が、スラム街で生きる人たちを本当に理解することはできないかもしれません。救いようの無い貧しさなんて、日本にいる限り、分からないかもしれません。俺も、なんだかんだ言って、こういうDVDを快適な環境で見ているんだから。
でも、まずこういう現実があることを知らなければ、知らないままで、考えることさえできません。せめて知ろうとする、見ようとする「関心」は持ちたいなと、思うだけです。
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コメント
きくこさん
コメント、ありがとうございます。
DVD借りられるので、もし機会があれば観てみてください。ハリウッド映画にはない、俳優たちの、なんと凄みのある、そして現実感のある演技なのか。ちょっと重いですが、良い映画だと思います。
投稿: あおやぎ | 2010/02/02 23:34
はじめまして。奥様の元同僚です。
いつも、考えさせられるブログで、楽しみに読んでいます♪
この映画、観て見たくなりました。
先日新聞で、盗みを何件も繰り返している男が逮捕されたと出ていましたが、10歳の息子に見張りをさせていたこともあった、とありこの息子の将来が心配になりました。
ふとこの記事を思い出しました。
投稿: きくこ | 2010/02/02 08:04
同感です
投稿: SCHOP | 2010/02/01 20:32