「國母くんの足は短いんで、ズボンをずり下げていたわけではありません」
「腰パン」姿や記者会見の態度に批判が集中した、スノーボード・ハーフパイプ男子代表の國母和宏選手。
かわいそうなくらい神妙になっていた橋本聖子団長の温情により、なんとか競技に参加できることになりましたが。
この程度のことで、出場辞退だとか、なんだとか、どうしてこんなに日本人はエスカレートしてしまうのでしょうか。日本は不思議な国、と思われているかも。
たしかに「乱れた」服装に、「日本代表らしくない」と、癪にさわる人がいるのは理解できますが。(いまどき「茶髪」は問題ないのでしょうねぇ) 出場辞退は行きすぎでしょう。
俺も、昔、ある会での服装がだらしないということで批判されたことがあり、人事に思えません。しかも、俺本人ではなくて、俺がいないところで批判していたのが、第三者から聞かされた、というきわめて日本人的な批判のありかたでした。直接ではないということが一番ショックでした。
ぜったいクレームをつける人はいるんだから、周りの大人が、直接彼に「そのズボン、上げていたほうがいいよ」と、注意していればすんでいた話だと思いますよ。
記者会見の受け答えも、だったら、浅田真央や石川遼や斎藤佑樹のように答えると満足なんでしょうか。まぁ、批判する人は、「ちゃんとした態度」を求めているんでしょうね。「日本人を代表している選手」としての。いや、彼のような人間に、国民の血税を使っていることが、許せないんでしょうか。
なんだか、朝青龍の「品格」問題を思い出してしまいます。
批判の声が大きかったから、関係者も、あわてて自己規制に走ったのかもしれません。「國母くんの足は短いんで、ズボンをずり下げていたわけではありません」とでも言ってあげたら良かったのに。
今は、この「批判する人」「クレーマー」が、力を発揮する世の中です。太刀打ちできないです。まったく「正当」なことを言って、批判するわけですから。間違っている方は、頭を下げるしかありません。
でも、なんだか恐ろしいんですよね、今のような風潮が。こういう「善意の暴力」といったらいいか、「道徳の暴力」といったらいいか、そんな「暴力」がはびこっているように感じています。もっと大きな心で、物事や人を見ることはできないのでしょうか。あまりにも細かいことに批判したり、クレームをつけたり。自分も含めてですが、なんだか日本人の心の余裕の無さを感じてしまいます。
俺も、何かで批判・バッシングされたら、即、平謝りしますけど。「反省」しているように見せかけるのは、あんがい得意なんです。
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コメント
tundocさん
「これはあなたのためだから」とか「社会人としての常識でしょ?」という「善意」「道徳」を前面に振りかざされると、それに真っ向から反発する勇気も自信もなく、シュンとなるしかありません。
でも、自分の感覚を信じたい気もします。それが「道徳」とか「常識」とかに合っていなくてもです。
きくこさん
私は、服装にはあまりこだわらない生活を送ってきたので、国母くんの服装を見ても、別になんともなかったのですが、やっぱり「日本人の常識」では、駄目なんですかねぇ。よくわかりません。
記者会見のような公式の場で、「すみませんでした」と謝る姿を見て、批判する人たちも気がすむのでしょうから、早く謝って、試合に集中してほしいと思いました。
こんなことくらいで煩わされる選手たちは、たまったもんじゃないでしょう。試合直前というのに。
投稿: あおやぎ | 2010/02/17 14:14
こんばんは。
彼のファッションは、今ではもう街中のあちらこちらで見かけるので驚きなど全く無かったのですが。。。。
オリンピック選手とのあると、品行方正(っぽく?)ないと駄目なのでしょうかね。
橋本さんとの会見では神妙そうな顔をしてましたが、後の練習の時は笑ってたりで、なんだか痛快に感じてしまいました。
投稿: きくこ | 2010/02/17 08:30
こんばんは、tundocです。
私も違和感と怖さを感じました。「善意の暴力」「道徳の暴力」とは言いえて妙ですね。
どうしてこんなふうになってしまったんでしょう・・?
もともと日本人は潔癖なところがあって、周りに同調する意識(村社会?)が高いことに加えて、最近の不況で心のゆとりがなくなっているのでしょうかね・・・。
さらに、人間関係が希薄になって、自分の気持ちや感情をぶつける機会が少なくなっているのかな、なんて考えました。
私も小学生のころから「反省ぶりっこ」と神妙な顔作りは得意でした。
遅刻したのは、僕の足が短くて歩くの遅いせいです。寝坊したわけではありません、と言わなかったけれど・・・。
投稿: tundoc | 2010/02/16 23:42