山形県白鷹町で世界の棚田のスライドショー
日曜日、スライドショーのため山形県白鷹町に行きました。大雪でした。
棚田が縁で呼ばれたスライドショーですが、主催の方からは、山形が嫌いで飛び出したけど、けっきょく山形の写真を撮るようになった経緯を中心に、というリクエストがありました。
20歳ころまで、山形にはまったく興味はなく、いや、それどころか嫌っていましたが、その後いろんなところを旅してみると、まんざら山形も悪くないと、遅まきながら気がついたのでした。
棚田百選を周ろうと決心したとき、山形の棚田は、一番最後にしました。そのとき、新潟県から山形県に入ったのですが、今までとまったく違った感覚があったのです。「実家のある故郷に戻った」というのではなく、「山形県という棚田のあるところに来た」という旅人の感覚なのです。山形を客観的に見ることができるようになったことが大きな収穫でした。
それと年齢的なものもあります。若いころは、自分の親とか土地とかを否定したがるもので(俺だけかな?)、そしてそれは感情的で、いいところもあるのに、あえて見ようとしなくなる幼稚さはあったと思います。
山形の良さを再発見できたのは、ひとえに棚田のおかげということです。いったん「棚田」があると気がつくと、ここにもある、あそこにもあると見えてくる。不思議です。見ていたようで、実は見ていなかったんでしょうね。
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コメント
SCHOPさん
TKOさん
故郷というのは特別です。「特別」というのは、良いも悪いも含めてです。良いも悪いも、増幅されるという感じでしょうか。
山形の良さはだんだんわかりかけてはいますが、親や親戚との関係は微妙です。客観的になれないのです。それはしかたないかなぁとは思いますが。
もっとも私の場合、自分の居場所はとうにありません。なので、山形に帰ることはないと思います。
投稿: あおやぎ | 2010/02/09 22:55
以前にも書いたかも知れませんが、私も青柳さんと似たようなところがあり分かるような気がします。
秩父で生まれて18歳まで過しました。家庭の事情もあって、秩父のすべてが嫌いな訳ではなかったのですが、なんか遠くへ行きたいと漠然と思っていたところ、縁あって愛知県へ就職しました。
そして、甥や姪の結婚式で帰る度に昔の嫌なことも忘れてすこしずつ秩父の良さを再認識し始めました。
今は北海道と言う最果ての地(?)へ移り住んでしまったのと段々年もとって来たので望郷の念みたいなのが強くなりました。
決定的だったのは、青柳さんのブログで秩父を取り上げた写真・文と出会ったことでした。
今は「ふるさとは遠きにありて想うもの」です。
投稿: TKO | 2010/02/09 20:54
モノクロの世界ですね。
今まで見えなかったものが見えてくる
故郷や親に対して素直になれて良かったですね。
自分もそうなりたいです。
投稿: SCHOP | 2010/02/09 20:09