妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (191) 佐賀県呼子
イカで有名な呼子。朝市があると聞いてでかけてみたが、平日の朝だったせいか、あまり人出はなかった。
レストランは11時が開店だというので、コインランドリーで洗濯して時間をつぶし、透き通るようなイカの刺身定食を食べる。
イカで有名な呼子。朝市があると聞いてでかけてみたが、平日の朝だったせいか、あまり人出はなかった。
レストランは11時が開店だというので、コインランドリーで洗濯して時間をつぶし、透き通るようなイカの刺身定食を食べる。
佐賀県の玄界灘に面した浜野浦棚田。
海のかなたは、稲作が伝来した中国大陸の方向だ。
海に面した棚田は、韓国南部の南海島などにもあるが、島国日本に特徴的な棚田であることには違いない。前回の「土谷棚田」とは比較的近く、しかも夕陽が落ちる棚田なので、ここも夕方の観光客が多い。
日本は山が多い島国だが、そんな中でも水平線に太陽が沈むまで、稲に十分陽が当たる地形を最大限に生かしたものが、海沿いの棚田といえるだろう。
なるべく耕作地を増やしたい、コメが食べたいという先人の強い思いが、海まで続く棚田に表れているように思う。
土谷棚田は、長崎県松浦市福島の西側にある。
夕方は、ちょうど太陽が対面に沈む位置にくる。大飛島、小飛島が添景となり、夕陽が玄界灘に沈む風景はすばらしいものであり、たぶん、「日本の棚田百選」の中でも、夕陽を目指してやってくる観光客がもっとも多い棚田のひとつだ。
「日本の棚田 百選」のひとつ、長崎県雲仙市千々石町・清水棚田。千々石町のもっとも上流にある石積みの棚田だ。
最初に訪れた2000年には、まだこの展望台はなかったが、雲仙温泉から山を下りてきたところに展望台が作られた。
周りの山々と集落と棚田が見渡せる。それぞれの位置関係がよくわかる絶好のポイントだ。
『世界最速のインディアン』(The World's Fastest Indian)
監督: ロジャー・ドナルドソン
主演: アンソニー・ホプキンス
ニュージーランド・アメリカ合作映画
2005年
1960年代、ニュージーランドの田舎町で、ひとり小屋に住む67歳のバート・マンローは、オートバイ1920年型インディアン・スカウトの改造に取り組んでいました。彼の夢は、アメリカ、ユタ州のボンネビル・ソルトフラッツで世界最速記録に挑戦することでした。
なんとかお金を工面し、ひとりでアメリカに渡り、旅先で出会ういろんな人に助けられて、レース会場に到着するのでした。ロードムービーとしても面白いし、スピードに賭けたひとりの男の生き方として観ることもできます。
ひさしぶりに、「いい人」だけしか出てこない映画を観た気がします。「悪い人」が出てこないというのは珍しい。いや、映画を作る上で難しくはないだろうか?とも思います。「悪い人」や、「悪い人」とまで言えなくても、「意地悪な人」などを登場させることで、ストーリーに幅を出すことに役立つだろうと思うからです。
主人公バートの性格もあるのかもしれません。ニュージーランド訛りがあり、田舎者丸出しで、時々無作法な彼ですが、なんとなく憎めない。だから相手も「悪い人」になりきれない、ということでしょうか。
「悪い人」が出ないので、そのせいか、ボーっとして観ていられます。かといって退屈なわけでもありません。むしろ、気持ちがあったかくなるし、何度でも観たい映画です。
「ぬるま湯につかる」という表現は気持ちがしゃきっとしてないとか、状況に甘んじているという、悪い意味で使われることも多いですが、この映画は、そういう意味ではなく、ホントにぬるま湯につかっているような映画でした。
人の心をあったかくする不思議な映画でもありました。
沖縄から鹿児島へ、ふたたびフェリーに乗った。
来るときとまったくちがって海は穏やかで船は揺れなかった。
徳之島の亀徳港には、夕方5時前に到着。米軍基地移設反対運動が激しくなった徳之島だが、このとき(3月下旬〉は、まだ静かな島だった。
奄美大島の名瀬港には午後8時半ころ入港。
見送りのテープがたくさん風に舞っていた。九州の学校にでも行くのだろうか、家族、友人、後輩たちとの別れを惜しむように、女の子は、いつまでもテープを握り締めていた。
沖縄島北部、奥集落の外れには茶工場があって、数人が働いていた。
ちょうど新茶の季節。
茶葉を蒸して乾燥する作業が黙々と行われていた。
今作っている茶は売店で買えますと教えられて、村の共同売店へいった。そこには「ゆたかみどり」と「インザツ」という茶が置いてあった。店の片隅にはテーブルがあり、試飲もできる。
売店で出会った大阪の夫婦は、毎年新茶を買いに来るという。ここの茶のファンが多いらしい。
昨日〈14日〉、中国で大規模地震、マグニチュード(M)7.1の地震が起きました。震源地は青海省の南部、玉樹チベット自治州。
ここは、チベット高原、ヒマラヤ山脈の北東部にあたります。メコン源流域に近く、俺も3度行ったことがあります。
州都の玉樹は周りを山に囲まれた、標高約3700mの町で、中心部には衣類や雑貨を売るマーケットがありました。周辺に住む牧畜を営んでいるチベット族と、町に住む人たちの交易と情報交換の場所として、玉樹は賑わいを見せていました。
町外れの高台には、チベット仏教寺院「ジュグ・ゴンパ(結古寺)」が建っています。
ゼーゼーと息を切らしながら坂道を上っていくと、すぐに若い僧侶たちが、くったくのない笑顔を見せて、数人寄ってきました。日本人だとわかると興味を示し、その中の一人が寺を案内してくれることになりました。
「いい眺めでしょう」と言って彼が案内してくれたのは、町を一望に見渡せる場所でした。町をバックに颯爽と立っている彼に「いつまでここで修行するんですか?」と聞いてみました。
すると彼は「一生」と、キッパリ答えたのです。その迷いのなさに、俺は感動を覚えました。
建物の多くは、日干しレンガや石を積み上げたような物だったので(今もあまり変わってないと思います。町の建物はコンクリートもありましたが)、地震が起きたらひとたまりもありません。
交通事情、通信事情の悪い地域なので、今後被災者の数は増えてしまうかもしれません。心配です。
沖縄県指定の天然記念物「安波のサキシマスオウノキ」。
サキシマスオウノキ(アオギリ科)は、板根(板の形をした根)を発達させることで知られている。種子は海水に浮き、海流で運ばれるという。
形が面白い。
そこで出会った地元の人が教えてくれた。
「このタネの形、何かと似ているでしょう?」
「そう言われれば・・・」
「これがウルトラマンの顔の形になったそうです。ホントかどうかわかりませんが」
都市伝説のひとつか? でも、妙に納得してしまう形だ。
辺戸岬(へどみさき)は、沖縄島の最北端に位置する観光スポットだ。
太平洋と東シナ海に面する岬で、観光客たちはみんな断崖絶壁を見下ろす展望台で記念写真を撮っている。
巨大な岩の下に釣りをしている人の姿。
湿気のない暑さと風が心地いい午後だった。
中城城跡に立っていた説明書きによると、中城城は、14世紀後半に築かれ、何度か主が変わり、17世紀ころには番所が置かれ、明治の廃藩置県後に番所は中城村役場と名を変え、1945年4月沖縄戦で役場が焼け落ちるまで、ここが中城の行政の中心として機能してきた。
2000年12月2日、中城城跡は「琉球王国のグヅク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録された。沖縄の城跡の中でも、8割の石垣がオリジナルだという美しい城跡だ。
今年おきた地震でも、ここの石垣は崩れなかったという。
道の駅「かでな」は、3Fが展望台になっていて、嘉手納空港を見渡すことができる。
広大な敷地の中の滑走路を、なんという飛行機か知らないが、何機も移動している。
展示室もあり、嘉手納と米軍基地との関係や、飛行機の爆音を耳で体験するコーナーなどもある。
道を挟んだ反対側は嘉手納の町。
那覇の東、南城市の「受水走水」は、沖縄の稲作発祥の地といわれる。
海のかなたの理想郷である「ギライカナイ」から稲の種子がもたらされて植えた、という話も伝わっている。
この場合、「ギライカナイ」とは、中国大陸をさすのかもしれないし、フィリピンやインドシナなどをさすのかもしれない。いずれにしても、当時は「稲がある理想郷」に映っていたことだろう。
この近くの玉城は「アマツヅ城」とも言われる。朽ち果てた石垣の門。この城の歴史はよくわかっていないそうだ。
この日は天気も良く、古宇利島へわたる橋から見た海の青さは感動ものだった。
その10日後再び通ったときは、黄砂でどんよりして、印象がまるで違っていた。
古宇利島も、その手前の屋我地島も、サトウキビ畑とパイナップル畑が広がる。南国の農作業を初めて写真に撮って自己満足。
フク木(方言名プクーギ)は、オトギリソウ科フィリピン原産の樹木で、防潮、防風、防砂、防火用として、沖縄では屋敷林として使われる。
この備瀬のフク木並木は県内最大の規模。
暑い日差しでも、中に入るとひんやりと気持ちがいい。
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