「飼犬」と「野良犬」の間、という生きかた
田舎を旅していると、野良犬にたくさん出会います。「犬旅」だと、とくに目立ちます。
香川県三豊市観音寺の公園には、同じような姿の薄茶色の2頭の野良犬がいました。兄弟かもしれません。
1頭は4mほどまで近づきました。人間が嫌いなわけではなさそうです。でも、それ以上接近することはありませんでした。こちらが近づいていくと逃げていきます。
「付かず離れず」 この微妙な距離が、人間と野良犬たちの関係を象徴しているようです。この距離が長くなればなるほど、「飼い犬」から「野良犬」に近くなるということでしょう。
都会では良くも悪くも、野良犬があまりいません。それはすぐ通報されて捕まえられてしまうからでしょうか。その点、田舎は、野良犬が生活できる空間があります。通報から逃げられる空間です。あるいは、田舎の人のほうが、野良犬に寛容なのかもしれません。悪さをしない限り、いっしょに共存できるということです。
『生類をめぐる政治』(塚本学著 平凡社)によると、
「柳田國男は、明治期の村について、村の犬というのが4、5匹は常にいたが、犬を飼っている家は一軒もなく、・・・(略)・・・少なくとも犬にあって、特定の飼主がなく、といって完全な野犬でもないものが、つい近年まで数多く存在した。」
とあります。中国の雲南省でも同じでした。「飼い犬」と「野良犬」との境があいまいなのです。特定の飼主はいなくても、村人がその犬たちを排除するわけでもありません。犬は、人間の残飯を食べ、時には、愛玩犬としてかわいがられ、よそ者が来たことを知らせてくれる番犬でもあります。これもまた、その地域に合った犬との共存といっていいでしょう。
もともと犬たちは、こんなあいまいな立場で人間社会とずっと共存してきたようです。飼主がはっきりしている飼犬は、むしろ少数だったのかもしれません。ヨーロッパの犬の飼い方が明治期に入る前までは、日本独自の犬の「生きかた」があったようです。
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