明石淡路フェリー 「たこフェリー」が運航休止
撮影の旅で、四国へ渡るとき、なるべくフェリーを使いました。明石海峡の「たこフェリー」(明石淡路フェリー)は何度も利用しています。
俺は山国で育ったせいか、海を見ただけで「遠いところにきたなぁ」と思いますが、フェリーは、なおのこと、旅をしている実感がわきます。
ところが、最近は橋ができたり、高速代が安くなったり、全国的にフェリーがのきなみ廃止になっています。この「たこフェリー」も例外ではなく、とうとう明石海峡大橋に負けてしまいました。運航休止です。(来年春に再開されるようですが)
もちろん橋だけが原因のすべてではないだろうし、時代の流れだからしかたない、と思う反面、またひとつ「不便さ」がなくなった寂しさがあります。
「便利さ」が人の心を満たすものであるならば、俺も100パーセント納得できるのですが、そうでもない、というところがあります。
何なんでしょうか? 「不便さ」に心ひかれるのは。
そういえば、俺が80年代にはまったのも、中国雲南というところでしたが、雲南も「適度な不便さ」を持った場所でした。南極や砂漠のような極端に不便な(というより危険な)ところは、まったく興味ありませんが、「少し不便な」ところは魅力的です。未舗装の土道をオンボロバスで揺られていると、体のネジが緩んできて、頭の回転はよくなるような気が(錯覚が)したものです。
フェリーがなくなったら、橋で渡るしかありません。選択の余地がありません。天邪鬼な俺には、「あなたは、こう旅しなさい」と言われているような気がします。これを「便利」というなら、「便利」とはずいぶん「不自由」なものなんですね。
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コメント
パパたこさんへ
いただいたコメントの意図がちょっとわからなかったので「保留」にしてあります。
公開希望の場合は、連絡ください。
投稿: あおやぎ | 2011/01/21 15:16
TKOさん
>所詮、何もかも手に入れるなんてことは無理なんですよね。
と、俺も思います。たとえば、ある場所に住んでいるとして、ある人にとっては便利かもしれないけど、ある人は不便と感じるかもしれない。ある人が気になる不便さも、ある人には気にならないということもあるでしょう。
ということは、「便利」か「不便」か、という分け方そのものが、もしかしたら違うのかもしれませんね。
投稿: あおやぎ | 2010/11/18 09:09
不便さって何だろう?
地元住民か旅人かによって捉え方が全然違うと思います。そこで生活している人にとっては(しょっちゅうのんびりと景色を眺めている訳ではないので)便利な方が良いに決まってます。例えば、大きな病院が近いとかは命にかかわってきますよね。
一方、旅人(特に写真家)は、時間に縛られていなければ、ゆっくりと絶景ポイントなどを探しながらいくのでしょうか。
田舎に暮らしているとやはり、医療や買い物、学校など「もっと近くにあれば…」と思う事が多いです。
反面、不便さの裏返しの良いところがあるから敢えて移住したのです(自分の場合)。
田舎=不便=土地が安い=人が少ない=自然が豊か=静かに暮らせる等などですね。
所詮、何もかも手に入れるなんてことは無理なんですよね。
投稿: TKO | 2010/11/17 17:49
すててこどんどんさん
橋で繋がると、「島」という意識が薄くなっていくんでしょうね。
それはそれで「いい」のかもしれませんが(とくに地元の人にとっては)、旅人にしてみると、寂しい感じがします。
投稿: あおやぎ | 2010/11/17 09:54
なるほど、そういう見方ができるのですね。
僕にとっての哀愁は、播但汽船です。
30分かけて明石海峡を渡る、その時間が島人を実感させていました。
今も播但汽船は名前が横文字に変わってありますが、今は13分の高速艇。一度乗ったきりです。
自分で車を運転するようになってすぐに橋が出来、便利になったと喜んでいましたが、
気持ちも島人ではなくなった気がします。
投稿: すててこどんどん | 2010/11/17 09:05