加藤被告に屈したのか? 秋葉原の歩行者天国の再開について
ただ、路上のパフォーマンス禁止、ビラ配り禁止、記念写真で立ち止まると注意されるなど、かなり規制されているようです。
なんだか、変です。腑に落ちません。
でも、「変だ」と感じている人はたくさんいるでしょう。どうしてこんな「変な歩行者天国」で再開したのでしょうか。
たぶん、妥協の産物なんでしょう。
また「第二の加藤被告」が現れて、無差別殺傷事件を起こされると警戒する人たち、そして、危険よりも「歩行者天国本来の楽しさ」を優先させたいと思う人たち。その両者のせめぎ合い、妥協、そんな形に見えます。だからチグハグな印象はまぬがれません。
でも、考えれてみれば、「第二の加藤被告」は秋葉原だけに現れるわけではありません。それこそ渋谷の交差点だって危ない。どこにもそのリスクはあります。いや、一度経験した秋葉原には、防犯カメラも増え、人々に警戒感があるので、むしろ、犯人側から言えば、他のところでやったほうが成功率は高い、ともいえます。
毅然として「楽しい歩行者天国」を続けてほしかった。
ただ、あの事件が起きる前から、路上の過激なパフォーマンスを煙たがっていた人たちはいただろうから、事件がいいきっかけで、そういう過激なパフォーマンスを排除するいい口実にはなったと思いますが。
そしてここが一番気になるのですが、加藤被告は、「してやったり」という達成感を味わっているのでは?という腹立ちさを感じます。もし歩行者天国が次の週も淡々と続いていたら「こんな事件を起こしても何にも変わらないんだ」という敗北感を与えられたのではないか。(実際問題として、中止はやむをえなかったとは思いますが)
でも、こんなおっかなびっくりの歩行者天国では、完全に加藤被告に、世間が屈したようにも見えてしまいます。「安全」だけ優先する今の風潮を強烈に馬鹿にして笑い、「俺の力はすごいんだ」と勘違いしているかもしれません。
自殺するために他人を巻き添えにして、あたかも、社会悪が動機みたいに偽装し、あわよくば世間の同情を買おうとする加藤被告のような人間に屈したら、また「第二の加藤被告」が現れてしまうのかもしれません。
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