リビアの民衆蜂起、ネットで束ねられる民衆不満のエネルギー
チュニジアから始まった一連の民衆蜂起は、北アフリカ、中東各国に飛び火して、リビアではとんでもないことが起きています。
砂漠の狂犬と言われたカダフィ大佐は、外国人傭兵を使って自国民を虐殺するという、文字通り狂人としか思えないような蛮行です。
こんな独裁者でも、世界は「安定している」という理由で許してきました。そして日本人は石油やマグロを安定的に輸入できるという恩恵を被ってきました。暖かいストーブに当たりながらマグロの刺身をおいしく食べている陰で、虐げられた人がたくさんいたんだということをすっかり忘れていました。
リビアだけではなく、俺には、この一連の民衆蜂起は、「反独裁」「民主化」「反米」などを越えた、もっと人間として根源的なもので、個人個人の戦いに見えます。権力と富が偏っている、しかもそれが固定化されていることへの、不満が爆発したと見えるのです。
だとすると、まったく日本でも同じ民衆蜂起が起きても不思議はない気がします。「反独裁」「民主化」「反米」と言っているうちは、日本は関係ないと、思わされているんじゃないか。そう疑いたくなります。
この個人個人の不満のエネルギーが、ネットというものによって束ねられて、同じ方向へのベクトルとなって走り始めたのではないか。そんな気がします。
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