
地震津波から2週間、いろんなことを考えています。これだけいろんなことを考えたことはなかったくらいで、これはたぶん多くの人がそうだと思います。それだけこの震災の衝撃が大きいということです。
多くの命が一瞬で失われた悲劇。被災した人たちの避難生活の大変さ。ボランティア活動。募金活動。情報が作り出す風評被害。計画停電が続くこと。原発がどうなるのか。などなど。
これからの俺たちの生活は確実に何かが変わっていくでしょう。
そこで、昨日読んだおちまさと氏のブログは、最近漠然ともやもやしていたものが何だったのか気がつかせてくれるものでした。
「救済とは何か。」(2011-03-25) http://ameblo.jp/ochimasato/entry-10841467387.html
それは、日本の今の空気です。
俺は地震発生して、寄付やボランティア活動をしたいと思いました。それは本当です。でも、いまだにしていません。
急いでやることはないなと思うようになりました。それがひとつの理由。周りではいろんなグループができて、いろんな募金活動やボランティア活動が始まりました。ボランティア募集をみつけても、すでにたくさんの人が応募があり、締め切ったあとだったりします。やる人がいるなら、別に俺がやることもない。体力も技術も何もない俺が現地にいったところで足でまといになるだけ、と言い訳をしています。
募金は誰がいくら寄付したとか、いくら集めたとか、まるで競争しているように感じてくると、この競争からは早めに下りようとも思いました。
でも、そのうち「何かやらなければ」と感じる自分が「おかしい」「へんだ」と思うようになったのです。なんなんでしょうか? この強迫観念は。
別に、募金・寄付もボランティアも、やれないからといって、被災者のことに心を痛めていないなんてことはないのだし、やれる人だけやればいいだけです。どちらも、そっとやれれば一番理想かなと思います。募金・寄付もボランティアも自発的なものです。強制されてやるものではありません。そんなことわかっているのに、なぜか、今の日本の空気はそうではないような気がします。
もちろん今回の災害は、あまりにも衝撃が大きすぎて何かやらねばとあせる気持ちが多くの人に芽生えたのはあるでしょう。だから募金・寄付やボランティア活動をいっしょぷけんめいにやっている人を「偉い」と思うことはあっても、けっして非難するものではありません。誤解のないように。
でも、それを考えてもです。
例として、「サンデーモーニング」出演の張本勲氏は、野球1軍選手みんな給料10パーセント寄付すべきなどと言いました。一見人情味のあるすばらしい意見のように思えますが、募金を強制しています。これはどうなんでしょうか? こういう人が声高に言うから俺は反発したくなってくるのです。
毎日「日本人は団結しよう」「日本人はひとつ」「みんなでがんばろう」「ひとりひとりができることをしよう」など、まるで呪文のように繰り返されています。できないことに後ろめたさを感じ、だんだん強迫観念にかられている人が増えているとしたら、まずいかもしれません。
俺はへそ曲がりなので、この「いいこと」であるかもしれないことでも、みんなが一方向を向くことに違和感を持つのです。もっと言えば怖いのです。
この「団結」に参加できない人が、非難されないことを願うばかりです。
たとえば日本を逃げ出した外国人を「フライジン」と言って揶揄したり、非難したり。募金・寄付しない人を白い目でみたり。笑いを自粛しろと言ったり。
妙な空気が漂い出したらまずいことだなと思います。
俺は最初から被災者以外は「普通に生活すべき」といってきました。ただ、東日本の場合、計画停電などもあり、やろうとしてもやれないという状況です。だからとくに西日本の人たちは普通に生活してほしいと思います。
同じ方向を向いていたら、日本は共倒れになってしまいます。西日本の人がいっしょうけんめいに働いて遊んで笑って生活することが、日本全体の復興には必要なのです。

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