東日本大震災の現場 (20) 写真の大切さ 「がれき」と呼ばれる思い出
何気なく「がれき」と言ってしまうが、他人には「がれき」でも、本人には貴重な思い出の品だ。本当なら瓦の一枚残らず取っておきたい気持ちだろう。
今回被災地の報道を見ているとき、何度も出てきたシーンがある。流された家の中から写真を拾っている家族、福島第一原発問題で一時帰宅をした家族も、思い出の写真を運び出していた。
写真というものがどれほど大切なものなのか、教えられた。
それを自衛隊員たちもわかっているので、「がれき」の撤去をしているとき、写真やアルバムを見つけると、ちゃんと拾得物置き場に届けてくれるという。
この中から自分の写真を探すのは至難の業だ。たぶん全部を持ち主の手に返すのは不可能かもしれない。
担当者に聞いてみた。すると、位牌や貴重品の類は、身元がわかるものを提示してもらうが、写真やアルバムは、自分で見つけたらそのまま持っていっていいのだそうだ。
そして女川の場合、この拾得物は3ヶ月保管することが決まっているが、その先は未定だという。
廃棄処分になってしまうのだろうか。ただ、これだけの大量の写真とアルバムを保管する場所があるのか、という現実的な問題もたしかにある。
でも、3ヶ月経ってもまだ写真を探す余裕というか、時間がない人もいるのではないか。何かいい方法はないのだろうか。時間と人手があればプリントをデータ化できるが(南三陸ではすでに始まっている)、そこまでしなくても、最低限どんな写真かわかる程度の写真に撮っておくことでもいいかもしれない。保管場所さえあればこれで充分だ。ナンバリングしておけば、写真を掲載したホームページから現物を探すことができる。
地元の状況がどうなっているのか、来月、被災地へ行ったとき聞いてこようと思う。それで何かできることがあれば、と思っているのだが。
こういう活動が行われている。
5月28日(土)~6月5日(日)に南三陸町で、思い出探し隊のボランティアさんが展示会。
南三陸町災害ボランティアセンター
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これでいったん「東日本大震災の現場」の連載を終わります。
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