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2011/05/09

東日本大震災の現場 (9) 石巻市雄勝町の漁村 「被災格差」

110509_1 110509_2(↑)石巻市雄勝町波板海水浴場付近(2007年5月、2011年4月25日撮影)

 

110509_3 110509_4(↑)石巻市雄勝町水浜(2009年5月、2011年4月25日撮影)

 

 

女川町からリアスブルーラインを通って石巻市雄勝町まで走る。ところどころ道は破損している。

 

入江の漁村はことごとく津波の被害にあっていた。

 

2009年5月、ここを通ったことがある。そのときも、写真を撮るために何度も停まり、なかなか前に進まなかったくらい、美しい漁村が多かった。(とくに、上に掲載の写真の村)

 

でも今回の津波でほぼ全滅だ。瓦礫もそのまま手付かずだ。田舎へ行くほど、作業が遅れているように見える。あまりにも被災地の範囲が広いのでしかたないかもしれないが、マスコミもほとんど来ない。有名な被災地と、そうでもない被災地。芸能人が慰問に訪れるのも、有名な被災地が多い。

 

取り残されるような怖さを感じているのかもしれない。

 

地元の人は「被災格差」と呼んでいた。

 

「被災格差」は市町村ごと、地域ごとだけではない。同じ避難所の中にもあるのだという。

 

ある家族は全てを流され、ある人は肉親をなくし、ある家族は犠牲者がなく、ある人は仕事をなくし、ある人は仕事を続けられている。そんな「被災格差」のある被災者たちが、同じところで暮らさなければならない。これもまた辛い状況だ。

 

 

Ya_2『被災地の桜』 東日本大震災の桜

 

Ya_2東日本大震災の現場 (38) 宮城県石巻市波板(2012/05/11)

 

 

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コメント

yjag258さん

コメント、ありがとうございます。

雄勝町でのボランティア、ご苦労様です。

私も雄勝町は何度も通っていましたが、「写真は今度来た時でいいや」と思って、それほど写真は撮っていません。でも、かろうじて何ヶ所かの漁村は撮っていました。水浜などもそうです。

なくなって初めてその価値がわかる、ということがあります。雄勝町を含めた三陸の漁村の美しさは、土地の人たちが長年暮らしてきた歴史そのものです。

それが一瞬にして失われた喪失感は地元の人たちはもちろんですが、我々ファンにとっても大きな衝撃です。

美しい風景が、どれだけ地元の人たちの日々の生活の積み上げによって作られてきたものか、よくわかります。日本にとっても大きなものを失いました。

投稿: あおやぎ | 2011/07/07 08:40

先月下旬、雄勝町のボランティアに参加させて頂いたのですが悲惨な現状に胸を痛めました。
帰ってきてから震災前はどういう風景だったのか興味が湧きいろいろ調べています。こうやって対比すると一目瞭然ですね。この写真に出会えて、改めてこの惨状を後世に伝え、教訓にしなければいけないと思いました。
青柳さんのいいお仕事に感謝です。

投稿: yjag258 | 2011/07/07 02:16

タンさん

>現地に居る時に被災格差は感じました

やっぱりそうですか。この話を聞いたのは4月下旬ですが、この前行ったときも、聞きました。むしろ「被災格差」の溝は時間が経つほど大きくなっているのかもしれません。

自然は人間の思い通りにならないものです。だから自然に人間の「想定内」のことなんてない、すべては「想定外」しかないんだと、誰かが言っていました。今回の大震災を見てそう思います。

投稿: あおやぎ | 2011/07/04 18:15

 ここ十年ほど、中国華南の旅を続けてきました。去年は貴兄の写真集に触発されて、雲南の墨江や元陽の棚田を廻り、その美しさに魅せられました。
 そして、今年の3,11を経験して、4月と6月に宮城県の亘理町という処にボランティアとして行きました。
 棚田ではないですが、広大な水田が広がる豊かな農村の沿岸部に破壊的な爪痕を残した津波。
 確かに現地に居る時に被災格差は感じました。とくに仙台平野部は津波が被った処とそうでない処の差は激しいです。津波被害から免れた人たちのなかに、地域のために懸命に働いている人もいます。
 ところで、中国の開発の波は凄く、美しい山並みなどがなぎ倒されるように高速道が延びている現実にショックを受けましたが、自然というものも潤いだけでなく、破滅的な破壊をもたらす源であることを今回、認識しました。

投稿: タン | 2011/07/02 14:37

TKOさん

2年前も、その前も、この三陸海岸の漁村が気に入っていて、少しづつですが、集落の写真を撮り始めたところでした。
まさかこんなことになるとは思っていなかったので、あの漁村の、海と山とに囲まれて、自然と一体になったバランスの良い人間のたたずまいが、あとかたもなく失ってしまった喪失感はあります。
もちろん地元の人の悲しみには及びませんが、ファンのひとりとして残念でなりません。
そこで何か「未来」や「希望」を探し出せるのか、というのがテーマでした。いや、探し出すのが写真家としての仕事であるような気がします。

投稿: あおやぎ | 2011/05/10 23:29

昔住んでいたところでしばらく行ってない所は「今どうなっているんだろう」とか、○十年前に新婚旅行で行った四国のあそこは「今どうなっているんだろう」、そしてチャンスがあればもう一度なんて思う事が時々あります。
今回の青柳さんはボランティアもされたようですが、2年前の訪問時とは、まさに劇的ビフォー&アフターの景色、しかも変わり果てた姿。言葉がでなかったのではないでしょうか。

投稿: TKO | 2011/05/10 21:23

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