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2011/06/30

東日本大震災の現場 (22) 津波104日後の石巻市雄勝町の漁村

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(↑)石巻市雄勝町水浜(上:2007年5月、中:2011年4月25日、下:2011年6月25日撮影)

104日たってもまだがれきの撤去が進んでいないように見えるのは、俺の思い込みではないようだ。「遅い」という話はどこでも聞く。

被災地の範囲があまりにも広いということも原因の一つだろう。政治的にも問題ありそうだ。それでも少しづつ前には進んでいると思いたい。復興は、まずがれきの撤去が済まなければ始まらない。

石巻市雄勝町の漁村をもう一度訪ねた。水浜は、海の中で咲く桜があった漁村だが、ほぼ大きながれきは撤去されていた。桜は海水につかっていたが枯れてはいなかった。


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2011/06/27

東日本大震災の現場 (21) 津波104日後の「希望の松」

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一本松、希望つないだ 滝沢の育種センターが接ぎ木に成功
河北新報社 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110615t33008.htm

津波を生き抜き助かった被災地の希望の木だ。生命力が強いのかもしれない。接木も成功したという。

幹にコモがまかれ、葉が茶色く変色した姿は痛々しい。ポンプが動いていたが、根元の海水を排出しているのだろうか。


4月に訪ねたときは目立たなかったが、104日経って、津波で塩水を被った木々が茶色に変色しているのが各地で目立った。とくに杉の木だ。

一番上の写真は雄勝小学校の校舎の裏の杉の木。津波を受けた茶色と受けなかった緑色の違いがはっきりわかる。

以前の写真はこちらで。

Ya_2「津波に耐えた陸前高田の「希望の松」」(2011/05/17)


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2011/06/21

広西・貴州の撮影旅2011 (8) 貴州省丹寨県高要の棚田と田植の人たち

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丹寨県高要の棚田には真新しい展望台が作られていた。貴州省でも棚田は観光資源としてとらえ始めているらしい。(他に産業がないという理由は大きいかもしれないが)

中国で「棚田」と言えば、80年代は「広西チワン族自治区の龍脊の棚田」だった。90年代中ごろから2000年代にかけては「雲南省元陽県の棚田」になった。

少数民族関連の研究、観光で訪れる人間は多いが、この広西と雲南にはさまれた貴州は、棚田の観光地としての認知度はまだまだ低い。

でも今回いろいろまわってみると、広西、雲南と遜色ない棚田もあった。雲南省元陽県の棚田は、たしかに「巨大さ」にかけては一番かもしれないが、形に関しては意外と単調だ。(霧が出ることでそれをカバーしている)

貴州の棚田は、規模こそ雲南にはかなわないが、形のバリエーションにおいて雲南を越えるかもしれない。

田植をしている集団がいた。ミャオ族女性は、田んぼの畦に紐を張って、一列に苗を植えていた。こういうやり方が推奨されているそうだ。

疲れて休んでいる水牛には笑ってしまった。

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2011/06/19

広西・貴州の撮影旅2011 (7) 貴州省凱里市の水牛と小型トラクター

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凱里市南部の山間部を走っていると、水牛でしろかきをしているミャオ族の人たちと出会った。

時々小雨が降っていたが、それがかえって潤いのある風景になって、写真を撮るにはいい条件だった。

ある棚田では、水牛と、ワージー(小型トラクター)が隣り合った田んぼでしろかき作業中。今回、広西チワン族自治区の龍脊の棚田でも、田んぼに放置されたワージーを見つけ、とうとう機械化が進んでいることを知ったが、水牛と機械が同時に入る場面があればなと期待していたので、とうとうそういう場面に偶然に出会って喜んだのだった。

中国貴州で棚田が作られたのはいつからかはわからないが、少なくとも何百年の歴史の中で、機械が入った瞬間を目の当たりにしているのだということを考えれば、なんだかわくわくしてくる。これこそ貴州の棚田の「今」を象徴しているのではないだろうか。

ワージーは、個人所有もあるが、レンタルもあるという。これからだんだん普及していくに違いない。

なお、一番下の写真は、凱里から丹塞県に入ったところにある丸い田んぼ。どうして丘の上の田んぼがプール状になるのか、水はどうしているのか気になって良く見ると、手前の丘からパイプ・樋のようなものが伸びているのが見える。あれで水を送っているらしい。日本では見たことのない田んぼだ。


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2011/06/18

広西・貴州の撮影旅2011 (6) 貴州省榕江県の棚田

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榕江県から雷山県へ向かう途中の山間部で出会った棚田。

低く垂れ込めた雲で、最初、棚田は見えなかったが、だんだん天気が回復していき、川の両側に拓かれたすばらしい棚田が姿を現した。

棚田を見下ろす民家ではミャオ族女性が、ロウケツ染めを作っていた。

適当な温度に保った蜜蝋を「蝋刀」という烏口のような道具を使って線を引いていく。蜜蝋の温度が大切なのだ。あまり熱すぎると綿布に滲んでしまうし、冷たいと固まって線が引けない。この蜜蝋の絵が完成したあと藍で染めて、最後に熱湯で蜜蝋を洗い落とせば、線が白く残る藍染めの完成だ。

ミャオ族女性のお宅を出てから、昼は塔石という村の食堂でとった。

このあたりは「ヤギ鍋」が名物なのだそうだ。香辛料とヤギ肉を炒め、出た汁と、焼酎、腐乳、ピーナツ、山椒、胡椒、ゴマをいっしょに煮る。食べるときは、青菜、ミント、ニラなどの野菜・香菜もいっしょに煮込む。

匂いもなく意外といける。地元の人間は唐辛子を付けて食べる。


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2011/06/16

広西・貴州の撮影旅2011 (5) 貴州省従江県西部の棚田地帯

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従江県西部は棚田が多い地域だ。今回訪ねたのは加榜、東朗、加鳩郷だったが、探せばもっとすごい棚田が「発見」できるかもしれない。そんな可能性を秘めた場所だ。

なにしろ交通の便が悪い。情報がないので地元民は棚田に「価値」があるとは思っていない。そういう意味で、地元民も棚田をまだ「発見」していないのだ。

これは、今では世界的に有名になった雲南省元陽県の棚田でも同じことが言える。棚田がいったん観光客を呼ぶ力を持っていることを知ると、地元の人間も活気づく。地元民自身が棚田を「発見」するのだ。

たぶんこの地域は、10年後、たくさんの観光客・カメラマンが訪れる地域になっていることだろう。


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2011/06/14

広西・貴州の撮影旅2011 (4) 貴州省黎平県肇興

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貴州省黎平県肇興を訪ねたのは十数年ぶりだが、街並みはあまりかわらない。ここも街並みが保存されているそうだ。

以前泊まった宿よりも、小奇麗な宿もできていた。白人バックパッカーも滞在している。

町には鼓楼が5基点在する。ここは川と、鼓楼と、風雨端と、民家の木造の建物が、いい雰囲気を作っているのだ。

川に沿って歩くと、藍を入れた甕が並んでいた。民家の2階からは藍に染まった布が干されていた。トン族も藍染めが盛んだ。藍染めをやっていたおばさんの手を見せてもらったら、爪まで青く染まっていた。

町の周りは水田が広がり、ちょうどこの時期、早朝から田植が行われていた。

風景と生活、肇興はこのバランスの良さが旅人をひきつける理由のひとつになっているのではないかなと思う。


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2011/06/12

広西・貴州の撮影旅2011 (3) 貴州省黎平県堂安の棚田

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堂安は貴州省黎平県にある約700年の歴史を持つトン族の伝統的集落のひとつだ。

棚田の下に架けられた風雨橋を、農作業帰りの村人が渡る。

村の中心にはりっぱな鼓楼が建っているが、12本の柱で構成された高さ22m、四辺形の9層になっている。

鼓楼はトン族の象徴的な建造物だ。集会所、祭の場、お客の接待に使われる。老人たちが談笑していた。

2005年、村内に「貴州堂安トン族生態博物館」がつくられた。今回は訪ねなかったが、トン族の暮らしや民俗習慣を紹介する博物館だ。

この村では伝統的トン族集落を維持するために、集落内では、コンクリートの建物は作れないことになっているそうだ。


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2011/06/11

能登半島が「世界農業遺産」 白米千枚田や揚げ浜式塩田など

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世界農業遺産に佐渡・能登半島…日本から初登録
YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110611-OYT1T00383.htm)

能登半島が「世界農業遺産」に登録されることになりました。

棚田があり、漁村があり、揚げ浜式塩田があり、輪島の朝市があり、と日本の伝統的な生活が見られる魅力的な地域で、俺も何度も行っています。全体的な雰囲気が好きです。

この中で農業と言えば、白米千枚田が代表的なものでしょう。1004枚の田が海に面した斜面に広がる棚田は、外国人から見て、日本独特な農業だと映るでしょう。

一時は、効率が悪いと言われて、消滅しそうになった棚田ですが、それが世界的に価値を認められたということは、棚田ファンにとっても喜ばしいことです。

こちらに写真ギャラリーがあります。
Ya_2オリザ館(アジアの棚田) 白米千枚田

また揚げ浜式塩田による製塩は、砂の上に海水を撒き、天日と風力で水分を蒸発させたあと、その砂を集めて海水で洗い、濃い塩水を釜で煮詰めて塩の結晶を取り出す方法です。

能登地方で揚げ浜式製塩が始まったのは1596年だそうです。これも長い歴史を持っています。


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2011/06/10

広西・貴州の撮影旅2011 (2) 龍勝県、龍脊の棚田

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龍脊の棚田を訪ねたのは10数年ぶりだ。

まさかこんな観光地になるとは予想できなかった。

世界的に有名な観光地、桂林に比較的近いという立地条件がある。なので、日本の棚田で見る風景と決定的に違うのは、若い女性の姿が多いことだ。

うらやましい!

ここを見る限り、中国では「棚田[梯田]」は年配者やマニアの観光地ではなくて、もっと一般的だ。

龍脊の棚田は、西側の平安壮族の棚田と東側の金坑・大塞紅瑶の棚田に分かれる。朝日を狙うためにカメラマンたちが1時間半上って一泊するのは田頭塞だ。

今、ロッジふうゲストハウスがたくさんある。まるでネパールのトレッキングだ。

荷物を運ぶポーターという雇用も生まれた。それと龍脊の棚田の入口では入場料を徴収し、登山道を整備したり、農民の収入の足しにしている。

歩いてしか行けない棚田、というのが、逆に観光客の宿泊・食事の機会を増やし、地元に雇用を作り出す、りっぱな観光地として機能しているように感じた。

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2011/06/09

広西・貴州の撮影旅2011 (1) 出発

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中国の撮影旅から戻りました。

帰国してニュースを見ました。日本の震災復興と原発の問題は、あいかわらず先が見えませんね。

中国滞在中に、チャリティー写真集の企画が決まっていました。9月発行予定です。

 ☆

成田出発のとき、いいものを見た。

出国審査のところに「パスポートのカバーを外して渡してください」と注意書きがあった。前の女性が、外したカバーの方を出したら、係官が苦笑いしていた。こんなの見るなんて幸先がいい。

成田から飛んだ飛行機は現地時間8時ころ中国広州の飛行場に着いた。久しぶりの外国だ。わくわくする。

今回の撮影旅は、なかなか収穫が多かった。目的は貴州の棚田。もうひとつは地元少数民族の「ナレズシ」を食べること。20年前に行ったときはたまたま食べたが、まだ一般的に作られているものなのか、それが知りたかった。


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