「田毎の月 & 田毎の星」 すべての田んぼに月が映るというイメージ (補足します)
先日「田毎の月」のイメージについて書きましたが、今日はその続き、ちょっと補足します。
「写真ギャラリー「田毎の月 & 田毎の星」 すべての田んぼに月が映るというイメージ」(2011/10/21)
このイメージが「日本的」と書いたことにもっと説明が必要かもしれません。
そこでまず、明治以降の近代科学的発想では、とうぜん「月はひとつしか映らない」というでしょう。「田毎の月」は想像の産物だと。
まったくその通りなのです。仮に近代科学的な世界がすべてであったならですが・・・。
日本人の発想で面白いと思うのは、田んぼすべてに月が映る、つまり田んぼそれぞれ、ひとつづつが、全世界であり、全宇宙であるという感覚です。
小さい田んぼが「全宇宙」とは大げさだ、と反論されるかもしれません。
でも、日本人にとって、大きさは関係ないのではないかと思います。小さな1枚の田んぼに生きている植物や小動物たち、そして水が循環し、2千回も稲を作り続けている。
極端に言えば、「すべてがそこにある」のです。それが日本人の世界観、自然観ではないかなと思うわけです。最近欧米でもてはやされている盆栽なんかもそうですね。大きな自然をわざわざ小さい自然に作り変えている。日本人にとっては同じなんですね。大きくても小さくても。
だから棚田を前にしたとき、「すべての田んぼに月が映る」のです。1枚ごとの田んぼがひとつの宇宙だということの表現ではないかなと思うのです。「田毎の月」は「想像の世界」ではなくて、少なくとも当時の日本人にとっては「現実の世界」だったのではないでしょうか。
もちろんこれは昔の話。今は、写真に撮って「ほら、ひとつでしょ?」と言うだけ。なんだか味気ない。科学的な世界観がすべてかなぁと疑問に思うようになったのは歳のせいでしょうか。
写真ギャラリー「田毎の月 & 田毎の星」(◆オリザ館(アジアの棚田)◆)
田毎の月 The moon reflecting in the individual rice fields (YouTube)
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