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2011/11/30

モザンビーク沖の大規模ガス田発見で、太陽光発電、風力発電への影響は?

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111130_2(↑写真:マダガスカルのモザンビーク海峡)

「三井物産、大規模ガス田発見 モザンビーク沖、18年にも対日輸出」
SankeiBiz
http://www.sankeibiz.jp/business/news/111129/bsc1111290500000-n1.htm

アフリカ南東部モザンビーク沖合の深海で、大規模ガス田を発見したことが28日、明らかになった。確認埋蔵量はロシアのガス田開発事業「サハリン2」(17兆立方フィート)の約2倍の最大30兆立方フィート超にのぼる。単一鉱区では、世界最大級の豪ゴーゴン・プロジェクト(約35兆立方フィート)に匹敵するとされる。

おりしも南アフリカでCOP17が開催されて温暖化に対する対策を検討中です。福島第一原発の事故によって、原発がCO2削減の方法からは完全に外れてしまいました。

いま、日本は正直温暖化うんぬんどころではないのかもしれません。ただ、堀江大使は、日本政府の2020年に温室効果ガスを1990年に比べて25%削減するという目標は変わらないことを説明しました。

日本の事情は、どうやってエネルギーを確保するか、CO2が増えても(CO2をこれ以上削減できなくても)、火力発電で急場をしのがなければならないということが本音ではないでしょうか。だから日本は、京都議定書の継続には反対し、発展途上国の努力も要求しているのでしょう。

とすると、このガス田発見は、朗報に違いありません。メタンハイドレードという新しい資源も注目されています。

しかし、と俺は思います。

CO2排出の少ない(ほとんどない)太陽光発電や、風力発電などの持続可能な自然エネルギーを、積極的に進めていこうとする動機付けが弱くなってしまうのではないかということです。せっかく節電に対するみんなの合意も、喉元過ぎれば・・・で、節電しなくても済むとなれば、どうなっていくことか。

けっきょく、ガスやメタンハイドレードが手に入るなら、自然エネルギーの高い電気を買うよりは、火力発電で安い電気を、と考えるのは当然のことだからです。

いったい俺たちは、エネルギーをどう考えていけばいいんでしょうか。エネルギー問題は、単なる経済問題ではなかったはずです。


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2011/11/28

ユネスコ無形文化遺産に「佐陀神能」「壬生の花田植」が登録される

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「壬生の花田植」がユネスコ無形文化遺産に登録されたそうです。

毎日jp
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111128k0000m040068000c.html

インドネシア・バリで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会は27日、日本政府が無形文化遺産に提案した「佐陀神能(さだしんのう)」(島根県)と「壬生(みぶ)の花田植(はなたうえ)」(広島県)の2件について、事前審査機関の勧告通り登録することを決めた。

国の重要無形民俗文化財に指定されている広島県北広島町の「壬生の花田植祭り」は2007年に見に行ったことがあります。「稲作文化」のテーマには大切な祭りだと思っていたからです。

「壬生の花田植保存会」で出しているチラシによると、

「・・・これは田の神を祭って稲作の無病息災と、豊穣を願う農耕儀礼であるが、同時に苦しい田植え仕事を楽しくしようとする方法でもあった。・・・」

壬生神社では、飾り牛13頭の飾り付けが行われていました。龍の彫刻をほどこしたものなど、立派な花鞍を胴体に固定します。泥の撥ねを和らげるためらしく、尻尾は藁と三つ編みにします。

牛を飾りつけているおじさんに話を聞きました。

牛は「農家の宝」。牛は現在、農耕では使わなくなったので、調教しないといけない。それが大変だ。水牛と違って、牛は水が嫌い。水に入りたがらない。だから田んぼに入るのも慣れさせないといけないし、少しうるさくても暴れたりしないように、毎日音楽を聞かせ、雑音に慣れさせている。この祭りの飾り牛として、かなり努力している。昔なら、毎日田んぼで農作業していたので、その苦労はなかった。

なるほどなるほど。

同じチラシによると、

「この地方には古くから囃し田という行事があった。・・・大地主の中には、自家の田植には沢山な人を集めて盛大に囃し田をやるものもいた。これに参加する牛には、豪華な花鞍を更に造花で飾り、早乙女等は今日を晴れ着飾った。その様子が余りにも美しいので花田植と言ったらしい。」

午後、壬生の花田植の祭りは最高潮に。小学生の田楽団のあと、本地花笠おどりの一団がやってきました。

「これは何だ?」と思わず目をみはってしまいます。大きな傘状の骨に和紙の白い花をつけたものをまとって回転しながら踊ります。

次に、田んぼに飾り牛が入って、一列になって、うねうねと歩きます。代掻き作業の真似です。

最後に、壬生田楽団と川東田楽団の入場。早乙女たちは一列に並んで田植をします。その後ろでは、太鼓を打ちながら踊る男たち。これがメインイベントでした。

素朴なんだけどけっこう派手な祭り、楽しい祭りでした。

こちらにも写真があります。

Ya_2「広島県 壬生の花田植」


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2011/11/25

映画 『ザ・ロード THE ROAD』 を観て わずか数秒だけ出てくる犬が大きな意味を持つ

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【ネタバレ注意】

日本では2010年に公開されたアメリカ映画『ザ・ロード』。原作は2007年度ピューリッツァー賞を受賞したコーマック・マッカーシーの小説『ザ・ロード』。

『ザ・ロード』公式サイト

最初からぐっと引き込まれました。独特の色彩、空気感、控えめな音楽。

はっきり言って暗く重い映画です。気楽に「楽しめる映画」ではないかもしれません。

どうしてこんな地球になってしまったのか、説明はありません。天変地異なのか核戦争なのか、ともかく環境の激変で生き物が減っていくアメリカが舞台です。生き残った父子が食べ者を求めて南へ旅を続けます。

説明がないことがこの映画の人間ドラマとしての価値を高めている一因でもあるのではないかと思います。

この映画を3.11以前に観ていたらまた違った印象を持ったのかもしれません。もちろん状況も場所も違いますが、俺は3.11で地震津波で生きのびた人たちの姿とダブって見えました。

世界が崩壊し、無政府状態になったとき、人間がどうなるか。一方では武装し、人間を食料とする「悪しき者」。でも、一方では、それでも良心を持ち「善き者」であろうとする人たち。人間は食べず、人間の尊厳を忘れず生きていこうとする人々です。

父親は少年に、心に宿る「火」、それを運んでいるのが「善き者」で、俺たちもずっと「善き者」であり続けるのだと教えます。

「善き者」であろうとしますが、だんだんと父親は「悪しき者」に近づいていくようでした。いや、息子を守ろうとするとどうしてもそうなっていかざるをえないという厳しい現実もあります。「善き者」と「悪しき者」、両者を隔てているはっきりした壁はありません。

途中で出会った老人も、息子を食べてしまったようで、そういう意味では「悪しき者」なのかもしれませんが、どうなんでしょうか。息子は老人にも食べ物を分けてあげます。

少年は「悪しき者」に近づく父親に反発し、逆に諭します。困っている人を助けようとします。子どもの感覚の方がまともであることに、未来の光を感じるのでした。

結局父親は病気で死んでしまいます。その直後、ある男と出会います。

男は少年に「いっしょに来ないか?」と誘います。でも少年は疑います。

「善き者なの? 善き者の証拠は? 子どもはいる? 火を運んでいる?」

男には家族がありました。そのラストシーンが良かった。

少年が彼らに近づきます。男とその妻、息子と娘。そして最後に犬がいることを知ります。俺もここでグッときました。犬がいることで、急に空気が和み、一気にこの男が信じられるようになったのです。少年は彼らといっしょに行くことを決意します。新しい家族です。

暗くて重い映画だと思いながら観ていましたが、最後は明るさを感じました。この犬連れの家族との出会いで少年は心に宿る「火」を運び続けることができるだろうという希望を感じたのでした。

それにしてもこの映画で、わずか数秒だけ出てくる犬が、これだけ大きな意味を持つとは思いませんでした。


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2011/11/19

TPPへ突き進む日本には、GNH (国民総幸福量)を大切にするブータンの良さは見えない、いや、見たくない

111119(↑写真は新潟県松之山町天水島留守原の棚田)

TPPの問題が大きく取り上げられているとき、国賓としてブータン国王夫妻が日本に来たことに、運命的なものを感じていますが、それは俺だけでしょうか。

「TPP」と「ブータン」を関連付けて話をするマスコミや文化人がそれほど多くないことが不思議です。

せっかくブータンが話題になっているんだから、もっと「日本人にとっての幸福とはなんだ?」ということを考えるきっかけにしたらいいと思うのに。

ブータンといえば、GNH (国民総幸福量)を大切に国作りをしていることで有名です。

Ya_2「GNH (国民総幸福量)」を大切にするブータンという国(2011/11/16)

GNHを褒め称えてはいますが、しょせん他人事だと思っているからでしょうか。日本には関係ない。GNHよりGNPだと。「幸福度」より「経済」だと。

アジアのどこかの弱小国の王様が来ているぞ、という程度なのかもしれません。GNPから見たら、無視できる規模です。礼を失しない程度におもてなしすればいい。トラブルなく帰っていただきたい。そんな感じかな。

でも、俺はこのGNHを提唱したブータンという国に興味があるし、これからの「人間の幸福」を考える上で、世界に一石を投じていると思っています。(GNHに批判的な人もいますが、100パーセント完璧なものなんかない)

だから、もったいないのです。ブータン国王がイケメンだとか、妃が銀座のユニクロでヒートテックのインナーを買ったとか、そんな表面的な話題だけをニュースにしていることに「バカじゃないの? もっと報道の仕方があるだろうに」と言いたくなってきます。

今年、東日本大震災がありました。この出来事で、今まで「普通」であった生活が、実は、とても尊いものであったことを教えられました。「普通」であることがどれだけ幸せだったかということです。でも俺たちは「普通」を手に入れるために、とても「危険なもの」を陰で引き受けていたということも知らされました。「普通」だと思っていたことが、実はぜんぜん「普通」ではなかったのです。

「幸福」についての考え方が、大きく変ったはずです。「反・脱・減原発」「節電」も叫ばれるようになりました。意外と電気が少なくてもやっていけることもわかりました。節電したことで、かえって良かった面さえあることに気がつきました。俺たちは「電気を多く使う」ことが「幸福」であると思い込んできた、思い込まされてきた、そうとも言えるわけです。

これはブータンのGNHの考え方と共通するものがあるのではないでしょうか。その共通点をもっと考えていくことが、日本の幸福にも繋がっていく、そう思うんですが。

ブータン国王の来日という、せっかくの機会を生かせない日本。

しょせんTPPに突き進んで、経済優先の国作りに励む人間には、ブータンの良さなんて見えるはずもないんでしょう。

見たくもないんでしょうけどね。

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2011/11/18

初めて東京スカイツリーを見た (埼玉県さいたま市 見沼田んぼから)

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初めて東京スカイツリーを見ました。

場所は意外なところで、埼玉県さいたま市の、さぎ山記念公園の北側から。

↑写真の3枚目、電線の先にうっすらと見えているのがスカイツリーです。

利根川から取水する見沼代用水と見沼田んぼを見に行ったとき、たまたまビーグル(ヴィーノとそっくり)を連れた地元のおじさんに、

「あれ、見えるでしょ? スカイツリーですよ」

と、教えられたのでした。

考えてみれば直線距離で20数kmほどしか離れていないので、見えるのは当然と言われれば当然のことで、別になんてことない話なんですが、どうも俺の中では、スカイツリーは都会の真っ只中に立っているので、この田園風景と距離がありすぎると、勝手にイメージしていたということなのでしょう。だから実際見えると知ってちょっと驚きました。

見沼田んぼは、水田、畑、雑木林が広がっていて、河川や見沼代用水によって作られた田園風景と、 生きものを育む豊かな自然が残されているところです。

都心に近くてこれだけの自然を残していることに、どんなに都市化したと思われる日本人ですが、自然を大切にする感覚に期待が持てます。「残されている」んじゃなくて「意識的に残している」ところがみそですね。

都市と自然との共存という現代が見えました。


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2011/11/16

「GNH (国民総幸福量)」を大切にするブータンという国

111116(↑写真はブータンではありません。ラダック・レー)

ブータン国王夫妻が日本に滞在中です。実質「新婚旅行」でもあるようです。

ブータンといえばチベット仏教を国教とする国ですが、「GNH (Gross National Happiness (国民総幸福量)」を増やす方向で国作りを進めていて有名です。

「GNP(国民総生産)」が経済的・物質的豊かさを表わすのに対して、「GNH」は精神的な豊かさ、国民全体の幸福度を表すもの。この概念は1972年に前国王が提唱しました。

また民主化するときも、国民の方が民主化は必要ないと言っているにもかかわらず、前国王みずからが民主化を進めているというニュースを何年か前聞いたとき、こんな国もあるんだなぁと感心したのでした。

各地の独裁者たちに、ブータン国王の耳の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいですが、世界でも珍しい国でもあります。

今のところ、外国からは、世界の桃源郷と見られているのは確かでしょう。

ずっと鎖国をしていたので伝統的なモノや考え方が残ったともいえるわけです。今、テレビ、インターネットが普及してきて、はたして若い人たちが、それこそ「GNH」だけで満足するのか。結局は世界中どこでも同じように、経済的繁栄が「幸福度」に変わってしまうのか、それはわかりません。

個人的にはブータンは棚田も有名ですが、まだ行ったことがありません。そのうち機会があればぜひ訪ねたいと思っている国です。


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2011/11/13

景観が損なわれても、幸せを感じられるんだろうか? 

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野田総理は、「交渉参加に向けて関係国と協議」という判断をしてAPECに出発しました。

「交渉参加に向けて関係国と協議」とは、どういう意味なんでしょうか? 言葉の小細工で何かが変るのでしょうか? 要するに、参加するという意思表明でしょう。外国では「日本も参加する」と受け取っています。(今朝のニュースで、野田さんはオバマさんにはちゃんと参加表明したようです)

先日TPPが日本の景観を変えるのではないかと書きましたが(TPPで日本の田園風景はどうなっていくんだろうか?(2011/11/10))、

毎日新聞(2011年11月11日)には、こんな記事が載っていました。


堤防再建 高さに賛否

カキやホヤの養殖をしてきた金野明彦さん(52)は「美しい海が高い堤防に覆われてしまうのは残念。安全な堤防は不可欠だが、きれいな景観が損なわれると地元に愛着を持てない人が多くなるのでは」

と言っています。これ、よくわかるんですよね。

「海が見えない港町や漁村」

高い堤防に遮られて圧迫感があって、そこで毎日暮らす地元の人にとっても、精神面にいい影響があるとはとうてい思えません。港町や漁村の風情を感じられないとしたら観光地としての価値も下がってしまうでしょう。

あんな恐ろしい津波を体験してしまっては、当然、津波を防ぐ、もっともっと高い防波堤がほしくなるのはよくわかります。だから、高い防波堤に反対するわけではありません。でも、やはりそこはバランスが必要なのではないかなと思うわけです。

どんなに高い防波堤を作ったとしても、津波の被害を100パーセント防ぐことができないことは、今回の津波でみんな知ったはずです。想定以上の津波が来るかもしれません。だったら、来たときどうやって逃げるか、近くに逃げ場をどうやって確保するかを考えたほうがいいのかもしれません。

金野さんの言うとおり、安全だけを優先させ景観が損なわれて地元に対しての愛着がなくなったら、元も子もないのではないでしょうか。

こういう景観に関する問題は、今、TPPを目の前にして、人事ではありません。経済だけを優先させて景観が損なわれても、幸せを感じられるんでしょうか? 景観が損なわれることで、単に目に見えるものが変化するだけではありません。きっとこころも変化していきます。

景観が人のこころに与える影響は大きいと、俺は思っています。田園風景を撮ってきたので景観に敏感過ぎるのでしょうか。そんなことはないと思います。

野田さんは、仮にTPPに参加しても、日本の農業、農村は守る、といっているようですが、いったいだれが信じるんでしょうか? 

ただ良くも悪くも、「景観に慣れる」というのも俺たちなんですね。景観とこころが平行移動するように両方変化したら、そのときの景観が「当たり前」になってしまうところがあります。

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2011/11/12

先日のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の記者会見を見て

111112(↑ 写真はラダック・レーの王宮)

先日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の記者会見を聞きました(自由報道協会 のネット放送で見ました)。おもしろい会見でした。

脱原発だと「貧富の差広がる」 ダライ・ラマが記者会見で述べる (J-CAST ニュース 2011/11/ 7 )

印象的だったのは、ダライラマの自然体の会見。質問者が質問中に持病用なのか薬を飲んだり、話を聞いてなくて知り合いなのか奥の人間に手を振ったり。そこがまったく肩苦しくなくて良かったですねぇ。

とくに良かったのは、誰かがチベット問題について質問したとき、

「チベットに実際自分で行ってみて考えてください」

といった意味の答えをしたんです。それを聞いて「私の言葉、意見ばかりに頼らないで」という意味に聞こえました。さすがだなと思いました。

原発から20km圏内の残された動物の写真を見せたジャーナリストもいたようですが、

「常に物事は全体を見るべきで、一面だけを見て決めるべきではない。破壊的な目的で使うものは、破壊的なものしか産まない」

と答えています。安易に「動物愛護」や「生き物の権利」を説いたりしないのもいいですね。

この会見全般に言えたんですが、ジャーナリストたちの中には、ダライラマの「お墨付き」を欲しがっているように見える人もいました。

尖閣諸島問題とか、TPP問題とか、日本の原発問題とか、答えられるはずがないじゃないかと思える質問を、あえてするジャーナリスト。厚顔無恥というやつですか。こういう「平和の象徴」を利用して(あわよくば同意を得て or お墨付きをもらって)自分の意見を正当化したいんだろうなと思いましたが。ジャーナリストたちの魂胆を見抜き、適当にあしらうところなんか、小気味良かった。ステキです。

「チベットに実際自分で行ってみて考えてください」というダライラマの言葉は、ジャーナリストを再教育しているようです。誰もがノーベル平和賞を受賞している「平和の象徴」であるダライラマの御宣託が欲しくなるのはわかりますが、ダライラマが、すべて「本音」を言っているはずがありません。(政治的な配慮は当然あるだろうし)

ジャーナリストなら、ダライラマさえ疑うべきで、最終的には自分で現場に赴き、自分で判断するということが必要なのです。

「平和の象徴」であればあるほど、世界に影響力があればあるほど、自分の力を自覚しなければならないわけですが、その点、ダライラマという人物はちゃんとわかっているんだなと感じたし、だから信頼できる人物だなと感じました。友だちになれそうです。

ダライラマに対して、ずいぶん「上から目線」だと非難されるかもしれませんが、ダライラマも一人の人間であるにはかわりがないし、一人の人間であるからこそ、人間味もあって愛されるキャラクターにもなっているんです。肩書き「ダライラマ法王」だけで見ないというだけです。

あえて「ラマちゃん」と呼びたくなるような人物でした。

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2011/11/10

TPPで日本の田園風景はどうなっていくんだろうか? 景観は後回しにされる現実

111110(↑ 写真は大分県 両合棚田)

野田総理は今日のTPP交渉参加・不参加の決定を先送りしました。それだけ難しい問題です。明日表明するらしい。

このTPPとは、いったいなんなのでしょうか? 難しくてよくわかりません。製造業界からは賛成の声、農水産業界からは反対の声。両極端です。現時点で全部わかっている日本人は誰もいないんでしょうが。

今まで新聞テレビネットで聞いた情報によって、俺なりに解釈すると、要するに、極端に言って、

「日本人は、これからコメを作らないで、車を作れ」

と、いうことかな?と思います。

関税撤廃によって確かに日本の農産物は価格競争に敗れ、売れなくなるだろうと予想はできます。そうすると農業をする人も少なくなり、日本の田園風景は廃れていく、ということになってしまうんでしょうか? 規模を拡大したり、付加価値をつけたりして、農業も国際競争力を高めるべきだ、という人もいます。でも現実問題、大規模化に関しては、ほんの少数の人しかできないことは、この狭い国土を見れば明らかなこと。まぁ、そういうことが「強くなった」ということであれば別ですけど。

そう単純な話ではないかもしれませんが、TPPによって日本の景観に影響は少なからずあるでしょうね。まぁ、今のところ、景観がどうなるか気にしている場合じゃないというのが現実であるようです。今までもそうでしたが、景観は後回しにされます。景観は、お金に換算するのが難しいのです。

でも、俺は思うんですよね。景観が人間に与えている影響は大きいのだと。

たとえば、都会で忙しく働いている人が、田舎の田園風景に癒されて戻ってきて、また元気になれるということは実際あります。魂に力を再注入してくれるという効用があります。たとえば、「天国」や「桃源郷」をイメージしたとき、田園風景を頭に思い浮かべる人も多いでしょう。

腹のたしにはならないし、直接的な利益を受けているように見えませんが、景観はきっと日本人の「こころ」に大きな影響を与えていると思うのです。それはお金には換算できない、いや、もっと大切なものかもしれません。

だから産業として、成り立つとか成り立たないとか、儲かるとか儲からないとか、そんな目先の(俺からみれば)経済的な面だけで議論されていることに違和感を持ちます。さっきも言ったように数値に表しにくい景観が後回しにされるのはわかっていてもです。

ただ、こうも思うんですよね。

昔は、日本も国がたくさんあって、そこで自給自足の生活をしていました。でもやがてばらばらの国が統一されて日本ができました。そして今、世界は、ひとつになろうという方向に動いています。

これは人間の歴史から見たら大きな方向性であるのは間違いありません。500年後くらいにはそうなるかもしれません。(人類が滅亡してなかったらの話ですが)

だから、過渡期である今は、様々な問題を引き起こしているとも考えられます。イスラムと欧米との戦い、ヨーロッパEUのごたごた、そしてこのTPPの問題も。

地球規模の大きな流れとしてはそうとしても、俺はあと2、30年で死んでしまうし、200年後や300年後の世界よりは、今の日本、もっと言えば正直な話、俺にとってどうなのかということが問題です。

そこであらためてTPPを考えてみるとき、コメを作るということの意味合いが、日本とアメリカでは違うんではないかなと思うんです。コメを単なる作物のひとつと考えるアメリカの流儀に合わせるのは嫌だし。「地産地消」なんて吹っ飛んでしまうんじゃないかと思います。今までの農産物の自給率を上げる苦労はどうなるんでしょうか。大丈夫なんでしょうか。

世界の国は、それぞれで分業しろという話ですよね。つまり土地がない日本では、農業は無理だから、車を作ってろ、ということですよね。日本の田園風景がなくなってもいいじゃないか、ブータンや雲南省に「桃源郷」を担わせれば見にいけるじゃないか、ということですよね。極端に言えば。

少なくとも俺が死ぬまでは、この美しい田園風景が日本に残ってほしいと思います。俺が死んだあとなら、田園風景を見にブータンや雲南省へ行って「癒された」といって喜んでいてもいいですよ。いずれそんな時代が実際来るんでしょうけど。

TPPには景観のみならず、文化をどう考えるか、という問題もはらんでいるようです。自分のやり方、文化をかたくなに守ろうとするのも、あながち悪くはないかなと思います。特にアメリカに対しては。アメリカの流儀に合わせるのがしゃくにさわる、ということも俺の中にはあります。

ただ「棚田」に関しては、TPP以前の問題で、高齢化や何やらで、危機的状況にあるのは同じなので、棚田は逆にTPPに影響される部分は小さいかもしれません。小規模経営でやるしかなく、自分の食べる分だけ作っているような棚田は、意外と「強い」のではないかなと思っています。

景観を守れるかどうかは、その国の文化の成熟度を問われていることでもあるのではないでしょうか。


   ☆


田園風景を維持することは、日本人の心の問題とともに、外国人を呼び込む観光業にもプラスであり、一石二鳥ということではないでしょうか。

「第21回全国棚田(千枚田)サミット」 佐賀県玄海町で開催(2015/10/23)
 
 
 
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2011/11/08

2012年 年賀状用干支 「辰 龍 竜」のトンパ文字(東巴文字、象形文字)をアップしました

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2016年(平成28年)干支「猿・申・さる」の「トンパ(東巴)文字」はこちらにアップしています。

Ya_2雲南館トンパ文字のページ
 
 
 
年賀状作成の季節になったんですね。

リクエストにお答えし、毎年恒例になっている年賀状用のトンパ文字をアップします。トンパ(東巴)文字は、中国雲南省北西部の麗江に住むナシ(納西)族に伝わる象形文字でです。

2012年は「辰」、「龍」、「竜」、「たつ」。

今年は水難の年になってしまいました。

アジアでは龍は水を司る神様です。水の大切さ、恐ろしさ、あらためて水について考えていかなければなりません。来年は空に駆け上るような元気な日本になってもらいたいです。

アップしたトンパ文字「辰」は、納西象形文字譜(雲南人民出版社 1981年)を参考にしました。

これから12月中旬にかけて別デザインも考えます。↓URLの雲南館にアップしてある画像は印刷でも充分に使えるデータ量がありますので、コピーして自由に(無料で)お使いください。


Ya_22012年干支トンパ文字  辰・龍・たつ サンプル集 (アジアフォトネット雲南館)

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2011/11/07

ヨーロッパと日本のヒッチハイク事情 (3) イカれたアメリカ人おじさんとの危ないドライブ

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外国のヒッチハイクで一番強烈だったのは、イスラエルでの出来事でした。

イスラエルは若い軍人もヒッチで移動するなど、ヒッチは一般的です。

死海のほとりで野宿した翌朝(↑写真)、道路に出たら、ちょうど車がやってきたので手を挙げました。

車が止まり、乗り込んで俺は「あっ、まずい」と思いました。ダッシュボードには、ビールの小瓶が5、6本並んでいたのです。空になったビール瓶でした。

ドライバーのおじさんはもうかなり酔っていました。エジプトへ抜けようとしていたので、「エラートまで」と言ったのですが、おじさんはろれつの回らない口で、「あんたが行きたいところ、どこへでも」と英語で言ったのでした。

おじさんはレンタカーで旅行しているアメリカ人でした。イスラエルの死海ほとりの道は、幅も広く、車も少ないので、なんとかこんなおじさんでも運転できたのです。

しばらく走ったとき「あんた、運転代わってくれ」と命令口調で言い出しました。「免許証持ってません」と言うと「いらない。大丈夫」と言うのです。もうおじさんは酔いがまわってべろべろだし、砂漠の真ん中で、人家もなく、これは俺が運転したほうがいいかなと思い、代わることにしました。

もちろん、俺は外国で車を運転したのも初めてだし、左ハンドルも初めてでした。おっかなびっくりで始めた運転でしたが、慣れると、気持ちよくなりました。こんなに走りやすい道は日本にはなかったからです。

ある村を通過したとき、ヒッチハイカーがいました。おじさんは「乗せろ」と命令しました。俺は車を止めて彼らを乗せました。彼らは俺に「どこまで行くんですか?」と聞いたので、「この人に聞いてくれ」と俺は、おじさんの方を向きました。彼らが怪訝な顔をしたので「車はこの人のもので、俺はヒッチハイカーなんだ」と言ったら、ますますわけがわからないといった顔をしました。ヒッチハイカーがヒッチハイカーを乗せるなんて、普通ないですからね。

それで不審に思われたのか、彼らは1kmほど走ったら「ここでいいから」と言って降りてしまいました。

その後も、走行中、追い抜くとき前方の長距離トラックの後ろに接触してしまったり、いろいろありました。検問もありました。無免許だったので、何か言われると思って心配していたのでしたが、検問していた警官(兵士?)も「あなたが運転して来て良かったですね」と同情してくれたのでした。接触事故についても何のお咎めもありませんでした。

渓谷では軍隊ごっこをするおじさんでした。俺に水に飛び込むように命令したり、水に入った重いおじさんを引き上げるように命令されたり。完全にイカれていました。

エジプトとの国境の町に着いたとき、やっとおじさんが俺を解放してくれました。酒の酔いもさめて、だんだんおとなしくなってきました。酒を飲まないと、こんなにもいい人だったのかと、そのギャップに驚きました。

おじさんは、運転を代わり、国境まで乗せてくれました。そして俺が車を降りたとき、ちょっと寂しそうでした。軍隊ごっこがやれなくなった寂しさだったのかもしれません。

嫌ならすぐ、車を降りて、おじさんにサソナラすればよかったのです。それをしなかったということは、俺もまんざらイカれたおじさんが嫌いではなく、イカれた行動がとても魅力的だったのではないでしょうか。

「こんな人も世の中にはいるんだなぁ」

自分の常識が音をたてて壊れていく気持よさというものもあるんですよね。これも旅ならではの体験ということでしょうか。

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2011/11/06

ヨーロッパと日本のヒッチハイク事情 (2) ヨーロッパ・中東では、男だからこそ「危険」な目にも

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ヨーロッパでヒッチハイクは一般的でしたが、ただ旧ユーゴスラビアだけはダメでしたね。絶対止まってくれませんでした。やっと止まってくれたのは地元の車ではなくて、これからイスタンブールへ行くというイタリア人カップルでした。

その日は、ある街で下ろしてもらい、翌日、ふたたびトルコに向かって歩いていたら、なんと前日のイタリア人カップルがまた俺を拾ってくれたのでした。

結局彼らとはそれから1週間いっしょに旅することになりました。車は狭かったので、夜は原っぱで野宿でした。世界のバックパッカーが集るイスタンブール「プディングハウス」を教えてくれたのも彼らでした。ネットがない昔はこういった世界各地の宿や店で出会う旅人が貴重な情報源でした。

ヒッチハイクには「偶然の面白さ」があります。旅にはまったのは俺の場合これですね。旅そのものが「偶然」の産物ですが、ヒッチハイクはそれを増幅します。

ところで、昨日は、「ヒッチハイクは危険」というイメージは「嘘」だと書きましたが、もちろん危険はありますよ。そこは自分で判断しないと。最初から「危険」だといってバリアを張るのとは違うという意味です。

危険が少ないのは日本の場合、俺が男だということもあるのでしょうが。ヨーロッパ・中東ではそうじゃないな・・・。男だからこそ危険だったということも実際ありました。当時は俺も、今のようなカサカサではなくて、若くてスベスベした肌をしていたし、東洋人の青年はモテたのも事実です。

なので、こちらはそうじゃないのに、誤解されることも多かったですね。ベルギーで乗せてくれた紳士は、俺が「ノーマル」だと言って拒否したら、残念がってはいましたが、ちゃんと目的の街まで乗せてくれました。

イスラエルで乗せてくれた青年は、助手席に座った俺の太ももを触ってきましたが、途中で降ろされるのが面倒だったので、触らせてあげていました(気がつかないフリをしていました)。

シリアでは、車のドライバーではありませんが、車を待っていたとき、目の前のガレージのオヤジが俺を呼び止めました。なんだろうと思ってガレージの中に入ったら、やおら自分のイチモツを取り出して見せて、「カモン!」と言うのです。笑ってしまいました。汚いモノ見せやがって、まったく。

数え上げたら切りがありません。こんなことを「危険」というなら「危険」といえるでしょう。死ななかったから「笑い話」として自慢できるだけかもしれません。だからお勧めはしません。

でも、なんなんでしょうか、この「危険」な香がなかったら、逆につまらなかったかもしれない、とういうのも正直思います。

そもそも「安全な旅」なんて形容矛盾です。

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2011/11/05

ヨーロッパと日本のヒッチハイク事情 (1) ヒッチハイク・センターの元祖「アロー・ストップ」

111105
FM NACK5 を聴いていたら、ヨーロッパではヒッチハイカーとドライバーを結ぶ「ヒッチハイク・センター」があることを紹介していました。

今から40年前にフランスで始まった「アロー・ストップ」。

「ヒッチハイク・センター」(環境goo)

どうせ同じ方向へ行くのだから1台の車を使えば経済的でもあるし、CO2削減にも繋がる一石二鳥で、けっこう流行っているらしい。ヒッチハイカーは10kmにつき約4円のガソリン代の負担をします。年会費もいりますが、電車・バスで移動するよりも安くすむらしい。これはいい取り組みだと思います。ヒッチハイカーも負担があるので「タダで乗せてもらう」という後ろめたさもなく、これだったらwin-winの関係です。

俺は若いころ、よくヒッチハイクで旅しました。ヨーロッパではもちろん、日本でも東北や北陸をまわったことがあります。

今は逆の立場になって、ヒッチハイカーがいたら乗せようと思っていますが、意外といませんね。これだけ日本中走っているのに、数回乗せただけです。ヒッチハイカーがいる場所を通らないということなんでしょうか。昔と比べて、ヒッチハイカーの数は増えているのか少なくなっているのか、どっちでしょうか。

最近では、今年4月石巻市で、被災したおばあさんが日和山まで行きたいというので乗せたことがある程度です。

日本ではヒッチハイクと聞くと、危険というイメージが先に立ってしまうのかもしれません。

友人に「ヒッチハイクで旅行しようと思ってるんだ」と言ったら、「そんなことできないよ。誰も乗せてくれるはずない」「誰だかわからない人に乗ったら危ないよ」という否定的なアドバイスでした。

俺はへそ曲がりなので、そう聞いたので、なおさら「やってやる!」と思ってしまい実行しました。すると、意外とみんな親切に乗せてくれるし、危険なんか感じませんでした。もし乗せるほうが危険を感じるなら乗せてくれないだけです。

「何事も実際に自分でやってみないとわからない」と、そのとき痛感しました。

ただ田舎へ行ったとき親指を立てて車に向かっていると、「何をやっているかわからないんだなぁ」ということがわかりました。

近づいてきた車が止まって、窓から顔を覗かせたドライバーが「何をやっているの?」と聞くので、「ヒッチハイクです」と答えたら、「そうか。がんばって」と言って去っていったり、「なんだぁ、警察の取締りじゃないのかよ」と言って怒って立ち去ったり、「ここにタクシー来ないよ」と教えてくれたり・・・。そんなこともありましたが、概して日本もヒッチハイクはやろうと思えばやりやすい国です。

北陸ではクレーン車が止まってくれました。ドライバーは仕事の途中で、「手伝ってくれる?」というので「いいですよ」というと、建設現場へ行って、クレーンを使って資材を下ろすのを手伝ったことがあります。その夜、その人の家に泊めてもらいました。

また、十和田湖の山道を歩いていて、後ろから車のエンジン音が聞こえてきたのですが、そのとき歩き疲れて振り向くのも億劫だったので、車を見ずに親指を立てたら止まってくれました。振り返ったらバキュームカーでした。断るのも悪いので乗せてもらいました。バキュームカーをヒッチしたのは珍しいでしょうね。

大学時代は、実家から70kmはなれた米沢市に下宿していましたが、何度かヒッチで実家に帰りました。そしたら着いたその夜、父親が言うのです。

「オマエ、@@さんに乗せてもらったんだてな? 恥ずがすえがら、うちの近くでそういうことするのやめてくれ」

最後に乗せてくれた人は父親の上司だったようなのです。どうりでその人、俺の父親の名前を知っていたわけです。それからは自宅前からヒッチするのはやめて、バスで10kmくらい離れてからやり始めたりしました。

ところで、日本では今、ほとんどの会社の車は「ヒッチハイカー禁止」ではなかったでしょうか。

「安全第一」が大切な国民性の日本ではしかたないんでしょうが、なんだかつまらないですね。日本ではヒッチハイクが一般的になることはないでしょう。

いや、これからはなるかも、という期待もあります。「エコ意識」が高まることと、「ヒッチハイクは危険」というイメージが嘘であることがわかれば、ですけど。

(つづく)

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2011/11/01

11月1日 「犬の日」 に思うこと 犬は深い!!

111101

数年前まで自他ともに認める「犬嫌い」だった俺が、犬と暮らすようになって、犬好きになるとは思ってもみませんでした。

子どものころから腰が重く、何でもやるのが遅いというのが自分の中でもコンプレックスとして意識してきましたが、犬についても同じだったようです。

ただ、いったん火が付いてしまうと、それにのめりこむという性格もあるので、犬はますます好きになっていくでしょう。

さて犬と暮らすようになって、犬に関するいろんな本を読むようになりましたが、一番印象的だったのは、テンプル・グランディン著の『動物感覚』という本です。

オーストラリア先住民アボリジニーには、「犬のおかげで人間になれる」という言葉があるそうです。

『動物感覚』によると、これは比喩的表現ではなくて、最近の研究では、文字通りの意味かもしれないということなのです。

人間がオオカミを飼いならして犬が誕生したという話が一般的ですが、もしかしたら、逆なのかもしれないというのです。

人間がオオカミと接するようになって、オオカミのように行動して考えるようになりました。集団で狩をすること、複雑な社会構造、誠実な友情、縄張り意識などを、それまで持っていなかった人間はオオカミや犬から学んできた・・・。

これは衝撃的な話です。だからこれが本当だとすると、犬が人間に似ているのではなく、人間が犬に似ているといってもよかったのです。

犬がいなかったら今の人間はいなかったし、犬もまた人間と暮らさなかったら、今の犬はいなかった。互いが互いを必要とし協力しながら暮らす仲間です。けっして一方的な愛玩動物ではないのです。

そして違う種でありながら家族という集団を築けるのは犬をおいて他にいないだろうということです。これは奇跡というしかありません。

人間は自分で進化して今の人間になったつもりでいますが、犬だけではなくて、いろんな種との関わりで進化というより「変化」させられてきたのかもしれません。

犬を考えることは、人間を知ることですね。

犬は深い!!

Ya_2近々未来予想ショートストーリー 「犬の惑星 The Planet Of The Dogs」(2011/09/19)


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