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2012/02/29

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (17) マレーシアの首都 クアラルンプール

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120229_5(写真は上から、飛行機から撮影したクアラルンプール郊外、チャイナタウン、チャイナタウン、新興住宅街、複合ショッピングセンター「スリア KLCC」ツインタワー、KLCC内部)

クアラルンプールの朝はアザーンの声から始まりました。ここもイスラムの国です。

まだ暗い中、街歩きしてみました。

街灯の光で浮かび上がるコロニアル風の建物が立ち並ぶチャイナタウン界隈。

街がすっかり明るくなると、なんとなく、どろどろしたものがなくなってしまいました。クアラルンプールの夜は魅力があります。

その代わり、日中は近代的な大都市の顔を見せてくれます。

複合ショッピングセンター「スリア KLCC」は、ショーンコネリー主演の映画『エントラップメント』で使われたスカイブリッジがあるところ。あのアクションシーンが思い出されます。

この新旧両面のたたずまい、そしていろんな文化が入り混じった混沌がクアラルンプールの面白さではないでしょうか。

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2012/02/28

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (16) スリランカの野良犬(地域犬)について

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スリランカの町も村も、野良犬が多いですね。いや、野良犬というより、「地域犬」といったほうがいいでしょうか。

江戸や明治時代の日本も、地域犬が多かったらしい。『北斎漫画』にも描かれています。「ぢいぬ」と呼ばれていたようです。

日本に「所有」と「管理」という欧米的価値観が入ってきました。

スリランカにももちろん飼い犬もいます。飼い犬にはちゃんと名前を付けているし、首輪をしているときもあります。夜は、敷地内でリードに繋がれて寝ています。でも、日中は放し飼いだし、地域犬といっしょに遊んでいるので、区別はつきません。

犬の「巣穴」を見たのは初めてです。ヴィーノもそうですが、犬は、床に寝るとき、くるくると回転してから落ち着きますよね。

あれが特定の場所で行われると、地面が掘られて、クレーター状の穴になるようなのです。これが犬という動物の「巣穴」なのでしょう。

地域犬は、人のゴミや時々もらえる食べ物に頼って生活していて、夜は、不審者や不審車が通るとほえます。とくべつ大切にされているとも思えませんが、かといって嫌われているわけでもなく、ほんとうに自然に生きているのです。

自然な犬の姿に見えます。害を与えない限り、放っておかれる。そうすると、こんな状態になるんでしょう。

日本とスリランカの事情は違うので、どちらが良いとか、悪いというつもりはありません。でも、日本で地域犬が存在できない(地方ではたまにいますが)のはどうしてなんだろうか?と考えてしまいます。

危険だから? 不潔だから?

野良犬を見つけたらすぐ捕まえてしまうことは、日本ではしかたないことだとは思っても、やっぱりどこかに「不自然さ」を感じています。管理したいんですね。自然は自然のままであるよりは、より「管理」される自然が好まれるということは、犬以外でもあるし、俺も日々感じていることです。

だからスリランカの犬の方が自然で「幸せだ」とも思いませんが。ただ、違いを気がつかせてくれるだけです。


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2012/02/27

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (15) スリランカのスナック&飲み物

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120227_4(写真は上から、ウルンドゥ・ワデー&エラワル・ロティ、アルコール販売店、ライオンビール、茶を作る売店の女性)

コメ食品を求めて旅したスリランカですが、コメ食品意外にも気に入ったものはあります。


【ウルンドゥ・ワデー、エラワル・ロティ】

街の茶屋や売店でよく見かけるのは、一見ドーナツのような揚げ物「ウルンドゥ・ワデー」です。豆を挽いて作ったものですが、薄い塩味が絶妙です。カリー味ではないところも、カリーに飽きてきた舌にはいいですね。

「エラワル・ロティ」は要するにカリーパンです。カリーの具がロティで包まれたものです。

茶屋では写真のように大皿に盛られてきますが、食べた分だけ支払うシステムです。右のドーナツ状のものが「ウルンドゥ・ワデー」、左の三角形のものが「エラワル・ロティ」です。

他にもっと辛い「パリップ・ワデー」というのもあります。鉄道やバスの車内に売りにきます。


【ビール】

スリランカには「ライオンビール」というのがあります。ライオン社は1881年に創業されました。アジアでも古い歴史を誇るメーカーだそうです。

ただスリランカでは、人前で堂々と酒を飲むことはないようです。キリスト教以外は、仏教もヒンドゥー教もイスラム教もアルコールは一応認めていません。ただ、個人の家では、椰子から作った発酵酒や蒸留酒が飲まれているし、まったく酒がだめというわけではないようです。街中でも目立たないように飲んでいたし。

街にはアルコール販売店がありますが、銀行よりもものものしい金網張りの店構えで、怪しさ全開でした。俺は、ハプタレの街で「ライオンビール・ラガー」を1本買いましたが、190ルピーでした。その店内の冷蔵庫の陰で男が「ライオンビール・ストロング」を飲んでいました。こそこそとした感じなんです。やっぱり後ろめたいんでしょうか。


【茶】

スリランカといえば「茶」というくらい茶畑の多さは前に書きましたが、もちろんスリランカではどこでも飲むことができて、たいていは、ミルクと砂糖をたっぷり入れた紅茶です。写真はエッラ郊外の道に面した売店で頼んだお茶です。紅茶を注ぎ、ミルクと砂糖を入れて、カチャカチャとかき混ぜて出してくれます。1杯20ルピー(14円)くらいでした。暑い気候には、この甘い紅茶は合いますね。

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2012/02/25

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (14) スリランカのコメ食品 「アーッパ」と「インディ・アーッパ」

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120225_5(写真は上から、ゴールのゲストハウス朝食のアーッパ、コロンボ食堂のアーッパ作り、ウェッラワーヤ食堂のインディ・アーッパ、キャンディ食堂の炒めたインディ・アーッパ、幼稚園児の弁当)

スリランカはコメの国です。コメを粒のままカリーといっしょに食べるほかに、加工食品もあります。

コメ食品を探すために「メーケー・ハール(バット)・ティァナワドゥ?」というシンハラ語だけは覚えていきました。「これはコメ(ご飯)から作られたものですか?」という意味です。でも、たいていは英語を話すので、俺の下手なシンハラ語は役に立たなかったのですが。

代表的なものが「アーッパ」と「インディ・アーッパ」ではないでしょうか。

【アーッパ】

アーッパ(別名ホッパー)は米粉を水で溶いたものにココナツ、塩、砂糖を少々入れて、発酵させたものを、小さな手鍋で焼く、見た目は皿のようなクレープ状のコメ食品のことです。

ゲストハウスで食べた朝食にアーッパが出ました。スリランカふうにカリーも付きましたが、これをトースト代わりに、バターやジャムを付けてもうまかったです。(上から1番目)

コロンボに泊まった日、鉄道駅前をぶらつきました。小さな食堂がずらりと並んでいて、いろんな食べ物がショーケースに並んでいます。

アーッパ作りもいました。カメラを出すと、こっちに来いと言われて、近くでアーッパ作りを一から見ることができました。(上から2番目)

これなら俺にもできそうだと思いました。

ニゴンボの街の金物屋で、アーッパ作り用の手鍋を見つけ買ってしまいました。いい土産ができたと喜んでいたのですが、実は簡単そうに見えて、難しいんだということは帰国後自分で作ってみて初めてわかったのです。

ベトッとしてしまい、パリッとした感じに仕上がりません。何が問題なのか、今のところわかりません。


【インディ・アーッパ】

麺状にしたアーッパですが、日本でなら、食感はソーメンを想像してもらえばいいと思います。それをスープで食べないのが、スリランカですね。東南アジアや東アジアなら、こういった麺があるなら必ずスープで食べる麺が発達しています。(スープの麺は手で食べられないから? まさか・・・)

写真(上から3番目)のインディ・アーッパ(別名ストリング・ホッパー)は、スリーウィーラーに乗って棚田探しをしていた日、ウェッラワーヤという街の食堂で注文したものです。やはりカリーで食べます。チキンカリーとダル(豆)カリーを付けて食べました。

キャンディの食堂で食べたのが、黄色い炒めたインディ・アーッパでした(上から4番目)。牛肉と野菜をいっしょに炒めてあり、味はカリーですが、ビーフン炒めのような食感です。

バンダーラウェラの近くで、昔日本に住んでいたという人物に出会いました。群馬県のある寺の援助で建てられた幼稚園の園長をしている人でした。彼の幼稚園を訪ねたとき、ちょうど園児たちの昼食時間になりました。持参した弁当を食べる園児たち。

タッパに入った弁当は様々でした。カリー&ライスもあったし、豆のようなものもありました。インディ・アーッパを食べている男の子もいました。味付けはやっぱりカリーらしい。手で食べるなら、パサパサしたご飯よりも、麺状になったインディ・アーッパのほうが食べやすいということもあるようです。

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2012/02/24

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (13) スリランカの料理 ライス&カリー

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100224_3(写真は、上から、初めて食べたキャンディの食堂でのライス&カリー、エッラのゲストハウスのライス&カリー、市販されている「ソヤ・ミート」)

スリランカでは、ライス&カリーは、一般的な食事です。

ただ夕方になるとご飯が売り切れて、「コットゥ・ロティ」という、ロティ(スリランカ風パン)を細かくして炒めたものしかなくなったりします。

だからライス&カリーを食べるのは昼のほうがいいですね。

初めてライス&カリーを食べたのは、スリランカ初日の昼、キャンディの食堂でした。野菜カレーの定食です。思ったほど辛くもなく、これなら毎日でも大丈夫という味でした。

その国に長居できるかどうかは、食事が自分に合う、というのが大きな要因なのです。

ただ2週間食べ続けてくると、スリランカ料理の味のバリエーションの少なさが気になってきました。

エッラのゲストハウスで頼んだライス&カリーはこんな内容でした。注文してから1時間。じっくり作ってもらったライス&カリーはおいしかった。

コメは白と赤の2種類。カリーは4種類。ソヤ・ミートのカリー、ナスのカリー、キャベツのカリー、トマトのカリー。それと箸休めになる「ポル・サンボル」と、せんべいのようなパリッとした「パパダン」。

「ソヤ・ミート」のカリーというのが特に気に入りました。ソヤ・ミートはまるで肉のような食感ですが、肉の味を付けた豆加工食品だそうです。精進料理でもこういうのがありますね。ベジタリアンも食べられるし、いろんな宗教の人種がいっしょに住んでいるスリランカでは、便利な食材です。スーパーマーケットでもソヤ・ミートが売られていたので、2袋土産で買ってきました。

もうひとつは「ポル・サンボル」。「ポル」とは「ココナツ」のこと。玉ねぎが入ったちょっと酸っぱい和え物サンボルです。こういう食べ方もあるんですね。これもなかなかおいしいです。

ところで、スリランカの食堂ではゆっくりできなかったですね。食べ終わるとすかさず従業員が来て「フィニッシュ?」と聞き「フィニッシュ」というと皿を下げ、請求書を持ってきます。お茶を頼んでいてもそうです。スリランカでは、食堂でゆっくりすることはない。こういう習慣なのでしょうか。

それと、スリランカからマレーシアへ戻ったとき、スリランカ料理にはなかった「スープで食べる麺」が無性に食べたくなって注文したのですが、いざ食べようとしたら、熱くて食べられませんでした。「あれっ? 俺はいつから猫舌になったんだろう?」と思ったら、そういえば、スリランカ滞在2週間以上、熱々の食べものを食べていなかったことに気がつきました。

ライス&カリーは、ほとんど作りおきされたものだし、「熱々で食べる」「できたて」ということにはそれほどこだわらない食文化ではあるようです。まぁ、気候が暑いので、それほどあったかい物が食べたいという気にはならないのですが。

それと「手で食べる」ということも、「熱々で食べない」ことと関係あるのかもしれません。

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2012/02/23

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (12) 旧首都コロンボと空港に近いニゴンボ

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120223_4(写真は上から、コロンボの市場の男、コメ問屋、ニゴンボの双胴船「カタマラン」、夕方のミサ)

スリランカの首都は、スリー・ジャヤワルダナプラという街。でも、旧首都であるコロンボからわずかに10kmで、首都機能の一部しか移転していないようなので、実情は、まだコロンボが首都といってもいいのかもしれません。

とにかくスリランカでは最大の都市です。けっきょくこの街には1泊しかできませんでしたが、とくに庶民の街である、コロンボ・フィート鉄道駅やバス駅や市場がごちゃごちゃした「ペター」と呼ばれる地区は活気があっておもしろかったですね。

市場にはコメ問屋がならんでいて、各地からのコメが運び込まれていました。この種類の多さに驚くばかりです。

写真を撮りながら歩いていると、荷物を運ぶ男たちや問屋の商人たち、あっちこっちから声がかかります。「俺の写真を撮れ」とか「彼の写真を撮れ」と。

「この男は、スリランカ・モンキー。写真を撮ってやって」

見るからに屈強な男です。「モンキー」と呼ばれた男も、笑いながら写真に収まってくれます。写真を撮って、遊びながら市場を歩くというのも久しぶりだった気がして、妙に楽しく、新鮮でした。


ニゴンボは、コロンボから北へ約30km。空港から近い(トゥクトゥクで40分)ので、外国人観光客は、スリランカ入国の1泊目か、出国の前日に泊まるという人も多いようです。

スリランカを出る飛行機が、朝8時代発だったので、俺も前日はニゴンボで1泊し、朝5時に空港へ向かったのでした。

ニゴンボは白砂のビーチもあり、リゾートホテルやゲストハウスなどたくさんの宿泊施設、レストラン、旅行会社、ネットカフェなどがそろっています。観光客には便利なところです。

そしてここでは「カタマラン」と呼ぶ双胴船があります。夕方漁から戻った「カタマラン」をニゴンボの浜で撮影することができました。たしかマダガスカルにもこんな船が浮かんでいたと思いますが、インド洋の船ですね。

ここの住民はキリスト教徒が多く、夕方には教会でミサが行われていました。

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2012/02/22

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (11) 津波の慰霊碑とツナミ・フォト・ミュージアム

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120216_4(写真は上から、津波の慰霊碑、ツナミ・フォト・ミュージアムのカマニさん、津波で流されたコロンボ発列車(フォトミュージアム提供)、ツナミ・ホンガンジ・ヴィハーラ)

津波のことについて調べていると、リゾート地、ヒッカドワ(Hikkaduwa)の北に、津波の犠牲者の慰霊碑や、ミュージアムがあることがわかり行ってみました。

ゴールから北へバスで1時間。パラーリヤ(Pareliya)という村です。

バスを降りるとそこが慰霊碑( National Tsunami Monument )。なぜここに立ったかというと、コロンボ発の列車が津波にのまれ、多数の犠牲者を出した場所でした。

スリランカは北西部を除いてほとんどの海岸が被害を受け、津波の大きさとしては東側がひどかったのですが、人口密度は西側が多く、だから人的被害も西側が大きかったということです。この列車がスリランカ津波被害の象徴でもあるようです。

慰霊碑から200mほどのところに、「ツナミ・フォト・ミュージアム(Tsunami Photo Museum)」というのがありました。道沿いに看板が立っているのですぐわかります。(道の反対側はPareliyaではなくてTelwattaなので住所はTelwattaになります)

1軒の家に津波で被害を受けた当時の写真がたくさん展示されています。それと現地の子供たちが描いたという津波の絵や当時の新聞記事などの資料。入場無料です。

このミュージアムには日本人がほとんど来ないので、ぜひ知らせてくださいと、管理をしているカマニ・ダシルヴァさんから頼まれました。

この建物自体は、もともとカマニさんの家があった場所で(カマニさんが持っているのは津波翌日撮影したこの場所(自宅)の写真)、流されたあとに新しく建物を建てました。そこを私設ミュージアムにしたそうですが、オランダ人が開き、今はカマニさんが受け継いでいるということのようです。

ここを続けるのは、多くの人に津波の恐ろしさを伝えることが必要だと思っているからだといいます。とくに次の世代に、です。それと津波が自然の一部であることも。日本人も共感できる話が聞けるのではないでしょうか。

またミュージアムから南に600mのところに京都本願寺が建立した津波慰霊のための大仏(ツナミ・ホンガンジ・ヴィハーラ( Tsunami Honganji Vihara )がありました。

ミュージアムのHPはこちらです。
TSUNAMI PHOTO MUSEUM TELWATTA SRI LANKA

ミュージアムや慰霊碑の地図
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マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (10) 世界遺産ゴールの光と陰 「ツナミ・ハウス」に暮らす人たち

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120214_4(写真は上から、ゴールの砦、月明かりの街、ムーン要塞の時計塔、「ツナミ・ハウス」に暮らす被災家族)

スリランカ南部、世界遺産にもなっているゴールは、津波の被害はどうだったのだろうか?という疑問があって、最後に訪ねることにしていました。

2004年12月26日のスマトラ島沖地震によって発生した津波によって、スリランカも大きな被害を受けました。

スマトラ島沖地震 (2004年)(Wiki参照)

「スリランカ  35,322人が死亡した。コロンボ発ゴール行の列車が津波に流されて転覆した。この列車は第1波の被害を免れたため、車内は安全と誤解した地元住民が多く、列車内や屋根の上に避難した後で続く第2波の津波に飲まれたため、乗客の他地元住民なども含め1,000人が死亡した。負傷者数は16,637人、行方不明者は5,637人、家を失った者は83万人それ以上だとされている。」

ここゴールも津波が町の海岸から1km奥に達し、郊外の民家が流されました。津波そのものを知らなかったスリランカ人たちは、第一波がやってくる前、波が引いたのを「なんだろう?」といって、沖まで追いかけた人もいたそうです。それで波に飲まれてしまいました。

ゴールの隣、ジントタには中国が援助して建てた「ツナミ・ハウス」と呼ばれる被災者用集合住宅街がありました。やけに不釣合いに大きな中国赤十字の碑が立っています。いかにも、中国らしい。

8畳ほどの部屋4部屋に3家族13人が暮らす人たち。天井が剥がれ、電気と窓が壊れ、雨が降っても排水が悪いと文句を言う老人。津波でボートと家を失って、いまだに仕事がなく困っている家族。18歳くらいの女の子は日本の津波の日付、2011年3月11日を正確に覚えていました。

ゴールは毎日観光客が大勢来ています。高さ6~10mの城壁に囲まれた旧市街は津波の被害もありませんでした。しゃれたレストランやホテルもあって、外国人もたくさん訪れます。コロニアルふうの建物や、仏教寺、モスク、教会が点在し、いろんな文化が入り混じった魅力的な街です。俺も岬の突端のホテルに部屋を取りました。ベランダで飲むセイロン茶は最高でした。

ゴールの町は津波からはほとんど復興し、観光客で賑わう陰で、こうした被災者がまだ復興から取り残されているのも現実。

観光地ゴールの光と陰です。


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2012/02/21

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (09) 天空の城 世界遺産シーギリヤ(シギリヤ)

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120221_4(写真は上から、シーギリア・ロック、頂上の宮殿跡と王のプール跡、美女のフレスコ画「シーギリヤ・レディ」、頂上までの階段、恐怖の螺旋階段)

ポロンナルワからバスで2時間、世界遺産のひとつ、シ-ギリヤへも足を伸ばしました。

シーギリヤ・ロックを目の前にするとみんな驚きます。ここが聖地になるのも当然ですね。ジャングルの中に楕円柱状の岩山が突然聳え立つ異様な光景に超自然や宗教的感覚を感じたとしても不思議ではありません。

ただ、この岩山の上に城があったとなると、ちょっと印象は違ってきます。生々しい人間の狂気を感じます。

どうしても、宮崎監督の『天空の城ラピュタ』を連想してしまいます。

父親殺しのカーシャパは、王族の血筋を持つ腹違いの弟モッガラーナの復讐を恐れたためか(自分は平民の血筋だった)、岩山の上に宮殿を築き、11年にわたってここに住み続けました。けっきょくは、モッガラーナに敗れ、自ら命を絶ったのだそうです。

美女のフレスコ画が残されていますが、その壁画を見るための螺旋階段があります。絶壁に作られたその螺旋階段を上るのですが、観光客の多さで、重さは耐えられるのか、そして、この階段が作られたのが70年以上前であるという事実を知ると、老朽化はだいじょうぶなのか、心配になってきます。実際さび付いた階段は、ところどころネジも緩み、いつかは崩れるのではないかという恐怖を感じます。

映画『ジュラシック・パーク』だったか『ロスト・ワールド』だったかに、大きな鳥かごの螺旋階段が壊れるシーンがありました。この絶壁で宙ぶらりんになるのは勘弁してもらいたい。

頂上まで上るときは、また別な急階段を上っていくのですが、こちらも日本でならほとんどありえないような、怖い階段で、実際、日本人ツアー客のおじいさんは、上れなくなったようで、階段にへたりこんでいました。

その「死の儀式」を通り越すと、岩山の上には、360度のジャングルを見渡す宮殿跡があるのです。なんといったらいいか、すごいの一言です。

ここで身を隠していたカーシャパ王の狂気を感じざるをえません。ここまでしないと安心できなかったのでしょうか。

シーギリヤが滅んだのは人間に対する不信。優れた科学技術を持っていたラピュタも、地上(土)と離れることで滅んでしまいました。ふたつの城に共通するのは、身の程知らず、「ほどほど」を通り越した欲望の城だったのではないでしょうか。

Ya_2Light of Sri Lanka スリランカの光 (YouTube)

 
 
 
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2012/02/20

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (08) スリランカのコメどころ ポロンナルワ

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120220_4(写真は上から、ガル・ヴィハールの涅槃仏、ランコトゥ・ヴィハーラ、宮殿跡のスリランカ・ハイイロオナガザル)

キャンディの市場ではたくさんの種類のコメが売られていましたが、「80パーセントはポロンナルワから来た」とコメ屋の主人はいっていました。

ポロンナルワといえば、10~12世紀、シンハラ王朝の首都があったところで、スリランカの世界遺産のひとつでです。多くの遺跡が残っているところでした。遺跡見学がてら、スリランカのコメどころのポロンナルワを訪ねることにしました。

さすがコメどころですね。中央高地とは違って椰子の木が周りを囲む平地の水田がずっと広がっています。地元の人に聞くと、ここではコメは年2回作っているそうです。

町の西側には、パラークラマ・サムドラという12世紀、パラークラマ・バーフ1世が作った灌漑用貯水池がありますが、これが乾季の農業用水のためのたいせつな水源になっています。

ポロンナルワの遺跡群は広い範囲に分布しているので、自転車を借りてまわりましたが、1日かかりました。入場券は外国人25USドルです。

ガル・ヴィハールの涅槃仏やランコトゥ・ヴィハーラやキリ・ヴィハーラや宮殿跡など、見どころは多い。途中、意外と売店がほとんどないので、飲み物を持参したほうがよかったですね。

この遺跡に棲み付いていたのが野生のサル。野生といっても、観光客が行き来する場所に陣取り、ふてぶてしく人間を観察しています。2mくらいまでなら近づけました。それ以上近づこうとすると威嚇されます。

スリランカでは、他の場所でも野生のサルを見ましたが、2種類いました。1種類はニホンザルと似ている種類。そしてもう1種類が、このポロンナルワの遺跡のサルと同じ種類で「スリランカ・ハイイロオナガザル」。美しいサルです。

これで引っかかれたり、荷物を盗られたり、というトラブルはないのでしょうか。日本でなら「悪さをするサル」ということで、すぐ問題になるような状況ですが。

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2012/02/19

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (07) スリランカの棚田について

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120218_3(↑:半年後に棚田になるかもしれないニンジン畑 中:ジャガイモ畑の中の棚田 ↓:農薬を散布する男)

スリランカの中央高地ハプタレ、エッラ、バンダーラウェラを中心に滞在し、周辺の棚田を探してみました。

結論から言うと、「棚田はとりあえず、ある」と言っていいと思います。なんだかはっきりしない物言いですみません。というのは、スリランカの棚田にはちょっとした事情があって、少なくとも日本の定義で言う「棚田」では微妙な部分もあったのです。あまり面倒くさいことを言っても始まらないのですが、一応、日本では「階段状の水田」が「棚田」で、畑は「棚田」とは呼ばない、ということなのです。(だから微妙なのです)

この棚田地帯では、数年前まで1年で2回コメを作っていました。ところがミャンマーなど外国産米が輸入されるようになって米価が下がり、今は、1回はコメ、2回目は野菜を作る農家が増えてきているとのことです。コメは自分たちが食べる分、そして野菜は現金収入を得るためです。

野菜で多いのが、今の時期だと、ニンジン、キャベツ、ナス、インゲン、ジャガイモなどです。ナス、インゲン、ジャガイモは昔から地元で作られていましたが、なんと、ニンジン、キャベツは日本人から教えてもらったといいます。

実は、棚田のシステムも、今から30年以上前に、日本人から教えてもらったそうです。棚田そのものはわかりませんが、田植えの方法などのアドバイスはあったようです。

谷間のすべてが水田になったような、いわゆる大きな「棚田」は、意外と少ないというのがわかりました。水田と畑が混在しています。列車の車窓からも畑は見ましたが、それも前は棚田だったかもしれません。雰囲気は棚田そのものだったし。

以前、スリランカへ行ったことのある友人に、エッラ付近の棚田情報を聞いたことがありました。それで今回確かめに行きましたが、こちらも今は野菜畑でした。(季節が変わって半年後は棚田になっているかもしれませんが)

ただそれでも何ヶ所か美しい棚田を見つけました。

出し惜しみして申し訳ありませんが、その写真は雑誌で発表してからにしたいので、とりあえず、他の写真を掲載しておきます。

ところで棚田探しに雇ったのが、三輪タクシーの「スリーウィーラー」でした。これはタイやインドなどにもあり「トゥクトゥク」とも呼ばれています。この小さな車は、山間部の狭い道では重宝します。幅1mあれば、回転することができるので、どんなところへも入っていけます。

ただ日本のようにどこでも農道があるわけではなく(むしろほとんど農道はない)、棚田や村の中を自由にスリーウィーラーで動けるわけではありません。道代わりにもなる畦道を歩く必要があります。そこは中国やフィリピンなどと同じで、「あそこに行きたい」と思っても、簡単にはたどり着けないのがスリランカの棚田です。


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2012/02/18

マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (06) キャンディから山岳鉄道でハプタレまで

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スリランカ南部ゴールの記事は、書き直してから再アップするので、いったん削除しました。

                  ☆

キャンディから列車に乗ってハプタレまで移動しました。

この鉄道は山の中を走る景色の良いことで知られていますが、スピードはめちゃくちゃ遅い。(だから良い、という話でもあるんですが) 飛び乗ることができるほどのスピードです。体を乗り出して乗っている人もいます。

ところで、この日、列車はめちゃくちゃ混みました。ほとんどは欧米人観光客ですが、2等車に全員は乗れないだろうと不安に思っていたら、その通り、不安は的中。

ようやく列車が入ってくると、みんな2等の入り口に殺到しました。しかたないので3等の入り口から入ったのですが、そこは食堂車で、すでに多くの人がテーブルの上にも腰掛けています。3等車両もいっぱいだったので、出口近くの壁に寄りかかることにしました。それでも立っているよりマシです。

「混んだ車内も楽しい」などとという年齢でもないので、正直、キャンディからの6時間半はきつかった。「のんびり鉄道旅」の期待も外れてしまいました。

それでも途中、棚田が見れたらいいやと思っていたのですが、車窓から見えるのは茶畑のみ。棚田はまったく見えませんでした。田んぼは2、3回だけ。5時間は茶畑を見ながら走ります。あらためてスリランカの茶畑の広さを実感しました。

夕方到着したハプタレは田舎の山村です。この町の周りにも茶畑が広がっています。リプトンの工場があるらしい。

カレー → ライス → コメ → 田んぼ → 棚田

こんな勝手な連想をして、スリランカの棚田は簡単に見つかると思って来たのですが、車窓からもゼロだったし、意外と探さないとないとダメなところなのかもしれません。

この周辺に期待することにしたのでした。


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