マレーシア・スリランカの撮影旅 2012年 (10) 世界遺産ゴールの光と陰 「ツナミ・ハウス」に暮らす人たち
(写真は上から、ゴールの砦、月明かりの街、ムーン要塞の時計塔、「ツナミ・ハウス」に暮らす被災家族)
スリランカ南部、世界遺産にもなっているゴールは、津波の被害はどうだったのだろうか?という疑問があって、最後に訪ねることにしていました。
2004年12月26日のスマトラ島沖地震によって発生した津波によって、スリランカも大きな被害を受けました。
「スリランカ 35,322人が死亡した。コロンボ発ゴール行の列車が津波に流されて転覆した。この列車は第1波の被害を免れたため、車内は安全と誤解した地元住民が多く、列車内や屋根の上に避難した後で続く第2波の津波に飲まれたため、乗客の他地元住民なども含め1,000人が死亡した。負傷者数は16,637人、行方不明者は5,637人、家を失った者は83万人それ以上だとされている。」
ここゴールも津波が町の海岸から1km奥に達し、郊外の民家が流されました。津波そのものを知らなかったスリランカ人たちは、第一波がやってくる前、波が引いたのを「なんだろう?」といって、沖まで追いかけた人もいたそうです。それで波に飲まれてしまいました。
ゴールの隣、ジントタには中国が援助して建てた「ツナミ・ハウス」と呼ばれる被災者用集合住宅街がありました。やけに不釣合いに大きな中国赤十字の碑が立っています。いかにも、中国らしい。
8畳ほどの部屋4部屋に3家族13人が暮らす人たち。天井が剥がれ、電気と窓が壊れ、雨が降っても排水が悪いと文句を言う老人。津波でボートと家を失って、いまだに仕事がなく困っている家族。18歳くらいの女の子は日本の津波の日付、2011年3月11日を正確に覚えていました。
ゴールは毎日観光客が大勢来ています。高さ6~10mの城壁に囲まれた旧市街は津波の被害もありませんでした。しゃれたレストランやホテルもあって、外国人もたくさん訪れます。コロニアルふうの建物や、仏教寺、モスク、教会が点在し、いろんな文化が入り混じった魅力的な街です。俺も岬の突端のホテルに部屋を取りました。ベランダで飲むセイロン茶は最高でした。
ゴールの町は津波からはほとんど復興し、観光客で賑わう陰で、こうした被災者がまだ復興から取り残されているのも現実。
観光地ゴールの光と陰です。
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