(写真は去年と今年の大槌町の桜)
また奇跡が起こりました。
先日、松島の「西行戻しの松公園」に行ったことは書きましたが、あのとき、何人か写真を撮らせてもらい、そのうちの一組に仙台から来た夫婦がいました。
帰宅後、プリントして送ったのですが、礼状が届きました。それを見てびっくりしたのです。
なんと、ご主人は、同じ高校の同級生だったのです。
もう30数年以上会ってないし、顔を見ても思い出せませんでした。それはご主人のほうも同じです。俺の名前に見覚えがあり、帰宅してから気がついたそうです。
「奇跡」だというのは、偶然同級生の写真を撮ったことよりも、お互い、まったく気がつかなかったということです。
もっとも今から思えば、なぜあのふたりに声をかけたのか。それは穏やかな表情で満開の桜を楽しむふたりに何かを感じたからでした。もしかしたら、俺の無意識では、ちゃんとご主人を覚えていた、ということかもしれません。実際、「前にも会ったような」とは、ふたりの写真を撮りながら一瞬思っていたのでした。
☆
宮城県南三陸町志津川から北上し、気仙沼市本吉町のある漁村で停まりました。去年、桜を撮った場所です。
家を訪ね、声をかけたら、中から男の人が。見覚え場ある顔です。
「1年前、そこの桜を撮った者ですが」
というと、
「あぁ東京の写真屋さん?」
と、俺のことを覚えていました。1年前、国道からこの桜を見つけ、あまりにも美しかったので、線路脇のこの家に近づき、写真を撮っているとき声をかけられたのです。そして小一時間ばかり「被災者の今」を教えてもらったのでした。
「まさか訪ねてくれるとは」
「津波を被った桜、どうなったかなと思って」
去年津波を被った2本の木、どちらも生きていました。
「どうぞ家にあがってください。両親もいますから」
といいました。俺はこういうとき遠慮しないので、喜んでおじゃまさせてもらいました。
お父さんとお母さんがいて、いろんな話を聞かせてもらいました。そして桜が満開になるころ、再び訪ねることを約束しました。
それから5日後、岩手県宮古市田老まで行って帰るとき、もう一度ここにおじゃまして、桜をバックにしてお父さんとお母さんの記念写真を撮らせてもらったのでした。
☆
桜をめぐる旅の連載は、ひとまずこれで終わります。
たくさんの人に出会い、写真も撮らせてもらいました。いずれ1冊の本にしたいと考えています。まだ版元も決まっていないし、出版業界も厳しいので、いつ本になるかわかりません。
来年以降も被災地の桜をめぐる写真は撮り続けていくつもりなので、1年後になるか、5年後になるか、あるいは10年後になってしまうかもしれません。
東日本大震災という未曾有の災害があって、桜が、被災者の心の支えになっていることは確認できたし、また桜を通した被災者の記録としても、俺が写真に撮った意味はあるのだと思っています。
桜を見ると、なぜ人は元気になるのでしょうか。
俺は今までほとんど桜には興味はなく、積極的に桜の写真を撮ったこともありませんでした。
桜を撮ろうとしたのは、去年「強さ」を知ったからです。桜に対するイメージが変わりました。枝が折れても咲いていたり、泥の中、海の中で咲いていたり、ただ単にきれいなだけではない、生き物としての凄みや強さを感じるようになって、それが偶然にも被災者の姿とダブって見えるようになったからです。
桜の内に秘めた強さが、人を元気にするのではないかと、最近思うようになりました。

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