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2012/05/27

中国撮影にでかけるので、ブログはしばらく休みます

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中国の山の中へ撮影にでかけるので、しばらくこのブログは休みます。ネットは見ることができません。なので、コメントをもらってもすぐには返せませんのでご了承ください。

再開は帰国後6月8日前後になると思います。

一年前、中国貴州省で探して食べた「腌魚」は、今回も必ず食べたいと思います。コメ、塩、唐辛子といっしょに漬けこんだ淡水魚のナレズシです。それと「腌肉」というのもあります。同じように漬けこんだ豚肉のナレズシです。

日本の琵琶湖の「フナズシ」と似たもので、寿司のルーツとも言われています。

生で食べることもありますが、普通は油で揚げたり、焼いて食べます。

こういった伝統食も、だんだん個人では作らなくなっています。でも大きな町の市場で売られている業者のものよりも、農家で直接売ってもらうもののほうが、癖があって(ナレズシらしくて)、個人的には好きです。

今回も「腌魚」や「腌肉」を作っている農家を探すことができるかどうか。

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2012/05/23

全国40ヶ所の熱い棚田が取り上げられている、中島峰広著 『棚田 その守り人』の紹介

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「棚田博士」である中島峰広先生の新刊書の紹介です。

『棚田 その守り人』
古今書院
2012年4月10日発行
3200円(税別)
ISBN978-4-7722-5260-7 C1026

早稲田大学名誉教授、棚田学会会長、NPO法人棚田ネットワーク代表を勤める先生が、棚田ネットワークの会報誌「棚田に吹く風」に連載されたものを1冊にまとめたものです。

全国の棚田で保全活動に励む「棚田の守り人」に焦点を当てたものになっています。「棚田百選」に選ばれていなくても、棚田オーナー制度を取り入れるなどして、棚田を保全しようとがんばっている棚田ばかりです。

本書でも触れていますが、ある意味機械的に決まった「棚田百選」とは違って、より熱意がある棚田といっていいと思います。

俺がアジアの棚田に興味が出て、アジア各地を旅したあとに、初めて日本にも棚田があることがわかって周り始めたときに先生と知り合うことができたのは、幸運だったと思います。

先生は、実際に自分の足で棚田を歩き、農家の人たちの話に耳を傾ける現場主義を貫く学者だと思っています。村を歩き、人々の話を聞き、そこから問題を見つけて解決策を考えていく。そういうやり方に共感しています。

数年前、先生、Yさん、俺の3人で中国雲南省の棚田に行ったことがあります。そのときも、何でも食べるし(これ外国では大切)、何を見ても現地の文化として受け入れる懐の深さを感じたし、学者としてだけではなく、旅人としても、共感できる部分が大きいのです。(上から目線ですみません)

山形県鶴岡市暮坪、埼玉県横瀬町寺坂、熊本県山都町白糸台など俺が行ったことのある棚田もありますが、全国40ヶ所の熱い棚田が取り上げられています。


棚田ネットワークのブログはこちら
「棚田に吹く風」


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2012/05/21

「人吠日食」 金環日食での犬の「異常」行動は?

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午前7時過ぎにヴィーノを連れて散歩に出ると、近所の人たちが、いろんな方法で金環日食を観察していました。

ダンボールの筒を使っていた家族は、ピンホールカメラの応用で、直接肉眼で見るものではないけど、なるほどなぁと感心。

広い駐車場では、カメラを三脚にセットし、手には市販の日食グラスを持って見ていた人たち。

「見えますか?」

と聞いたら、

「見えますよ。どうぞ」

といって、グラスを貸してくれました。だいぶ欠けていました。あと10分くらいで「金環」が見えそう。それまでヴィーノの散歩をすることに。明るさは変わらないとか言っていましたが、だいぶ薄暗くなりましたね。いつもの晴れた朝の光ではありません。

公民館前では、おばさん3人組。「見ますか?」と聞かれたので「いいですか?」といって借りたのは、ペラペラの何かのフィルム。これって、危ないんじゃないか。けっこうまぶしいよ。さんざんこういう物で見ないようにと注意されていたのに、見ちゃったじゃないか。

また駐車場へ行ったら「なりました」というので、グラスを借りてみたら、きれいな金環日食。数分経つと、輪が切れて、月は左下に移動していきました。「金環」はあっという間でしたね。

日食とヴィーノの写真を撮ったあと、またグラスを借りてカメラの前に当てて、写真を撮りました。(人のグラスで写真を撮るというのも、プロとしてどうかと思いますが) 小さいですが、ちゃんと撮れました。まるでオタマを片目に当てて「左下!」と叫んでしまいそうな形ですが。

「異常」かどうかは、普段の日が「普通」でないとわからない、ということがわかりました。相変わらずリードは引っ張るし、拾い食いしようとするし、やんちゃさは変わりません。だからヴィーノが異常行動をとったのかどうかはわかりませんでした。

異常だったのは、人間たちだけだったのかも。動物たちはいたって冷静でした。

「人吠日食」でしたね。


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2012/05/20

明日、「駄犬吠日食」か、観察してみよう

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「蜀犬吠日」という中国語があります。

「四川(蜀)の犬は、太陽を見て吠える」という意味ですが、司馬遼太郎 『街道をゆく 中国・蜀と雲南のみち』(朝日文芸文庫)では、

「四川の犬たちは地球のすべてが曇天を信じて生涯を終える。まれに太陽が雲からのぞくと怪しんで吠える」

とあります。犬は周りの環境のわずかな変化に敏感であるのは間違いないでしょう。

ただこの中国語に関しては、四川省は実際に晴れが少ない(俺が行ったときは晴れていたのでそんな印象はありませんが)のですが、このすっきりしない天候のことを外の人間が揶揄した言葉らしい。

ところで、こちら(Exciteニュース)には、日食について各国の面白い伝説が載っていますが、中国の伝説では、

「「天狗」(日本の天狗とは異なり、天の犬という意味)が太陽を食べてしまったために起こると信じられていました。」

とあります。やっぱり犬が関係しているんですね。何でも食べてしまう犬は、太陽まで食べてしまうということでしょうか。ヴィーノを見ているとわからないでもないです。そのイメージ。

「拾い食い」もここまで大きくなると褒めてやりたい気分だけど。

そこで、明日の金環日食を見て、犬たちは何か特別の行動を起こすのだろうか?と思ったので、観察することにしました。

観察対象は、残念ながらヴィーノしかいないので、これが犬一般ではないことを最初に断っておきますが。

さてどうなるでしょうか。

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2012/05/19

新潟県糸魚川市 (2) 日本海

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今日は写真だけ。


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2012/05/18

新潟県糸魚川市 (1) 雪の残る山中で見た「雪桜」

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先週、雑誌の取材撮影で新潟県糸魚川市へ行ってきました。

「木地屋の里」については、以前、当ブログでも書いています。

今までも糸魚川市は何度も通過していましたが、これだけじっくりと市内を見たことはありませんでした。

なので、こんなにいいところだったんだとあらためて知った気がします。

山中にはまだたくさんの雪が残っていて、「雪桜」を見つけました。(雑誌では使わないと思うので、ここでアップしても大丈夫でしょう)

東北の桜撮影が終わって、もう桜の花はないだろうと思って来たのでラッキーでした。雪の冷たさが、桜の開花を遅らせているということなのでしょうか。

それにしても、東北の海に咲いていた「津波桜」には驚かされましたが、この「雪桜」も、ちょっとびっくりです。桜というのは、こんなにもいろんな環境で生きていけるものなのですね。やっぱり強いです、桜は。

ますます桜に興味が出てきました。

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2012/05/17

東日本大震災の現場 (44) 桜の内に秘めた強さが、人を元気にする

120517(写真は去年と今年の大槌町の桜)

また奇跡が起こりました。

先日、松島の「西行戻しの松公園」に行ったことは書きましたが、あのとき、何人か写真を撮らせてもらい、そのうちの一組に仙台から来た夫婦がいました。

帰宅後、プリントして送ったのですが、礼状が届きました。それを見てびっくりしたのです。

なんと、ご主人は、同じ高校の同級生だったのです。

もう30数年以上会ってないし、顔を見ても思い出せませんでした。それはご主人のほうも同じです。俺の名前に見覚えがあり、帰宅してから気がついたそうです。

「奇跡」だというのは、偶然同級生の写真を撮ったことよりも、お互い、まったく気がつかなかったということです。

もっとも今から思えば、なぜあのふたりに声をかけたのか。それは穏やかな表情で満開の桜を楽しむふたりに何かを感じたからでした。もしかしたら、俺の無意識では、ちゃんとご主人を覚えていた、ということかもしれません。実際、「前にも会ったような」とは、ふたりの写真を撮りながら一瞬思っていたのでした。

           ☆

宮城県南三陸町志津川から北上し、気仙沼市本吉町のある漁村で停まりました。去年、桜を撮った場所です。

家を訪ね、声をかけたら、中から男の人が。見覚え場ある顔です。

「1年前、そこの桜を撮った者ですが」

というと、

「あぁ東京の写真屋さん?」

と、俺のことを覚えていました。1年前、国道からこの桜を見つけ、あまりにも美しかったので、線路脇のこの家に近づき、写真を撮っているとき声をかけられたのです。そして小一時間ばかり「被災者の今」を教えてもらったのでした。

「まさか訪ねてくれるとは」

「津波を被った桜、どうなったかなと思って」

去年津波を被った2本の木、どちらも生きていました。

「どうぞ家にあがってください。両親もいますから」

といいました。俺はこういうとき遠慮しないので、喜んでおじゃまさせてもらいました。

お父さんとお母さんがいて、いろんな話を聞かせてもらいました。そして桜が満開になるころ、再び訪ねることを約束しました。

それから5日後、岩手県宮古市田老まで行って帰るとき、もう一度ここにおじゃまして、桜をバックにしてお父さんとお母さんの記念写真を撮らせてもらったのでした。

          ☆

桜をめぐる旅の連載は、ひとまずこれで終わります。

たくさんの人に出会い、写真も撮らせてもらいました。いずれ1冊の本にしたいと考えています。まだ版元も決まっていないし、出版業界も厳しいので、いつ本になるかわかりません。

来年以降も被災地の桜をめぐる写真は撮り続けていくつもりなので、1年後になるか、5年後になるか、あるいは10年後になってしまうかもしれません。

東日本大震災という未曾有の災害があって、桜が、被災者の心の支えになっていることは確認できたし、また桜を通した被災者の記録としても、俺が写真に撮った意味はあるのだと思っています。

桜を見ると、なぜ人は元気になるのでしょうか。

俺は今までほとんど桜には興味はなく、積極的に桜の写真を撮ったこともありませんでした。

桜を撮ろうとしたのは、去年「強さ」を知ったからです。桜に対するイメージが変わりました。枝が折れても咲いていたり、泥の中、海の中で咲いていたり、ただ単にきれいなだけではない、生き物としての凄みや強さを感じるようになって、それが偶然にも被災者の姿とダブって見えるようになったからです。

桜の内に秘めた強さが、人を元気にするのではないかと、最近思うようになりました。

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2012/05/16

東日本大震災の現場 (43) 岩手県山田町 「鎮魂と希望の鐘」の下にあった被災桜

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120516_3(写真は上から、山田湾を望む仮設住宅の桜、「鎮魂と希望の鐘」の被災桜と飯岡さん、カキ小屋)

山田湾の国道45号線から60mほど入った場所に「御蔵の湯」というのがありました。昔は、図書館や中央公民館があった場所に、町が、町民やボランティアのために無料の温泉施設を作り、2011年12月26日オープンしたものです。小さいけれど露天風呂まであります。

その同じ敷地に「鎮魂と希望の鐘」があります。その鐘の下にりっぱな桜が立っていました。津波が2mくらいの高さまで被った被災桜です。勢いよく咲いている花に力強さを感じます。

スーパー「びはん」の駐車場の隣に一軒の畳屋さんがありました。ここは自宅。以前の店は流され、機械も新しく買い直し、去年5月2日に早々と店を再開したそうです。ただ、そのときまだこのあたりには自衛隊しかいない状態で、住民はまだ少なかった。スーパー「びはん」が仮店舗で営業したのが最初。だからこの畳屋さんは2店め。開店が早かったので、いろいろとマスコミの取材も多かったらしい。

店主は飯岡さんといいます。話しているとこちらまで元気になってくるような人で、ぜひ、あの被災桜といっしょに写真を撮りたいと思ったので、わざわざ仕事を中断してモデルになってもらいました。これだけ「撮りたい」と思うような人に出会うのは珍しいことです。

山田湾もカキやホタテの養殖が盛んです。今、新しい黄色いブイ(浮き球)がたくさん浮かんでいます。まだ収穫できるのはまだ先ですが。

山田湾の「カキ小屋」は4年前に始まりましたが、去年の津波で流され、場所を移動して新装開店の運びになりました。2500円で蒸しカキ食べ放題。季節によって、カキではなくて、他の海鮮になるそうです。

津波は災害ですが、悪いことばかりでもないのだという。将来の海を考えるなら(長期的にみれば)、海がかき回されることは、いいことでもあるとのこと。意外な話です。もちろん、これは津波自体のことでしょうが。津波によって人が亡くなったり家が流されたりすることは悲劇に違いありません。

同席した3人組の青年たちは、去年の夏、沿岸部10ヶ所で花火を打ち上げたプロジェクトのスタッフ。挨拶周りをしているのだという。たしかニュースで聞いた気がします。今年もやるんですね。


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2012/05/15

東日本大震災の現場 (42) 岩手県大船渡市三陸町 「仲良倶楽部」のお花見

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大船渡を出て、峠を下った三陸町越喜来に4本ほどりっぱな桜があったので、降りてみました。すると、桜の下で10数人が花見をしていて、手招きされました。

地元に残った同級生が主体となって地域で何かやろうと集まった仲間「仲良倶楽部」です。14年の歴史を持つそうです。

震災前はこの2倍のメンバーが集まっていました。震災後は少なくなりましたが、なんとかこの繋がりだけは維持しようと花見を行ったそうです。

「仲良倶楽部」では5年前に公園を作ろうと桜を10本買って「仲良桜」と名づけて植えました。3年後に花が咲き、これからは花見ができると楽しみにしていたのに、1年前の津波ですべての桜が失われてしまいました。でもいつかはまた桜を植えたいそうです。

こういうときだからこそ、地元に根ざした若者たちが、地域の復興を先導していくんだろうなと感じました。車じゃなかったらいっしょにお酒を飲みたかった。(コーラをご馳走になりましたが) 心に訴えてくる何か熱いものを持っている人たちでした。

満開の桜の下で記念写真。

ほろ酔い気味の会長さんが、ふと俺の耳元で言った言葉にハッとしました。

「俺たちはちゃんとやってますよ。もう悲惨な報道はいらないよ」

昔、「同情するなら金をくれ」という名セリフがありました。

その通りなのです。被災者に対しての同情は、むしろ失礼なのかもしれないと思えるほど、今の彼らの生活は「普通」なのです。楽しいこともあり、苦しいこともあり、問題もあり、うれしい出来事もあります。

会長さんの言葉には、「被災者」=「不幸」という目で見る人たちに対して、「それなら、被災してないあなたは幸福なのですか?」と逆に聞かれているような気がしたのでした。

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2012/05/14

東日本大震災の現場 (41) 岩手県宮古市 余震があった次の日のこと

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宮古市を流れる閉伊川の河川敷の真ん中に、きれいに咲いている桜の木がありました。

散歩中のおじさんの話では、津波は堤防からあふれることはなかったので、堤防の外にある桜は津波を被っていないが、内側は被っているとのこと。だから当然この桜の木も津波を被っているはずです。

いろんな条件で、桜は生き延びたり、枯れてしまったり。

堤防の桜並木の途中に車を停めて写真を撮っていると、犬連れの女の子が歩いてきました。犬はメスの柴犬で名前をヒメちゃんといいました。犬写真については、ヴィーノで苦労させられていますが、このヒメちゃんも意外とやんちゃで、なかなかうまく写真が撮れませんでした。

記念写真のあとは、桜並木を歩いていく後ろ姿を撮影。いつまでもヒメちゃんがこっちを向いています。気に入られたのでしょうか。人間の女性からは気に入られないので、ヒメちゃんでもうれしいです。

おじさんがきて、桜の下で話しこみました。

ボートの修理屋さんですが道具を乗せた自分のボートは津波で流されてしまったそうです。

この日の前夜は久しぶりの大きな余震で揺れました。俺は国道脇の駐車スペースで寝ていたのですが、車が大きく揺れて飛び起きました。一瞬、「ここは海抜何メートル?」と、寝ぼけた頭で考えて、「あぁ山の上だった」と、ひとまず安心。でも地鳴りがして、さすがに恐怖心が沸き起こりました。

「昨日はずいぶん揺れましたね?」

と俺がいうと、

「船乗りは揺れているのがいい。ボートが流されて、今は陸に上がった河童状態なので、ときどきは地震で揺れていたほうが気持ちいいよ」

といって笑いました。

こういう冗談、1年前は言わなかったろうし、聞く俺のほうも、素直に笑うことはできなかったに違いありません。これも1年経って、自分のことを客観的に語れるようになった被災者に、少しだけ余裕ができたということでしょうか。今年の桜を「きれいだ」と眺められるようになったのと同じように。

今回いろんなところで聞いた言葉があります。

「去年の桜、いつ咲いていたかさっぱり記憶がないんですよ」


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2012/05/13

東日本大震災の現場 (40) 大船渡 去年の桜と今年の桜

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大船渡の児童公園の桜。

枯れてはいませんでしたが、咲いている花の数は少ないようでした。塩水の影響でしょうか。

去年撮影した歩道橋から、同じアングルで写真を撮ろうとしましたが、手前に電柱3本立ってしまってよく見えない位置になってしまいました。それで少しだけ左下の位置から撮影しています。

1年間の変わりようは写真で比べると、一目瞭然です。

瓦礫がなくなり電柱や新しい建物も建っています。ただ、これを「すごく変わった」というのか「それほど変わらない」というのか、わかりません。被災者から見たら、復興の「速さ」の実感はまったくないのかもしれません。

ビニールハウスの復興居酒屋「がんぱっぺし」で昼食。980円の「まかない定食」を注文しました。海鮮丼と魚のアラ汁。

ここだけではなく、沿岸部には、仮設の商店街や食堂街ができています。

「被災者のみなさんはたくましい」などと軽々しく言うのも恥ずかしいくらい、みんな前向きです。


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2012/05/12

東日本大震災の現場 (39) 陸前高田 「津波桜」はなくなっていた

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(写真は、上から金剛寺の桜、ご詠歌をうたう人たち、山田洋二監督寄贈の黄色いハンカチがはためく鎮魂のモニュメント、「希望の松」)

陸前高田で満開の桜が咲いていたのは、成田山不動尊金剛寺という寺でした。

急な石段をあがると、カメラを持った人が。地元のデザイナーで、津波で会社が流され、陸前高田の桜を含む、いままでの写真データを全部失ったという。

去年は桜どころではなかったけれど、今年は町の桜でも撮ろうかとやってきたそうです。

10時から施餓鬼法要があるというので、いったん寺を離れ、去年、海岸沿いの桜が地盤沈下で海に落ち、海上で咲いていた「津波桜」を探しました。

塩水に1年も漬かっていて生きているはずはないと、常識ではわかっていても、どこかに奇跡を見たい気持ちもありました。そう思ったのは、次のような伝説を聞いたからでもあります。

千葉県の漁村だったか詳しい場所は忘れましたが、「海桜」という伝説が残っていて、昔、海に桜を植えて、帰ってくる漁船の目印にした。海水で何年も生きていたという伝説です。

その場所は確かに「そこ」でした。でも瓦礫置き場になっていて桜はなくなっていました。

去年の「津波桜」はこちら。

Ya_2「東日本大震災の現場 (18) 海の上で咲く桜「津波桜」 」

実は、もう一本、石巻市水浜にも「津波桜」があったのですが、こちらは木はありましたが、すでに枯れていました。

10時前に再び寺へ。住職はあいさつの中で、これから毎年法要を続けていきたいといいました。お経のあと、みんなで焼香しました。

ご詠歌をうたう地元の婦人たち。鎮魂の歌声が桜の下に響きます。


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2012/05/11

東日本大震災の現場 (38) 宮城県石巻市波板 村の再生を願う伊藤さん

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石巻市波板。

震災の2年前、小さな入り江にあったこの村が気に入り写真に撮りました。その写真を、去年写真監修した『復活への記憶』(マガジンハウス刊)で使わせてもらいました。

この写真の隅に偶然人が映り込んでいましたが、、住民の伊藤さんでした。

震災前の波板の写真はこちらに載っています。

Ya_2「東日本大震災の現場 (9) 石巻市雄勝町の漁村」

それがわかったのは、『一心一写』を見た波板出身の伊藤さんの娘さんからメールをもらったのがきっかけです。波板の震災前の写真を譲ってほしいということだったのでデータを送りました。そのとき「画面に映っている畑仕事をしているのは私の父です」と教えてくれたのです。

今回も波板に寄り、国道から写真を撮りました。すると、畑のところに車が停まっていて、仕事をしている人の姿が。「もしかしたら」と思い、国道から海岸のほうへ降りていきました。

そして『復活への記憶』を持って、車から出て「こんにちは」と声をかけたとたん、待ってましたとばかりに「山形の人?」と聞かれたのです。どうしてわかるんだろうか? 

「さっき、車が国道で停まって写真を撮っていたので、もしかしたら、おたくさんではないかと」

やっぱりここで写真を撮るのは俺しかいないのでしょうか。まぁそれは冗談としても、偶然の出会いに驚いたわけです。娘さんとは何度かメールのやりとりはありましたが、伊藤さんとは初対面です。

この2日後晴れたので、ふたたび波板を訪ねて、伊藤さんの写真を撮らせてもらいました。

伊藤さんは桜の若木を見せてくれました。ちょうど花を咲かせていました。かつて波板にも桜の木が何本かあったのですが、神社の1本を除いて、全部流されてしまいました。また桜を復活させたいとのこと。

桜ばかりではありません。この村の将来をどうするのか。それは大きな問題です。

もともとこの村は、漁村ではなくて、スレート石を採取することを生業としていたという。

そういう石採取の産業を復活させ、若い人たちがなんとか食べていける方法を考えたいというのが伊藤さんの望みです。周りの海からは海産物が取れるし、畑では野菜を作れる。コメ以外は自給自足できるというのも、自然豊かなこの村の強みです。

瓦礫撤去のためにここで働いてくれたボランティアの若者のような人を望んでいるようです。

「若い人に来てもらい、将来の方向性を決めてもらいたい。100年先も、ここにすばらしい村があったんだよと、伝えてくれる人が住んでくれればいいかな。小さいところだから、行政をあてにするんじゃなくて、自分たちでやるしかない。流されたときは、何も思わなかったんですが、だんだんと自分の生まれたこの自然豊かな村に戻りたいと思うようになってきました。生かされたんだから、何かやらなければ」

伊藤さんの挑戦は始まったばかりです。だれかここに住んでもいいという若い人がいたら、ぜひ連絡してみてください。

「村が消滅するのが嫌なんですよ」

伊藤さんの強い思いが伝わってきます。

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2012/05/06

東日本大震災の現場 (37) 宮城県気仙沼市 大川さくらまつり

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去年、震災の1ヶ月半後、4月下旬に訪れたとき、気仙沼市大川の桜並木は瓦礫の中で満開の花を咲かせていました。塩水を被っても元気に花を咲かせていたのが印象的でした。もちろん祭りはなく、花見をする人もいませんでしたが。

そして今年、再び訪ねてみましたが様子がへんです。7割以上は花を咲かせていないし、咲いていても、花が少なく、緑の葉がすでに目立つような状態でした。

まだ咲き始めなのだろうか?と思って、地元の人に聞いたら、

「たぶんもう咲かないでしょうね。枯れてしまったのではないでしょうか」

やはりあの津波の影響は大きかった。ほとんどは塩水と重油を被っていて、火災で焼けた桜の木もあったらしい。

こんな中、今年も4月22日から29日まで、「大川さくらまつり」が行われました。

女の子ふたり、並木を楽しそうに歩いてきたので写真を撮らせてもらいました。話を聞いたら地元出身の人たちで、

「桜並木が切られるかもしれないというニュースを聞いてやってきました」

とのこと。

祭りのスタッフにも話を聞きました。

「このお花見も今年で最後かもしれません」

という。このあたり一帯を数メートル嵩上げする計画があり、当然堤防も嵩上げされることになると、桜並木は切られることになります。だから今年最後・・・・。

あらためてこのまばらな花の桜並木を見ると、妙にいとおしく感じてきます。

「まだわかりませんよ。切られるかどうか。決まったわけじゃないんだから」

と、ムッとした表情で言う地元のおじいさんもいました。桜並木がなくなるかもしれない悔しさがにじみ出ていました。

今までみんなを楽しませてくれた桜並木の最後を看取ってやることは、桜並木に対しての恩返しでもあるのかもしれません。


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2012/05/05

東日本大震災の現場 (36) 福島県浪江町の桜

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浪江町の山間部、雨に濡れた桜です。


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2012/05/04

東日本大震災の現場 (35) 福島県飯舘村の桜

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福島県相馬市から南相馬市を経由して、飯舘村に。

名もない桜が特に好きです。偶然見つけた2本の桜。

上の桜は、強風を受けて枝が暴れていました。

大雨で飯舘村の桜の凄みが強調されたと思います。

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2012/05/03

東日本大震災の現場 (34) 宮城県松島西行戻しの松公園の桜

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今日は雨の中、福島県内の山中の桜を撮影しました。

三春町の「滝桜」にもまた寄ってみましたが、すでに花は散ったあと。そろそろ桜の撮影も今年は終わりかな。

ブログでは遅れています。ここ何日間は一気に咲いたので忙しくてアップできませんでした。

「1年遅れの東北のお花見」をしばらく続けます。ただ、撮影順にはならないと思います。どうして? 俺は気まぐれなのです。

だから写真は、昨日撮影したばかりの松島の桜です。こちらは松島湾を望む絶景の地ですが、風があったので桜吹雪になって飛んでいました。

外国人3人が来ていました。桜を背景に彼らの写真を撮らせてもらいました。ひとりは日本在住ドイツ人、ふたりはスウェーデン人でした。

ドイツ人の彼は、

「外国人は少ないですね」
と流暢な日本語で言いました。
「それは地震のため、放射能のため?」
「放射能のため」

まだ日本のイメージは悪いままらしい。

外国人が日本に対して悪いメージを持っているのと、東北以外の日本人が東北(とくに福島)に対して悪いイメージを持っているのが、相似形なんだなぁ。

「日本はそんな悪いことだけじゃないよ」といいたい。こんなにきれいに桜が咲いて、みんな楽しそうに花見をしているじゃないですか。ぜひ、外国人には自分の目でみて判断してほしいと思います。


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